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結構可愛いんだけど殺人鬼なのが玉にキズ  作者: 牛髑髏タウン
第八章 「殺人で、みんなを笑顔にしたんだぞ」
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第八章 5/8

「バタバタ人が倒れているんです! 既に駆けつけた兵も何人か殺られました! 何が起こっているのかわかりません……!!」


「馬鹿な! 殺人罪があるのになぜ!?」


 あっという間に飛び出していってしまったユリン兵士長を一拍遅れて俺も追いかける。

 走りながら、迂闊に出ていっていいのかとも一瞬思ったが、もう遅い。

 現場はあの魔王が演説をしたあの広場だった。城門から出ればすぐにたどり着いてしまう。


 目に飛び込んできた光景に、思わず足が止まる。


「何だよ……これ」


 文字通り死屍累累……!


 人が十数人倒れていた。

 不思議なことに血が飛び散っていたり外傷があるようには見えない。だが倒れた人間たちは微動だにしない。

 死んでいる。

 殺されたと兵士は言ってたが、どうやってだ。……毒ガスか何かだろうか? いや、それだって制約魔法は防ぐ筈だ。そんなものをバラ撒く行為は立派に殺人だ。



「おっと、近づかないでよ。タケマサくん」



 聞いたことのある声が俺たちを制止した。


「お前は……ラインゲール!!! お前も来てたのか」


 俺の警戒レベルが最大になる。

 こいつ……。

 こいつはティルミアに共感していた。殺人鬼であるティルミアに。

 まさか、こいつが……という考えが一瞬頭をよぎるが、いやそんな筈がないと思い直す。こいつだって制約魔法は効いている筈なのだ。


「おいタケマサ、この優男は誰だ。知り合いか?」


 ユリンが俺に尋ねる。


「ラインゲールと言ってメイリの事務所の一員だ。……アジトに来た時には会わなかったか? 風を操る魔術師だ」


 俺は拘束された恨みを忘れたわけじゃないが、とりあえずそれには触れないでおく。


「こいつがやったのか? ……風……そうか、風を操って制約魔法を無効化したんだな! 風が操れるなら呪文を耳に入れないことだって可能だろう?」


 ユリンは剣をラインゲールに向ける。もちろん振るうことなどできないのだが。

 当然ラインゲールは首を振った。


「聞いたよ。メイドの格好していたが本当は君が兵士長さんなんだってね。しかしそのわりには魔法の基礎も知らないんだな。呪文ってのは精霊に聞かせるものであって対象に聞かせるものじゃないんだよ。催眠魔法だって耳から呪文を聞かせて作用させるわけじゃない。制約魔法も同じ。耳を塞いで防げるなんて見当違いもいいところだ」


 ラインゲールは自分の顔の前で指でバツ印を作った。


「つまり、タケマサくん。残念ながら君の制約魔法は僕にもしっかり効いているということだ。だから足止めすることしかできていない。……これだけ被害が出ているにもかかわらず、ね」


「足止め……? 何を言ってる」


 その時、気がついた。

 ラインゲールの向こう……広場の中央に誰かが立っていることに。


「おっと、近づくなよ、タケマサくん。ここまで離れて、風の壁で遮っていることでようやく届くのを防げているんだ」


「届く? 何がだ。何を防いでいるんだ。なあラインゲール。これは……あの子がやったのか? この死体の数々は」


「わからない。ただ死体の中央にあの少女がいた。ガスを疑って空気の流れを遮ったら人が死ぬのが止んだ。事実はそれだけだ」


 広場の中央に、その少女は佇んでいた。


 それは、とても美しい少女だった。

 一見すると、貴族の娘、という雰囲気だ。フリフリのついた、腰を細く絞ったドレス。ドレスの裾からのぞく腕や足は華奢で、その手には小さめのお洒落日傘をさしている。まだ十代半ばだろうと思われたが、子供というよりは「レディ」と呼びたくなる。


