第十章 7/8
「さて……いい加減寝るか」
食堂テントを出る。
空を見上げる。
月は無い。だが星は見える。心なしか地球で見るよりも大量の星が見える気がしたが、それが街明かりが無いせいなのか異世界だからなのかはわからない。
月明りの中に、ボスがいた。
「メイリ」
「……タケマサか、まだ起きていたのか」
「まあな。親睦を深めていたよ」
そう言えば、聞いておきたいことがあったのを思い出す。
「あんたとレジンだが……」
ん、とメイリは眉間にシワをよせた。嫌そうな顔だと思ったのは単なる俺の印象かもしれない。
「あんたとレジンは……俺と同じように日本から来た……違うか?」
メイリはあまり驚かなかったようだ。
「なんでそう思った?」
「あんまり理由がある訳じゃない。レジンもあんたもやけに日本に詳しいし、魔力も無いようだからな」
魔王やミサコもそうだが、俺と同じ世界から来た人間は基本的に魔力が無いらしいからな。
「半分あたりで、半分外れだな。兄はそうだよ。日本の記憶があるらしい。だが私は違う」
魔力に乏しいのはたまたまだな、と苦笑した。
「そうなのか? あんたも相当日本に詳しいように思えたが」
「私の方は小さい頃から兄の話す日本の……当時にしてみればよくわからない異世界の話を聞かされたからね。勉強しただけだ」
「小さい頃から……って。レジンはいつこの世界に来たんだ?」
ああ、つまりだな、とメイリは少し説明に悩む様子を見せた。
「もしかして、転生ってことか?」
俺がそう聞くと、ああそうだよとメイリは頷いた。
「お前やミサコと違って、兄は召喚されて来た訳じゃない。向こうの世界で死んで、生まれ変わった先がこっちの世界だった、らしいぞ」
驚いてしまった。さっきリブラ初めて聞いたが、実際にそうであるやつがいたとは。ポカンとしている俺に、メイリはときどきあることらしいがな、と言った。
「召喚魔法で来るのと違って……、転生というのは赤ん坊からやり直しになるわけだからな。前世の記憶が戻るのはすぐじゃない。兄は記憶が戻るのは早かったそうだが」
それが不幸だったのかもしれんな、とメイリは呟いた。
苦々しい顔をして語り始める。
「レジンとメイリという名は……兄が自らつけたものだ。前世の記憶によるものらしい。兄自身は「礼人」という名だった。そして「明里」というのが、やつの前世での……幼くして死んだ妹の名だったそうだ」
メイリはそう言って、紙にその名を書いて見せた。
「こういう字を書いたそうだ。元の読みとは変えて、れいじん、めいりと読んだのだな。音読みで」
「漢字は覚えていたのに読み方を忘れていたということか?」
普通、逆じゃないのか。
「私も物心つく前の話だから推測も混じるがな。この世界で、レジンが2歳半、私が生後半年も経たない頃のことだ。レジンがこの文字を書いて大人に見せたそうだ。日本語にそれほど明るくなかった大人たちは、レジンにこの文字を何と読むのか尋ねた。一文字一文字を指してな。「れい」「じん」「めい」「り」だとレジンは答えた。それで大人たちは兄に「レジン」、私に「メイリ」と名付けたのだそうだ」
れいじん、が縮んでレジン、か。
「名付けたって……2歳半でまだ名前が無かったのか?」
「孤児だったのだよ。この世界での我々の親がどんな人間なのかは知るよしもない。兄は生まれたばかりの私を抱いて路頭に迷っているところを保護されたからな」
名付けたのは、孤児院の大人たちだよと言ってメイリは記憶をたどるように遠い目をした後、首を横に振った。
「兄はじきに前世の記憶をすべて取り戻した。「れいと」「あかり」が本来の読み方だとは知っていたが、周りの大人たちが「レジン」「メイリ」と呼ぶのに慣れてしまったので訂正しなかったと後になって言っていた」
兄はな、とメイリは言った。
「前世の記憶があるのみならず、女神や魔王のチートのことも知っていた節がある。あの通り、知っていることも言わない癖のある男だからな。ただ、時々言っていたよ、「こんな世界は間違っている」とか「僕が直すしか」とかそんなようなことをな。元いた世界と比べて、この世界の社会のありように不満があったのだろう」
