第七章 8/8
「温度計と、時計を使うぞ」
俺は、城の倉庫で見つけた温度計と時計を持ってきた。
「お前の仮説通りだ。アリサリネに何度か試して貰ってみて分かったが、呪文の詠唱速度と手の温度上昇度合いとの間には確かに法則性がある。おそらく最適な速度で詠唱することが原始魔法には重要なんだ。……その速さの見極めこそが、「精霊の息吹を感じる」とかいう精神論の正体なんだろう」
ミサコは、パタンと読んでいた魔道書を閉じた。
「なるほど、それでその……時計で詠唱速度を、温度計で効果のほどを測るつもりか。考えたのう。というか、良く見つけたのう、そんなもの」
温度計の方はもしかしたら俺のいた世界から持ち込まれたものかもしれない。
「うむ。やはり考えるな感じろだの言われても、ナチュラル・ボーン・エレメンタラーではない俺には敷居が高い。ここは異世界から来たサイエンティストとして、計測器具を使い実験により仮説検証する道を選びたいと思う」
「サイエンティストとは大きく出たな就職浪人」
「魔導師とか呼ばせてるやつに言われたくないな大学浪人」
*
そして、一週間がかかった。
俺の作戦は功を奏した。
異世界人であるせいか、単に才能が無いのか、俺には「精霊の息吹を感じる」なんてことは結局できなかったのだが、何度も繰り返してデータを集めてモデル化することで、秒間何文字という最適な詠唱速度の計算方法を編み出すことに成功した。
丸一日かけて詠唱時間と効果の関係を何枚ものグラフにした。部屋の室温や太陽光の差し具合にも左右されるようだったので、場所は地下の牢屋に移した。
原始精霊の調子によっても左右される。時々は効果の出方を見て、再調整することが必要だ。そこで、制約魔法の詠唱にあたっては、約十五分ごとに速度の再チューニングのための術式を入れこんだ。
いや、分かっている。こんなややこしいこと、こっちの魔術師どもは誰もやってない。皆これを感覚的に出来ているのだ。
だが、俺とミサコの開発したこの無理矢理な再チューニング方法は、良いこともあった。「時々手を温める魔法を使ってみて手の温度を測り、計算して最適な呪文の速さを求め直す」という、アリサリネには呆れられるようなまどろっこしい方法だが、これは勘とかセンスに頼るよりもずっと正確だった。
ミサコがこう言ったほどだ。
「原始精霊への指示の正確さがここまで高いのなら、アルフレッドにはできなかったことができる筈じゃ。制約魔法の効果範囲を広げられる。超広域型……街を覆うほどに大きくすることができそうじゃ」
詠唱が一回で済む、と聞けば乗らない理由は無い。俺は、呪文の理解を兼ねて、呪文の改良をするミサコを手伝った。
最初正気の沙汰とは思えない、と思ったミサコが書いたその分厚い呪文書は、丹念に読み解いてみると、確かに理解できないものでもなかった。
例えるなら家を建てるようなもの。
まず土台を整える。土をならして、岩をどける。
完成予想図を想定しながら、柱を埋め込むための穴を空けていく。壁を想定した位置に線を引いておく。
柱を立てたら足場を組み上げる。梁を作って屋根を作って壁を作って……、原始魔法はそれらの作業を全部自分の手でやらなければならない。契約精霊という便利な大工はいないのだ。うっかりすると自分が今何を作っているのかわからなくなる。全体が見えていないと些細な間違いに気づけない。この窓はどっちに向けて開ければいいんだっけ? おいバカ、部屋の内側に開いてどうする。みたいな。
「タケマサよ。礼を言う。ワシは設計図を書くことはできる。じゃが建てることはできんのでな」
