第五章 8/8
「お前は……あの時の!?」
俺の言葉に、ぷっとアリサリネは吹き出した。
「やだもう、タケマサってば。本気で気づいてなかったのかぁ。ショックだな。私印象薄いのかな」
「……」
「冗談よ。あんな目深にかぶったフードじゃ顔見えなかったもんね。……そうよ、私があの時の蘇生師でぇす」
「レジンの仲間だったのか」
「というより、レジンが私たちの仲間、かな。私たちのというか、王サマの、ね」
「王様?」
「そ。タケマサたちにとっては魔王でも、私達にとっては王サマなのよ」
ダンを……そう呼んでいるのだ。
「そう呼ばないと怒るのよね。私たちが担ぐ王サマ。性格は最悪だけど、実行力はピカ一」
俺は、油断していた。
この女は、天才蘇生師なのだ。
ほんの数秒の、一瞬にも感じられる短い呪文詠唱。
誰も止めなかったのは、何でもないことのようなその自然な様子に、止めるタイミングを失ってしまったからなのかもしれない。
その腕が、世界を破滅へと導いた。
「そぉーれ」
ふざけた彼女の言葉とともに、むくり、と起きあがる魔王。
「お、っと……。うん? 生き返ったのか。手間をかけさせるな、アリサリネ」
ダンは俺たちに気づく。
「俺は、あれか。今、殺されたのか。えーと、そこの……殺人鬼ガールに」
ティルミアを見てそう言った。
「さすがだなぁ、いや知ってるよ。ティルミアちゃん、だったよな。レジンがいやにご執心だったからな。いやあ実に躊躇いがない。恐ろしいね、殺人鬼ってやつぁ」
「バカ言ってないで。帰るわよ」
アリサリネはそう言った。
魔王はボリボリと頭をかくと、あたりを見渡した。
「あぁ、待て待て。ひぃふぅみぃ……。ん、俺が首を飛ばした連中はちゃんと全員死んでるな。オッケー。じゃ、帰るか」
魔王はよいしょと声を出すと立ち上がり、そしてもはや誰も気にとめていないという様子で、去って行った。
「…………」
いや、戻ってきた。
「いけねいけね、帰っちゃダメなんだよ。殺しとかなきゃだった、忘れてた忘れてた」
俺が反応するより前に、ティルミアは俺たちの前に立つ。
「殺すって、誰をかな?」
だが……。
再び戦闘、とはならなかった。
「王サマ。それはやめて」
「ん? どうしたアリサリネ」
「どうもしないけど、やめといてもらえる? その子たちを殺すのは」
「……お? お、お? なんだおまえ。珍しいな! 他人に興味を持つなんて」
「バカ言ってないで」
「照れるな照れるな。……そこの殺人鬼ガールか? それとも蘇生師くん……タケサマくんのほうか?」
「……」
「おいおい。こういう男が好みか? こりゃ意外だったな……。お前も案外人間らしいところが……」
「あのね。いい加減にしないと次は多少腐敗させてから生き返らせるわよ」
別段照れた様子はないが、うんざりした顔をしていた。そんなアリサリネの様子に、大げさに肩をすくめる魔王。
「おいそりゃ勘弁してくれ。あれは臭いがなかなか取れねえんだよ……。わかったわかった。でもな、このタケマサだったか? 蘇生師だろ? 残しとくと、詐欺師連中も生き返らせちゃうからなぁ」
「それなら心配ないわ。……無理だからよ。彼には首から上がつながってない死体なんて蘇生できないわ」
「そうか。お前がそう言うならそうなんだろうな」
あばよ、とダンはこっちに手を振った。
「命拾いしたなぁ。それじゃあな」
と、いきなり、ダンは消え去った。
さっきまでの漫才のような口調が耳に残る。
「いなくなった……? なんだ? 何が起こった。誰か俺に説明をしてくれ」
「普通に走っていっただけよ、凄く早かったけど」
……。
って、あれ? アリサリネが、まだいる。
「……」
俺の視線に気づいてアリサリネは肩をすくめた。
「ね? 信じられないでしょ? ここで置いていくんだから。敵のまっただ中にねぇ」
「ひとつ……聞きたい。なぜやつを止めてくれた?」
「だって、止めなきゃ確実に殺されるもの」
「……いや、それはそうでもないだろ」
「あら? どうして?」
「ティルミアのほうが強い。お前も見てただろ。ティルミアはあいつにあっさりと勝った。少なくとも単独で襲ってくる限りティルミアの敵じゃない」
