第十章 4/8
俺にティルミアの動きが目で追える訳もない。
いや、追えたところで反応できる訳もないのだ。
しかし、それでも。
カキン。
「嘘っ。受けた!?」
追えなくても、反応などできなくても。
俺が後ろ手に振り回した短剣はティルミアの攻撃をはじいたようだった。
こんだけいればこいつの癖みたいなものはわかる。俺が前に意識を向けているとなれば、後ろから攻撃してくるということだ。タイミングはまぐれだったが。
「ぶっ」
俺が左手に握っていた砂をその顔にぶつけてやると、ティルミアは慌てて後ろに跳んだ。
「……な……な……」
「本気でやれよ、ティルミア。舐めてたんだろ。俺を」
「今まで……隠してた……の? 本当は強かったのに……!?」
「弱いことにしておいたほうが何かと都合が良かったんでな。お前に戦闘も任せられて楽だったし」
「うわ! 卑怯者!」
「そうだな。卑怯だったな。だから今は本気を出してやる。お前も本気で来いよ」
にやり、と笑いながら俺は、腰に差していたもう一本の短剣を取り出してみせた。
ティルミアの目つきが変わった。
「私……嬉しいかも。タケマサくんが本気を出してくれて」
「奇遇だな。……俺もなんだよ」
ティルミアが笑っている。楽しそうに。
「余裕だな。まだ俺を倒せると思ってるのか?」
自分で台詞が悪役っぽいなと思い苦笑する。ティルミアはそれを嘲笑と見たようで、軽く眉間に皺を寄せた。
「倒せるよぅ。タケマサくんまさか、自分のほうが強いとでも思ってるの?」
「さあな。そりゃ戦えばわかることだろうぜ」
「だね!」
ティルミアのそこからの攻撃は、美しかった。
俺は感動していたと言ってもいい。
攻撃の速さだけじゃない。正確で、そして優しさに……いや優しさと表現するのが適切なのかはわからないが、俺への「関心」に満ちていた。
ティルミアが俺に興味を持っている。それが、感じられる。刃を食い込ませる一撃一撃が、俺を知りたいと言っている。貫くワイヤーの一本一本が、俺に気持ちをぶつけてくる。
ティルミアは今初めて、俺を雑魚ではなく、自分と同じ舞台で踊る相手としてとらえている。
それが何より嬉しくて、高揚感に包んだ。後から考えれば信じられないほどに、俺は身体の痛みを感じていなかった。ただティルミアの刃がどこに来るかを予想して、それをナイフで受けることだけに集中し、それを楽しんだ。
ああ、そこに来るだろうと思ったぜ。
おっとそっちか。まったくこいつは。
いいぜ、もっと深く来い。
なるほど、女子とイチャイチャするってのはこういうことか。なかなか悪くないじゃないか。
そんな浮かれた考えすら思い浮かべる俺の脳。
だが残念なことに、楽しい時間は長くは続かなかった。
たぶん実際の時間は一分ももたなかったのだろう。
「……タケマサくん」
「ははっ……。ティルミア、お前はやっぱり最高だ」
俺は降参の意を示す為に、ナイフを落として右手を上げた。上げられるのが右手だけだった。左腕は途中から無くなっていた。両足とも折れたか裂けたかで、あるのかないのかもわからない。ただ痛みで一歩も動かせないし、身体を起こすこともできなかった。
だがこの俺が、本気のティルミア相手に意識を失わずに戦闘を終えられたのだから、褒めてもらいたい。
出血多量で死ぬだろうということは意識にも登らなかった。異様な満足感が俺を支配していた。
「降参……だよ。はぁ、はぁ……。やっぱ……やっぱお前、強いわ……」
そう喋ったのが何かのスイッチになったのか、急激に痛覚が戻ってくる。
「いかんドーパミンが切れてきた……」
痛みが全身を覆い始める。
「どーぱみん?」
「……痛みを感じさせなくする魔法だよ……」
「そんな魔法使ってたの?」
「人間に本来備わっている魔法……さ。人間は皆生まれながらの魔法使いだぜ」
おっと……視界が暗くなってきやがった。いよいよダメそうだ。血を失いすぎているのだろう。
「悪い……ティルミア。もう長くなさそうだ。頼む。最後はお前の手で」
