第七章 1/8
それから10日後。
つまり、俺が城に忍び込んで魔導師ミサコを蘇生し、その直後に魔王と再会した日から10日後のことだ。
「あーマイクテステス、……あー、国民諸君! 俺がお前らの新しい王だ!」
国の中心で魔王が叫んだ。
見渡す限りの人の海。王都の民のほぼ全員が、この街の中心、城の前に位置する巨大な広場に集まっていた。野球場ほどはあるだろうか。広すぎて端のほうの人間は豆粒にしか見えないが、拡声効果のある魔法を使っているらしく(マイクではない)、魔王の声はその端までちゃんと聞こえているらしかった。
魔王は集まった国民を見下ろす形で、王城から突き出た3階くらいの高さのステージ(バルコニーと言うのかもしれないが、脇に降りる階段がついていたり柵が無かったり、国民に語りかけるためだけの場所のようでステージと言ったほうがしっくり来る)に立っていた。
あいもかわらず王としての自信には満ち溢れているが、王としての威厳のほうは今ひとつ感じられない我らが魔王。妙に楽しげに国民を見下ろす。
演説する魔王の後ろに控えているのは、蘇生師アリサリネ、参謀役のレジン、殺人鬼ラーシャ……等の魔王の部下たち。そこには、前王の部下だった元近衛兵士長ユリン・ラッカや、「魔導師」(ミサコ)の姿も並んでいる。
そして、俺も。その並びに俺も立っていた。
「あー、王って意味は分かるな? お前たちは俺の支配下にあるということだ。だからもう、俺のことを魔王なんて呼ぶなよ? 王サマもしくはお兄さんと呼ぶんだ」
こいつ何言ってんだという顔で、国中の民が魔王を見ている。俺も見ている。
「いいな? 絶対に魔王なんて、呼ぶなよ?」
「良いから話を進めるのじゃ、魔王サマ」
「……っておい!」
訪れる静寂。
盛大にスベる魔王。
事前に指示されていた通りに台詞を言っただけだが、巻き添えで一緒にスベる形になったミサコが助けてくれという顔でこっちを見るが、無視する。
ステージで国民を前に軽い口調で話すこの男を、民は恐怖と困惑の混じった視線で包んでいる。全ての目と耳が、魔王に向けられている。
その中でこんな盛大なだだすべりを決めたにもかかわらず死なないあたり、さすが魔王としか言い様がない。
「あー、ゴホン。待たせてすまなかったな。この十日間、お前ら国民にちゃんと挨拶もしなかったよな。誰がこの国の王になったのかよくわからなくて困ってただろう。すまんなぁ、どうも長々と喋るのは性に合わなくてなあ。はっはっは」
軽薄な魔王の乾いた笑いが広場に響き、それをくすりともせずにただ不安の眼差しで見る民衆。
笑えないのも当然ではある。国、取られたし。こいつ、魔王だし。
「……ゴホン。あー、というわけで早速だが本題だ。「殺人罪」を定める」
魔王はそう言ってのけた。サラリと、あまりにもサラリと言うので、民衆は全く反応しなかった。
「おっと……反応がないな。聞こえてるかー? 国民のみなさーん。殺人は、禁止になったってことだぞー。いかなる理由があろうと人を殺すことを禁じまーす。この国で人を殺して良いのは、俺だけってことでーす。OK?」
反応は……薄いままだった。何を言っているのかよくわからなかったのだろう。魔王は自分で言っている通り話すのがうまくないようだが、それは自分でも気づいているらしく、舌打ちをした。
「あー、意味、わかんねえかな? えーとな、理由を説明するぞ。お前ら知っての通り、この国は、まあめちゃくちゃ治安が悪いよな。毎日のように誰かしら殺されてるだろ。恨みだったり、盗みのついでだったり、復讐だったり、あるいは単に気に入らないとか、商売の邪魔だとか、ただ肩がぶつかっただけとか、そんな理由でもな。要するにちょっと人が死にすぎなんだよこの街は。この国は。聞いてんのか? お前らのことだぞ、お前らの」
ボリボリと魔王が頭をかく。