ある晩、ミサコはしみじみとそう言った。ミサコは俺に魔法を伝授するときは「魔導師」になってしまうのか、この口調が抜けないらしかった。
「アルフレッド……だったか? 前王のことはどう思ってたんだ? 裏切っていいのか」
ミサコは裏切った訳ではない、と呪文書を訂正する作業の手を止めずに言った。
「アルフレッドは素晴らしい術者じゃった。死んでしまったが、もし生きていたらまたともに魔術の探求をするのも悪くない。言わば、信頼できる同僚じゃった。仕事のパートナーじゃな」
「ならなぜ魔王に加担する? 魔王はその信頼できるパートナーを殺したんだぞ?」
「王位を争う連中が殺し合うのは仕方がないことじゃろう。それはアルフレッドの職務上のことでワシには関係ない。ワシはクビになったから次の職場へと変わっただけのことじゃ。転職したからと言って前の会社を悪く思う必要もなかろう」
「ドライなんだな」
「ワシが、というよりはワシとアルフレッドの関係がじゃがな。何、魔王とも同じ。ワシの目的は制約魔法を活かしたい、ただそれだけじゃ」
同年代の筈だが、どうしてか、こいつを大人だと思ってしまう。
俺は、元の世界で社会に出損なった。こいつだってまだ学生だった筈だ。だがこいつは異世界に来て一人でのし上がった。俺と違って魔力も無いのにだ。
「何じゃ? じっと見つめたりして」
「ん? ああ、すまん」
「ラブか? ラブロマンスか?」
言葉のチョイスが古いなこいつ。同じ日本でも、二十年くらい前の時代から来たとかじゃないだろうな。
「あんたがやるべきなんだろうな、と思っただけだ」
「……制約魔法をか。それができるならそうしておる」
「俺みたいに、まだ自分の考えがわからない、迷っている人間がこんな大それた魔法を使って良いのかと思うよ。途方もない数の人間に、その行動を縛るなんて」
ごほん、と咳払いをしてから、ミサコは口調を変えた。
「人から言われたからじゃなく、自分で選んだんだから、良いでしょ。迷いはどこまで行っても生じるし、かと言って自分の行動の責任はどうあっても自分でとるしかない。だったらせめて自分で選ぶこと。それさえできりゃ、胸を張っていいのよ」
「だが……。人の人生を」
「生きてりゃどうあっても人に迷惑をかける。誰だってそう。知らないうちに人の人生なんかどんなに無茶苦茶にしているか知れたものじゃない。それを恐れるなら息さえできなくなる。死ぬのが良いなら止めはしないけどね」
死にたいわけじゃない。俺は苦笑する。
「どうしたらこれが俺のやるべきことだという確信が持てるんだろうな」
「確信を持ちたいと思ってるのなら、それはもう持ってるということ。あんたが欲しいのは、確信じゃなくて、結果。結果は、待つものじゃなく出すものでしょ」
苦笑する。口じゃこいつには敵わん。
俺も、こいつに乗せられているのかも知れない。だがそれを選んだのも俺、か。
俺は覚悟を決めた。
*
そして、十日後。
群衆の見守る中。
俺は、制約魔法を発動した。
この国の民は、殺人ができなくなった。
*
「私を倒すことに決めた……って、どういう意味?」
ティルミアの目をまっすぐに見て答えてやる。
「殺人鬼ティルミアの最期だという意味さ」
「……私、死なないよ?」
ティルミアは魔王の方を向いた。
「私がこの十日間、何もしてなかったと思う? 私、今ならあいつに勝てると思う。タケマサくんは安心して見てて」
ダガッ
激しく石がぶつかる音がした。石畳として敷かれていた板石同士が衝撃で互いに衝突した音だった。
俺にはとても目で追うことは出来ない。たぶんきっと、とんでもなく高速な動きでティルミアは何かをしたのだろう。
そしてそれは不発に終わったのだ。ティルミアはその表情に困惑を浮かべる。
