第十章 3/8
俺は、言った。
「好きだ」
たっぷり数十秒の沈黙があったので、俺の声は出ていなかったのかと思ってしまった。
「……え?」
お、良かった。ちゃんと聞こえていた。
「えっと……え、今なんて言ったの」
「俺はおまえが好きなんだよ。ティルミア。今言うべきだと思ってな」
……。
べち、となぜか後頭部を誰かに叩かれた。
「ってえ……誰だ」
べち。
振り向こうとしたところでもう一撃来た。
チグサとミレナだった。
「タケマー頭だいじょぶ?」
「今ではないでしょう今では! 話聞いてなかったんですか?」
随分である。なんで皆まで、俺が話の腰を折ったとでも言うような顔をしているんだ。
「うるせえな……。確かにみんなの前でってのはちょっとデリカシーが無かったかもしれんが、これは言っておかなくちゃいけないことなんだよ。そもそも関係ない話を長々とされて腰を折られたのは俺のほうじゃねえか。それと、人が告白して返事待ちの大事な場面でお前らこそわりこんでくるなよ」
返事待ち……と言ってはみたが。
ティルミアの顔色を見る限り、とてもすぐに返事が返ってきそうにないな。
「な、な、な、何言ってんの……? タケマサくん」
「聞こえなかったか? ならもう一度言うが……」
「い……いいから! もう一度言わなくても聞こえてたよ。だ、だけど……めちゃくちゃだよ。話の流れが。私がどうしてタケマサくんを殺すかって話だったじゃん」
「だからその話をしとるんだろうが。……ティルミア、お前は別に俺が平和の敵だから民衆の代わりにとかそんな理由で殺そうとしてるんじゃない。そうだろ?」
「そ……そうだよ!」
「じゃあ何が理由かと言うとだな……」
「そ、そんなの、私は殺人鬼だからだよ! 他に理由、要る?」
理由が欲しいのは俺じゃない。俺の後ろでさっき頭を叩いたチグサが叫んだ。
「い……要るよ! 要るに決まってんじゃん! 馬鹿ティルミー!」
そう、理由は必要なのだ。ティルミアが殺人鬼でレジンの言うような「異なる人間」だなんて思っていないやつがちゃんといる。納得したいと思っているやつがここにいる。
ぐしゅ、とチグサは鼻をすすった。
「仲良しでしょ! ティルミーはタケマーと! ティルミーは気に入らない人は殺すかもしれないけど、仲間は殺さないじゃん! タケマーはティルミーにとって、仲間でしょ!?」
チグサの言葉が響いたのか響いてないのか、ティルミアは少し首を傾げた。
「うーん、言ってないと思うけどな、そんなこと」
戸惑いを隠せない表情のチグサ。
「言ってないというか、言わないと思う。思っていないもん。仲間は殺さない、なんて。私」
「えっ……えぇ!? だって、仲間でしょ!? なんで!?」
「仲間だからってムカつかないなんてこと、ないもん」
「……ティルミーにとって仲間って何なの……?」
「え? なんだろ……?」
ティルミアは答えに困ったように考えていた。答えにくいのではなく、答えを考えている、純粋にそんな表情だった。
しばらく待っても答えが出てこないようなので、俺は余計と思いつつ口を開く。
「チグサ。横からすまんが、俺は同じだと思うぜ。俺たちだって仲間とは何かなんて聞かれたら困るだろ。難しく考えなくても、利害がある程度一致して気が合うから一緒にいる連中さ。ティルミアだって、みんなと気が合うから一緒にいるんだよ。こいつは敵か味方かで言えばちゃんと味方だ。ドラゴンとも一緒に戦ったし、ティルミアはみんなを守ろうとだってしてただろ」
「そ……そうだよね! ティルミーは……自分の命だって犠牲にして、あの食人鬼を倒したんだもん」
でもそれはさ、とティルミアは容赦しない。
「気に入らないから殺しただけ、だよ。私べつに、仲間じゃないから……敵だから殺したわけじゃないもん」
「でもティルミーは……私たちを殺そうなんてしなかったじゃない! 今まで誰も……」
「あ、でも。チーちゃんが殺された時、私言わなかったっけ。私が殺したのかもしれないって」
リブラを騙っていた殺人鬼ラーシャにチグサが殺された時だ。
「……それは! 記憶がなかったからで」
「記憶の問題じゃないよ。そんなことする筈ないって自分で確信が持てたわけじゃないってことだよ。私にはなかったんだ。チーちゃんを殺そうと思わなかった確信なんて」
「……ティルミー」
チグサのショックは俺には理解できた。ティルミアが殺すのは、殺されてもしょうがないような「悪いやつ」とか、相容れない「敵」だけだと思っていたんだと思う。
俺も最初はそうだった。
でも、違う。
最初から、そんなことはなかったのだ。こいつは最初から自分で言っていた。気に入らないから殺すんだと。そこに仲間か仲間じゃないかの線引きなんてない。