「なんか世界観違うやつだな」


「見かけに騙されないでくれよ。僕がこうして抑えていなかったら君たちは既に全滅していると思うよ」


 今気がついたが、ラインゲールは珍しく額に汗を浮かべていた。俺を椅子に縛り付けたりした時には涼しい顔をしていた男が。

 しかし見たところ、特に危険な様子もない。普通の少女だ。いや、それどころか少女自身も喉を抑えて苦しそうにしている。

 一見、ラインゲールのほうが一方的に攻撃しているだけにも見える。同じことを思ったのだろう、たまりかねてユリンはラインゲールの肩を掴んだ。


「おいそこの優男。お前がやっているのか? なんか苦しんでいるぞ! やめてやれ」


「駄目だよ兵士長さん。街の人間が死んだのはおそらくあの子が原因なんだ。近づいた兵士も倒れた。あの子にはちょっと息苦しいかもしれないけど我慢してもらう」


「あの少女が殺人犯だと言うのか? だとしても事情を聞かなければ話にならん。私なら相手が何か呪文の詠唱でも始めれば一瞬で距離を取ることもできる。見ろ。苦しんでいる。勝手に拷問のような真似をするな。それはこの国の国防を担う私の仕事だ。喋らせてやれ」


「あ、おい待つんだ! 近づくなと言ってるだろ!」


 ユリンはラインゲールの制止を無視して進んで行く。油断しているわけではないようだが少女に近づく足は止めない。

 近づくと、何か少女に話しかけ始めたようだった。しかしよく聞き取れないのか、耳を少女に近づけているユリン。やがて苛立ったようにこちらに向かって叫んだ。


「お……い、優男! ……を解い……やれ!」


 途切れ途切れ。ラインゲールの作っている見えない風の壁に阻まれるユリンの声。


「なんか解いてやれとか言ってるぞ。ラインゲール」


「ふぅ。しょうがないなあ。少しだけ空気の壁の半径を緩める。だけどどうなっても知らないよ」


 ラインゲールは肩をすくめた。ここからだとよく見えないが、少女の苦しそうな顔が和らぎ、喉を押さえる手を下げた。少女の顔のあたりを覆っていた空気を緩めたらしい。ユリンは少女と何か話している。声はこっちまでは聞こえてこない。


 その時、後から遅れてミサコが追いついてきた。ミレナも一緒だった。


「タケマサ。殺人犯はどこじゃ」


「あれらしいぞ」


「……あの少女が?」


「そう、らしい。あの少女も普通に街に入ってきたのなら制約魔法がかかってる筈なんだが」


 メガネの中央を指で押し上げて、ミサコは頷いた。


「確かめよう。ミレナ殿、頼む」


 ミレナは指を立てて何か短く呪文を立てた。そしてその指を少女に向ける。そうか。精神魔術のエキスパートであるミレナは精神系魔法がかかっているかどうかわかるのか。

 じっと目を凝らしていたが、首を振った。


「ミサコさん。あの女の子も……かかっていると思います。制約魔法。催眠系の魔法がかかっている様子は感じます。精霊場のゆらぎ方から見る限り私達と同じ制約魔法だと思います」


「む……。どういうことじゃ。何かの間違いでかからなかった者が出たのかと思ったが……。犯行はあの少女ではないのか? とすると、この目を覆いたくなる惨状はいったい誰の仕業じゃ……?」


 さすがの大魔導師様も首をひねった。

 こっちには声は聞こえてこないが、ユリンは何やら少女と話し続けている。

 少女はにこやかに応じているようだった。時折驚いたり困惑したりというのが表情でわかるが、何を話しているのかわからない。


「……何話してるんだろうな」


 ユリンはため息をついて組んでいた腕を解くと、少女の腕を掴んだ。


 その時だった。


 ユリンが、倒れた。胸を抑えると、片膝をつく。と思う間に上半身も崩れ地に落ちた。


「え? どうし……、どうしたんだユリン!」


 ラインゲールは舌打ちすると、素早く両手を上げた。


「くそっ……。言わんこっちゃない。正体がわからないが、あの子の口を塞がせてもらうよ」


 ラインゲールの焦る声。俺たちも慌てる。

 胸を抑えて倒れたまま、ユリンはピクリとも動こうとしない。

 殺された? 馬鹿な、いつ?