俺がそう言うと、アリサリネくすりと笑った。
「あいつを殺せたからと言って、あいつに殺されるのを防げるわけじゃないわ」
「どういうことだ?」
「あの人は、私の攻撃を避けたり防いだりしようとしなかった。できなかったんじゃなくて、しなかったみたいに思う」
そう言ったのはティルミアだった。
「……そういうことよ」
「ど、どういうことだよ。わざと死んだってのか? お前に生き返らせてもらえるのを期待して?」
「あいつが何考えてるかなんて私もわからないわ。ただ、結果が全て。結果があいつの思い通りにならなかったことは、何一つ、無いんだから」
「そうか? 俺に関してはあいつの思い通りにならなかったろ。殺すことも従えることもできなかった」
ぷっとアリサリネは吹き出した。
「確かにそうね」
「……ま、あんたが助けてくれたからだが。なんで助けた?」
まっすぐに見返してきた。そしてはっきりと言う。
「異世界人だから。ううん、異世界人であるがゆえに、私たちの考えに共感してくれると思ったから」
「お前たちの考えって?」
アリサリネは頷く。
「命は大切だってことよ」
「いのちが、たいせつ? そう言ったのか? 俺の聞き違いじゃないよな」
ああ、聞き間違いじゃない。そう言っていた。あの魔王が、自分の口でそう言っていた。心にもないことだったが。
「あの魔王は、そんなこと思ってないぞ? バカを言うな」
「そうね。あの王サマは……確かにそう思ってるかどうかわからないわね。あいつの考えてることは誰にもわからない。でも」
アリサリネは、自分を指差した。
「私たちは、そう思ってるわ」
「ならなぜあのイカれた魔王に付き従ってる?」
「……今にわかるわ」
「俺にはわからんな」
くすり、と笑った。人をバカにしているのか、それともこういう性格なのか。俺はこういうもったいぶる人間が好きじゃない。仲良くはなれそうもないな。
「そうそう、……ひとつ忠告しておいたげる」
「なんだ」
「名を売りたがる蘇生師はいない。本物の蘇生師は、目立ちたがらない。目立とうとする蘇生師なんて、偽物よ」
クルトローのことか。あるいは。
「目立つなということか? それは、魔王の部下としての警告か?」
笑った。まるでいたずらを咎められた女子中学生のような笑みだった。
「ううん、個人的な好意」
……。な。
アリサリネは突然俺に近づいたかと思うと、キスをした。
「じゃ、またね」
*
……。さて……。
俺はカードを取り出す。
「ビルト。俺を今すぐチグサに呼び戻させてくれ」
カードを取り上げられる。
ガシッ。
「それは私から逃げるためかな?」
ティルミアが俺の肩をつかんでいた。
「飲み込みが早くて助かる」
「やだなあ、タケマサ君、私あんなことで怒ったりしないよ?」
ではなぜティルミアの俺の肩を押さえる力がもの凄く強いのだろうか。
「言っておくが俺はアリサリネとはほとんど面識はないぞ」
「じゃあなんでいつの間にか名前知ってたの?」
墓穴というのは意外に簡単に掘れるものであるらしい。
「いやたまたまついさっきこの村で会ったんだ。何者かも全く知らん」
「あの時の……とか言ってたじゃん」
喋るたびに景気よく空いていく墓穴の数々。
「そ、それはさっき気づいたんだよ。ていうかお前も会っただろうが。あのレジンが連れてた蘇生師だよ。それだけだ。何も後ろめたいことなどない」
「じゃあなんで逃げようとしたの?」
もはや墓穴だらけで足の踏み場もなくなってきた。
「ティルミア」
「あのね? タケマサ君、私は何も言ってないよ? 別に私の知らないところで同業の女の子と仲良くしてたとしても。キスしてたとしても。だって私、タケマサ君のこと何とも思ってないもん。まったく……ミレナさんと言い、皆タケマサ君の何がそんなに良いのかな。サッパリわかんない」
「いや、えーとだな……」
「これ見よがしに見せつけちゃったりしてさ、嫌らしい! ……だいたい、……」
いかん。話を聞いてくれないモードになってきた。
……。
ん……見せつけた?
