第八章 1/8
魔王。
そう呼ばれる存在を目の前にしていながら、不思議なほど恐怖感が無かった。この世界に来てから、どんどん恐怖感がなくなっている気がする。
「タケマサ、ゆるさんぞ……。ゆるさんぞぉぉおおおお!!」
その雄叫びに群衆から波紋が広がるように悲鳴を上がった。
だが俺は、逆に吹き出してしまった。あまりにチープな台詞だったからだ。もっとも、本当に怒っている時は人間、そんな台詞しか出ないのかもしれないが。
「あのな、魔王さんよ。お前に殺されてきた人間たちはきっとみんな思ってた筈だ。お前を許さないってな」
ブルブルと震えている魔王は、怒りにうち震えているだけではない。体が、動かないのだ。
大したものだ。制約魔法はこの魔王の行動でさえ縛ることに成功している。
「俺に……この王に……制約魔法をぉおお……くそおっ」
「そうだよ。漏れなくお前も対象だ。良かったな。ようこそ殺人の無い世界へ」
本来なら魔王のみを除外する筈だった。それが魔王の注文だったし、ミサコも最初、そのように呪文を構成した。
だが俺は勝手に呪文構成を改変した。
「……よくやった、タケマサ」
後ろから声がした。
……来たな。
どうやら、もう猫をかぶるのはやめたらしい。
剣を携えたユリン兵士長が、ステージから降りてきた。
「ユリン……」
魔王は目を見開く。
気づいたのだろう。この女が今、自分の部下としての仮面を脱ぎ捨てたことを。
「俺に代わってこの裏切り者のタケマサを斬る、というわけではなさそうだな」
王国最強の兵は、魔王に向かって剣を正眼に構えた。
「お前は罠にかかったのだ、魔王よ。そうだ。これが最初から私の、いやこの国の王とその臣下一同の狙いだ。……そうだな、我が部下たちよ」
ざっ。
ざっざっ。
群衆の中から、鎧を纏った兵士たちが前に出てきた。この国の軍隊。今は表向き、王位についているこの魔王の部下ということになる。
だが。
兵士たちは、魔王を取り囲んで、その剣をかかげた。
「魔王を逃がすな! ユリン兵士長が王の敵を討たれる!!」
うおおぉっ、という、ときの声。言葉通り、彼らはユリンと魔王を囲んで壁を作った。
「ふん。多勢で挑めば勝てるとでも? ……学習しないやつらだ」
だが魔王と同じようにユリンも余裕の笑みを浮かべる。
「いや、私一人で十分だよ。制約魔法というのは恐るべきものだな。今のお前は殺人を犯すことができん。つまり私に反撃することさえできんということだ。……くくく。私がタケマサに頼んだんだよ」
ユリンは俺を振り向いてニヤリと笑った。
「適用除外を魔王ではなく私にしてくれ、とな。……タケマサ、礼を言うぞ」
「礼を言うには当たらないさ」
「くくく。そういうわけだ。私はお前を殺すことができるがお前は私に手は出せん。……さあ、死ね! この国に災いをもたらす魔王めが!」
声を猛らせ、ユリンは動けない魔王へ向かって剣をつきだした。
*
話は少しばかり遡る。
俺が制約魔法の理解と習得に明け暮れていたある日のことだった。人気の無い廊下でユリンがいきなり俺を空き室に押し込んだ。
何をする、と俺が言う間も無く、ユリンはいきなり俺の腕を取った。
「タケマサ、私の身体を好きにしていいから私の頼みを聞け」
「………………は?」
行動も言葉も唐突すぎて理解ができなかった。
「……おいおい何の話だ。また色仕掛けか?」
「そうだ」
ユリンは俺の手を自分の胸に当てた。冷たく固い感触。自分が金属製の胸当てをつけていることは忘れているらしい。
「お前……なんで自分の色仕掛けにそんなに自信を持ってるんだ?」
「ダメなのか?」
「ダメだよ」
「何がダメだ」
「全部だよ。お前の存在が色仕掛けに全く向いていない」
そんなことはない筈だ、と少しの色気も宿していない目つきで睨むユリン。