「あの子なのか? くそ……。なぜだ? 制約魔法はかかっているなら殺意は持てない筈だ……。どうやって? 死の魔法か何かか……? でも詠唱している様子なんてなかったぞ」


 妙だ。少女自身も、突然目の前で倒れたユリンに、驚いているようだった。手を口に当て、取り乱したように首を振っている。そして、口を大きく開いた。悲鳴をあげたのだろう。


「うっ……」


 今度は、ユリン兵士長を案じて前に出ていた兵士が倒れた。それを見て驚いた別の兵士も。


「あぐっ……」


 二人の兵士が次々倒れるのを見て俺の背に冷たいものが流れる。パニックを起こし逃げ出す兵士も数名。


「くっ……。壁が薄かったか」


 ラインゲールがかざしていた片手を両手にする。


 殺られた……。こんな目の前で? 何をされているんだ?

 ミサコが倒れた兵士の脈をとる。首を横に振った。

 嘘だろ? どうやったんだ。制約魔法がかかってるのに。

 少女を見ると、ブルブルと震えながら、どうしたらいいかわからないという顔をしていた。

 訳がわからない……あの様子じゃ怯えているだけだ。



「全員耳をふさげ。あれはマンドラゴラだ」



 振り向くと、メイリだった。


 ラインゲールがピリついた口調で応じる。


「ボス! ……つまり人間じゃないってことだね? だから制約魔法の対象外だったのか。ならこっちも手が打てる。ちょっと可愛そうだけど、空気で首をしめる。たぶん気絶ですむ」


「首を締めるのは無駄だ。あれは口や肺を使って呼吸をしているわけじゃないからな」


 あ、とミサコが呟いた。

 見ると、少女が倒れていた。気を失ったらしい。


 *


「えーと、全く頭が追いつかないんだが、あれは何なんだ?」


 少女が気を失った理由はわからないが、少なくともその間は近づいても平気なようだったので、急いで兵士たちが取り囲み、縄でグルグル巻きにして城の地下牢に少女を閉じ込めた。

 倒れていた街の人間や兵士の死体は数が多いので、あとで順に蘇生できるようにディレムに腐敗防止魔法をかけさせている。

 その間に俺たちは城内の会議室のような部屋に集まってメイリを取り囲んでいた。


「だから、マンドラゴラだ。知らないか」


「知らないよ。俺が知ってるのは、引き抜くとその根の部分が人型になっていて、それはそれは恐ろしい悲鳴を上げ、その悲鳴を聞くと命を失う……とかいう草の」


「知っているじゃないか。ならなぜ聞いた」


 俺は首を激しく振る。


「の、伝説だ。実際にはいないからだよ! そりゃ想像上の生き物だ。ゾンビとかドラゴンとかエルフとかと同じような」


「全部現実にいるぞ?」


「こっちの世界じゃな! 少なくとも日本にはいなかったんだよ。いや百歩譲ってこっちの世界にはマンドラゴラがいるんだとしてもだな。どう見ても人間だろあの子は。しゃなりしゃなりと歩いてたぞ。どこが植物なんだ」


「頭に花が咲いていただろう」


「咲いてたんじゃねえよありゃ花飾りだろうが。……。花飾り……じゃ……ないのか?」


「ああ。あの少女の頭頂部から生えている」


 少女の雰囲気から、俺はさすが貴族の少女のかぶる帽子は違うなと思っていただけだった。ごっつ盛りに花をあしらってある派手な帽子だとばかり思っていたが、え、頭から生えてたのかあれ?


「そんなバカな。あれが植物だってのか? 二足歩行してたぞ。植物が歩くかよ。根っこだってのか? あんな巨大なものが? 人間にしか見えないぞ」


「動かない動物がいるんだから動く植物だっている。光合成と皮膚呼吸、皮膚からの養分吸収で生きていて、摂食や肺呼吸をしない彼らは、確かに我々に比べれば動きは活発ではないが、それでも進化の過程で筋肉や骨に似た生体構造を備えた。歩いて森から森へ移動することもできる。マンドラゴラのようなアルラウネ族は特に、一般には「亜人」として扱われるくらいで、人間とほぼ変わらない頭部器官を備えていてな。光合成に使っていた葉緑体を進化させた眼球で物を見ることができるし、驚くべきは声帯や歯を獲得していて人間と同じように「話す」ことができるということだ」


