第七章 6/8
「初めまして。王の部下、ジンです」
体にぴったりの紺色の服を着た若い男だった。顔を布で覆っていて目だけ出ている。
「あ、ああ……。助かった、忍者君」
ずぶ濡れのまま、俺は礼を言った。ジン君は驚いたようだった。
「なぜわかったんですか? 忍者だと」
「あ、本当に職業「忍者」なのか」
「はい。……誰から聞きました?」
警戒したように眼光が鋭くなった。この男、ジンも並ならぬ戦闘職なのだろう。
「違う違う。格好からそう思っただけだ。俺はほら、あっちの世界……日本から来たから」
ああ、とジンは警戒を解いた。
ジンが教えてくれたところによると、忍者という職は、戦闘系複合職の一種らしい。手の内を明かしたくないのか能力なんかは教えてはくれなかったが、どこの神殿でも与えているわけではないマニアックなライセンスであることと、元ネタは確かに日本の「忍者」であるということだった。イメージ先行でつけられた名前らしいが。
「で、タケマサ? 私に対する謝罪は?」
こっちはこっちで、憮然とした表情だ。
「いきなり突き飛ばすことないでしょ。びっしょびしょじゃない」
スカートの裾を絞りながら言うアリサリネの太股を見ないようにしながら俺は抗議する。
「俺が謝るところか? このジン君の姿はずっと見えなかったし、彼がどれだけ迅速に俺たちを守ってくれるのか見当がつかなかったんだ。仕方ないだろ。蘇生師二人のド後衛パーティで他にどんな身の守り方があるってんだ」
「僕が最初に自己紹介しとくべきでしたね。すいません」
忍者のジン君は、俺がアリサリネを突き飛ばそうと動き始めた瞬間には、すでにナイフを持ったチームリーダーを取り押さえていた、らしし。つまり俺の行動は結果的には余計だったわけだ。
ジン君は、なぜかタオルまで用意してくれていた。どこから出したのか知らんが、まさかこうなることを予測してたんだろうか。
「……俺らが街に出たところから、ずっとついてきてくれてたのか」
「はい。姿を消していましたので、いるのか不安に思われたのは当然です」
ジン君に倒されたらしいチームリーダーの男は、ピクリとも動かない。
「殺した……のか?」
「はい、と言いたいところですが……殺さずに止められる程度の余裕はありましたので。王がお命じになっていませんから、命は奪わないでおきました。もっとも、しばらく動けないでしょうが」
余裕が無ければ殺してたということらしい。
王。魔王のことか。この青年は、今まで会った中で最も忠実な魔王の部下なのだろう。彼の目には曇りがなく、そんな気がした。
「では、僕はこれで」
どこへ? と聞こうとした時には彼の姿が見えなくなっていた。
「……」
「……」
あとにはずぶぬれの俺とアリサリネが取り残される。
「わかった?」
「お、おう?」
「……んもぅ。こんな目に遭うなんて……」
「わかったかって……何をだ?」
アリサリネは倒れているチームリーダーの男を指さす。
「この街じゃあ、こういう連中が大きな顔してんの。街の外じゃない、中なのに、よ! 護衛なしじゃ歩けないような地域があるの。タケマサの言う通り、私達みたいなか弱い市民だったら、殺されることになったでしょうね」
「……」
「要するに、街が静かだったのは気軽に表に出られないからよ。強力な武器も魔法も持っていない住民だけで維持できる治安には限界がある。だから暮らしを狭めて、必要な時だけ連れだって移動する。そうやって細々と生き延びているの。弱者が一人で出歩くなんてできないのよ、この街では」
「……」
「そんな奴らがごまんといる。わかるでしょ? あの王サマが定めようとしてる「殺人罪」は、必要なのよ。人を傷つける行為を無条件に禁止しちゃうしかないのよ。そうしないとこの国はいつまでもこんな状態のまま」
アリサリネは、俺の目を見た。
「王サマ……あの魔王のことが嫌いなのは、わかる。確かに横暴よ。でも誰だっていいじゃない。殺人罪を定めさえするなら」
「アリサリネ。あんたは本気で、あんな魔王がこの世界を支配するのがいいと思っているのか?」
「……」
「殺人罪があったほうがいいってのは、同感だよ。でも、だからってな、魔王に支配されてちゃ本末転倒だろ。違うか? 治安を維持してくれるなら魔王でもいいってのはおかしいぜ。あの魔王は賢くもなけりゃ正しくもない。大した理由もなく人を殺し村を滅ぼすやつだろ?」
アリサリネは、俺を睨んだ。
「それは、そうよ。私だって、あの王サマが世界を支配する資質があるなんて思ってない。誰が生きるべきで誰が死ぬべきかをあの王サマ一人が判断するのは確かに間違ってるのかも知れない。でも、だったら誰が判断できるって言うの? 神様じゃないんだから誰にも判断できない。だからって、放っておくの?」