「私は自分で言うのもなんだが美人ではあるのだろう。女として魅力がある筈だ。違うか?」
「……美人、ねえ。確かに顔は整っていなくはないと思うし、少々筋肉質ではあるがスタイルもいいとは思うが……」
「なんだ。はっきり言え」
「そんな怖い顔で言われても」
「……」
「どんな色気も裸足で逃げ出すぞ。あんた女を武器にするタイプじゃないだろう」
「少しもか? 少しもひかれるものは無いか!?」
ちょっと可哀想になる。
「……。メイド服を着ればいいのか? お前はあっちのほうが好みか?」
「あれも相当酷かったぞ。お前には色仕掛けの才能がない」
うなだれる王国最強の兵士。
「くっ。……私は男を喜ばせる方法など学んだことが無いのだ。付け焼き刃の演技では騙されてはくれぬか」
メイドの格好をしていた時も今も、どこか変わっていない印象がある。こいつからにじみ出る「せっぱつまってる」感だ。いつも余裕が無いように見える。
「ユリンさんよ。人を懐柔しようと思ったら、色仕掛けなんて効率悪いぞ。引っかかるのは軽率なやつだけだし、運良く引っかかってもいつ裏切るかわからない。もっと簡単かつ効果のある方法があるぜ」
「どうすればいい」
俺はユリンの目を見て言う。
「正直に訳を話すんだよ。せっかく同じ日本語が通じるんだ。異世界なのに。話さなきゃもったいないだろ」
ユリンは、一瞬、きょとんとした顔をした。
それから……なるほど、道理だな、と言葉を噛みしめるように小さく呟いた。
「……タケマサ。確認するが、お前は寝返ったのか?」
「寝返ったわけじゃない。俺にとっちゃやつは「魔王」だよ。平和の敵だ」
「だったらなぜ倒そうとしない。魔王なら倒すべきじゃないのか。世界の平和のために」
「倒す? 何言ってんだ」
「異世界から来た人間は、大いなる勇気と、この世界の人間にはない強さを持つ。そうなんだろ? 昔、異世界からやってきた「勇者」が誰も倒せなかった魔物に立ち向かい、見事倒した。そんな話がある。……おまえは違うのか」
あるのかそんな話。初めて聞いたぞ。……にしたって、二匹目のドジョウを期待するなよ。
「みんなそうなわけないだろ。少なくとも俺のいた世界の人間は体力も無くて弱っちいぜ。平和で文明も発達しすぎてて体が衰えてるんだ。世界が変わったくらいで人間変わるか」
「そうか……。なら魔王に従おうとはせんのか?」
「せんよ。協力するのは、利害が一致しただけだ。あの魔王は独善的ではあるが、俺は殺人罪を作ることは必要なことだと思うぜ。全てほったらかしだった前の王よりはマシだろ」
「何だと?」
ユリンが言葉に怒気をはらんだ。
「そうだろ。どっちもこの国の民に不安を与えてるって意味じゃ一緒だが、死人の数は魔王のほうが少なそうだ」
目つきが変わった。まさかの激昂。
「貴様に我が王の何がわかる!!!」
「……え」
俺はようやく気づいた。
「ユリン、あんた。王って」
ちっ……とユリンは舌打ちをした。
*
ユリン曰く、「我が王」アルフレッドほど、この国の未来を考えていた王はいない。目先の民の幸せではない、未来を考えていた。
若き頃より武勇に優れ魔法にも精通していた王は、たびたび戦場に自ら立った。そして痛感する。東より来る魔物の脅威を排除しないことには、早晩この国は滅びる、と。だが、備えねばならぬのは魔物だけではなかった。荒れた山村の多いこの国には昔から野盗も多くいたし、周辺諸国とも緊張関係にあった。
王にとっても苦渋の決断だったが、今の束の間の平穏より未来を選んだ。王は、民を虐殺してきた悪人どもを迎え入れ、軍として組織し、魔物どもと戦うための戦力とした。
余談だが、その中で「殺人鬼」という職業の原型も生まれた。人型で武器を使うような魔物……魔人、などと呼ばれるやつらとの戦闘に優れた職業として、無法者たちの対人殺傷能力が重用されたためだ。