なにぶん私は幼かったから兄の考えは理解しきれなかったが、と言うメイリの口調には、少し悔しさが滲んでいるような気がした。
「大きくなるにつれて兄の考えていることはどんどんわからなくなった。兄は十四の時だったか、突然、亜人を迫害しはじめた」
「亜人?」
「ああ。エルフやドワーフ、それに獣人等を総称してそう呼ぶことがある。我々のいた孤児院には亜人種の子供も多くいて、ともに育った連中は私の友人でもあった。だがな、兄はその彼らを様々な理由をつけて街から追い出したんだ」
「街からって……どういうことだよ。追放なんてことができる立場にいたのか? 14の子供が」
いたんだよとメイリは言った。
「あの男は天才的に支配者に取り入るのが上手い。その街を支配していたのは田舎貴族だったが、面倒を嫌う性格の老人でな。兄は9歳で雑用としてそこの家に入ってから面倒ごとをすべて引き受け、内側から実務を全て掌握した。そして老人の代理人として街の実質的な支配者になるまで5年を要さなかった」
「しかしだからって……14歳のガキの指図で住民を追放とか……ありうるのか」
「その貴族はもともと亜人が嫌いでな。それに、身寄りのない孤児院育ちは厄介者扱いするのが簡単だった。わかりやすく言えば、その貴族への反逆……クーデターを企てているということにされた。貴族の屋敷を襲う計画を立てていた、とな。もちろん兄の作り話だろうが」
メイリは眉間にシワを寄せながら憎々しげに、私はな、と言った。
「その時まで愚かにも兄を信じていた。兄がそこまでする人間だと思っていなかった。だから後手に回った。結局、仲間と一緒に街を脱出することしかできなかった」
「……いや十分凄いと思うぞ。あんたもまだ子供だったんだろ?」
「ふ……。心配するな。いつまでも引きずってはいない。慰めは不要だよ。それに、やられっぱなしではない。私は脱出した連中でこのタレント事務所を組織し、兄がまた別の街で同じことをやろうとしたのを阻止した。今度は犠牲者を出さずに兄を失脚させることに成功したのだ」
「壮絶な兄妹喧嘩だな」
にやりとメイリは笑った。
「まああの男はあの男で手を変えてきた。数年姿を消したと思ったら、いつの間にか、軍の中枢に食い込んでいた。おまえが最初に行った国、エントラル王国だ。田舎でちまちまやるのが面倒になったのか、国家に取り入る作戦に切り替えたらしい。もっとも途中でさらに作戦を変えて、魔王に取り入るほうが早道だと判断したらしいがな。まあとにかくあとはお前の知る通りだ」
「だがあの国では……亜人排斥なんて起きていなかったように思うが」
「言っただろう。私はあの男の考えを全部理解できてはいない。おそらく兄のやろうとしていたことは、亜人排斥だけじゃない。あの男は、要するに元いた世界のような秩序のある世界を欲していたのかもしれない。法律が整備され、警察機構が機能している社会をな」
「……」
メイリは俺の心を見透かしたようだった。
「そんな顔をするな。私は言っていないよ。タケマサとあいつが似ているなどとは」
「似てはいないか」
「ああ。だいぶ違う。通ずる部分もあって当然だが異なる部分も多い。それは私とだってそうさ。私と兄の決定的な違いは、兄の考える「市民」よりも実際にはもっと多様な人間がこの世界にはいるし、いるべきだと私は考えているということだな。職だって色々あるから面白いだろう。剣士、格闘家、魔術師、呪術師、料理人、遊び人、計算士、それに蘇生師」
「それに、殺人鬼な」
ああ、とメイリは頷いた。
「私はそういうこの世界が好きなんでな。私はあの男とは相入れないよ」
そうだな、と俺は頷いた。
「あんたには感謝している。俺とティルミアが今も無事なのはあんたのおかげだ」
「気にするな。事務所的にもお前ら二人を加えたことは大きなメリットがあった」
「何だ? なんかしたか?」