「あれ、なんで当たらないの? ……避けてないのに」
彼女の表情とその手から伸びたウネウネと動くワイヤーは、彼女がたった今何をしたかを物語っていた。
「殺人鬼ガーーーーーール。何かしたのか? ん?」
「んー。しようとした。あなた殺そうと思ったんだけど」
ティルミアは首をひねっていた。目線は魔王から外さないが、右手で左手をさする。自分の手か、あるいはそこからは発動したワイヤーの動きがおかしいと思ったのか。
「どうしてだろ……?」
少し気の毒に思う。俺はその背中に声をかけた。
「ティルミア」
「タケマサくん。……タケマサくんが何かされてるのはわかった。だから話は後で聞く。ミレナさんに頼めば、きっと解いて貰えるよ。とにかく、話はこいつを殺した後でね」
……なるほど。俺が洗脳されているというのがお前の結論か。
「ティルミア。聞け。殺すことはできないんだ」
気がつけば取り囲む群衆は、俺から距離をとるように離れていた。俺も得体の知れない魔王の部下、そう思われているのだろう。
振り向きはしないティルミア。
「なんで? タケマサくん」
「これが制約魔法だ。効果範囲の中にいる人間に対して、強制的にあるルールを課す。人を殺せない、というルールだ」
何それ、とティルミアは笑った。
「人を殺せない? ……そんなこと言ってたけど、それは不可能だよ。催眠魔法は、心の底からの本当の意思を覆すことはできないんだよ。息をするなという暗示が効かないように、人を殺すななんて暗示が効くわけないよ」
今度は俺が苦笑する。
「息をするように人を殺すなよ」
魔王が肩をすくめた。
「催眠魔法じゃない。制約魔法だ。殺人鬼ガール。俺も理屈は理解できんが、この国の偉大なる魔導師様が開発し、そこの蘇生師タケマサが発動した。……殺人罪を犯したら罰するというんじゃあ、後手に回る。先手を打ち、この俺以外の人間が殺人を犯すこと自体を不可能にしたのだ。お前も運が悪かったな」
俺は、魔王の台詞の後を継ぐ。
「ティルミア。お前がここに来ているとは知らなかったが、これも運命かも知れない」
「何が?」
「効果範囲にいたからには、この魔法の効果はお前にも及んだ。お前はもう人を殺すことはできない」
「嘘だよ」
「嘘じゃない。呼吸は本能だから暗示で止めることは出来ない。生きたいという意志は生物本来のものだ。それに逆らう暗示はかけられない。だが、殺したいなんて本能は無いんだよ。殺したい? そんなものは、お前の心の底からの意志なんかじゃ、ないんだ」
「嘘……だよ」
「嘘じゃない。さっき、魔王を殺そうとして、できなかったんだろ? それが証拠だ。それでいいんだ。ティルミア。自分に素直になれ。もう、お前は二度と人を殺さなくてい」
「嘘だよっ!!!」
ティルミアは俺の方を向いた。肩を震わせていた。
「人を……人を殺すことが……できないなんて……。そんなの……」
「ティルミア。お前はもう二度と人を殺すのない人生を送るんだ」
「……そんなの……私じゃない……」
俺はティルミアの肩を掴んだ。
「違う。ただ殺人鬼でなくなるだけだ。お前はもう殺人鬼じゃない。殺人鬼なんて職業はこの瞬間から無くなるんだ」
「どうしてそんな酷いことするの……」
俺は周囲の民衆を見渡す。
「ティルミアよく見ろ! お前、見てきたか? この街を! 知らないのかこの街の惨状を! 殺人が起きすぎなんだよ! 血の気の多い連中が平気で闊歩する街だからな! どんな理由があろうと、なかろうと! 人が人を殺すことに正当な理由なんか無い! ……少なくともそういうことにしとかなけりゃ、平和なんてもんは訪れないってのが俺の結論なんだよ!」