俺の顔の前にティルミアの顔があった。倒れている俺を覗き込むように見下ろすティルミア。
その表情は俺の予想したものではなかった。
「やだ……」
ぐしゃぐしゃだ。酷い泣き顔だな、と俺はどうしてか申し訳ない気持ちになっていた。
「やだじゃねえよ……。左腕がぶった切られてんだぞ。右足だって骨が変な方向曲がってんじゃねえか? 痛えんだよ。半端じゃなくな……。頼む早く殺せ」
「やだよう……」
ぐ……。マジで痛みが洒落にならなくなってきた。というか、もう頭が回っていない。
「どうして……タケマサくんは……」
「好きだって言葉が本気だとどうやってわからせたらいいか、考えて……こうするしか思いつかなかった」
……ティルミアと、殺し合う。
こいつと同じところに立たなけりゃ、伝わらない気がした。
「タケマサくんは……死ぬの……?」
ああ、と俺は頷こうとして、首がもう動かないと気づく。
「いいんだよ」
口で言う。
「俺はお前に殺されれば満足だ」
……ぽつり、と俺の額に何かが落ちて。
「できない」
「……」
「だって、殺したら、死んじゃうんだよ」
ふっ。
もう首も舌も動かないので……俺は唇の端を少し曲げて、にやりと笑ってやった。
そこで意識は途切れた。
*
「……はっ」
「あ、急に動かないでください。まだ傷全部塞いでません」
「お、おう……いててててて」
左腕はちゃんとくっついていた。足の骨折も直っているように見える。相変わらずすげえ。
「助かるぜサフィー。いや、女神様よ」
「……サフィーで良いですよ。今使ってるのはただの回復魔術ですから」
ただの回復魔術とはご謙遜。やはり何よりこの魔法が一番魔法らしいと感じる。
「ちなみに、血って足りてるのか? ……あれ見ると、だいぶ血が無くなったように思うが」
……俺がさっき倒れた場所には、夥しい量の出血が広がっていた。
「当然、血は増やしましたよ。血液の生成促進も回復魔法の基礎です」
「そうなのか。……なるほどそのせいか、腹が減ってるのは」
きっと鉄分が不足してるんだろう。
「タケマサくん……」
泣きはらした顔で、ティルミアは俺を見下ろすように立っていた。
「ごめん本気出した。……タケマサくん、強くなんてなかったんでしょ」
「はっはっは。バレたか。ハッタリも良いところだ。だが100%嘘ってわけでもないぜ。お前の動きに反応も回避も追いつかないが、10回に1回はまぐれ当たりで攻撃を受けるくらいはできたぞ。最初のナイフは見事だったろ?」
ティルミアがしゃがむ。横になった俺の横でしゃがまれるとパンツが見えるんだが、まあそんなこたぁ今はどうでもいいか。
「うん、タケマサくん、結構センスあると思う。鍛えたら良い殺人鬼になれるよ」
「お前にそう言ってもらえると光栄だな。ならないけどな。だが……まあ言ってもお前、手、抜いてたろ? 例えばあの鉄球やら使われたらとても受けきれなかったぞ」
「そんなことないよ。手なんて抜いてない。蛇黒針のほうが避けにくいよ。タケマサくんに躱されたなんて想定外」
「慰めはよしてくれ。八割がた避けられてない。心臓に食らってないだけでな」
ごす。
ティルミアが俺の腹にいきなり頭突きをした。俺は痛みで悶絶する。
「ぐ…………腹が……ちぎれた……。何をする……ティルミア……」
「ちぎれてませんよタケマサさん。まあ、痛かったでしょうけど」
冷静に言うサフィー。とんでもない。これはちぎれたに違いない痛みだ。ちぎれたことはないが、これ以上の痛みなんて想像もつかない。
「……おい、ティルミア?」
ティルミアは俺の腹に顔を押しつけたまま、肩を震わせていた。
「こんな体勢で泣くな……」
「なんで……あの時あんなこと言ったの?」
俺は口ごもる。あの時ってのがいつだかはすぐに悟る。ルード戦の時だ。こいつが息耐える直前の会話だ。
その時の会話を思い出す。
*
「ティルミア……死ぬな」
「それは難しい……かな。……血が止まんない」
「……」