「たとえばミレナを生きる気にさせ、リブラを仲間に加えられたといったことだがな。だが魔王との対決もお前たちがいたから凌げた」
「俺らがいたから対決する羽目になったとも言えないか?」
そういう面もあるがな、とメイリは笑った。
「しかし遅かれ早かれ衝突は避けられなかっただろうさ」
さて、とメイリは背を向けた。
「失礼するよ。お前も早く寝ろ。明日は早いのだろう」
「ああ……」
*
寝床のテントに向かう途中、待っていた、と声をかける者がいた。
ミサコだった。
「ミサコか。あんたは事務所に加わるって言ってたな」
「まあのう。アルフレッドの奴が死んでしもうたし、魔王の奴も去るのではな。魔導師としての立場では城には置かせてもらえんじゃろう」
「まあそうだよな。あんたも俺と同じく、混乱の元として国民に目の敵にされてる訳だし」
「なに。ワシはずっとフードかぶっとったし演説もしとらん。意外に国民はワシのことは覚えておらんよ」
「……」
「なんじゃ?」
「いや、あんたは……元の世界に帰りたいとは思わないのか、と思ってな」
ミサコは口調を変えて言った。
「前も聞いてたよねソレ。……まあ、行ったり来たりできるならそれも面白いかもしれないけどね。私は、魔法があるこの世界の方が性にあってるかな」
「使えないのにか? 魔法」
「使えるかなんてどうでもいいね。研究対象だから」
私は研究者だからねぇ、とミサコは笑った。
「そうか……。ところで待ってたというのは何だ? 何か用か」
「ん。タケマサ」
「なんだ?」
「チューしたげよっか」
「は?」
「いや、あんたさ、私の命を救うために魔王城に単独で乗り込んで来てくれた訳でしょ? お礼、してなかった気がしてね」
「命を救うってのはちょっとニュアンス違うけどな。もう殺された後だった訳だし」
「同じだよ。それを命を懸けて蘇生しに来てくれるんだもん。普通の女の子なら惚れちゃってもおかしくないぜい」
「一番普通じゃない奴が何言ってんだ」
「まあ私は普通じゃないわなあ」
はは、と笑う元魔導師。
「それにお礼がチューってのはお前のキャラじゃないな」
「嬉しくない?」
「あいにく俺にはティルミアがいるんでね」
ひゅー、とバカみたいに高い声で奇声をあげてミサコは両肩を抱いた。
「いやー、寒気が走る。言うようになったねえ」
「なんでだよ。逆だろ。熱いだろ」
「へいへい。じゃーね、あたしゃ寝るよもう。フられちゃったしね」
ミサコはひらひらと手を振ると、横の暗がりにちらりと目を向けた。
「さて……あとはあたしよね」
「うぉ、びっくりした。あんたもいたのか」
アリサリネだった。
銀髪が暗闇で光を反射すると幽霊のようにも見える。
「色々世話になったな」
ぷっと吹き出すアリサリネ。
「なぁによ別れるみたいな台詞。私もこの事務所に混ぜてもらえることになったってのに」
「あんたとは距離を置いておかないとティルミアが嫉妬の鬼になるからな」
冗談だが、半分冗談でもないかもしれないので、俺は一応周りにティルミアがいないことを確認した。
「しかし、ミサコといいあんたといい、異世界人ってのは変わってるよね」
俺は首を横に振る。
「それを言うなら、ミサコはともかく俺を引き合いに出すのはおかしいだろ。俺の知る限り俺は異世界人の中でもっともまともだぞ。だいたい、筆頭はあの魔王だろ」
「タカシくんだっけ」
「そうだ。あとはチグサも異世界人とのクウォーターだ」
「あはは。いっぱいいる」
アリサリネは腹を押さえた。
「でもさ、まあ変人って意味じゃなくてね。ミサコもタケマサも、魔法の無い世界から来たとは思えないほど魔法に詳しいからさ」
「まあ確かにミサコは頭おかしいがな」
「頑なに自分をまともだと言いたいのね」
俺は首をかしげた。
「しかしそういう意味で言ったら、あんたこそ、まあなんというか天才だろ。あんた以外に他の蘇生師を見たこと無いからかもしれんが、あんたはこの世界の蘇生師の頂点に立つ人間なんじゃないのか?」
何よ頂点って、と言いながら両手を胸の前から左右に水平にのばすジェスチャーをする。