周辺諸国を悩ませていた山賊の類も引き受けたことで緊張関係を緩和し、軍事的な支援も手に入れたアルフレッド王は、魔人軍との全面戦争に勝利し、この国を救った。
だが代償は大きかった。街の治安は最悪だった。
「王が制約魔法に興味を持たれ、魔導師どのを招き入れたのは、この国の治安維持の一助とするためだったのであろうと思う。だが王は軽々にそれを使おうとはなさらなかった。制約魔法を勝手に発動することも伝授することも魔導師殿に禁じられた。そのお考えの全ては……私にはわからぬ」
目を伏せた。もしかしたら、兵士長という立場でありながら結局は王の意志を掴めなかったことが、こいつの目にいつも宿っている焦りの正体なのかもしれない。
「だが、きっと王は制約魔法を魔王への切り札にしようと考えておられたのではないかと思う。……タケマサ、そうなのだろう。この魔法は……あの男にも有効なのだろう」
じっと俺の目を見て言った。俺はおそらくな、と言った。試したことがあるわけではない。だがティルミアは一度魔王を殺せているし、アリサリネはその魔王を蘇生した。魔王とて万能でも無敵でもない。
「魔王が攻め込んで来た時、王は私に仰ったのだ。降伏せよ、と。魔王に寝返り、生き延びよ、と。いざという時お前がいなくてはならん、と。魔王の狙いは国ではない、ただの王位だと。それを与えてやれば国は守れる、と……。そう仰って自ら魔王に王位を譲られたのだ。王位などくれてやれば良いと。……その意味を私は考えた。そして思い至ったのだ。きっと王は、魔王に王位を譲って油断させ、やつに制約魔法を使わせるようし向けることで、このチャンスを作ろうとなさったのだ。そうに違いない」
ユリンは頭を下げた。
「頼むタケマサ! これは我が王が! 自らのお命を! かけて! 授けてくださった! 策なのだ! 制約魔法を! 魔王にかけてくれ!」
「落ち着け。そんなに頭を振ると首が痛くなるぞ」
「頼む!」
「わかった。わかった。魔王に制約魔法をかけろってんだな。構わんぜ」
俺はあっさりとうなずいた。そしてニヤリと笑う。
「実は元からそのつもりだったからな」
ユリンは目を丸くした。そして同じくニヤリと笑った。
「……貴様を見くびっていたようだ。お前はとっくにわかっていたのか。そうだ。魔王を倒すにはこれしかない。勇気が無いなどと言って悪かった」
ユリンはカツンと胸を打った。
「魔王を討つのは私に任せておけ」
*
だが。
ユリンのかかげた剣が振るわれることはなかった。
「……な……ん……だと?」
一歩前へ踏み出しただけで、ユリンの動きは止まった。魔王と同じように。
「言っただろ。礼を言うには当たらないと。……あんたにも制約魔法はかけたからな」
ユリン兵士長のその長く垂らした髪が跳ねた。俺に向かって、その剣を向ける。
「貴様、どういうつもりだ……!」
「前の王様な、魔王に制約魔法を使わせようとしてたってのはたぶん違うと思うぜ。だってそうだろ? ミサコに供連れで死ぬよう制約をかけてたんだぜ。自分が死ぬと同時に制約魔法はあの世まで持って行こうとしたんだ」
「だ……だから何だと言うのだ!」
「さあな。ただ前王は制約魔法を魔王にも渡したくなかったのは確かだろ。どうやって国を守る気だったのかなんて、俺にもわからんさ。俺は俺の考えで行く。俺の考えは……魔王もあんたも、殺人禁止だ」
「それでは意味が無いではないか……!」
「意味がない? 違うな。ユリンさんよ。あんただけに殺人を許したら、この魔王を倒した後、あんたが魔王になるだけだ。そりゃ絶対にそうなる。だから例外は無しだ。敵討ちだろうと正義のためだろうと何だろうと、いかなる理由でも殺人は許さない」
ユリンだけではなく、この広場に集まる全ての人間に向けて言ってやる。
「それが俺の制約魔法だ」