「ねえ、タケマサくん……」
「なんだ」
「タケマサくん、私のこと……」
「……」
「……ううん、何でもない」
*
そのとき、俺はティルミアの耳に口をよせて言ったのだ。
俺はお前のことが好きだ、と。
ティルミアが言っているのはそれのことだ。
誰も知らなかったはずの言葉。
「だから言っただろ。……本心だからに決まってるだろ」
「でも! その後それを覚えてなかった私に、タケマサくんは二度とそんなこと言わなかったじゃん! だから私はそれを知らなかった。言ってくれたことを、知らなかったんだよ。だからずっと、タケマサくんが私をどう思ってるのかわからなかったから、不安だった。ミレナさんがタケマサくんを取ろうとした時だって、ほんとに殺すかもしれなかった。チーちゃんが死んだ時だって、チーちゃんがタケマサくんのこと好きだったりしたら、私何してたかわからないと思ったの。……それに、アリサリネさんとタケマサくん、キスしてた」
ああ、それが決定的に壊れた時だったのか。
「私、ずっと不安だった。タケマサくんが取られちゃうって」
「バカ野郎。俺は物じゃねえんだ。誰のものにもならん」
「だけど! タケマサくんは弱いからすぐさらわれちゃうし!」
……俺はお姫様か。
「でもお前ミレナの時に言ってたじゃねえか。恋の戦いは殺人で決着をつけるのは違うとかなんとか」
「そうだよ。恋のライバルを殺すなんて負けもいいとこだよ。だけど」
好きな相手を殺すなら話は別か。
「つまり殺すべきは俺だってことか」
ティルミアは顔を上げた。
「……」
何か言おうとして、言えなかったようだった。
俺は、どこかで疑っていた。
ティルミアの殺人のポリシーは、話してわかりあえないなら、殺す、だった。
だったら、恋愛なんてものは最悪じゃないのか。
恋愛なんてものは、話してわかるものじゃないからだ。
こいつのポリシーからしたら、失恋した相手は殺すしか無くなるのではないだろうか。
話し合いの余地のない相手、だから。
「なあ。別に俺は驚かない。俺がもしお前以外の人間を選んだら……俺を殺すしかないってことだろ? 恋愛感情は話し合って解決できるものじゃないから」
だが、ティルミアは首を振った。
「違う。それは悔しいけど、悲しいけど、好きな人を殺す理由になんてしないよ。
だって、単に距離を置けばいいだけでしょ。忘れればいいだけでしょ。私、子供じゃないよ。そんなことくらいわかってるもん。私だって、失恋の一つや二つ、したことないわけじゃないもん」
「……」
「ごめん、嘘。失恋したことないけど」
「いや別に疑ってねえよ」
なんでここで見栄張るんだ。失恋が見栄なのかもよくわからんが。
「……とにかく、私だって、失恋したくらいで相手を殺そうなんて思わないよ。ただ、離れればいいだけ。そんなことわかってる。でも」
「でも?」
「その相手が、私のことを好きだって嘘ついてきたら……それは許せない」
「嘘?」
「そう。本当は好きじゃないのに、私のことを騙して、好きだと言われたら、許せないよ。それは許せない」
「……んー。それってひょっとして、俺のことなのか?」
「だって、話し合いの余地もなく、私の生き方を全否定するような魔法を使ってきたんだよ? そんなの私のことを嫌いに決まってるじゃん? 私、殺人鬼なんだよ。殺人は私にとって大切な、自由になるための翼だって言ったでしょ? それをどうして勝手に奪ったの? 私のことなんかどうでもいいと思ってたんでしょ?」
「いやそれはだな……」
「悲しかったけど、タケマサくんがそうやって自分の価値観を貫いたのは偉いなと思ったから、私はタケマサくんを殺そうなんて思わなかった。……タケマサくんが嘘ついてたと知るまでは」
そう言って大粒の涙をこぼす少女を誰が殺人鬼だなどと思うだろうか。
「私のこと、好きだって言ったのを知ったから。私に嘘をついてたのを知ったから。だから私はタケマサくんを殺したんだよ」
女神が記憶を戻した結果、ティルミアはそれを知った。それが理由だ。