「蘇生師に上も下もないのよ。比べることが無いもの。そもそも蘇生師なんて探したってなかなか見つからないくらいよ。エントラル王国にも民間の蘇生師はいなかったでしょう?」
「ああ。どうしてか蘇生師が少ないのな。この世界には」
どうしてかってことは無いわ、とアリサリネは少し暗い顔をした。
「蘇生師が始末されるってのはよくあるのよ。レジンの言ってることは間違ってない。やつ以外にも、蘇生師がたくさんいてもらっちゃ困るって思う偉い人は多いわけ。誰も彼も簡単に生き返れたら権力が無くなっちゃうから」
「蘇生師は悪くないだろ。ただ人を生き返らせるだけだ。それをどう受け取るかは周りの勝手だ」
「それも、相当に運が良ければ、ていうだけなのにね。……それでも、やっぱり脅威になりうるんでしょうね。だって例えば、私がいなかったら魔王……タカシくんはとっくにいなくなっていた訳だから」
「……ああ、そういえばそうか」
あの男は超人的な力を持ちながら隙が多く、一度ティルミアにも殺されている。あの時アリサリネがいなかったら確かに、それで終わりだったのだ。
「そういう意味じゃ、ある意味、私が真の魔王と言ってもいいかもしれないわよね」
と、笑う。
「私にだけは、魔王の脅威をこの世からなくすチャンスが何度かあったわけだから」
あはは、と何かを吹っ切ろうとするように笑うアリサリネ。
「なわけないだろ」
そう言った。
「魔王はあいつだよ。あんたはあいつが平和をもたらすと思ってたから協力してただけだ。そうだろ」
そう言ったのだが。
「私はナンジャミの悪魔に呑まれやすいのよ。バカな女よねえ」
何を言ってほしいのだろう、と俺はしばし考えてしまった。そして言葉を選びながら。
「叱ってほしいのか? あんた」
ぜんぜん選べてなかった気はした。
「……うん」
だがアリサリネがぽろぽろと涙をこぼし始めたので、これであっていたのだと思った。
「……ごらぁ! またお前かぁ! まったくいつもいつも魔王ば生き返らせよってぇ!」
「ぷははははっ。何それタケマサ。何そのキャラ」
「わからん。俺の中の、なんか叱るじいさんのイメージだ。方言は適当だ」
「あははっ。あはははっ」
「どこの悪ガキだ! おめぇがすぅぐ生き返らすから元の黙阿弥でねえか! だめでねぇか!」
「ひぇーん。ごめんなさぁい」
自分の中のじいさんキャラがあまり固まっていないのでこれ以上台詞は出てこない。
アリサリネは笑い転げていた。まあとりあえず元気になったならよしとしよう。
「まあ実際、あんたのことを悪く思ってる人間はそんないねえと思うぜ。ティルミアを除けば」
「わーん、ティルミアちゃんに嫌われちゃった」
「そりゃ嫌われるだろうぜ。俺は一応あんたには何度も生命を助けられたしな、一度蘇生もしてもらってるから邪険にする気はない。ないが、ティルミアは嫉妬深いんだからあまりからかうようなことをするな」
しくしく、と嘘泣きをするアリサリネ。そういうのにいちいちつっこんでやるほど俺は優しくないので、思い出した用件を片づけることにする。
「そういえばこれ、借りてた奴」
事前詠唱用のペンダントだ。制約魔法を使うのにずっと使ってたから、ずっと借りっぱなしだった。
「ああ、あげるわよ、それ。それタケマサが使ってもまだ私のほうが詠唱速いと思う」
「マジかよ。天才だな」
「まあね。さっきの質問だけど、確かに私を超える蘇生師は見たことないわ。蘇生魔法の神髄はいずれ教えてあげる」
「へっ。言うね。そりゃ是非とも頼む」
「まぁ、まだまだ早いけどね。いずれ成長したら教えてあげる」
じゃーね、と言ってアリサリネは去っていった。
「……寝るか」
ほうぼうと話し過ぎたせいか、もう夜もだいぶ遅くなっていた。
暗い中をごそごそと寝床をかき分けるように探り、俺は冷えた身を横たえた。
次に目を覚ましたら同じ世界にいるだろうかといういつも心の何処かで考えるたわいもない不安が、今は無いような気がするなと考えながら俺は眠りについた。