「だからって殺人を禁じるなんて本末転倒だよ!? そこまでして平和にして、何の意味があるの?」
「……あ、あるだろ。順当にあるだろ」
「タケマサくん! 魔王に騙されてる。それともあの蘇生師の女の人に誑かされたの? タケマサくんの言ってるのは、怪我したら危ないから外に旅に出るのはやめましょう、ってのと同じだよ。喧嘩になるから友達を作るのはやめましょうってのと同じだよ!」
「どこが! どこが同じなんだよ!」
「仲良く手をつなぐだけが人と人との接し方じゃないでしょ!? 時には喧嘩だってするし、殺しもする。そうやって作っていくのが人間関係じゃないの!?」
「じゃねえよ! さりげなく物騒なものを混ぜるのやめろ! 殺人鬼の理屈を人間に当てはめようとするんじゃねえ!」
「おかしいよ! なんで人殺しだけをそんなに目の敵にするの!? 殺人なんて一つのコミニュケーション手段じゃん。私みたいな人間は……人と関わるなって言うの……」
どうして俺がいじめてるみたいになるんだ。
あのな……と俺が何度目かわからないツッコミを入れかけた時、魔王が割って入った。
「タケマサ。お前の言いたいことを俺のほうがもっとストレートに言ってやれるぞ」
「……何」
魔王は、ティルミアのほうに首だけを向けて、言い放った。
「その通りだよ殺人鬼ガール。殺人鬼は人と関わるな。迷惑だからな」
ティルミアの表情が消えた。
「言っただろう。人を殺す権利は王である俺にだけある。お前ら民は勝手に人を殺すな。誰が生きて誰が死ぬべきか、決めるのはお前らじゃない、俺だ。自分勝手な殺人は、禁止だ」
魔王は、自分の胸を指さした。
「俺だけだ。俺だけが人を殺す権利を持つ。そうすることで秩序を作り出す。お前からは殺人という手段を取り上げる。殺人鬼ガール。お前が殺しでしか人と関われないなら、秩序の敵だ。迷惑だ。誰からも離れて一人山にでも籠もって生きろ」
「……」
ティルミアが、俺を見た。一瞬だけ。視線は交差するが、言葉は交わさない。再び魔王を向いた。
「……それでも私は、殺人鬼としてしか生きられないの」
「ならば街を出ていけ」
「出てくよ。でもタケマサ君は連れてく」
「なるほど、それでは仕方がないな。死ぬんだ、殺人鬼ガール」
瞬間。
魔王は、ティルミアの背後に立っていた。
「!!!」
ティルミアが、慌てて飛びのく。その顔に焦りが浮かぶ。
「待て魔王」
俺の言葉は完全に遅れていたが、だが魔王は動きを止めた。
いや、ティルミアの背後に現れた時から、動きを止めていた。
その顔は、驚愕に満ちている。
「ど……ういうことだ、タケマサ……!!」
やっと。気づいたか。
初めて見るな。こいつが驚いているところ。
「俺は平和主義者なんでな。平和のためなら手段は選ばない」
「貴様! 何をした!!!」
やられ役みたいな台詞を吐くなよ、あんた魔王だろ。
「……魔王さんよ。俺は、あんたの意見に賛成なんだ。誰にも殺人は認めない」
魔王を指さしてやる。
「……あんたにも、な」
「タケマサああぁ!! 貴様!」
魔王が吠え、俺に突き出した拳はしかし、俺には当たらなかった。
「あんたも少しは魔法の勉強した方が良いぜ。呪文のチェックくらい、すべきだったな」
殺人を禁じる制約魔法。この街全域を覆う広域魔法として発動したこの魔法は、範囲内にいた人間に殺人を禁じた。
魔王のリクエストと違うのは、ただ一人の例外も許さなかったことだ。……すなわち。
魔王すら、例外ではない。
「タケマサ貴様……。 俺はそんな命令はしていないぞ」
俺は、笑った。
「いけなかったか? ただ命令に従うだけじゃ、誰も雇ってくんなかったんでな」