だからこいつは、ちゃんと俺のことを覚えていて、俺を殺したんだ。
……けどなぁ、ティルミア。お前は、言葉が足りない。
その足りない言葉は、俺が補ってやる。
「やれやれ……まじめなんだよ、ティルミア。おまえは」
うぉっほん、と俺は咳払いをした。ちょっと、照れ隠しも入っている。とそう考えてから、照れているのか俺は、と自分で驚いた。
「そんなのみんな、だ。みんなそうなんだよ。みんなに当てはまる。俺も含めてみんな、殺意は誰にでも持ちうるんだよ。仲間だからってムカつかないなんてことはない。時に相手を遠ざけたい、いなくなって欲しいという気持ちが芽生えることは当然にある。それは、取り繕った言葉を使わなければ「殺意」という言い方になるんだ。同じものなんだ。程度の差はあれど同じ種類の感情なんだ。
お前はそれに気づいて、そしてそこから目をそらさなかった。過剰なまでにそらさなかった。そのせいでおかしなことになったんだろうが。
仲間だからって殺意が芽生えないなんてことはないってのはお前の言う通りだ。でもそれだけだ。ティルミア。もう一度言うぜ。お前だけじゃない。殺意くらい誰が誰にでも持ちうる。でも人は普通それを殺意なんて呼ばないんだよ。普通なら「イラッとした」で片づけてしまうその気持ちを、お前は律儀に、真面目に掘り下げて、「殺意」だと自認しているだけだ。馬鹿正直に、自分の心に芽生える殺意を隠そうとせずに、それと向き合っちまったんだ。
区別できなかったんだろ? 敵に対する憎しみと、大事な人に向けて抱く憎しみを。それが同じものだと知って、苦しんだんだろ? 区別できなくて当たり前だ。実際、それは本当に同じものなんだから。そしてお前は、まとめて両方封印するか、まとめて両方受け入れるか悩んで……後者を選んだ。
だから、自分は殺人鬼と呼ばれるのがふさわしい。
それが、お前の答えだったんだろ」
ティルミアは……俺を睨んだ。
「何わかったふうなことを言ってるの?」
「そうだよ。わかったふうなことだ。だから言いたくなくて黙ってたんだが、おまえがうまく言わねえから俺が言うしかなかったんじゃねえか」
「タケマサくんだってそんなにうまく言えてないよ」
「そうかよ。……で、俺の告白への答えは?」
「っ……」
沈黙。
へらへらと俺は笑ってやる。
「だんまりか。ならもう少し喋ってやる。お前だけが殺人鬼なわけじゃねえんだよ。人は誰でも殺人鬼なんだ。生きてりゃ気持ちは揺れる。人がふれあえばぶつかりもする。イライラもする。怒りも爆発するさ。そして下手すりゃ……怒りが高じて手が出る。殺しちまうことだってある。カッとなってじゃなくてもな。殺さなきゃ自分が危ないって思いこむことだってある。殺したほうが都合よく思える相手だっている。それは主観だ。自分勝手だ。でも殺すしかないって気持ちになる時はどうしたってある。程度の話を無視すりゃ生きるってのはそういうもんだ。何もお前だけが特別イカれてるわけじゃねえ。何度でも言うぜ。
人は誰でも殺人鬼なんだよ。
……お前だけじゃねえんだよ」
ふーん、じゃあ、とティルミアは俺を試すように見た。
「タケマサくんも……殺人鬼なんだ?」
「そうさ。お前が一番知ってるじゃねえか」
「……どういう意味?」
「俺は、お前の心を踏みにじった。お前を殺したようなもんだ」
あは、とティルミアは笑いかけた後、そのまま顔をゆがませた。
うぅうう、と何かを押し殺すような声が聞こえた。
「タケマサくん……殺すからね……。殺してやるんだからね……」
涙声。
「ああ、そうだな。だが俺もちょっとお前にはムカついてるからな。だから反撃くらいはさせてくれよな」
「……何なの、ムカついてることって……」
「お前が勝ったら教えてやる」
顔を上げるティルミア。目と鼻の周りが真っ赤だ。鼻水まで垂らしやがって。
「じゃあ聞けないね! タケマサくん死んじゃうから!」
「来やがれ! 受けてやるよ」
そう言って俺は、隠していた刃物を取り出して持つ。眼の前に出してティルミアに見えるように構える。鈍い光。研ぎ立ての包丁ほど綺麗なものではない。
「そのナイフ、私のだよね。いつの間に拾ったのタケマサくん」
サフィーがティルミアを治療している間だ。
「震えてるじゃん……タケマサくん。刃物なんて使ったことないんでしょ?」
お、本当だ。俺、震えてるのか。
やっぱそうだよな。巻き込まれるのと、自分から刃を向けるのとじゃあ、全然違う。気持ちの持ちようが違うぜ。
「ごたくはいいんだよ。始めようぜ。ティルミア」
やめて、と誰かが呟いたのが聞こえた気がした。
「いいよ、タケマサくん。さよなら」
ティルミアが構えを取り……消えた。
オーケー。ちゃんと本気を出すつもりなんだな。
俺は嬉しくてたまらない。