「あんたも結局魔王と同じ意見なんだな。手っ取り早さを求めてるだけだ。焦って、殺人だけをまず禁じればいいと考えてる。でもそれはきっと歪みを招く。社会制度は誰か個人の意思で作るもんじゃないだろ。もっと慎重に考えて作るべきものだと思うぜ。皆で話し合って決めるべきことだ。でないと……」
「そんな時間は無いのよ!!!」
絶句する。アリサリネは凄い剣幕で振り上げた拳で……途中で力尽きたように俺の肩を弱く叩いた。
「悠長に考えて、のんびり皆を説得して、グズグズ話し合って、ダラダラと制度を作って……そんなことしてる間にどんだけ人が死ぬと思ってるの!!?? そのたびにどんだけ私達蘇生師は嫌な思いをしなきゃいけないの!!??」
「……」
「タケマサ。あなたならわかってくれると思ってた。蘇生なんてものが無い異世界から来た人間が私と同じ蘇生師になったって聞いた時から……私はあなただけは、私の苦しみをわかってくれると思ってた」
「あんたは……蘇生師でいることが嫌なのか」
「ええ。もううんざりなのよ。蘇生をするのは」
「蘇生が……嫌いなのか?」
「嫌いよ」
どうしてだ……と言った俺の言葉は少しかすれた。唇が渇きかけていた。
「……あんたは俺とはレベルが違う。正直俺はあんたが羨ましかった。あんたほどの蘇生魔法の腕があれば、もっと、この世界で死ぬたくさんの人間を救える。それだって、殺人罪を作ることと同じように、死ななくていい人間を死なせないことじゃないか。それができる力なんだ。蘇生は。凄い力だと俺は思っている。あんたはそう思わないのか?」
アリサリネは薄く笑った。
「タケマサ、そういうことを二度と私に言わないでね」
「なぜだ」
「うんざりだって言ったでしょ」
アリサリネは髪をかきあげた。
「盗賊に殺された父親の、もう手遅れになった亡骸をかついできた子供たちに、泣きながら生き返らせてってお願いされるのも」
「領主の気まぐれで見せしめに恋人を処刑された女の子から、泣いて蘇生を頼まれて生き返らせたら私にまで追っ手がかかるのも」
「もうどうやったって魂を戻しようのない、97歳の大往生で無くなったお爺ちゃんを蘇生させるためにお金持ちに大金を積まれて、それでも無理だと言ったら逆恨みされて殺されそうになるのも」
「それまで聖女だのと言って称えてた人たちが、一回蘇生がうまくいかなくて記憶が戻らなかっただけで魔女だと言ってののしるようになるのも」
「死んだら生き返らせればいいんでしょ、と言って気軽に使用人を処刑する狂った奥さんがいる邸宅に、拉致されて飼い殺しにされそうになったりするのも」
……。
何も言えなくなった。
俺はアリサリネに対しては、何か裏があるんじゃないかと思っていた。魔王についているのは、蘇生役として取り入り、あいつを裏で操って本当のところは世界征服を企てている……とまでは言わないが、何か別な狙いがあるのではと疑っていた。
だが。
ただ「この世から蘇生をなくしたかった」のだ、アリサリネは。
「蘇生魔法は見方によっては確かに凄い力だけど、万能じゃない。なのにこれがあると思うと、人々は当たり前のことを忘れてしまう。人は殺せば、死ぬ。死んだら生き返らない、ということを」
そういう人たちに、と言う口調にはわずかに憎しみ、いや、怒り……のようなものがこもっていた。
「神童と呼ばれた私は小さい頃から苦しめられてきた」
「神童」
「そうよ。自分で言うのは恥ずかしい言葉だけど、文字通りそう呼ばれていた。だって、十歳で蘇生ができたから」
「なんだと……? 十歳? いや待て。ライセンスは?」
「与えられたのよ。野良の神官がいてね。神殿に属さない神官。そいつが幼い私にライセンスを与えた。神殿では17歳以上の人間にしか与えないのにね。……そうあるべきだと、今ならわかるわ。だって、年端のいかない子供が大人の言うままに気前よく蘇生をやり始めたから、全てが狂ってしまったんだもの、あの村は」
アリサリネは「あの村」であったことを語らなかった。俺も聞かなかった。
だが、蘇生が……年端のいかない子供の手にあり、大人たちが彼女に何をさせたのか……俺は想像して吐き気がした。
「……私が考えているのは、どうしたら蘇生をしなくて良くなるんだろうってことだけ。それには殺人が無い世の中になればいい。だって、蘇生を頼まれる死体は、圧倒的に他殺だもの」
「……そう、なのか? それは、なぜだ。この世界でだって、人が死ぬ理由は色々だろう。自殺や病気だってあるし、魔物におそわれるとかも多いんじゃないのか」
そんなことはないのよ、と少し皮肉めいた口調で言う。
