第九章 2/8
あれから何日が経ったのだろう。
ぼんやりと明るくなる視界を意識に入れながら、俺はゆっくりと体を起こす。
ぐずぐずしている暇はない。
場所と状況を把握しなくては。事務所の連中は……。
って。
体を起こした俺の前には、相変わらず右手のトーチをあげっぱなしの、自由という名の無秩序を体現した女神がいた。
あたりを見回すと、さっきと同じだ。背景も何もない謎空間。
「おい、なんで蘇生してないんだ俺」
ニコニコと笑っている女神。嫌な予感がする。
「まさかとは思うが……。俺の蘇生、失敗したのか?」
アリサリネに限って、とは思うが……。死体が傷んでいたか? ティルミアに殺られた後すぐの蘇生じゃなかったということか。
「ブブー。いえね。そうじゃないんですよ。ただ生き返ってもらう前に、肝心なことを忘れていたと思いまして」
「なんだ?」
ふふーん、と女神は右手をおろして、トーチごと俺に向けた。
「肝心なものを忘れていました。女神が与えるものと言えば、「チート」です」
「要らん」
「よくぞ聞いてくれました、チートとはですね……。……。あの……なんですって? 要らない?」
「俺は知っているぞ。チートとか言って反則級の凄い能力と引き換えに大切なものを失う……。悪魔の契約の類だろう」
「女神だって言ってるじゃないですか。」
「じゃあタダでくれるんだな? 変な契約とか無しに」
女神は口をとがらせた。
「そんな大げさに警戒しなくてもいいじゃないですか。ただちょっとしたお願いをかなえてくれるだけでいいんですから」
聞こえるか聞こえないかくらいの小声で女神はオーダーを出した。
「魔王を倒して下さい」
「聞こえなかったから却下だ」
「聞こえてるじゃないですか。大丈夫です。タケマサさんならできます」
「お断りだよ。どんな能力を授けてくれる気なのか知らんが、あの魔王だぞ。あんなでたらめな力……」
ん。
そうか。
今気づいた。
「魔王の力、あれこそお前の仕業だな? あれこそ、まさにチートとしか言いようがない」
女神は何ともわかりやすい何かを誤魔化す顔で斜め上を見た。
「ち、違いますよ?」
マジかよ。
「本当にそうなのか!? お前が与えたのかあの力!?」
「いやだって、まさかこんなことになろうとは」
「どーして与えたんだよあんなべらぼうな力を!」
女神はペロリと舌を出した。
いやそんな可愛く許される問題じゃねえだろ、と俺ががっくんがっくんと首根っこをつかんで揺さぶってやったのが功奏したのか、女神は白状した。
なんと、あの魔王はもともと、俺と同じ世界から召喚された勇者であった。
勇者、などと言われるくらいで随分期待されて呼び出されたらしいが、俺と同じ現代日本の普通の若者だ。当然、魔物と戦えるような戦闘能力があるわけではなかった。
なので召喚されてすぐに魔物に瞬殺された。とある王国を襲う大型の魔獣だった。しかしこの王国には「国がピンチになった時に異世界からやってきた若者が国を救っちゃうよ」的な伝説が残されていたため、彼を召喚した魔導師たちはこんな筈はない、と思ったらしい。諦めなかった。彼を蘇生させた。
また死んだ。また蘇生させた。また死んだ。途中で誰も諦めなかったのが本当に恐ろしいことで、この繰り返しが300回ほど繰り返された。女神はさすがに見かねた。
本来この世界にやってくる人間に女神が力を与えるということはしない。本来しないズルをするのだから「チート」。力を男に与えた。
男に与えた力は十分すぎるほど強力で、男は魔獣を瞬殺。皆、男に感謝し、王国は平和になった。
……かに見えた。
本来、そこで男は用が無くなり元の世界に戻る筈だった。しかし、何度も何度も魔獣に挑み続け、気がつけば数年が経過していてなれ親しんだせいか男はこの世界にとどまることを望んだ。
国賓待遇で迎え入れられた男。しかし世が平和になるとその国の貴族たちは権力闘争に明け暮れ始めた。はじめは小競り合い、やがて暗殺の応酬、そして内乱、戦争。
異世界からやってきた男は、あまりに愚かに争い続ける連中に嫌気がさした。
