第九章 7/8
ジェット機のエンジンがすぐ近くに迫った時のような。
ゴォオオオオという擬音で表すにはあまりにも無遠慮に鼓膜を破壊せんとするその轟音が。
熱が。
たっぷり五十メートルは飛んだものの砂地に転がったおかげで助かった俺を襲った。
「あ、あちっ。あちっ」
俺がしたたかに打った肩と腰を庇いながら必死に立ち上がるのと、迫りくる炎をマントで避けながらメイリが走ってきたのは同時だった。
メイリは何か魔法のアイテムでも使っているのか、身体を薄ぼんやりとした青い光が覆っている。
その後ろに、まるでハリウッドの安いアクション映画で火薬の量を間違えたかのような、冗談みたいな業火が視界に踊っていた。
「ティルミア……ッ。ど……どこにっ……」
「さっさと下がれタケマサ。ティルミアがお前を逃した意味がわからんか」
「だがメイリ。火が!」
「この火はティルミアが炎殺魔法を放ってしのいだからだ。だが魔王の起こした爆風が重なって火の広がりが大きく見えているだけだ。誰も焼け死んではいない」
そう叫ぶように俺に言いながら手のひらで俺に近づくな下がれと伝えるメイリ。その後ろで業火は空を覆い尽くさんばかりに伸びている。
2人が戦っていた大地のあたりは真っ黒な煙が覆っている。
くそ、と言いながらさらに下がり、城壁のところまで戻る。
「爆風……どういうからくりなんだ。魔王は魔法を使えないはずじゃないのか」
威力は最初の砂嵐よりさらに増してるように見える。
「私にそのからくりがわかることを期待するな。ただ魔王は空気を「押した」だけなんだろう。……それにしてもやはり性質が悪い男だ。この期に及んでようやく本気を出したらしい」
「空気を、押した? 意味がわからない」
「腕で空気を高速に押して、一瞬圧縮された空気が爆発するごとく嵐を起こす。そんなとこだ」
「とこだ、じゃねえよ。それで視界いっぱい左右五十メートルの砂の壁ができるのか」
「できてるんだ。私に文句を言うな。あの馬鹿力で押されるだけで空気が砲弾にもなる」
くそ、と舌打ちしながらさっきの城壁の影に身を隠す。
「ティルミア、さっき腕が骨折だらけだとか言ってたよな。……大丈夫なのか?」
「タケマサ。私はあの子の師匠でもなけりゃ殺人鬼の研究者でもないんだ。わからんよ。殺人鬼というのはその成り立ち上、戦闘力に振り切った職種だ。もともとならず者を使い捨ての兵隊として最大限の戦力にできるよう、今のあの子がやっているように、その気になればどこまでも、自身の身体を最後の最後まで酷使できるように設計された、残酷な職業なんだよ。だから戦士でも傭兵でも暗殺者でもなく、人を殺す鬼、と呼ぶんだ。傍目には限界に見えるが……「殺人鬼としては」まだ底ではないのかもしれん」
火は、すぐに止んで、その光景を俺たちの視界に見せた。
炎殺魔法、というやつはティルミアの身体や服を少し焦がしながらも魔王の攻撃を防いだらしい。だが続く魔王の攻撃はもっとずっとシンプルでありながらティルミアはそれを防ぐことに失敗していた。
ただ単純な、殴打。
それをティルミアは、肩に受け、腕に受け、脚に受け。そのたびに血しぶきが飛ぶのが見えた。
「まだやる気か? 殺人鬼ガール。もう勝負はついただろう」
「ついてないっ!!!」
ティルミアの怒声とともに。
じゃきききききっ。
「黒炎槍!」
「ここへ来て、槍……か。こりゃ驚いた。底が見えないな殺人鬼ガールは」
魔王が楽しそうに笑った。
ティルミアは、その血だらけの、あちこち変なところで曲がった右腕で、鼻をかいた。
そして、笑った。
左手には、3つに先が割れた黒い槍。
ティルミアは信じられないことに、笑っていた。
「もう……強いなあ……。人を殺すのにこんなに苦労するのは先生以来かな。さすが、魔王、だね。やっぱり前の時、手を抜いてたんだね」
その笑みを見て、ようやく俺は気づいた。
くそ。その笑い方は。
あの時のものじゃないか。
あの、自分が殺した破落戸ガルフの息子、ラドルに会った時の。
笑いながら泣いていた時の、あいつの顔だ。
俺は、なんてバカだ。