「自殺するなら、人に遺体が見つかって蘇生されるような死に方はしない。病気なら、治癒魔法で治せないほど肉体を蝕むようなものは遺体修復をしても治せないから蘇生できない。老衰だと魂を戻せないからやっぱり蘇生できない。魔物に殺されるのは……圧倒的に、山奥やダンジョンの奥だもの。そういう人の遺体が回収された時にはとっくに蘇生が間に合わないことのほうが多いわ。……だから」
「だから……残るのは、殺人だけってことか」
「そう。蘇生師のもとに連れてこられるのは殺人による遺体が圧倒的に多いのよ。……だから」
「だから……殺人罪か。蘇生が必要なくなるには、殺人がなくなればいい」
「そう。単純な話。誰も殺されなければ誰も蘇生しなくて済む」
それが、魔王が作る世の中でもか。
俺は、眼の前で倒れている……チームリーダーと呼ばれた男を見ていた。
こいつは、俺たちを殺そうとした。ただ、ここにやってきた、というだけで。
人を殺すことを何とも思っていない。
「確かに殺人を無条件に罪だと決めておかなけりゃ、こういう連中にいちいち人を殺すべきじゃないって説得して回らなきゃならない。そんなの埒が明かない。そりゃそうなんだろう。こいつも、意識を取り戻したら……また俺たちじゃない誰かを襲うんだろうしな」
「でしょうね」
「……あんたの見せたかったものはわかったよ」
水路沿いをもと来た方向へ歩く。
確かにこの国は治安が冗談じゃなく悪い。
でもなぁ、と俺は思う。
魔法で強制的に人の行動を縛るってのは、正しいことなんだろうか。
ミレナのことを思い出す。彼女は亡き夫にかけられた催眠魔法で、自殺を禁じられた。それをかけた夫はけしてミレナが憎かったわけでも苦しめようとしたわけでもない。それなのに、ミレナは苦しんだ。
ミレナの意思を無視したからなんじゃないのか。
人の意思を無視して魔法で行動を縛ることが、正しいとは思えない。
殺人を禁じるルールは、そりゃあったほうがいいと思う。
だが、それを魔王が魔王の都合で決めるのは、そりゃ違うだろ、と思う。
「何に引っかかってるの? タケマサ」
「自分でもわからん」
「……いいわ。帰りましょう」
数歩、歩いた時だった。
背後で、バカン、という石が割れる音がした。
振り向くと、血しぶきが飛ぶのが見えた。
肩で息をついている男が、大きな斧を叩きつけていた。男が何か小さな声で呟いている。体格も細く、格好からしてただの町人という感じだったので、その斧がとても不釣り合いに見えた。
ゴロゴロと転がるものが何なのか最初わからず、わかった時にはそれは俺の足元まで転がってきていた。
人間というのはどんな大男でも頭部の大きさはさほど変わらないらしい。チームリーダーだった男の首は、胴体と離れてしまうと意外に小さく見えた。前王の首が転がってきたのを見ていたユリンも同じように思ったのだろうか。
振り向いたまま、固まる俺とアリサリネ。
ただただ目の前の光景が意味不明で、何も言えないでいる間に。
どうしてだか、男は俺たち二人に喚き始めた。
「娘の。娘の敵なんですよ。結婚したばかりだったんですよね。ええ。私の愛する一人娘です。娘は旦那と二人で歩いてるところを、あんたらに捕まってなぶり殺されたんですよ。何もしてないのに。ただ仲良さそうにしていたのが気に食わなかったとか、それだけの理由で。敵を討って何が悪いっていうんでしょうか? 悪くないでしょう? 結婚したばかりだったんですよ娘は」
誰……だ。
殺した。
この男は、殺した。
盗賊団のチームリーダーの男を。倒れたまま動かないこいつを……どこかで様子を窺っていたのか。俺たちが離れたのを見てチャンスとばかりに、殺した。
「あぇ……あェアに兄きぃぃ!!」
脇から駆けてきたのは、さっき壁にふっ飛ばされた若い「新人」だった。首から上を失った「兄貴」の元に駆けていき、
「てっ……てめぇっ!」
どっと音がして町人は突き飛ばされた。
「……てくださいよ」
だが次の瞬間、倒れかけた男が斧を水平に薙いだ。
「ぐげっ」
間抜けにも聞こえる声をあげて若い団員の腰に斧が食い込んだ。切れるというよりは骨が砕けるような嫌な音がして、赤く染まった腰を抑えて倒れ込んだ。
「あ……あ……」
俺は声がうまく出せない。
「……つ……つけてきてたの? あなた……」
敵討ち……? 娘? この町人風の男の娘とその旦那が、こいつらに、殺されたと? その敵だと……言ってるのか。
「ええ。ずっとチャンスを窺ってましたよ。だってそうでしょう。娘はあんたらのおかげで死んだんですから!!」
待て。……「あんたら」? 俺とアリサリネのことか? まさか、こいつらの仲間だと思われている?
