第十章 6/8
「なんだ入れ替わり立ち替わり。忙しいな」
「一人酒ですか。健康に悪いですよ」
酒が健康に悪いのは一人でも二人でも変わらないだろう。
「チグサに言ってやれよ。俺はさっきまで相手がいたさ。取っ替え引っ替え、な」
「タケマサさんは意外にモテますよね」
リブラもまた、俺の向かいの席に座った。
「なんだ。飲むのか? あんた酒強かったっけか?」
コップに酒を注いでやる。
飲んで大丈夫だろうな、と言うとリブラは首をフルフルと横に振った。ウサギの耳がフルフルと揺れる。
「強くはないのですが」
じっとコップの中の濁った安酒を見ている。
「お酒は一瞬だけ、脳を活性化させてくれるので、好きなのです」
「一瞬……?」
不安になる台詞である。その後はどうなるんだ。
「はい。仲間の話では私はあまり酒癖が良くはないらしいのですが、自覚はありません」
「記憶はあるのか?」
「はい、それはあります」
はっきりと、と言ってコップの酒を一気に流し込む自称酒癖の悪い女。
「いやいや一気に飲むなよ、弱いんなら」
「これがコツなのです」
「何のコツだ何の」
突如、リブラの目が大きく見開かれた。一瞬すごく後悔する。
「大丈夫……か、マジで」
「タケマサさんは異世界からいらしたのですよね」
「ん? ああ」
「その時の様子を教えてください」
唐突な台詞に俺は戸惑う。俺がエントラル王国の郊外にいた時のことを言っているのか。
「その時ってのは、こっちに来た直後のってことか? えーと、いきなり森の中にいたな」
「召喚者はいましたか?」
「召喚……者? いや近くには誰もいなかったが」
「魔法陣はありましたか?」
無かったと思う、と首を横に振る。特にそういうものは描かれていなかったように思う。
「それは変ですね。人が魔法で召喚した場合、ほぼ確実に魔法陣の上に召喚され、召喚者が近くにいるものですが」
「……そうなのか? だが俺は日本……少なくとも異世界から来たわけだがな。召喚とやらじゃない手段で来たのか?」
俺の問いにリブラは首を横に振った。
「いえ、他の、となると……転生ということになりますが、それは無いでしょう」
手段と言うのはおかしいのですが、とリブラは前置きした。
「転生というのは生まれ変わりですので」
なるほど。それなら違うな、と俺は頷く。俺はこの23歳うだつの上がらない無職男の状態でこちらに来たのだ。生まれ変わった訳ではない。
「となると召喚ではあるはずなのか」
「移動前後の記憶は全くないのですか?」
「無いな。前日はふつうに元の世界で寝てたはずで、起きたらパジャマ姿で森の中だ。どうやって移動してきたかの記憶はない……。ああ、そういえば、夢を見た気がする」
「夢?」
そういえば、と膝を打った。今までなぜ忘れていたのだろう。
「ああ。朧気だが……なんか追いかけられていて……あれは確か……殺人鬼に……」
殺人鬼に?
なんだそれ。どういう夢だ。
「なぜかはわからないが、殺人鬼に追われていた夢でな。だが俺は……どうも奇妙なんだが、その殺人鬼に追われながら笑ってるんだよ。何が嬉しかったのかわからんが、そんな変な夢を見ていた」
本当に。なぜ今まで忘れていたのだろう。
「そこに何かありますね」
リブラはそう言った。そして目を閉じて考え始めた。
「異世界から人間を召喚することは、王命によって行われるもの以外は、不届きな目的によるものも多いと聞きます。召喚という魔法自体はもともと、どこかから生き物を強制的に連れてきて使役する……奴隷的に使うために発展した側面がありますから」
「そうなのか? ずいぶんイメージ悪いな」
「イメージはわかりませんが、片手落ちであることを考えれば誹りは免れないかと」
ショウカンのみでソウカンが無いのです、と言う探偵。
「召き喚ぶことはできても送り還すことができないのです。つまりそもそも人に迷惑をかける魔法なのですよ。幸い、召喚魔法は人口に膾炙した魔法ではありませんし、今はチグサのように穏当な使い方……つまり、相手の意志を確認した上で召喚する、また遠方から仲間を救出するといった目的で使う者が増えましたが。とはいえ、異世界からとなるとやはり事前の意思確認など無いですし」
確かに、喚ばれる者の意志を無視して強制的に移動させるのだから、「召喚」などと格好よく呼ぶよりも「誘拐」とか「拉致」とか呼ぶほうが正しいような気がする。明らかに犯罪である。
「異世界から連れてきた人間は……家族も知人もいない、後腐れのない人間。どう扱おうと、例えば殺したところで、どこからも文句が出ません。これは明らかに邪な者たちにとっては都合が良いのです」
タケマサさんの召喚も……その類のものだったのではないでしょうか、とリブラは静かに言った。
「なんだと……。いや、でも初めの街で、時々異世界から召喚された者が来るとか聞いたぞ」
「召喚したものの望む条件にあわなかったために解放されたり、あるいは逃げ出すことに成功した者たちでしょう」
では条件にあってしまったり、逃げるのに失敗した人間はどうなるんだ。聞こうとしてリブラの顔があまりに深妙なので聞けない。こいつは酔うと暗くなるタイプか。
「俺も逃げるのに成功したパターンだったのか……?」
「これは私の推理ですが……。タケマサさんは、サフィーさ……女神に言われたのですよね。放って置くと野垂れ死ぬところだったと」
「ん? ああ。そんな感じのことを言っていたな」
リブラは、ならそういうことですね、と言った。
「女神が場所を移したのでしょう」
リブラは頷いた。そこで黙られても困る。俺はどういうことだよと馬鹿みたいな返ししかできない。
