第28話 戦略級魔法
亡霊の唸りのような音が、奥のフロアへと続く道から聞こえた。
荒々しい風とともに現れたのは、青白い肌を持つ大男だ。
風魔人ジンは、眉根をひそめながら現れた。
状況を察して、辟易しながら肩を落とす。
「やはり逃げてなかったのか」
『よくわかったな。風の魔人』
「馬鹿にするなよ、お昼寝ドラゴン。お前に千里眼という能力があるように、俺様には風がある。この洞窟の風は、すべて俺様の勢力下にある。お前たちがどこにいようとすぐにわかるんだよ」
頼んでもいないのに力説する。
ジンはエラそうに腕を組むと、仰け反った。
「で――。場所を変えて、俺様とやり合おうってのか。無駄なことだ」
ジンは風を発生させる。
暴風が蛇のように魔人に纏わり付いた。
獰猛な声を上げる風。
それでも、ニーアたちの士気は高い。
それぞれの武器を構え直す。
我は念話を飛ばした。
『ニーア。作戦はわかっているな』
「うん。大丈夫。ジンを倒して、ガーディにペロペロしてもらう」
『良いぞ。骨までしゃぶってやろう』
「ちょっとそれは困る」
『冗談だ』
「わかってる。……でも、嬉しい。ニーア、ガーディを骨まで感じたい」
『最高のペロペロを感じさせてやろう』
「楽しみ」
すると、ニーアは飛び出した。
デュークもだ。
だが、先に口火を切ったのは、フランだった。
手榴弾のピンを抜くと、ジンに投擲する。
爆弾が宙を舞った。
暴風に弾かれると思ったが、大魔導が魔法を付与する。
意志を持ったように動き始めた。
鋭角的な動きでジンの爪を攪乱する。風の壁に着弾した。
轟音が響く。
「チッ!」
さすがに効いたらしい。
爆煙の中から顔を出したジンは忌々しげに顔を歪めた。
大魔導は攻撃の手を緩めない。
「炎の純精霊イフリルよ。業火の窯より出で、愚者に炎罪の槌を撃て!」
【炎天車輪刑】!
炎を纏った車輪がジンを囲んだ。
暴風に逆らいながら、魔人の周りを回るといつしか巨大な炎の塔になる。
紅蓮の炎の中で影が踊った。
現状、大魔導が使用できるA+級の魔法だ 。
並のモンスターでは、すでに消し炭になっていただろう。
しかし――。
「しゃらくせぇ!」
ジンは風で熱い炎の塔をなぎ払う。
たった一息でA+級の魔法を無散せしめた。
得意げに笑う魔人。
だが、我らはそれを狙っていた。
ジンは炎を掻き出すため纏わり付いていた風をすべて使ったのだ。
魔人と我らを寸断していた風の守りがなくなった。
それはすなわち、近接攻撃の好機だ。
「おおおおおおおおおおお!」
デュークの裂帛の気合いが聞こえる。
渾身の振り下ろしは、ジンの肩口を捉えた。
「チィッ!」
ジンの顔が苦痛に歪んだ。
攻撃は終わらない。
その顔の前で、1人の少女が宙を舞う。
FN57とM1887。
古代の兵装を装備した小さなソルジャーは、大きな的に向かって引き金を引いた。
鋭い銃声が洞窟に響く。
「くそが!!」
ジンは起こした風でニーアを引っぱたく。
軽い少女の身体は紙のように吹き飛ばされた。
『ニーア!』
我は顔面蒼白になりながら、念話で叫んだ。
身じろぎもしない我が巨躯を呪う。
妻がタフターン山から離れた時から、何度自分の無力さを嘆いたかわからぬ。
我が動くことが出来れば、ニーアを助けられる。
いや、そもそも危ない目に遭わせることもないのだ。
助けに行きたい!
