第3章:姉と妹の記憶ー006ー
立ち塞がる者は、巨岩そのものといった男だった。
ぬっと前へ出てくれば、巨体の影がマテオをすっぽり覆う。
さて、どうしたものか。マテオは腰に差した短剣の柄へ手を伸ばす。
忙しいアーロン・ウォーカーがマテオをランチに呼び出した理由が、この短剣だった。
自由が利く僅かな時間を選んで呼び出した『叔父さん』から忠告された。持ち歩くモノがただの短剣では死ぬぞ、と。普段からは想像つかない低くドスの効いた声だった。
武器もそうだが用心を欠かさない姿勢について諭されたようだ。ここは通常の街ではない、と暗に注意を促してもいたのだろう。
ならば、とマテオは思う。せっかく用意してくれた威力を試してみよう。
なんの用だ、と迫ってきた巨岩のような男に対してだ。
「あんたこそ、なんだよ。ロリコン・ストーカーか」
挑発を投げるにしても、わざとらしすぎたか。
言った当人はそう感じたが、どうやら的のど真ん中を射抜いたらしい。
「キサマあー、殺す」
予想以上に熱り立ってくる。
効果の上がりすぎに、マテオは苦笑だ。心理的に上へ立てていた。
「やってみれば」
陳腐な返しだったが、面白いほど巨岩みたいな男は乗ってきた。ふざけるなー、と叫んでは丸太のごとき腕が振り上げられる。落とされた拳は砂埃を立てて地面を抉った。
巨岩みたいな男は立ち上がる際に、身体中のあちこちから血を噴き出させる。一瞬にして服はズタボロの傷だらけとなった。
それでも闘志は衰えるどころかむしろ激らせている。
「卑怯だぞ、姿を見せろ!」
再び苦笑が広がるマテオは瞬速の能力を止めた。異能とすべきあらゆる力が顕現する時代において珍しい罵り方だ。あまりに大男の見た目通りな直球ぶりは好感さえ抱きそうだ。
けれども相手を殺生する基準は人の良い悪いではない。
「姿を見せてやったけれど、どうする? 今度、向かってきたらその喉を掻っ切るよ」
飄々と自信に満ちた言い切り、為す術ない者は逃亡か命乞いをしてきた。
巨岩みたいな男は、これまでの者とは違った。
「やってみろ。だが最低でもお前を道連れにする。何が何でも悠羽さんは守る」
「なんだよ、それ」
思わぬ覚悟にマテオの頭にある考えが過ぎった。この誤解は策が巡らされたゆえではないか。
マテオは目の端に捉えた。
公園の奥で砂山を作って遊んでいるようだ。
カチンとくる相手は、そっちであった。
瞬速の能力をもって、砂場を囲う枠へ立った。
砂いじりをしている幼女が顔を上げる。
マテオと目が合えば笑う。
とても五歳とは信じられない妖しさだ。無邪気ではいられない経験を踏んできた女性の表情だった。
悠羽さん! と叫び呼ぶ声がする。
どかどか公園の地面全体を揺らす勢いで巨岩めいた男が駆けてくる。
「こないでっ」
悠羽が叫んだ。
あれ? となるマテオの内心だ。今の今まで油断ならない成熟さを湛えていた幼女に年相応の表情が垣間見られる。
来るなと言われた大男だが、やはり聞く耳を持っていない。全力で駆けながらである。
「悠羽さん、急いで離れろ。今、行く」
闘志に燃えたぎる目は、真っ直ぐ砂場の脇に立つ不埒な人物へ向かっているに違いなかった。
体当たりされたら敵わないマテオは能力を発現しかけた。
「いい加減にしてよ、奈薙っ!」
悠羽という名の幼女は立ち上がっていた。伏せる顔と肩はふるふる震え、小さな拳から砂が零れていく。
さらさら……、握り締める紅葉みたいな手から零れ落ちる砂粒が止めどない。
幼女の迫力に押されて、巨岩のごとき大男が身を縮こませている。おどおどしながら奈薙なる男が訊く。
「しかし、しかしだ、悠羽さんの身に何かあっては、陽乃姉さんに申し訳が立たないではないか。流花さんだって、どれほど悲しむかと思えば、じっとしていられない」
「そういうあんたの愚純なところ……バカなところがイヤなの。まだわかんない、奈薙はうれに騙されたの。この人は命を狙ってきたわけじゃない、うれに呼び出されて来たの」
奈薙がマテオへ目を向けてくる。そうなのか、と表情で訴えてくる。
マテオもまた白銀の髪を縦に揺らした。
そうか、と今度は力なく呟く奈薙だ。それから悠羽へ向き直ればである。
「すまなかった、頭が悪くて、いつも悠羽さんには不愉快な想いをさせてしまう」
「違う。違うでしょ。ここは奈薙が怒るところでしょ。騙したうれに呆れて、もういいってなるんじゃないの」
「それは無理だ、なにせ俺は今、悠羽さんに初めて名前を呼ばれて嬉しく思っているくらいなんだ」
思わず顔を上げた悠羽は唖然といった様子だ。
奈薙は生真面目な表情を崩さないよう必死に頑張っている感じだ。
ふーん、となるマテオは空気を読まずに口を開く。
「えーと、悠羽と奈薙だっけ? 二人は付き合ってるの?」
巨岩みたいな奈薙からパンチが繰り出されるまで時間はかからなかった。