とんだ勘違いをしていた。
足が自然に前に出ていた。瓦礫の影から身を乗り出す。
メイリの止める声が後ろで聞こえた気がした。
「ティルミア」
俺が近づいてくるのを、魔王もティルミアも気づいた。
「君、手を出さないでね。私一人で、殺るから」
「ダメだ、ティルミア。俺の話を聞け」
「やだよっっっ!!!」
一度低く身を沈めたかと思うと、その槍は魔王の背後に伸びていた。ティルミアの動きは目で追えない。だがそれは魔王も同じだったらしい。
脇腹を槍で貫かれていた。
「おっとぉ。腹筋締めてたつもりなんだがなぁ。なのに刺さるとはどういう槍だそれ」
答える代わりにティルミアは、踊るように槍の攻撃を繰り出す。
「魔王は、私が殺すの! タケマサくんになんか頼らないんだ!」
「うるっせえよティルミア! お前がたった一人でそうまでボロボロになってこのガキ大将と戦わなきゃいけない理由がどこにある! 一人で殺しを背負うな! 仲間を頼れ!」
「タケマサくんは仲間じゃない!!!」
しゃら……ん、と音がした。なんだ、キラキラしたものが何か飛んだぞ、と思ったら、ティルミアが放った金属の何からしい。それは円軌道を描いて魔王を四方から襲う。
「死晶舞!」
「面白い遠隔攻撃だな! 殺人技のデパートかお前」
四方から舞うように襲うのは魔法で作られた青い刃か。魔王はしかし腕で弾き飛ばしたり半身で避けたりと意にも介さない。
「だいぶ目が慣れた。お前の速さにもな。そしてこのくらいの斬撃じゃあ俺は削れな……」
だが魔王の四肢から血が滲んでいた。実際、脇腹や腕や足を槍で貫かれたのだ。なのにそのキズとは裏腹に、表情からはまるで平気に見えた。
「……目くらましか。本命はその槍というわけだ」
息が……ティルミアの息が上がっている。こんなティルミアを見るのは初めてだ。
「なんて、丈夫なの」
「ティルミア、もういい、もういいんだ」
「何がいいの!? この人放っておいたら、また気まぐれで街が吹っ飛ばされる。人が死ぬ。みんなが泣く。みんなの笑顔の邪魔なんだよ! 誰も殺せなくても、私が殺すの! だって私は殺人鬼だから! 私が生きてて欲しくない! だから殺す! 君は黙ってて!!!」
「うるせえティルミア! 魔王が迷惑なのはみんな同じだよ。殺人鬼だけに任せておきやしねえって言ってんだよ! ……俺は間違ってた。今の今まで、貰ったチート能力をお前に使うことしか考えてなかった。俺がお前の戦いを見ながら考えてたことはなぁ、作戦といやあ聞こえはいいが、お前が殺られた瞬間に蘇生して魔王の不意を打てれば首を落とせるかもしれないって、そんなクソッタレなことを考えてたんだよ。ラインゲールのクソ野郎が言ってた通りだな。俺はこの期に及んでまだお前に……殺人鬼に頼ることしか考えてなかった」
「それでいいでしょ! 殺人鬼は人を殺すのが役割なんだから! 私はこいつを殺したい! だから私の勝手でこいつを殺す!」
「うるせええ! その魔王に迷惑してんのはお前だけじゃねえんだよ! それに……!」
俺は怒鳴って、魔王の前に出た。
「お前が本当に殺したいのはこの男じゃないだろうが!!! ティルミア!!!」
前に出た俺に魔王は不敵に笑う。
「タケマサ。お前、今チート能力とか言ったな。何かできるのか? お前はただの蘇生師だろうが」
だが俺は言ってやる。
「そうだ。俺はただの蘇生師だ。だが今、決めた。この力を、ティルミアを戦わせるのに使うのはやめる。いや、ティルミアにも、だれにも使わない。俺が蘇生を身につけたのは……」
ティルミアのほうを向く。
「誰かを延々と戦い続けさせるためじゃない」
そして、魔王を向く。
魔王の目に、かすかに戸惑うような感情が見えたのは俺の気のせいだろうか。ああそうだぜ、俺はお前のことを言ってるんだ。
「それでお前を倒しても……俺は後悔するだけだ。この力をくれたやつには申し訳ないが、こんな力は捨てる。俺たちはここでいったん引いて、また作戦を練って出直すさ……。ああそうだ、最後の花火に、お前に面白いものを見せてやることにする」