「まあよその国だって似たようなもんだがこの国は特に酷い。いいかお前ら。この世界の支配者である俺に無断で好き勝手殺し合ってるなんて、そんなの許される訳あるか? いや、ない。だからそこんとこ、俺がコントロールしてやろうってんだ。いいか? 俺はあらゆる人間を殺せる力を持っている。神がそう設定したからだ。ここ大事だ。つまり俺の殺人だけは神に許された殺人。よってもって、人の生き死にはお前ら自身じゃなく俺が決めるべきなんだよ。わかるな? 俺の許し無く人を殺すな。殺して良いのは俺だけだ。いいな。お前ら国民は全員、国王でありこの世界の支配者であり神の代理人であり気の良いお兄さんでもある俺の所有物だ。人の所有物を勝手に奪うことは窃盗と言って万死に値する。いかなる理由があろうと、お前ら国民同士で命を奪うようなことは禁止だ」
ようやく……群衆の間のざわめきがだんだん大きくなってきた。目の前のふざけた男が何を言ってるのか、伝わってきたということか。戸惑いが八割、というところだが。
「王として、まず言いたいことはシンプルだ。殺すな。それだけだ。お兄さんとの約束だぞ?」
そう言って魔王はクルリと後ろを向いた。
そしてすぐにまた半回転し再び国民の方を向く。
「……ってそれで済むわけあるかーい」
再び盛大にスベるが魔王もスベることに慣れ始めたようだ。
「実際それで済むわけじゃないことくらい、俺はわかっている。お前ら国民がろくでもないバカだということは、よくわかってるんだよ。お前ら、俺がどんなに口酸っぱくしてルールだと言ったところで、ちゃんと守らんだろ」
そして声を低くした。
「いくら言っても、人を……殺すよな。勝手に」
別に演技をしているわけじゃないのだろうが、妙に芝居がかっていて、少し見てて笑いがこみ上げてくる。
「そこでな。魔法の出番だ。魔法を使って、お前ら全員に強制的に殺人を禁ずる。……今日これからここで、この街の人間全てに効果が及ぶ超広域型の制約魔法を発動する。……お前らは今日から絶対に人を殺せなくなる」
今度はすこし民衆の反応があった。ざわめきで広場が揺れる。なんとなく「お前らに魔法をかけるぞ」と魔王が言ったのだということは伝わったらしい。
「では早速だが」
魔王が振り向いた。
やれやれ。
正直恥ずかしいが、一歩前に出る。
「やれ。タケマサ」
……。
そう。俺だ。
俺は、ステージの中央に立った。
すでに、長い呪文の詠唱は済んでいる。術式の構築、展開はほぼ完了している。残るは、発動するためのキーとなる古代語を少々詠唱するだけで完成する。
「いいのじゃな、タケマサ」
ミサコが言った。
……何を、いまさら。嫌ならとっくにやめている。
俺は、これが正しいことだと決めたんだ。
「頼むぞ、タケマサ」
ユリン・ラッカがそう言った。
今も群衆の中には、前王を裏切った近衛兵士長である彼女を険しい目で見る者がたくさんいるだろう。
俺もユリンに騙されて来た身ではある。
だがそれももう、どうでもいい。
ユリンが誰を裏切ろうと、何を考えていようと、そんなことは関係ない。
俺は俺のやるべきことを見つけた。
「タケマサ。ありがとう」
アリサリネが、そう言った。
礼を言う必要なんて無い。これは俺が俺のためにやるからだ。魔王のためでもユリンのためでもミサコのためでもアリサリネのためでもない。
たまたま利害が一致しただけのことだ。
「……やるぜ」
俺は、最後の呪文詠唱を始めるべく、魔王の退いたステージの中央で、顔を上げた。手で印を組む。
群衆の目線が集まる。見返す。
「ラ・ケラム・カル……」
詠唱を開始した、矢先。
「……!!!」
群衆の中に、俺は、見つけた。
なんでいる?
なんでいるんだ!?
群衆に埋もれて、射るような目が俺を捉えていた。
タケマサ、くん
そう、口が動いたような気がした。
だが、それも一瞬。
姿が見えなくなった。俺は見失った。
もう、どんなに視線を巡らしてもあいつを見つけられなかった。
本当にいたのか?
レジンの張った結界は?
いや、来ない訳がない。
だが、なんで、来た?