おまえらいい加減にしろ。その一言とともに、王都は一夜にして吹っ飛び、国は滅んだ。
以来、男は世界中を旅しては気に入らない人や村や町を吹っ飛ばし続け、やがて魔王と呼ばれるようになったのだった。
「……というわけで、まあちょっとは私のせいかもしれませんが……」
「いや元凶そのものじゃねえか。その魔獣とやらはそんなに強かったのか? 倒すのにあんな途方もない力が必要なほど」
いやそうでもなかったんですけど、と女神は言葉を濁した。
「チートといっても、生前に使えなかった魔法とか技を使えるようにしたりするのはちょっと私には難しくて。だから一番簡単な、ただ力を強くするっていう方法を採ったんです。でもちょっと加減を間違っちゃいました」
女神もとい魔王を生み出した邪神は、てへ、と言って片目をつぶった。たぶんこちらの目を突け、という合図だろう。
「つまりあんたは魔王にその力を授けた張本人というわけだ。何が女神だ。邪神とでも言うべきだな」
女神は、だからぁ、と言い訳を始めた。
「私だって責任を感じてるんですよぅ。だからタケマサさんにチートを授けてあげるって言ってるじゃないですかぁ。それでなんとかしてください」
「魔王のチートを取り上げろよ」
「それができたら」
「そうしてるよなぁ。できないんだよな。だろうと思った」
じゃあ言わないでくださいとポンコツ女神はむくれた。
「だがどうするってんだ? 俺に魔王を上回るパンチ力でも授けてくれるのか?」
「うーん、頑張っても魔王と同程度か、やや劣るくらいが限界ですね」
本人の素養も影響しますからね、タケマサさんのほうが貧弱なので、と余計なことを付け加えるポンコツ。
「それじゃ勝てないじゃないか」
「勝てます。正義の心が備わっている分タケマサさんのほうが」
ずいぶんと適当なことを言い始める女神。
「正義の心? それ言ったら魔王のほうがむしろ備わってんじゃないか? あいつのほうが自分のやってること正しいと強く思ってるだろ」
「タケマサさん! 自分を強く持って!」
「……そもそも、なんか根本解決じゃない気がするがな」
「どうしてですか?」
「蘇生があるだろこの世界には。むちゃくちゃ頑張って魔王をなんとか倒したって、あれは人間だからな。魔物と違って普通に蘇生師が蘇生できるだろ。誰か邪な人間が蘇生したら元の黙阿弥だよ」
「まあ、そうなんですけど……」
「……それに、魔王の蘇生を防げたとしても、俺はどうなる?」
「どうって?」
「俺が魔王と同じことになるかもしれないだろ。とんでもない力を持て余した俺を、また別の誰かを連れてきて成敗するのか?」
内心。あの時ユリンが言った言葉が引っかかっていた。「お前も魔王になろうとしている」……きっとそれはまんざら外れてもいない。形は違えど、俺は強制的に人々を縛ることを選び、そして人々の恨みを買ったのだ。
一歩間違えば、いや既に間違えて、俺は魔王になっていたのだ。
むぅ、と女神は黙った。そこまで考えていなかったらしい。
「だから、な。魔王を封じる魔法とかそういうのをくれよ」
「言ったじゃないですか、そういうのは私苦手なんです」
できないんじゃなくて、苦手なのか。
「とするとこの世界の不幸は、女神がポンコツだったことだというわけか……」
「ひどーい。……そこまで言うなら、タケマサさんにはチートはあげませんよ!」
「悪かった。ヘソ曲げるなよ。俺はただ、魔王と同じ戦闘能力を貰っても意味がないって言ってるだけだよ。だいたい、俺は蘇生師だ。仲間が死んだら生き返らせるしかできないサポート役なんだよ。その俺に戦闘をやらせようとすんな。こっちは剣を持っただけで肩こりにならあ」
「戦いは人に任せるってわけですか? うーん。わかりました」
俺はこの「わかりました」を素直に引き下がったのだと思ってしまった。
油断していたと言っても良い。
「えいっ!」
がつん。
衝撃。……いきなりポンコツ女神が俺の額に頭突きをしてきやがった。
「……ってぇええ。何すんだ」
「あたたた。目測を誤ったぁ……。本来は不意打ちのキスで能力を付与するつもりだったんですが……」
