第七章 5/8
ネクスタル王国という国の王都であるというこの街は、俺が最初にたどり着いたあのエントラル王国の街に比べ、圧倒的に静かだった。風の音さえ聞こえる有様だった。
街自体はそれなりに発展しているように見えた。こないだ訪れた村と違い(まああそこはそもそも廃村だったわけなので比較してもしょうがないが)、石畳で整備された街路。街灯があり、水路もある。建物も二階建てや三階建てのものもある。さすがに大都会東京と比べる気はないが、エントラル王国と比べても引けをとらないように思える。
なのに雰囲気はだいぶ違う。活気が無い。道が広いせいだけじゃない。人が、少ないのだ。皆、家の中に閉じこもってでもいるのか。子供のはしゃぐ声も、店が客を呼ぶ声も響かない。
……当たり前なのか。
戦時下なのだ。
魔王が城を奪うにあたって戦闘は非常に短期間、局地的なもので終わったと聞いた。煙が上がっていたり建物が崩れていたりはしていなかった。街の様子だけを見れば何も起こっていないようにも見える。
ただいくら直接的な被害が無かろうと、この国の民は敗戦したのだ。
「静かでしょう?」
「ああ。これが戦争に負けた国というものなんだな」
「……戦争?」
「戦争だろ。国が奪われたんだから。魔王……つまり、あんたらとの戦争に負けたんだよな」
アリサリネは、ふっと息を漏らした。何かを嘲笑したようにも見えた。
「……この静けさは、違うわ。元からこうだもの。元から明るい国ではないわ」
歩きながらアリサリネは語った。
このネクスタル王国はエントラル王国よりも東に位置し、東の険しい山地を越えてくる獰猛な魔物の脅威にさらされ続けていた歴史があった。
もちろん歴代の王達は軍を組織してこれらの襲撃を退けてきた。だが魔物の勢いはやまず、国は次第に疲弊していった。
若き日の前王アルフレッドは、ある大胆な選択をする。
街の平和な生活を脅かす、本来なら敵である筈の人間たち……盗みや恐喝、暴力と殺人を平気で犯す人間たち。破落戸、ならず者、野盗、山賊、海賊などと呼ばれる無法な連中に、街を守る役割を与える代わりに街の一角に住まわせたのである。
荒野で魔物の脅威にさらされながらも生き延びていた連中は戦闘には長けており、魔物に対する戦力としては非常に役に立った。そのためもあって民も王のこの決断を受け入れた。いや、受け入れざるを得なかった。
だが、当然街の治安は大幅に悪化する。
街では強盗殺人放火に婦女暴行人身売買とあらゆる犯罪が急増した。否、犯罪ではない。なぜなら王はそれらを咎めなかったからだ。「やりすぎるな」と言ったのみだった。
「だからこの国ではね。今でも盗みや殺人は他の国に比べて凄く多いの」
いくらなんでも、と俺は思った。
「どうやって暮らしていくんだそんな国で」
「民は自分たちで自警団を組織して、かろうじて生活を守っているわ。軍には頼れないから」
なんのための軍だよ……と言いかけて、違うのだと悟る。軍はあくまでも外の魔物と戦うために存在している。
「エントラル王国でも軍は積極的には取り締まったりはしないって話だったな」
「この国でも同じよ。時に、消極的にすらしない。魔物の勢いが衰えてきたとは言え、彼らの公式の役目は壁の外に対する防衛だもの」
「……それでよくついてくるな国民は。他の国にみんな移ってしまうんじゃないのか」
アリサリネは笑った。
「他の国へ行こうにも、街の外には魔物がいる。街の中にいれば魔物から守られているのは事実だもの。冒険者になったり冒険者を雇って外へ旅立っていく選択肢を誰もが持ってるわけじゃないのよ。それに……住み慣れたところを変わるのは辛いことだもの」
だからね、とアリサリネは前を向いてしまった。
「今回のが戦争だって言うのならそうかもしれないけど、この街の人にしてみれば何も変わりはないんじゃないかしら。民にとっての脅威は街の中にある。城で自分たちを支配している人間が誰になろうと、関係ないわ。戦争に負けたとか、国を奪われたなんて意識は無いんじゃないかと思うわ」
「……」
バレたって平気、みんな関心がない……。そういう意味か。
「人望のない王様だったんだな」
「人望、なんてものを必要とする人間を王とは呼ばない」
「なんだそりゃ。横暴だな」
「私の台詞じゃないわ。あの魔王サマの台詞よ。でも……」
アリサリネは、細い路地に入った。
「前の王もきっと、同じことを言ったと思うわ」
*
「へっへっへ……! 金目のものを置いていってもらおうか」
ほら、言わんこっちゃない。
「アリサリネ。ああいうのが出るってことは、物騒なエリア、なんだな? ここは」
「よく見ておいて。この街にのさばる連中がどんな奴らなのか」
「逃げなくていいのか」
現れたのは、「チンピラ」という題字をバックにしょっていそうな、強い奴には弱いが弱い者にはめっぽう強いという感じの若者だった。俺より年下かも知れない。
「まだビクビクすることないわよ。だいたいこのエリアの入り口で出くわすのは、ああやってとりあえず脅してみるだけの威勢のいいだけの若者だもの」
アリサリネも言うな。
「このアマ! 生意気な! 新人だからって甘く見るなよ!」
そうか……新人なのか。
「面白いでしょ? 結構組織的なのよ、ここらを仕切っている人達」
「詳しいな」
「この街にもいたことがあるのよ。……あれはここら一体を仕切る盗賊組織の、まだ入り立ての若い人間で、実力的にも大したことのないペーペーね。刃物も出して来ないわ。口だけ。手荒なことは何もされないから安心して」
アリサリネが冷静な口調で言う。ところでその台詞、俺だけじゃなく相手にも聞こえてるけどいいのか?
