第八章 2/8
「た……タケマサァッ! 貴様!」
ユリンも魔王と同じように、視線だけで焼き殺しそうな目で俺を睨む。
「ティルミア、お前言ってたよな」
連中に比べると、隣のティルミアはずいぶん落ち着いていた。
「……何を? タケマサくん」
「殺していい人間なんて、いないってな」
俺は俺を睨んでいる二人に向く。
「魔王よ。ユリンさんよ。俺もそう思うんだよ。だからいかなる理由があろうとも、殺人という手段は許さない」
「タケマサよ。お前もこの世界で見てきた筈だろう。殺したほうがいい連中を山ほどな」
「その筆頭格がこいつだろうがタケマサ! 魔王を倒さなくてはこの世界に平和は訪れない!」
魔王もユリンも、どんなに怒鳴ろうとも俺を攻撃することはできない。これだけ戦闘能力に差があろうともこうして話し合いができるのだ。これだけで制約魔法は必要と痛感できるというものだ。
「ユリンさんよ。さっきも言ったが、それじゃあんたが第二の魔王になるだけだ」
「愚弄するか貴様」
「魔王を倒したあんたは英雄になるだろう。そして絶大な権力を手に入れるだろう。あんただけが他者を殺せるんだからな。あんたはいずれその権力に溺れ暴走し始める。絶対にそうなる」
「何を根拠に、貴様……」
「じゃあ魔王を倒した後、改めて、未来永劫殺人を禁じる制約魔法をかけさせてもらう。この国で何が起ころうとも、それは解かない。構わないな?」
その問いに、ユリンは思った通り即答しなかった。
「……条件がある」
「ダメだ」
「聞けタケマサ! 魔王を倒したとて、他にも排除すべきやつらは山程いる。後からいくらでも湧いてくる。そいつらを排除するための武力があってこそ秩序は保たれる。……抑止力は必要なんだ」
「はっ……」
そう鼻で笑ったのは魔王だった。
「タケマサの言う通りだぞ。それは俺と同じだ。ユリン兵士長。……スケールが小さいだけでな」
「何だと」
「お前はこの国のことしか考えていない。俺はこの世界のことを考えている」
「平気で村を焼き滅ぼす行いのどこがだ!」
「ふん。……理解が必要だとは思わん」
言い争いを始めた二人を俺はなだめる。
「やめろやめろふたりとも。要するに自分だけが人を殺す権利を持ち、コントロールしたいんだろ? 誰が生き、誰が死ぬべきかを。俺も知ってるよ、この世界じゃ弱い人間がどんどん無秩序に死んでいく現状があることはな。悪人が好き放題してるなとは思うし、そいつらを殺したいと思う気持ちもわかる。だが俺たちは神様じゃないんだ。魔王、あんただって神様に委任されたなんてこたぁねえんだよ。そんなのお前の妄想だ。悪人だとお前が思っている人間にだってそれ相応の考えがあって、単にお前と考えが違うだけだ。そのどっちが正しい考えかなんて判断つくわけがない。だから俺たち人間同士では、誰が死ぬべきかを決めちゃいけないんだよ。誰にも殺人を許しちゃいかんのだ。絶対に、誰にもだ」
ユリンは、槍を構えた。
「もういい。貴様とは相入れない。非戦闘員を傷つけるのは不本意だがな」
「おっと。王国最強の兵士さんは短気だな。だが俺を殺すことはできないぜ」
「殺しはしないさ。腕の一つももいでおくだけだ」
ユリンは槍を手に俺に突進してきた。だが、二、三歩のあたりで足を止めた。
「な……なぜ動かない」
「……それも無理だからさ。腕なんてもがれたら俺、失血死するかもしれないだろ。そして、そのことをあんたがわかっていない筈がないからさ。なるほど、すぐに止血すれば大丈夫かもしれない。でも大丈夫じゃないかもしれない。それに痛みでショック死することだってありうる。俺のひ弱さを知っているあんたなら、できない。制約魔法はな……「死にさえしなければいい」なんて雑な作りじゃあ、ないんだぜ」
大けがなら大丈夫だろう、なんてのは甘い。大きすぎる精神的苦痛もまた死につながりうる。
これがこの制約魔法の重要なところだ。人が直接間接に死ぬ可能性のあるあらゆる行動は制限される。でないと今ユリンが言ったように、「死なない程度に相手を傷つけて拷問しよう」とか考えるやつがでてくるからだ。
「臆病な俺の性格を反映してそういう風に慎重に設計してあるんだよ。おおざっぱに言えば、直接間接で人に手荒な真似を加えることはすべて制限されると思ってくれ」