「話すだと? 植物が? 肺が無いのに声が出せるのか」


「血管に酸素を取り込む機能は無いが、空気を溜められる袋は胸に持っているのだよ。嗅覚こそ無いが鼻も持っているしな。鼻から吸って口から吐くことができる」


 ドヤ顔をするメイリ。


「言うなれば、芽と葉と花があるだけでなく、目と歯と鼻があるというわけだ」


「いや今そういう、うまいこと言おうとするのはやめろメイリ。真剣に話してるんだぞ」


「これは失敬」


 この世界に来ていろんな生き物を見たが、あれが植物だって? 冗談としか思えない。どう見ても人間だった。


「呼吸をしていないと言ったな。だがラインゲールが壁を作った時、苦しそうに喉を抑えていたぞ」


「あれは声がうまく出ないことを訝しんでいたんだ。呼吸ではない。できなくとも死んだりはしない」


「気を失ったみたいだが」


「理由はわからんがパニックを起こしていたようだからな」


「うーん、植物……なのか。だとするとそれが理由であの子には制約魔法が効かなかったってことか?」


 違う、と言ったのはミサコだった。


「そんなことはない。効くぞ。植物だろうが鉱物だろうが、ある程度以上の知能があって「殺す」という概念を理解できるなら魔物だろうが何だろうが、生きとし生ける者全てが制約魔法の対象だ。精神系魔法はその名の通り、精神がある存在全てに通用する」


 断言するように言った。まあ確かに、以前ミレナは岩鬼ロック・オーガに催眠魔法を使っていた。岩鬼ロック・オーガは一応哺乳類だとか言っていた気がするが、見た目はどう見ても岩の塊だ。そんなのにも通用するのだから、あの少女に通用しないことは無いように思えた。


「だが……ならどうしてあの子は人を殺せたんだ。制約魔法が効いていたら、たとえマンドラゴラだろうと、叫び声で人を殺すことはできない筈なのに」



 カチャリ。



 入ってきた彼女を見ながら。


 誰も、動けなかった。声を出すこともできなかった。

 ラインゲールも動けない。

 皆、理解していた。

 どんな行動よりも、彼女が叫び声を上げるほうが早い。

 そうなれば全員が死ぬ。


 少女は、ぐるりと俺たちを見回した。


 そして、スタスタと黒板に近づいた。チョークを手にする。


 新任の先生を待ち受ける生徒たちのように静まったままその文字を追う俺たち。



『私の名前は、ナナと言います』



 そう書いた少女は、ゆっくりと俺たちのほうを向いて、一礼した。


 そしてゆっくりとあげたその顔には、一筋の涙が流れていた。


 その深い緑色の目。異様なまでに白い肌。その髪はよく見れば束状になっていて、それはおそらく茎なのだった。

 俺は穴のあくほど……少女の口元を見ていた。


 カタカタと、唇が……震えていたからだ。

 力一杯……何か言おうとしているようだった。

 だが、結局、何も言うことはなかった。

 そして諦めたように再びチョークを持った手を上げる。


『私が何をしたか、伺いました』


『知らなかったのです。私の声にそのような力があるということを』


『ごめんなさい』


 ごめんなさい、という文字を書きながら、彼女は肩を震わせた。


「ナナ……さん。あんた……声を?」


『安心してください』


 チョークが黒板に衝突する音だけが響く。


『殺人を禁じるという魔法は私にも効いています』


「! そうか……! 声を出せなくなった……のか。知ってしまった……せいで」


 知らなかった、と言った。

 つまり、それが理由だったのだ。

 彼女は知らなかった。自分の声が人を殺すことを。

 だから、制約魔法に縛られなかった。

 彼女は誰かを殺す可能性があるとは微塵も思わず、悲鳴を上げた。ただ驚いたから。ただ怯えたから。


『もう誰も殺しません。ごめんなさい』


 ふらり、とよろけた彼女を、とっさに駆け寄って支えたのはティルミアだった。


「ナナさん。あなたは……どこから来たの」


 ナナは自分の肩を支える人間の少女を目を見開いて見ていた。そして怯えたように口に手を当てた。

 それを見てティルミアは反射的に叫んだ。


「怖がらないで」



「はっはっは。無茶を言うね。ティルミア君。彼女は怖いんだよ。君を殺してしまうのがね」



 振り向くと、そこにいたのは。真っ白な男だった。


「レジン!? お前、今までどこにいた!?」


 聞こえていないかのように俺の言葉を無視する。


「マンドラゴラ族というのは今ではほぼ全滅している。「薬草」として乱獲されたことがあったからね。彼女は数少ない生き残りだ。山深い村にひっそりと他の無害なアルラウネ族と一緒に暮らしていた。知らなかったんだね。自分がマンドラゴラだということを。そして不幸なことに、他のアルラウネどもとは違って、人間の街に憧れを持っていた」