それに俺は気づいたからこそ。
「それが嘘じゃないからこそ、俺はさっき改めて口にしたんだぜ。じゃなきゃこんなこと何度も言うかよ」
「嘘だよ!」
嘘じゃないと怒鳴ろうとしたがティルミアの次の言葉のほうが先だった。
「タケマサくんはわかってない! ……タケマサくんが好きなのは、殺人鬼をやめた私なんだよ? そんなの、私じゃないじゃない!」
俺は言葉に詰まる。
そういう……意味か。
「いや、それはだな……」
「じゃあ違うの? 殺人鬼でもいいの? 私が」
「……」
「ほら、答えられないじゃん。結局タケマサくんが好きなのは私じゃないんだよ。見た目は私にそっくりで、でも人は殺さない、私とは似ても似つかない誰かなんだよ」
そういう……ことなのか。
……。
俺は、参ったな、と思っていた。
わかってたつもりだった。俺が制約魔法を使ってこいつの殺人を封じたのが俺がこいつを嫌っているからだと勘違いしたのだということも。こいつが俺を殺すことに決めたのは、俺に好きだと言われた記憶を思い出したからだということも。そしてその矛盾する事実から、俺の告白が嘘だったという結論に達したのだろうということも。
だから俺ははっきりと口にしたのだ。そこから話を始めればティルミアを納得させられると思っていた。
参ったな。
本当に俺は考えなしだ。こんなに考えが浅いから、就職にも失敗するのだ。面接でも答えに窮したものだ。なぜうちの会社なのかね、ちゃんと考えているのか君は、本当は第一志望じゃないんだろ、その場しのぎの嘘はすぐわかるよ、意志もなく入ってもらっちゃ困るんだよ、そんなんじゃ社会人として通用しないよ……。
「黙りこくっちゃって。何か言ってよ」
「……おっといかん、圧迫面接を思い出して思考がネガティブになっていた」
「人が大事な話してるのに……ちゃんと話を聞いてよ」
「ティルミアよ。お前こそ、俺の言葉を聞け。おまえは俺の言ったことをちゃんと聞いてたか?」
「何、タケマサくんの言葉って」
「お前のことが好きだって言った言葉だよ。お前はそれを聞いてどう思ったんだ」
「う……嬉しかったよっ! 本当ならね!」
「それがちゃんと聞いてねえっつうんだよ! 疑わしいならまず理由を聞け! 嘘だ本当だと決めつける前にな!」
俺はつかつかとティルミアに近づく。
「殺人罪をお前にかけたのは、確かにお前への攻撃だったさ。だから俺は、お前に反撃されるのは納得している。お前に殺されるのは仕方がない。だがな……俺の言葉を嘘だと言われるのは納得がいかない。俺はちゃんとお前を見ている。殺人鬼ティルミアを、だ。俺は最初から……殺人鬼ティルミアが好きだった。だから、制約魔法を使ったんだよ」
「どういう意味?」
「これが初めてか? 違うだろ? 俺は最初から、お前に喧嘩を売ってきたんだよ! お前が殺したやつを片っ端から生き返らせていったのは何のためだ? お前への嫌がらせのためだろうがっ! 俺が、好きでもない女にこんなに手間暇かけて嫌がらせをする訳がないだろうが!」
「何それ! 好きな子に嫌がらせするって、タケマサくんおこちゃまなの!?」
「当然だな! お前がおこちゃまだからな! お前に合わせてやってんだよ!」
「もう訳がわかんないよ!」
「はっきり言うが、俺がこの国の人間を全員巻き込んで使った制約魔法は、おまえにかけたかっただけなんだぞ、本当は。お前一人のために国を巻き添えにしたんだ。それを何だ。お前は人の気持ちを全くわからん女だな」
「わかるわけないよ! なんで口で言わないの!」
「不器用なんだよ男は!」
「最低のいいわけだよ!」
「うるせえな俺は口べたなんだよ!」
「あんだけベラベラ喋っといて良く言うよ!」
ごちん。
言い合う俺とティルミアの頭を、誰かが同時につかんで、額同士をぶつけた。
「いってぇ……」
「いったぁ……」
メイリだった。
「イチャイチャするのもいい加減にしろ。延々と見せつけられているこっちの身にもなれ」