ユリン兵士長は、ぶるぶると震える手を、悔しさをその顔に滲ませながら下ろした。
「狡猾な……。悪魔め……」
「悪魔とは酷いな。そんな言葉は魔王の手下に使えよ」
「王……王よ……。お許しを……!! 私はあなたの下さったチャンスを……」
一歩も動けないまま、兵士長はその手にした槍を取り落とした。膝をつく。周りの兵士たちも、目を閉じ、唇を震わせ、皆悔しそうな顔をしていた。
これ、なんか俺が悪いみたいだな。
「ユリンよ。落ち着け。お主はアルフレッドの最後の言葉をはき違えておる」
ステージ上から声がした。
「ふん。魔導師か。貴様……蘇生させてやった恩を忘れたか」
魔王は、その剣幕をミサコに向けた。ミサコは一瞬びくっとしたが、気圧されない。こいつも肝が据わってきたな、と思う。
「くっくっく……皆、初めからワシの手のひらの上じゃ……。……とか言えばワシが真の黒幕みたいで格好良いんじゃがな。残念ながら違うんじゃ。勘違いするでない。お主を裏切ったのはタケマサの勝手な判断じゃ。ワシはきちんとお主を除外するよう術式を構成したんじゃからな」
「ほう、ならどうしてこういう結果になるんだ? ああ?」
「ワシに凄んでどうする。タケマサの唱えた呪文、描いた魔法陣は全てワシの組んだものと違わない。表面上はタケマサはワシの組んだ通りに魔法を詠唱したようにしか見えんかったんじゃ。だから推測じゃがな……」
ミサコは、ステージの上にまだ立っているもう一人の蘇生師のほうを向いた。
「アリサリネ。お前さんの持っておったペンダント、今は身につけておらんようじゃが?」
……さすがミサコ。気づいたか。
アリサリネは、珍しく、声をあげて笑った。
「ふふふ……っ! これが私の望んだ世界なのよ、王サマ」
アリサリネは、跳ねるように階段を下りてきた。
「私はね、この制約魔法「殺人罪」が成立しさえすれば良かった。誰も殺さず殺されない世の中になることだけが私の望みだったんだから」
だから裏切ったなんて思わないでね、とアリサリネ。
「私だって最初は、王サマの望みである、王サマだけが殺す権利を持っていて他の誰も殺しが許されない世の中で良いと思っていたの。でも……タケマサにこのペンダントを貸して欲しいと言われた時」
アリサリネは、俺に向かってウィンクをした。おい、そういうのやめろ。ティルミアが凄い顔して睨んでくるだろうが。
「もっと良い世界が見えてしまったのよね。……だから貸したの」
ま、アリサリネには見抜かれてるとは思っていた。だがそれでも魔王には喋らないと思ったから放っておいた。
「タケマサがこのペンダントに封じ込めた事前詠唱呪文……それは、魔王サマを除外する術式部分を無効化するだけの、簡単なキャンセル呪文。でもそれが、魔王を倒す要の呪文。それを誰にもバレないように仕込んだタケマサの作戦勝ちね」
ぱちぱちぱち、と音がした。
「タケマサくん、凄い! いつの間に、原始魔法の術式を改変するなんて高等なことができるようになったの?」
「はっはっは。ティルミア。天才魔術師タケマサ様と呼べい」
「いやでも、本当に凄いよ。才能があったんだね」
「ふっふっふ。これは才能ではないぞティルミア。努力の賜ってやつだ」
「でも、こっちの世界に来て二ヶ月くらいなのに……」
人差し指を立ててドヤ顔をしてやる俺。
「二ヶ月ではない。十年以上だ。元の世界で俺は魔術師としての基礎訓練を受けてきた人間だ」
その場の皆が、驚いたのがわかる。
「さすがに嘘でしょ……? タケマサくんの世界には魔法なんか無い筈じゃ……」
「ふっふっふ。俺もこっちの世界に来て初めて理解できたことだがな。日本の学校教育は、魔術師の基礎を養うための訓練だったのだ」
「うっそぉ! そうなの?」
「ああ。意味のない歴史年号ばかり覚えさせることによって暗記力を鍛える歴史教育! 会話の役には立たないが文法の些細な間違いに気づけるようになる外国語教育! 作者の気持ちなどという曖昧な正解を探り当てさせる訓練によって暗黙のルールを察する力を養う国語教育! 何に使うかも教えずに記号の操作ばかり繰り返させ、意味不明な記号に慣れさせる数学教育! 十年以上にもわたってこの訓練を積んできた俺にしてみれば、この世界の魔術法則を理解し使いこなすことなど造作もない」
「な……なんていう英才教育……!」