……いや。
来てくれて良かった。
むしろお前がいなきゃ意味がないのかも知れない。
俺は笑っていた。
「ラグ・カルハト・リブ・ラグラルタス……」
早口で詠唱を終える。
さあ。
「……レキス・トルカ・オン。……「成せ」」
両手を合わせる。手の平が暖かくなる。
誰にも感じられぬ何かが一気に広がり、この街を覆う。
この街にいる全ての人間に、等しく訪れる、異常からの解放。
「殺人罪」の成立。
*
俺は、静かに立ち上がり、元の位置に戻った。
「……成功、したのか。タケマサ」
ミサコがおそるおそる聞く。珍しい。いつも無駄に自信満々の癖に。
「成功、してると思うわ。呪文にミスは無かった」
アリサリネが言う。
「したさ。確実にな。俺にはわかる。もう殺人を犯せる人間はいなくなった」
魔王の声が再び響いた。
「国民諸君! おめでとう。今この瞬間より、お前らはもう人を殺すことはできなくなった。喜べ。殺人の無い世の中だ。嘘だと思うなら誰か試しに殺してみな。どうやってもできない筈だ」
魔王はそう言うが、しかし誰も反応はしなかった。そりゃそうだ。じゃあ試してみよう、なんて思うわけがない。
「実演がないと面白くないな」
魔王は、ひょいといきなりステージを飛び降りた。三階の高さもものともしない。
ドンと着地音がして、下から悲鳴が上がった。いきなり目の前に魔王が降りてきたので軽いパニックが起こったようだ。
「じゃ、そこのおまえ」
ステージから下を覗くと、魔王が、腰を抜かしたらしく地べたで震えている男を指差していた。
「ひっひい……お助け……」
「あんたぁっ。逃げてぇっ!」
少し離れたところから子供を抱えた太った女が叫んだ。どうやら妻と子供らしい。
「そっちはお前の嫁か。じゃあお前、その手で試しに嫁さんを殺してみろ」
「へ……へぇっ!? な、なんですって……私が、妻を……?」
「ああ。子供でも良いぞ。子供を殺してみろ」
「いや、そ、そんな……そのような……無理です」
震え声でそう答えた男に、魔王は大きく頷いた。
「そう。お前にはできない。殺人罪ができたからだ。だが俺には殺せる」
魔王が一瞬消え、再び現れた。すると、その腕の中に赤ん坊が現れた。
「な……っ。あ、ランド!?」
男の妻もその手の中から消えた赤ん坊に慌てている。
魔王は、ふざけた様子でよしよしと赤ん坊を撫でた。
「そうかこの子はランドと言うのか。光栄に思え。お前の息子ランドの命は、殺人罪の説明のために使わせて貰うぞ。良いか? 先ほど発動した魔法の効果で、お前達は誰も殺すことはできない。だからお前も息子を殺すことができなかった。だが王であるこの俺は例外で……」
魔王が子供の足を持って逆さにした。夫婦は泣き叫んだ。
「やめてくだせえ! どうかその子は、その子だけは! 代わりに私の命を使ってくだせえ!」
「まだ言葉も話せない赤ん坊なんです! どうか、どうかご慈悲を……」
「よいしょ。じゃあ串刺しがいいかな」
魔王は、赤ん坊を地面に降ろして、すぐそばに懐から細長いナイフを取り出して置いた。
「……おっといかん、ナイフの鞘を落としてしまったぞ」
カランコロン。石畳の上に鞘が跳ねた。魔王は、夫婦に背を向けてわざとらしく鞘を拾いに行く。
「おや、ナイフの鞘が石の隙間にはまって取れなくなったぞ……。困ったなあ」
魔王は地面にうずくまり、鞘を引き抜こうとするがうまく取れないようだ。うんうん唸っている。
夫婦はそこでようやくハッとしたように顔を見合わせると、妻が慌てて地面に寝かされたままの息子を抱き上げ、夫は地面に落ちたナイフを拾った。
「か……勘弁してくだせええ!」
夫は叫んで、大ぶりにナイフを振りかぶって背を向けている魔王に駆け寄り……。
しかしその足が止まる。魔王まであと三歩もある距離で、一歩も動かなくなる。そしてその顔が恐怖に染まる。動かない自分の足を見つめる。
「ふう……慣れない芝居をするもんじゃないな」
魔王は、ゆっくり立ち上がった。
そして、硬直したままの男の前まで歩き、その手のナイフを取り上げた。
「と、言うわけだ。動けないだろ? そうやって自分の行動を自分で制約しちまう。誰かを殺そうとしても、できないんだよ。相手が家族の敵だろうと、魔王と呼ばれる人間だろうとな」
哀れな男はナイフを取り上げられてもなお、その手を振り上げたまま硬直している。その顔は真っ青だ。
「わ、私は……。な、何も……」
「嘘だね。この俺を殺そうと思ったんだろ? そうしなきゃ子供が殺されると思って」
「ゆ、許してくださ……。ち、違……」
「ああ、いい、いい。許すも何も、お前は俺を殺そうと思っただけで、しようとは「できなかった」んだからな。俺だけじゃない。誰も殺せない。お前らは一人残らず、だ」
「た、助けて……」
男が涙を流し始めた。再び周りの民衆がパニックをおこしかけている。あちこちから上がる悲鳴が大きくなってきた。
