第十章 8/8
翌日。
俺とティルミアは、臨時アジトを旅立った。
昨日夜遅くまで起きていたせいか眠いが、早く寝たらしいティルミアに起こされたの出発は早い。早いせいか、見送りはミサコとビルトさんだけだった。
「順調に行けば、二週間くらいで戻ってくる」
「手がかりが見つかったらちゃんと一度戻ってくるんじゃぞ。勝手に元の世界に帰ったりするなよタケマサ」
「わかってるよミサコ。というか、あんまり期待するな。もう何年も前なんだろ? そいつがあっち方面に行ったのは。手がかりがあるかもわからんぞ」
「タケマサ。戻る時にチグサの手が要るならカードで連絡するのである。そのカードは山向こうでも短時間なら繋がる筈である」
「マジか。ビルトさん助かる。非常手段として持っておくよ」
にぎやかな連中に別れを告げて、俺はティルミアと二人、草原へと歩き出す。
「まず山の麓にあるって村へ行くか……」
「タケマサくん、暑いし川伝いに行こうよ」
「おう。そりゃいい考えだ。もやしっ子の俺としては日差しを避けたい。林のほうの道通っていいか」
「うーん、見通し悪くなるけど、仕方ないかな」
ティルミアに先行してもらいながら、俺は久しぶりの長距離徒歩移動を心配していた。休憩を適宜入れていかねば……。
林にさしかかったところで、一人、待っていたやつがいた。
「あ、あれ」
「ん。……サフィーだな」
俺が手を挙げると、待っていたサフィーはペコリと頭を下げた。
「お早いですね。もっと待つつもりでしたが」
「どうしたこんなところで。アジトをあんまり離れると危ないぞ。魔物との戦闘はあんたは無理だろ」
「女神としての介入はここまでです。私は以降、またサフィーの肉体を離れ、あちら……この世とあの世の狭間の世界に、戻ります」
「おうそうか。じゃあ次に会う時はもうただの人間のサフィーになってるってことか? 女神に身体を乗っ取られてたことは忘れて。……あれ、もしかして俺たちに会った記憶すらなくなってたりする?」
女神は首を振った。
「いいえ。私がサフィーとしての本来の意識を眠らせてまで喋ったのは、アジトが最初です。それまでのサフィーの行動は彼女自身のものです。タケマサさんの治療をした時は人間のサフィーとして出会っています」
「……そうなのか。あんたが誘導したりしてたんだと思ったが」
「時々、誘導はしました。でもサフィーの潜在意識に働きかけてリブラさんの蘇生に同行するようにし向けたりとか、回復魔法を使う際のタケマサさんの生命力維持を補助したりとか、その程度ですよ」
その節は助かったと頭を下げる。
「わかった。まあつまり、次に会うサフィーもちゃんと、俺達のよく知ってるサフィーだってことだろ」
「そうです。ただ自分が女神の仮宿だということは忘れています」
「うーん。言っておいたほうが良いんじゃないのか。今後またあんたが降臨する時に毎回サフィー混乱するだろ」
だがサフィーは首を横に振った。
「それに関して、申し上げておくためにお待ちしていました」
「何だよ」
「今回、私は女神としてこの世界への降臨時間が少々長かったため、上からお咎めがありまして……。今後基本的には皆さんの前に姿を現すことはできなくなりそうです」
「ほう。上から怒られたってのは……なんだ。神様の親玉みたいなやつにか」
「まあそんなようなものです」
「するとあんたは、もう下界には降りて来られないのか? ……そいつは、少々寂しくなるな」
あの何も無い空間で、またこの女神は暇をもてますのか。そう思うと哀れにも思えた。
「まあ、皆さんが死ねばいつでも会えますけどね」
「女神がずいぶんろくでもないことを言うな」
「うふふふ、冗談ですよ。あまり軽率に死なないようにお願いしますね」
わあってるよ、と俺が答えると、ティルミアが横からあの、と声をかけた。
「何でしょう、ティルミアさん」
「私に……記憶を全部戻してくださったこと、お礼を言いたいです」
面食らったような表情の女神。
「いいんですよ、そんなこと」
「でも私、危うくタケマサくんのことさえ全部忘れちゃうところだったんですよね。そうなってたら、とても悲しかったから」
ティルミアは、ぺこり、と頭を下げた。
「うふふ、どうしたしまして。でも女神のすることに、感謝も畏怖も要りませんよ。私は信仰なんて求めません。そんなものを求めるのは神ではなく人間だけです。神は山や海や空と同じく、この世界の背景であれば良いのです」
「信仰なんて求めない? 格好つけるなよ。あんた結構目立ちたがりだろ?」
「タケマサくん! 失礼だよ神様に向かって!」
「だってこの女、背景であれば良いとか言いながら今回はえらく出しゃばったんだぜ」