叫んだ妻の名前に、我はそんな願望を乗せた。
「大丈夫――」
愛らしい――耳をくすぐるようなハスキーボイスが聞こえた。
少女は空中でマントを広げる。
風に乗りながら、体勢を整えると、何事もなかったかのように着地した。
「風はみんなの味方……。ジンだけのものじゃない」
風の方向を読んで、力を分散させたのか。
何という戦闘センスだ。
我が妻ながら脱帽する。
「は! 何がみんなの味方だよ。風は俺様のものだ。調子こくんじゃねぇ、巫女」
ジンは我が妻に迫る。
すでに風の守護は戻っていた。
先ほどよりも風速が早い。
触れただけで身体がバラバラになりそうだ。
恐らく先ほどの攻撃はもう効かない。
最高クラスの魔法も正面から通じなかった。
絶体絶命――。
ありきたりだが、その表現が的を射ていた。
やがて、一行を袋小路に追い込む。
ジンはふと鼻を利かせた。
洞窟を漂うモンスターの血の臭いが、気になったのだろう。
大魔導が倒した夥しいほどの血が、洞窟のあちこちについていた。
「派手に俺様のダンジョンで暴れやがって。……お前達も俺様のモンスターにやってくれたみたいに、粉みじんにしてやろうか」
太い手が伸びる。
刃となった風が、一行の眼前まで迫る瞬間、ニーアは薄く微笑んだ。
「違う。粉みじんになるのはお前の方――」
「はあ?」
瞬間、手を挙げたのは大魔導だった。
「其は雷神にして、暗天の宙を駆ける疾風、冥府にて雷罰をもたらす者。されば我の声に耳を傾けよ。其の名はグルニカ。大雷を司る天より高きあろうとするものなり」
「はあ? 戦略級魔法かよ。気が狂ったか、大魔導」
古代において猛威を振るった戦略兵器。
その強さに相当するほどの魔法のことを、我らダンジョンマスターの間では、戦略級魔法と呼んでいる。
単体が放たれる最高クラスの魔法――S級をも凌駕し、対国を標的とする大規模攻撃。
それが戦略級魔法である。
しかし、簡単に撃てるものではない。
Bクラスであれば、1000人。
Aクラス冒険者であれば、200人分の魔力が必要だと考えられている。
つまりは、超大食いの魔法なのだ。
そんな魔法を大魔導を1人で撃とうとしている。
ジンが鼻で笑うのも無理からぬことだった。
しかし、その大魔導はフードの奥から声を上げた。
「私は転送魔法が得意でして」
「自慢話かよ。今際の際の話としては冴えねぇなあ」
「ここに来るのも転送魔法で来ましたし、先ほどこのフロアに移動するに当たって、巫女様方とデュークを移動させたのも転送魔法です」
「聞いてねぇよ! わかってんのか! 戦略級魔法なんてなあ。てめぇの魔力を雑巾みたいにしごいたって施行できねぇんだぞ」
「ですが……。どうあっても、主は転送できることはできません。さすがに質量がありすぎるものは、まだ転送ができないのでね」
「そりゃそうだろ! あんなデカ物を転送できてたまるかよ!」
「ええ……。ですが、ジンよ。主は転送できませんが、あのお方の魔力は転送できる」
「――――――ッッッッッ!! てめぇ、何を考えている!」
フードの奥の顔は薄く微笑んでいた。
「ジンよ。あなたもダンジョンマスターならわかるでしょ。Bクラスでは1000人。Aクラス冒険者であれば、200人の膨大な魔力をひねり出せる単体の生物。……ジン、それはあなたですよ」
指さす。
ジンは風を纏わせながら、惚けた顔で大魔導の説明を聞き続けた。
「A+クラスの魔法を弾くことが出来る風を常に纏いながら、魔力が切れることなく活動をし続けていく。それはあなたが神獣であるからです」
「おい! 馬鹿な真似は寄せ!」
「それは我が主も同様……。媒介こそ利用するものの、魔法によって無から生命を生み出すなど、それは神の所行といえるでしょう。当然、それは生半可な量の魔力ではないことは想像に難くない」
『大魔導よ』
我が念話は洞窟に殷々と轟いた。
『用意は出来ておる。任意のタイミングで、我が魔力を使うが良い』
「かしこまりました」
軽く一礼する。
改めてジンを睨んだ。
「ここまでの説明でわかったでしょう! 我らが何をしようとしているか」
「待て! あれには魔法円が必要だ。そんなものどこにも――」
「ちゃんと書いてますよ。あなたの下です」
ジンは眼下を見つめた。
息を呑む。
視界に映ったのは夥しい元配下の血だ。
しかし、よく見ればそれは、血で描かれた魔法円だった。
「てめぇ! いつの間に!」
「あなたが巫女様方と戦っている最中に……。暇だったのでつい――」
ふふっと笑った。
『我が命じたのだ。ダンジョンマスターを倒すとなれば、それ相応の用意が必要だからな』
「はじめから……。俺様を仕留めるつもりだったのか!」
『別にお前を仕留めるつもりは我にはなかった』
我はただ……我が妻を守りたかったのだ……。
ジンの下の魔法円が赤く光る。
風のダンジョンが、まるで竜の炎のように赤く染まっていた。
「そんな……。そんな理由でぇ――!!」
『つまらぬか、ジンよ。しかしなあ。存外、愛というのは深い者だぞ』
「くせぇこといってんじゃねぇ! 耄碌ジジィ!」
『ふん! なんとでも言うが良い、ガキが。そのジジィにお主は負けるのだ』
「お前、負ける。ガーディはニーアが認めた竜。……お前なんかに負けない」
「キヌカさんを侮辱したこと……。あの世で悔いて下さい」
「さらばだ。ジンよ」
「では、主」
『うむ……』
やれ……。
そして大魔導は上げた腕を振り下ろす。
すでに我が魔力を帯びた大魔導は、躊躇なく魔法円に注ぎ込んだ。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
それがジンの断末魔の叫びだった。
【|雷光の大罪《ゲ・ルニカ】!
神が振り下ろした大槌のような雷撃が、ダンジョンのフロアに突き刺さった。
2章ももうすぐ終わりです。