「慌てるな、慌てるな。何も起こらん筈だ。俺も仕組みはわからんが、ただ「殺人ができない」ってだけだ。何もペナルティがあるわけじゃない。手が切り落とされたりしないからそう慌てなさんな」
そう。制約魔法は無意識下で自分の行動に制限をかけるだけ。誰かを殺そうとすると自分で自分の行動を抑制してしまうだけだ。
ただ、それでも。目の前で、実際に身体が動かなくなった人間が出た。そのおかげで群衆は自分たちに何か不思議な魔法がかけられたらしいと理解したようだった。
「これが殺人罪、だ。……おい国民ども! ゆっくり理解していくがいい。人を殺すことはもう、許される行為じゃない。異議申し立ては認めない。お前らがしなきゃいけないことは、ただ受け入れることだけだ。人を殺しちゃいけないということをな」
魔王は楽しそうに言った。
ステージの上でその様子を見ている俺達。ミサコが感心した声を出す。
「成功じゃ。本当に成功させるとはな……。タケマサお主、案外凄い人間なのかもしれんぞ」
「本当よね。急成長じゃない」
ミサコもアリサリネも大げさだ。俺は何も成長などしちゃいない。決意をしただけだ。
「さて、そういうわけでこの国の人間で殺人ができる人間は、俺だけだ。というわけで、次はその証拠を見せよう。えーと、お前。お前は家族のためとはいえ、王を殺そうとしたんだから、生きていていい人間とは言えないよな。よって今から俺が殺す」
再び周囲の悲鳴が大きくなった。魔王が腕を振り上げたからだ。涙を流し命乞いをする男と、それにすがりつく妻。
そうだと思っていた。
魔王は、最初からあの夫を殺すつもりだった。彼に何の非もない。ただ不運だった。魔王は最初から、民衆を敵に回すことになろうと、「殺人罪」というルールが生半可なものではないことを示すためにこうするつもりだったのだろう。
「大切なことだから、一度しか言わん。どんなに正当に見える理由があろうと殺人は駄目だし、どんなに理不尽に思えても俺が殺す判断をしたらそれは絶対だ。それをしっかりと理解しろ。……これからこの世界はそういう世界になる」
魔王の演説は、終わった。
あとは、執行のみ。
ざわめきがやがて大きくなり……そしてその波の広がりが少しずつ少しずつ小さくなり、そして収まった。
これから起こるであろう惨劇の前に、訪れる一時の、静寂。
そこに、少女の声が響いた。
「そんな世界、やだよ」
俺にとっては懐かしい声だ。たった十日のことだが、懐かしく聞こえた。
「ひゅう。こいつは驚いた。殺人鬼ガールか。いつ来るかと思っていたが、案外遅かったな」
群衆をかき分けたティルミアは、白いローブで身を覆い、修道女のように見えた。
「うん。結界を破れなくてね。遅くなったの。でも間に合ったみたいで良かったよ」
ティルミアが、こっちを見た。
「タケマサ君は帰して貰うから」
「……おっと。王の部下を勝手に連れて行くのは感心せんな」
「部下? 脅してるだけでしょ?」
「ふっ。本人に聞くが良い」
……。
二人の声はここにいても聞こえてはいたが、俺はステージの脇から階段を降りていった。ティルミア、魔王の前に立つ。
「久しぶりだな、ティルミア」
「タケマサ君、無事?」
「ああ。お前に仕掛けて貰った蛇黒針は役に立った。助かったよ」
「良かった」
「お前一人か?」
「うん。結界を部分的に破って、どうにか私だけ侵入できたのがやっと今日だったの」
「大変だったな」
「そんなことない。……ちょっと待っててね。私、あの魔王殺すから。そしたら帰ろ」
ティルミアはそう言って魔王の方に向き合った。
「そりゃ無理なんだ。ティルミア」
その背に、声をかける。
なあ、ティルミア。俺も最初のうちはどうやって脱出するかを考えてたんだぜ。
でもな。もうそんな必要はないんだ。
「え……何言ってるのタケマサ君」
ティルミア、そんな不安そうな顔するなよ。
「殺せないんだ。お前もさっき、魔法の効果範囲にいたからな。もう、お前は魔王を殺せない。魔王だけじゃない、誰も殺せないんだ」
そんな顔されたら、俺も自信を無くしそうになるだろ。自分がしたことが正しかったのか。
「俺も知らなかったよ。この街にお前が来ているとはな。でも、むしろ良かった。俺は、お前にこそこの「制約魔法」を使いたかったんだからな」
ティルミアは振り向いたまま、必死に俺の言葉を理解しようとして目を何度も瞬いて。
「タケマサ君……。何か、されたの……?」
理解できなかったのだろう。俺は、吹き出した。
「心配するな。何もされてない。脅されてさえいないよ。これは純粋な、俺自身の意思だ。しかも、最初からのな。……ティルミア、前にも言っただろ?」
俺は見つけちまったんだ。俺の道を。
「何……を」
俺は、頷いた。
「俺はお前を倒すことに決めた、ってな」