……。
「ふむ」
……なるほど。
「ちょっ……。何落ち着いてんの? どうして慌てて言い返したりとか言い訳したりとか、しないの? 子供扱いしてるの?」
俺は苦笑する。
「いや、言われて気がついた。もしかしたら……アリサリネもミレナと同じかもしれんとな」
「ど、どういう意味!? たた、タケマサ君のカラダ目当てってこと……?」
頭をはたく。
「ミレナの話まるっきり忘れたのかお前は。違うわ」
俺はわざとらしく咳払いをする。
「ミレナの目的は、俺じゃなくてお前だっただろ。お前を怒らせることだった。もしかしたらアリサリネの狙いも、俺個人がどうとかじゃないのかもしれないと思ってな」
「そうなの? なんで?」
「わからん。勘だ。だがそういう可能性もあると、お前が今言ったことを聞いて思い至った」
さっき二人だけでいた時ではなくて、なぜ今ティルミアのいる前でキスをしたのか。ミレナのように単にティルミアを怒らせたい訳でも無いのかもしれないが。
「とか言って……それ、はぐらかしてない? 個人的な好意ってはっきり言ってたよね!? ねぇ、タケマサ君?」
「人の心は……考えてもわからん」
はぐらかしてるわけじゃないが話をそらせるかもと思ったのは事実だ。失敗したけど。
*
結果から言うと。
残念ながら、アリサリネの言うとおりだった。
サムエルとライアン、それにクルトローの三人を生き返らせることは、俺にはできなかった。
首が無い状態からの遺体修復ができなかった。損壊度合いが大きすぎるということなのか、魔法が反応しない。ディレムにもできないのか聞いてみたが、専門外だと言われた。クルトローは死霊魔術は二流でも、死体を修復する(あるいは、「組み立てている」のかもしれないが)魔術は一流だったらしい。
だがティーナだけは、一応、蘇生することができた。結局俺にできる蘇生は、死後経過時間が短く、遺体の状態もいい場合に限られるのだろう。
……。
一応、と言ったのは……。
蘇生に成功はしたものの、俺が精神的に参っていたせいか、ティーナの記憶を完全に戻すことには失敗したからだ。
「私……なぜこんな……大人に?」
ティーナは、前の盗賊団の連中ほど幼くはならなかったが、それでも少女というくらいの年齢に戻ってしまっているらしかった。本人が十五歳だと言うのだから実年齢の半分くらいになってしまったということだろう。
また、これは予想されたことだが、ティーナというのはどうも偽名だったらしく、本人にティーナと言っても違うと言った。当然、悪事を働いていたことなど覚えているわけもなかった。
こうなっては軍に突き出すというのも可哀想だということで困ったのだが、ニックが引き取って育てると言った。頭蓋骨だけになった嫁さんがカチカチと歯を鳴らしているのを「ヨメさんも良いと言ってる」とか言い始めたのはちょっと引いたが。
俺は小声でディレムに聞く。
「いつ切れるんだ? お前の死霊魔術は」
「放っておいてもそう長くは持たないと思うわ……」
ふと、俺は気がついた。
「……ディレム、お前実は凄いレベルの蘇生魔術を使えるってことか?」
「どういう……意味?」
「だって、何年も前に死んだ人間の魂を呼び戻したわけだろ? 魂は蘇生師しか呼び戻せないんじゃなかったのか。あれで肉体さえ復元できてれば、完璧な蘇生術じゃないか」
「……ああ……違うわ……」
ディレムはゆっくりと首を振った。