「おそらく、タケマサさんが魔法陣も無く召喚者もいないところに召喚されたように見えたのは女神に場所を移されたのではないかと思います。元々召喚された場所にいたのではそこで死ぬ運命だった、そういうことでしょう」
がたんと何かぶつかる音がして騒々しい音がした。
その通りです、と。
言いながら入り口とは反対のほうから声がした。
てっきり誰もいないと思っていた食堂テント内の奥のほう、雑然と食料が並べられていたあたりから。
「サフィー……。なんだあんた、ずっと聞き耳立ててたのか」
「聞き耳というか……この身体が少々飲みすぎて動けなくなってしまっていたのです。ただ、身体は寝ていても女神としての私の意識は起きていましたから、ばっちりと話は聞こえていましたよ」
幽体離脱か。随分と格好悪い女神もいたものである。
「……チグサさん、ミレナさん、ディレムさん、リブラさん。タイプの違う美女四人とタケマサさん。どんな風に痴情がもつれるのかと興味津々でした」
「全然酒が抜けてないようだなあんた……? あ、さてはチグサと飲んでたのあんたか」
起きてきたサフィーは……明らかに顔が赤い。
「言ったでしょう。サフィーとして降臨している時は、ほぼただの人間なんですよ」
サフィーはテーブルの上に転がっているいくつかのコップから一つを選んで俺にぐいと差し出した。
「というわけで、飲みたい夜もあるんです。注いでください」
「まだ行くのか。マジか。まあ……いいが。俺は知らんぞ」
飲みすぎるな、という台詞はもうすでに飲み過ぎている人間に言っても無駄なので言わない。
「というわけで、女神ちゃんの解説コーナー!」
「お、おう」
「……さて、タケマサさんの最初のこの世界への登場シーンを思い出してみましょう。タケマサさんは森の中誰もいないところで急に目覚めました。それは私が本来の召喚位置から移動させたからです」
「ふむ。なんでまた」
「本来の召喚位置にいたままでは、召喚直後に死亡する可能性が高かったからです。リブラさんの推理どおりです。タケマサさんの召喚者は生け贄として召喚したからです」
「……なんだと? 生贄?」
「そこを救ったのはティルミアさんでした」
「……何? ティルミア?」
「これは内緒ですよ」
そう言って、女神は俺にその秘密を話した。
*
俺とティルミアが出会うあの日の少し前。ティルミアは、エントラル王国の王都へ単独で旅をしていた。
近道だから、という理由で、ティルミアは人通りの多い街道ではなく、山道を抜けることを選んでいた。近い代わりにその道には物騒な連中が出る。だから普通の人間は通らない道なのだが、ティルミアはそのあたり常識が無いというか無頓着というか。
さて、その山道からさらに少し山側に入ると、廃墟となった古い寺院があった。
ティルミアは山賊の類が出ることは構わないと思っていた訳だが、暗くなってしまったのは困った。それで野宿する場所を探し、そして、その寺院に入った。
するとそこには怪しい儀式をする連中がいた。「怪しい儀式」……。二重の意味で怪しい儀式だった。まず、術式がいい加減で、この儀式の目的である「術者に悪魔が絶大な力を授けてくれる」とされている効果それ自体が怪しかったこと。
そしてもう一つは、この儀式は「異世界から召喚した人間を生け贄に捧げる」ことが必要だとされていたこと。
儀式を行っていたのは、ろくに魔術書も読めない癖に自分勝手な解釈で独自に間違いだらけの魔法理論を構築してしまうような、盲信的なエセ呪術師だった。この男は魔法への理解は怪しかったが口は上手かったので、どこかの召喚士や山賊の連中を唆して儀式に協力させていた。
かくして、ティルミアが現れた時、その古びた寺院の中では十五、六人の山賊が取り囲む中描かれた魔法陣の真ん中で異世界から一人の若者が召喚されていた。
それが俺だった。
ティルミアが寺院の入り口にやってくるとそれを見つけた山賊たちは、舌なめずりをしながらとらえようとした。確かに見た目はか弱い少女だ。男たちが舐めてかかったのも当然と言えよう。
そして、返り討ちにあう。仮ライセンスとはいえ、殺人鬼のティルミアである。
最初に取り囲もうとした男3人のうち2人が一瞬で喉をかききられたのを見て、残り一人が悲鳴を上げながら寺院の中へ駆け込んできた。
そこで俺は目覚めた。朧気な意識の中、自分に向かってナイフを降りおろそうとしている男を見た。それは俺を生け贄に捧げようとしていたエセ呪術師の姿だったのだろう。
まるで覚えていないが、殺される、という危機感だけを俺は覚えていた。
そして次の瞬間、自分を殺そうとしていた男たちが次々に誰かに殺されていく光景を、目にした。
何がなんだかわからないまま、俺は逃げ出したらしい。
逃げながら、自分たちを囲んでいた男たちが逃げながら叫ぶ悲鳴だけが聞こえた。
「うわーっ、殺人鬼だぁ!」という悲鳴だった。
*
「で、逃げまどうタケマサさんは足をもつれさせて転び、崖から落ちて昏倒しました。私はその間にタケマサさんの身体だけ王都の反対に位置する森の中に移しておいたんです」
「それで俺はあんな……何もないところで変な夢を見ながら起きたのか」
「私だって、普段はあんな干渉は絶対にしないのですが、タケマサさんの落ちた崖のあたりは魔物も多くて危険だったのでそのままでは死ぬのは確実。それでは計画に支障がありますので、避難させておいたのです」
サフィーはえへん、と胸を張る。
「なるほど……」
今さら知ることになるとは思わなかった。俺がこの世界で生きていたのはティルミアのおかげだったということを。