うふふふと苦笑する女神。
「そうなんですよぅ。だからちょっと上の方からめちゃくちゃ怒られていまして……って言わせないでください」
愉快な女神様は楽しそうで何よりだった。
「皆には言わないのか、もうしばらく降臨できないこと」
「皆さんには言わないでおいてください。女神なんて元々何もしない、いてもいなくてもいいような存在ですけど、それでも、この世界で「神が死んだ」と思われてしまうのは、まだ先がいいです」
随分と殊勝なことを言う。
「それに、レジンさん等のような方々には伏せておいたほうが良いように思います。いずれ感づくかもしれませんが、それでも。ですから……お二人だけにお話したんです」
「なんで俺たちなんだよ」
「お二人とも……神頼みをしそうにないですから」
「……うん! しないよ私。だってやりたいことは自分でやるのが殺人鬼だもん」
ティルミアの「やる」が「殺る」に聞こえてしょうがない。
俺も頷く。
「本来神は頼むもんじゃなくて畏れ奉るもんだろ。知らんけど」
うふふふ、とサフィーは何か可笑しそうに微笑んだ。そして、では良い旅を、と言ってアジトのほうに戻っていった。
「それにしても随分と殊勝だったじゃねえか、ティルミア」
「え?」
「ちったあお前も成長したのかな、と思ってな」
「私、別に変わってないと思うけどな。でも確かに、ちょっと落ち着いたかも。今までよりもその、何て言うの? 沸点? なんかカーッって頭に血が上っちゃってたの、直そうと思って」
「そうかそうか。そりゃいいことだ」
「だから昨日の夜、タケマサくんがミサコさんとかアリサリネさんとイチャイチャしてたのだって見ちゃったけど、ぐっと我慢したんだよ」
平然と言うティルミアに、俺は眉を吊り上げる。
「言っとくけどな。俺は何もうしろめたいことはないぞ」
「うん、まあ、そうかもね」
ティルミアは、くるりくるりと片足立ちで回転した。照れ隠しなのだろう。何の踊りか。
「元の世界に戻れることがあるなら、アリサリネさんも連れてってあげようよ。私もタケマサくんのいた世界、行ってみたい」
「ああ……。まあそうだな。俺自身が元の世界に戻りたいかっつーと、それは結構微妙なんだがな」
「そうなの?」
「あっちじゃ無職なんだよ俺」
「蘇生師、やればいいじゃん」
「ふっ。魔法がないんだよ魔法が……」
「そっか……。それじゃ蘇生魔法使えないんだ」
「ところでな、ティルミア。そんなことよりだな」
俺は足を止めた。
「何?」
「あの時、どさくさで、お前……ちゃんと言ってないだろ」
「ん? 何を」
「俺の告白の返事だよ」
「……」
ティルミアは胸に何か詰まったようにとんとんと叩いた。
「え、えと」
「皆の前で流石に言いにくいのはわかる。だから今聞こうか」
林の中。
もう十分アジトからも離れている。
ここなら誰もいない。
「……んー……と……へ、返事……。んー」
俺はプレッシャーをかけるように、黙って待った。
プレッシャーをかけているのだとティルミアもわかったのだろう。
ムッとしたような顔をしたのち、あちこち目線が彷徨って、最終的にぐっと睨むように俺を見た。
「タケマサ……くん。えと……」
そして、たっぷりと間が空く。
だが俺は待つ。
ついに、覚悟を決めたようにティルミアはため息をついた。
「いいよわかった。タケマサくん、私も……」
そこで。
ティルミアは言葉を止めて。
俺から視線を外し、林の奥を見つめた。
「誰!? 隠れてるのはわかってるよ!」
え、と俺がそっちに目をやって数秒。がさがさと林の奥から現れてきた男たちがいた。
「おらおらお前ら! 金を出しな! 俺らを誰だか知ってんだろうな!」
「……うぉう」
刃物を構えた盗賊団らしき一段。人数は、三人。
「マジかよ。……ていうかなんでこのタイミングで……」
「ね」
「つべこべ言うんじゃねえ! 珍しく護衛のいない素人が二人ノコノコ来やがって」
ここは確かに今は時々、街から避難する民が通る道だ。とはいえその大半は兵士や冒険者の護衛がいるので、俺たちは久しぶりの格好の獲物に見えたということなのだろう。
「……ティルミア。こういうの。いつかを思い出すな」
「……思い出すね」
ティルミアと顔を見合わせて、思わず笑う。
「おらおまえら! 何笑ってやがる! いいか、俺らはなぁ、泣く子も黙る……」
「ボギー盗賊団だろ? どうせ」
「なぁ!? なんで知ってんだ」
「有名だからな」
「ご存じとは、ありがとうございます……! じゃなかった、知ってるのであれば自己紹介のくだりは飛ばして……えーと、出せ、か、金を。とにかく金を出せ、金を」