「て、てめえ! 下手に出ていればつけあがりやがって! おとなしく金を出さないなら……こっちも考えがある! 上長を呼ぶぞ!」
……上長を呼ぶらしい。
確かに冷静に見ると、声を張り上げてはいるが腰が引けていて、もう早く切り上げたくて仕方がないようにも見える。ちょっと哀れさすら感じられた。
「て、てめえら、ちょっとそこで待ってろ! 今上の者を呼んでくっから!」
こっちがほとんど何も言わないうちに横の建物に駆け込んでいってしまった。
「いなくなったな……。通って良いのかな?」
「それもいいんだけど、せっかくだから少し待ってみましょう。次が出てくるかも」
しばらく待つ。裏通りらしく、ゴミがわりと落ちていて、汚い。両脇の建物の窓が割れていたりする。スラム……と言う言葉がこっちの世界にもあるのかはわからない。
「おいおまえら、お待たせしました! やい兄貴! こいつらがその生意気な女と男だ! こっちにいらっしゃいますぜ!」
飛び出てきたさっきの若い男に続いて、声が響いてくる。
「……。敬語を使おうとしたのは褒めてやるが、次は使う相手を間違えないようにな」
……低い声でツッコミを入れながら、体格の大きい男が出てきた。
「おでましね。今度はちょっと違うわよ。本当に街の治安を悪化させているのは、ああいうやつよ」
アリサリネの声のトーンにも少し緊張が滲んできている気がする。
「大丈夫なのか?」
「私たち二人じゃまずかなわないでしょうね」
冷静に言ってる場合か。
「おうお前ら」
今度の男は……でかい。腕力で他人を黙らせるタイプの人間だと一目でわかる。ガルフを思い出した。
「うちの新人が失礼したようだな。まだ研修期間中でな……」
「兄貴! やっちまってくだせえ! こいつら生意気で……」
だがわめき始めた新人に大柄の男はジロリと睨んだ。
「黙れ。……お前うちのミッションステートメントを言ってみろ」
「はっ……! はい! ええと、「弱者を虐げる」です!」
「違う!! 「弱者を従え、騙し、脅し、奪い、虐げ、殺す」だ! 何度言ったら覚える! 復唱!」
「は、はい! 兄貴! えっと、弱者……」
「あと俺のことはチームリーダーと呼べと言っただろうがぁ!!」
ドガァ!!
最終的に新人君が殴られて壁に激突するというハードなどつき漫才に俺は呆気にとられるしかない。
「さて……」
兄貴もといチームリーダーは俺たちを睨みつけた。
「そういうわけだ。我々の企業理念に従い、お前らから金と命を奪わせてもらう」
この期に及んでアリサリネが冷静な口調で言う。
「よく見てタケマサ。こうやって簡単に命を奪うなんて口にする、しかも実行する連中がこの街には堂々とのさばってるのよ。そりゃ暗くもなるわよ。……気圧されちゃダメよタケマサ。今のは私たちをビビらせるためのパフォーマンスだから」
「……気圧されてるんじゃなくて呆れてるんだけど……」
それにしても、このノリはどこかで……。
「ひょっとしてお前ら、ボギー盗賊団?」
「な……っ」
チームリーダーは片目を大きく見開いた後、口元をほころばせた。
「これは驚いたな……。俺たちのことを知っていやがったのか。なら俺たちの恐ろしさは知っているだろう?」
「タケマサ。知ってたの? こいつらのこと」
「前にちょっと、な。たぶんこいつらの組織の……また別の支部かなんかだったんじゃないかな。騙されておびき出されたことがあって」
「無事だったの?」
「いや……ヒドいことになった」
くっくっく、とチームリーダーは顎をなでながら笑う。
「そうだろうそうだろう……」
「そいつらはティルミアに瞬殺された後、蘇生が失敗して全員中身が幼児になった」
「うわ……ヒドい」
アリサリネが口を手でおさえる。
「反省している。あの時は俺もまだ蘇生魔法が未熟で……」
「て、てめぇら!! なめやがって! あの業務上災害は貴様らの仕業か!!! 社内全体に通知されて再発防止策を徹底するよう通達があったんだぞ!!」
「すすすまん。大変申し訳ないことをした」
業務上災害なのか。まあ、こいつらのが業務ならそうかもしれない。
「ええい! お喋りはここまでだ!」
ここまでお喋りをしたおかげですっかり緊張感がなくなってしまったが、チームリーダーは腰のナイフを抜くと俺たちに襲いかかってきた。
「我々の再発防止策「初撃は投げナイフを徹底すること」の効果を思い知れぃ!」
なるほど赤柱陣の対策で遠隔攻撃というわけか。きちんと再発防止策が取られているようだ。……とか感心している場合じゃない。
「きゃっ」
とっさにアリサリネを突き飛ばし、横の水路へ飛び込む。
俺の目算通り、水路は足がつくかどうかくらいの深さで、底にぶつかるようなことはなかった。
「ぶはっ。……アリサ、リネっ。反対へ泳いで岸に上がって逃げろ……!」
「あ、大丈夫ですよータケマサさん。あっしがいますからー」
……。
「え……?」
「ぷはっ……ちょっ……タケマサ! 言ったでしょ! 私たちには護衛がついてるって……!」