「どういう思考回路して……。待て。今なんつった? 付与!?」
「はい。これでタケマサさんにはチートが付与されました」
「なんだと? おい待て。何勝手なことしてんだ。人の身体に何しやがった。はずせ」
「もう遅いですよーだ」
「どういう……能力だ?」
「タケマサさんはタケマサさんらしく、蘇生魔法を強化しておきました。でも呪文詠唱なし、魔法陣不要、いつでもどこでも、どんなに遺体の損壊状態がひどくても蘇生できちゃうスーパー蘇生魔法です!」
ほう、そりゃ凄い。と一瞬思ってしまうが。
「これで魔王を倒してきてください」
「いやどうやって? 無尽蔵に蘇生を繰り返して持久戦に持ち込めとでも……?」
魔王の気力がつきるまで。諦めさせる、という意味では作戦としてはわからんでもないが。何十回、いや何百回蘇生させれば魔王を追い込めるのだろうか。気が遠くなる話だ……。
「あ、ダメですよ。このチート、1回しか使えません」
つっ。
「……っかえねええええええ」
俺は頭を抱えた。
「うまく使ってください」
味方が1回死ぬ間に何をどうしろというんだ。
「なあ。やり直しはできないのか。自分で言い出しておいて何だが、蘇生という方向性だと魔王を倒すにはちょっと無理があってだな」
「一度与えたチート能力が取り上げられないのは魔王で証明されてるじゃないですか。それに、やり直しも何も本人の素養を無視した能力はあげられないんです。ですからもともと、タケマサさんにあげられるのは、魔王と同じく単純に桁外れの腕力か、このスーパー蘇生能力かの二択でしたから。さ、覚悟決めてください。そろそろ目覚めのお時間ですよ」
「いやおい。待てって」
くそぅ。
俺は舌打ちをする。
女神を責め立てようとも思ったが、なぜだか申し訳ない顔をしているので責める気も失せる。きっと、本当なのだろう。そうそう都合の良い能力を俺に与えることはできないのだ。
「……なあ、そのスーパーチート蘇生は、死後どれだけ経っていても使えるのか? 例えば遺体損壊どころか……跡形も無いような状態でも?」
「YESです! たとえ魔王の広範囲攻撃とかで遺体が消滅しても大丈夫です。どんなに離れたところで行方不明になっていても、タケマサさんの元に蘇生できますよ。死んでさえいればですけどね」
そうか、さすがにチートと言うだけはある。
「俺からももう一つ聞きたいことがあるんだが……」
「何ですか? 贅沢ですねぇ」
と言いながらも俺が珍しく頼みごとをしたのが嬉しかったのか女神は親切に教えてくれた。
「よし、わかった。寂しいがお別れだ。戻してくれ」
「大丈夫ですって。そう遠くないうちにまた会えますよ」
「なっ!? それまた俺が死ぬってことか?」
急にふざけた表情をやめる女神。少し間をあけて、そういえば、と言った。
「タケマサさんは、元の世界に帰りたいとは思わないんですか?」
だから戻してくれと言ってるだろと言いかけて、ああ、日本のことを言ってるのかと気がつく。
忘れていた。
「帰れるのか?」
「帰りたいんですか?」
「……」
どう、なのだろう。
「いずれ、とは思うが……。今じゃないな」
「あらやっぱり。ティルミアさんが気になりますか」
「だけじゃない。こっちの世界は困った連中だらけだからな。俺にやれることはまだあるさ」
具体的に何かあるのかと言われるとわからないが、そんな気がした。自信過剰にも聞こえるな、と内心恥ずかしくなったが、女神は目を細めた。
「それで良いと思います。タケマサさん、変わりましたね」
は、と思わず笑う。
「異世界に数ヶ月いて変わらないやつがいるのか?」
女神はほっとしたような表情に見えた。
「タケマサさん。……その、ごめんなさい」
「何の謝罪だよ」
「また今度説明します」
「じゃ謝罪もその時でいいだろ」
「それはそうですね」
寂しげに笑った。女神という立場上言えないのかもしれない。
きっと本当は寂しがり屋なのだろう、この謎の空間で暇を持て余しているらしい、自由という名の牢獄に囚われた女神は、最後に優しく微笑んだ。
「今度こそ本当に。いってらっしゃい」