ほんの思い付きだった。どうせ捨てる力なら、最後に何か、この男をコケにできる材料が欲しかったのかもしれない。
「ほう。見せてみろ」
「ああ、わざわざ授かってきたんスーパーチート能力をこんな茶番に使ってやるんだ、ありがたく思えよ!」
俺は心の中で女神に謝る。
「はぁあああああっ!!」
特に意味もなく掛け声を出した。
いやなにせ、魔法陣も描かず、呪文も詠唱せず、そして目の前に死体も無くても行えるこの蘇生。掛け声の一つもなければ盛り上がりに欠というものだ。
「復活せよ! 魔王を倒す最後の切り札! なんてな!」
ピッカァと光った地面。そこには一瞬で、人影が現れた。
「……な……」
「くくくっ。見て驚いたようだな! そう、御遺体がとっくに荼毘に付されていようとも! そしてそれが異世界の住人であったとしても! たちどころに肉体を再生し御霊にお戻りいただける! しかも生前の記憶を完璧に保ったまま! それどころかここで今何が起こっているかという状況まで把握した状態で! なんならギックリ腰も治ってなぁ! それがこのタケマサが女神に貰ったスーパーチート蘇生だぁ!!」
歌舞伎の見栄を張るようなポーズで言ってみたが、誰も俺の長台詞を聞いちゃいねえ。ま、そりゃそうだわな。
魔王が、目の前に現れた老婆を見てびっくりしている。
「ば……ば……ばあちゃん!!??」
「そーうだ。魔王。いや、本名西本タカシくん。君の亡くなったお祖母様だ」
生き返る前に女神に最後にした俺の質問は、「魔王の弱点は何かあるか」だった。女神は親切に答えてくれたのだが、残念ながら余り役に立たない情報だった。と、その時は思ったのだ。
「魔王の弱み、ですか? そうですね……強いて言えば、魔王は元の世界で、大変なおばあちゃん子でしたよ」
女神はそう言った。
俺は何だそりゃ、と一笑に付した。それをネタに脅せとでも言うのか、とその時は他に無いかと訊いたのだが。
それを今思い出した。
どうせなら、こんなチート能力は魔王をからかうのに使ってやろう。ちなみにこのスーパー蘇生は、寿命を延ばしたり出来るわけじゃないので、既に寿命で死んだ人間を生き返らせた場合はこの世にとどまらせることが出来るのはわずかな時間だけだそうだ。
でも魔王をこけにするならそれで充分。
「はっはっは。お前おばあちゃん子だったらしいな。魔王なんて威張っていながらとんだ、甘えん坊……」
俺は途中で黙った。
黙らざるを得なかった。
魔王の目から……一筋の涙が零れたからだ。
「ば……祖母ちゃん……また……また会えるなんで……」
魔王は、泣き崩れた。みっともなく、顔をぐしゃしゃにして。おばあちゃんに抱きつこうとして……。
「こんっのバカっタレがぁ!!! 何ちゅうことしとるか! お前人様の街をこおんな滅茶苦茶にして、それで偉そうにしとると言うでねえか! いつからタカシはそんなわりぃ子になったぁ!?」
べし、と額を叩かれる魔王。
目を白黒させる魔王。そして俺達。
どういうことだ? という目で俺を見るメイリに、正直、どういうことかは全く不明だったが、とりあえず解説する。俺のわかる範囲で。
「あぁ……魔王は元々俺と同じあっちの世界から来た「チートを持った勇者」だったらしいんだ。魔獣を倒すために召喚されて、用事が済んだらあの通り、力を持て余して手がつけられなくなったんだと。そして今や誰の言うことも聞かない魔王だが、元の世界にいた頃、一人だけ頭の上がらない人物がいた。それがあの御婦人だ」
「ば……祖母ちゃん……どうして……。え、だって十年前に死んだハズじゃ」
魔王の呟きに、ええとだな、と俺は口を挟む。
「チート蘇生、という一回こっきりの能力を授かってな。いつどこで死んだ人間でもここに蘇生させられるというあり得ない能力だ。まあ、ありえないことを起こすからチートなんだろうな」
この蘇生能力、あの女神にしては行き届いていて、非常に手間が省ける。目の前の若者が孫のタカシだということも、魔王だということも婆ちゃんにちゃんと伝わっているらしい。