「待て。誤解だ。俺たちは違う。こいつらの仲間じゃない」
斧を持った男は、血走った目で睨みつけてもう一度斧を振り上げた。
「そうですかね……? 何が違うんですかねぇ!? このエリアに平気な顔して入ってくるあんた達はどうせ同類」
どすっ。
……ああ、なんだよ、これ。どうしてこうなるんだ……。
斧を振り上げて迫ってきていた男の肩にナイフが生えて、その台詞が止まった。
「う、ウチの彼氏にぃ……! ウチの彼氏にぃ!! し、死んじゃダメだよ、ルーくん! ルーくん!!」
路地のほうから水商売風の派手な化粧の女が一人、泣きながら駆けてきた。さっき倒れた「新人」の男にすがった。だが腰を砕かれたらしい男は痙攣したまま頭を上げようともしない。
女の後に続くように、騒がしく盗賊団の仲間らしい連中が集まってきた。
「へいへいへい、この斧野郎。最近このエリアをウロチョロしてるパンピーがいるって聞いてたがお前か。俺らの担当区域でそんなもの振り回しやがって。二人も殉職しただろうが。ノルマきつくなる残りのメンバーの身にもなれってんだ」
ナイフを投げたらしい、切れ長の目をしたバンダナの男が来て。
刺さったナイフに体重をかけるように踏みつけて斧を取り落とした男に甲高い悲鳴をあげさせると、何発か無造作に蹴りを入れた。
わらわらとお仲間の連中が口々に罵りながら集まってきて。
やがて、彼氏を殺されたばかりの女は斧を拾い上げるとその持ち主の額に叩きつけた。
それを見ている間に後ろで物音がして、振り向くとジン君が俺たちに襲いかかろうとしていたらしいチンピラの喉を串刺しにしていて、「ああ今度は余裕はなかったんだな」と俺は思った。
その後、怒り狂った盗賊団の何人かをジン君が葬って、俺とアリサリネは魔法で姿を消されてジンに担がれ、城に強制帰還となった。
一連の出来事を、俺は映画でも見ているように何も反応できずにいた。
ただただ目の前に繰り広げられる大量の死に。
何もできなかった。
*
城内に帰り着いた。
気がついたらジン君はいなかった。ただ呆然と内庭でへたり込むと俺とアリサリネがいた。ジン君は抱えてきた俺たちを下ろして魔法を解いた後、どこかへ行ってしまった。護衛は終了した、ということなのかもしれない。
「あれが……あんたの見せたかったものかよ」
バカなことを言った。
アリサリネだってあそこまでのことが起こることは予想外だった。それは、こいつが固く唇を噛み青ざめているのを見ればわかる。
何人死んだ?
何のために?
あの斧を持っていた町人の男は娘が殺された。その敵を討った。それに巻き込まれる形で腰を砕かれた盗賊団の若者は死に。そいつの彼女が町人を殺した。
敵討ち。どっちもそうだったのか。
自業自得? 誰の? ジン君が殺したのは?
「……誰が死ぬべきで、誰が死ぬべきじゃなかったんだ?」
俺の問いに、アリサリネは、知らない、と力なく言った。
あれがこの国の……いやこの世界の日常なのか。
くそったれ。
アリサリネの言う通りじゃねえか。
時間は無かったんだ。
俺が……魔法で行動を縛ることが正しいとは思えないとか悠長なことを言ってる間に。魔王が判断するのは違うとか何とか言ってる間に。
「協力してやる」
アリサリネは、息をつき、息を整え、そして額の汗を拭い髪を払ってから、俺に言った。
「嬉しい」
「あんたのためじゃない。……嫌になるほどわかったからだ」
ティルミア。
お前の言っていることは間違ってる。
「殺人は、誰も笑顔になんかしない」