 真っ白な男は続ける。


「アルラウネどもは基本的に臆病だ。亜人なんて言われることもあるがその運動能力は他の亜人に比べて大きく劣る。魔物を恐れるし、それ以上に人間を恐れている。人間がいかに残酷で、平気で自分たちを殺す生き物であるかということをよく知っているからだ。……だが、このマンドラゴラの少女はこの街の噂を耳にしてしまった。「殺人罪」の話を聞いた。誰も殺されることのない街。そこに行けば非力な自分でも人間に混ざって安全に暮らせるんじゃないか。そう思って、こっそり村を出て、親切な旅人に頼んで街に連れてきてもらったんだね」


 びっくりしただろうね、とナナのほうを見るレジン。


「誰も殺されない筈のこの街で、自分の周りで急にバタバタと人が死んでいくんだからね。驚いてあげた悲鳴によってまた何人も死んでいく」


「レジン!! お前が……彼女に教えたのか!」


 おいおい、とレジンは生徒の馬鹿な質問を受けた教師のような目で俺たちをぐるりと見た。


「当然だろう。まさか知らせないでおくつもりだったのかいタケマサくん? そりゃ無茶だ。彼女はこれからも無自覚に人を殺し続けてしまうぞ。まあもう何十人か犠牲が出れば自分で気づいたかもしれないがね。それを早めただけだ。犠牲者が少なくて済むように。だからこれは僕の親切だと思ってもらいたいね。ほらこうして真実を知れば殺人罪が効いて彼女は無害だ。縄を解いて牢から出してやっても問題ない」


 ナナが目を伏せた。ティルミアが胸にその頭を抱いた。


「レジン、やめろ!」


「おっと」


 レジンは殴りかかった俺の拳をひょいと避けて、ポケットからその手に何か取り出した。ピンポン玉くらいの黒い石塊だった。


「爆炎石だ。……知ってるかな? 衝撃で勢いよく燃え上がる石だ。これを持っている僕を捕まえようとして引っ張ったり押したりするだけで僕はあの世行きだ。わかるね?」


 俺たちの動きが止まる。


「僕を追って来たらこいつを爆発させる。それじゃ。追ってくるなよ?」


 そんな言葉だけで、誰も追うことができなかったのだ。殺人罪を、うまく利用しやがった。レジンは去っていった。


「あいつが仕組んだんだ。この街のことをナナに伝えたのも、ナナをここに連れてきた「親切な旅人」ってのもあいつの指金だ」


 メイリがそう呟いた。


「ナナさん……」


 ティルミアに縋っていたナナが、立ち上がった。ゆらゆらと震える手で黒板に文字を書く。


『街を出ていきます』


「そんな……! 出ていくことないよ」


 メイリは首を振った。


「ティルミア。酷なことを言うな。一生筆談で過ごせと言うのか?」


「でも……ボス! ナナさん、人間の街に憧れて来てくれたのに……。ナナさん、それでいいの? 何かしたいことがあったんじゃないの!」


 ナナは、首を振った。


 そして、ゆっくりと黒板に返事を書いた。


 それを見て、誰も何も言えなくなった。


 ラインゲールが言う。


「僕のエイを貸すよ。彼女のいる森に送っていこう。タケマサくん。町から離れてからでいいから、彼女の制約魔法を解いてあげるんだ」


 だが、ナナは激しく首を横に振った。


「解かなくていい、というのかい?」


 頑なに頷くナナに、ラインゲールは何も言わなかった。


 *


 二人が出ていった後、ティルミアは、穴のあくほど、ナナの書いた最後の言葉を見つめていた。


「タケマサくん。あの子から一生、声を奪ってでも「殺人罪」はあるべきなの?」


 弁解じみているとわかってはいたが、俺はこう答えるしかなかった。


「これは必要な措置だろう。あの子だって、自分の声で人を殺すことなんか絶対に望まない筈だ」


 きっと答えになっていない。


 だって黒板に書かれた、彼女の望みは、こうだったのだから。



『人間の皆さんに私の歌を聞いてもらいたかったんです。ごめんなさい』

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