「俺……俺……祖母ちゃんが死んで……ちっとも祖母ちゃん孝行もできんくて……祖母ちゃんいつも世の中のためになることをやんなさいって言ってたから……そんでこっちの世界呼ばれて勇者になって……」
魔王は、腕で拭うように両目を押さえた。泣いている。あの魔王が。
「俺……祖母ちゃん、違うんだよ。俺、この世界を救ったんだ」
「タカシ……」
「祖母ちゃん。もう五年も前に、俺、この世界に来て、その時この世界で暴れてたやつがいたんだ。魔獣って呼ばれてたんだ。俺、そいつ倒したんだ。本当なんだ」
「……そうか。よくやったな、タカシ」
顔を覆っていた手をどけた魔王は、ほほえむ祖母の笑顔に泣き崩れた。すべてを許し、すべてを受け止める祖母の笑顔。
なんとなく、見てはいけないような気がして、俺は顔を背けた。
「俺……何したらいいかわかんなくなったんだ。女神様に貰った力はそのままで、でももう敵はいなくて。そいで揉めてる奴らを退治することにして……でもその国で、悪いやつだと思って不正を働いてた兵士を倒したら仲間の兵士たちがみんな向かってきて……いつの間にか軍隊相手にすることになっちゃって……そいつら全滅させたら魔王って呼ばれてた」
魔王はぐす、ぐす、と泣きじゃくっていた。
「誰も俺の話聞かなくなっちまった。俺は魔王としてどこの国でも攻撃された。この国の王なんて何もしてねえのに。悪い奴をほうっとくし。野盗どもを退治してまわったのも俺なのに。だったら国王なんてのがいるからいけないんだと思ったんだ。俺が世界全部の王様になればいい。そしたらみんな俺がやってることわかってくれる。俺の話聞いてくれるって思ったんだ。俺が王になるべきなんだ、勝手に殺して回るやつらを俺が殺せばいいんだ。それが女神が俺に力を与えてくれた意味なんだって思ったんだ」
そうか、よし、よし、とただ背中をさする老婆に、魔王は懺悔するように語り続けた。
「でもこの国の王様倒してやっと俺、王として国を平和にしたと思ったのに……。制約魔法で力が使えなくなって。でも誰も俺のことなんか気にもしなかった。街を救ったのは殺人鬼だった。みんな、俺よりもその殺人鬼のほうを求めたんだ。俺……どこでまちがったんかなあ。祖母ちゃん。俺……」
「タカシ。ばあちゃんはタカシが頑張ったのようわかっとるよ。タカシは本当はええ子じゃ。ようわかっとる。でもなタカシ。間違ったと思うたら謝らねば。まちがったって思えたんならそれで上出来じゃ。謝って、ちゃんと話をすりゃあええ。聞いてくれなくても、聞いて貰えるまで何遍も話しゃあええ。それでも聞いて貰えなきゃじぃっと待つんじゃ」
「祖母ちゃん……」
「タカシ。ばあちゃんはいつまでもお前を見守っとるよ。すぐにいかなきゃならんけど、お前の近くにずっとおるよ」
慌てた様子で祖母の肩を掴む魔王。
「祖母ちゃん、イヤだ……! 行くな!」
「痛いでねえか。……だだこくでねえ。タカシは婆ちゃんの自慢の孫だで。きっと今度は間違えずにやれる」
「待ってくれ! 祖母ちゃん! 俺祖母ちゃんに何も」
「ばあちゃんはタカシが大きくなった姿を見られただけでももう十分返してもらったよ」
ぽんぽん、と魔王の頭を叩くと、姿が薄くなっていった。
「……達者でな」
唐突に、ばあさんは消えた。
「え……。い、いやだ、ばあちゃん……! おい、タケマサ! どういうことだよ! なんで消えたんだ……! 蘇生したんじゃなかったのか!」
「すまん……お前のお祖母さんは、寿命で亡くなった方だから……。女神の与えたチート能力でも寿命を延ばせる訳じゃないんだよ……」
まさか、こんな展開になると思っていなかった。
俺は、魔王が頭の上がらないばあちゃんに怒られるのを笑ってやろうくらいのつもりだったのだ。
魔王。そう呼ばれていた男の目には、既に己の正義に酔いしれる狂気が無くなっていた。
この男は……もう魔王ではないのだ。
そうか。
魔王を倒した勇者は、魔王のばあちゃんだった、ということか。
俺は魔王、いやタカシのつかみかかる腕をそっと掴んでおろした。
「役目を終えた、てことじゃないのか」