「魂は……そう簡単に呼び戻せない……。蘇生師じゃない私には……死者の魂を呼び戻すなんて不可能よ……」
「じゃあ、どういうことなんだ」
ディレムは、ニックが抱えている頭蓋骨を見る。
「あれは……。ニックさんの記憶の中の奥さんよ……彼のイメージを植え付けた妖精を入れただけ……」
「……何……だって?」
「それは……ニックさんのイメージ通りになる筈よ……。クルトローの作り出したゾンビ軍団をけちらすには、強固なイメージが必要だったから……ニックさんの奥さんのイメージを利用させてもらったのよ……」
……ニックは、大切そうに奥さんの骨をかきあつめて袋にしまった。
「おまえ、しばらくの間狭いが我慢するんだぞ」
ニックは大きく手を振って去っていった。
その後を遠慮がちにティーナがついていく。
ティーナが振り返った。
「では皆さん、お元気で」
「あ、ああ……元気でな」
「タルネ村にお客様なんて珍しいので……嬉しかったです。みんな、やっぱり本当に……死んでしまったんですよね」
「え?」
少女は、微笑んだ。
「また来てくださいね、タルネ村へ」
鈴のなるような声で、そう言った。
「……え?」
「今の……?」
俺は、自分の手が震えているのに、気づく。
「ダメ、タケマサくん。考えちゃ」
「あれは……誰……だ?」
「ダメ」
「最初に会った……少女じゃないのか? そうか、あの時見たのは、「幽霊」か。じゃあ」
「ダメ!」
魂が、……違う?
別の人間?
元のティーナという女は?
生き返ったのは誰だ?
死んだのは誰だ?
「俺のしたことは……?」
ティルミアが、俺の肩を掴んだ。
「タケマサくんは、一人の人間を蘇生した。それだけだよ、事実は」
「一人の人間を」
「そう。それだけ」
「ああ」
俺は、苦笑した。
「わかった。ありがとうな」
ティルミアが、人を元気づけようとしているなんてな。
*
麓にたどり着いて、エイに乗った俺たちは、メイリや皆に村であったことを話した。
「魔王に……会った、だと?」
メイリは、見たこともない表情をしていた。
「ああ。イカれたやつだった。魔王というほど強いとは思わなかったけどな。ティルミアにやられてたし」
ティルミアが違うよ、と言った。
「あれは、全然本気じゃなかった」
「……そうか?」
「私の攻撃を避けられたけど避けなかったんだってば」
「でもなあ……それで死んだんだぞ? 死ぬか普通」
「死んでもいいと思ってたんだと思う。なんでかなんて知らないよ」
ティルミアは、だけど、と言った。
「あの人、強いと思う」
「……」
俺たちを乗せたエイは、来た時の道を少し戻って、あの恐ろしい竜の縄張りの境界線くらいのところに来た。
ここからさらに南へ向かってから東へ向かう、とのことだった。
地形がおかしい、と、最初に思ったのはそれだった。
「丘……?」
来た時は平坦な地形だった筈だ。こんなところに丘は無かった筈だと、そう思いながらその丘を眺めていて。
バカな。
違う。
見間違えたのは、死体だった。
ドラゴンの、巨体が、横たわっているのだ。
その何車線も通れるほど太い首が……裂かれている。とんでもない量の血と肉が広範囲にまき散らされ、まだ吹き出している。そう時間が経っていない。
「…………な…………なんだ、これは」
あの「恐竜」が、殺されている……?
メイリが、ひきつった声で言った。
「タケマサ。これが……私達が魔王と呼んでいる存在だ」
……。
「やっぱりラスボスじゃねえか」
全くこれだから……異世界は。