「落ち着け。台詞かみまくりだぞ。新人研修中かお前は」
「そ、そうですけどぉ!?」
ツッコミのつもりが本当に研修中だった。どこの世界も大変だ。しどろもどろになっているナイフを構えた男の周りの二人は、気のせいかハラハラしながら新人(?)を見守っているようだ。
「か、かねを……かねをだしてくださ……おらあああ!」
台詞につまった新人君はついに半泣きになりながらナイフを構えて突進してきた。
ティルミアが反応した。
「もー、しょうがないなぁ。蛇黒針!」
ティルミアの右手から伸びたワイヤーが新人の身体を貫いた。
「いっちょあがり……。さ、他の人たちもさくっと殺くよ」
「……。よしこいつら、ロープ持ってるっぽいな」
都合がいい。ティルミアが殺し次第縛ることにする。今の俺なら三人の蘇生くらい一時間かからんだろう、と予想した。
*
そして一時間後。
「おかしいな、なんでこうなるんだ? 今回は魔法陣だって完璧だったのに……」
目の前には、いつか見たような悲惨な光景があった。
「……ここどこー? お兄ちゃんたち誰ー?」
「う、静まれ……静まれ俺の右腕よ……」
「うわーん、おうちかえりたいー」
三人とも蘇生自体は成功していた。だが、記憶が戻っていない。てか、二人は完全に幼児化している。もう一人もどうやら中二くらいに戻っている。
「タケマサくん、失敗したってこと?」
「ああ。残念ながらな。くそぅ。こんな筈じゃあ……あ」
すぐに気がついた。思わず舌打ちが出る。
「しまった。昨日アリサリネに返そうとして、ペンダントの事前詠唱解除してたんだった……。それを忘れて呪文の一部を省略しちまった」
酷いポカミスだ。制約魔法などという大業を成功させ、その後のレジンの刺客による襲撃で出た死者も次々蘇生を成功させ、俺はすっかり、蘇生のエキスパートになったような錯覚を覚えていたのかもしれない。油断もいいところだ。依然として俺は素人だった。
「参ったな……」
「くっ……まさかお前もあの世界線から来た……のか……?」
うるせえ中二病。
「タケマサくん。どうしよっかこれ」
ティルミアの問いに、俺は肩を落とす。
「すまんな。旅程が狂うが、とりあえず街に連れていくしかないだろう。どっかに預かってもらおう」
「……無理じゃない?」
だよなあ、と俺はため息をつく。
「無理だよなあ。うーむ、こんなの引き取ってくれるのはルードくらいしか思いつかんぞ」
「あ、それいいじゃん」
「……なるほど? 一度ルードのとこに連れてくか? ちょっと遠いけど、あそこぐらいしか引き取ってくれるところを思いつかんしな」
「いいねっ! そうしよう。先生にも会いたいし! 会ってお礼言わないと」
「お礼? 何の?」
「私に、殺人鬼という生き方を教えてくれてありがとうってこと。まだちゃんとお礼言えてなかったもん」
「……またやり合うことにならんだろうな……」
「なるかもね! ま、なったらなったで! 大丈夫、もう私負けないよ?」
「一応、あの時のほら、赤柱陣、俺にかけといてもらえるか?」
「ああ、赤柱陣? いいよー!」
そういうわけで旅路はいきなり頓挫し、俺達は三人の幼児化した盗賊たちを連れて来た道を引き返すことになってしまった。
「あ、そっか。あの時タケマサ君の言ってたゴリラが出たっていうのは嘘だったんだ!」
「なんだ今更気づいたか」
「ゴリラじゃなくて先生だったんだ……。そりゃそうだよね。ゴリラなんて出たら、付近一帯焼け野原になる筈だもん」
「なあマジでこの世界のゴリラってどんななんだ」
「ごめん私も出会ったこと無いんだ」
伝説というのは独り歩きするものらしい。どこの世界でも。
俺はため息をつくと、ティルミアのほうを見て、「で、」と言った。
ティルミアは少し固まった。
「……あ、覚えてた? やっぱ勘弁して貰えないか」
「ったりまえだろ。大事な話の途中だ。野盗に邪魔されたくらいで誤魔化してもらっちゃ困る」
言いながら、とりあえず騒がしい幼児+中学生の三人組を、縄を引いて立たせる。すまんが歩いてくれ、と言うと意外に素直に従ってくれる子どもたち(?)。これなら連れていけそうだ。
「……!」
唐突に。
唇に、感触があった。
慌てて振り向くと、ティルミアが駆け出していくのが見えた。
「……地平線まで行くつもりか、あの阿呆」
俺は今触れた唇を撫でる。
豆粒ほどの距離で、照れ隠しなのかぴょんぴょんと跳ねているティルミアが見えた。
苦笑。
これが返事ってことかよ。
随分と照れ屋な殺人鬼だ。
しばらく見ているが一向に帰ってこないので俺は空を見た。
頭上には真っ青な空が広がっていた。この世界に来た日と、同じように。
(完)




