第五章 1/8
「気をつけろ、落ちるなよ! 食われるぞ!」
巨大な、顎。
並ぶ歯は一本一本が巨木と見間違うほど。
上顎と下顎の間は、ゆうに五、六階建てのビルの高さ程もある。
「縮尺おかしいだろ……」
遠近感が狂うとしか言いようがない。
「どう、感動したぁ? タケマー、これが異世界だぜーい!」
なぜチグサが得意げな顔をしているのかわからなかったが、俺は素直に頷いた。
「感動を通り越して恐怖……を通り越して、感動したよ。こんな巨大な生物は日本には、いや地球上には存在しなかった」
体長、数百メートルか。動かなければ丘だと思う大きさだ。
「これって恐竜ってやつか?」
「きょうりゅう?」
「ああ。地球に大昔いたと言われている、巨大なは虫類だよ。恐ろしい竜と書いて恐竜」
「恐ろしい竜。じゃあそうかも。こっちでは単にドラゴンって呼ぶけどね」
「まあ確かに恐ろしいかどうかは主観だしな」
地球にいた恐竜よりもこいつのほうが明らかに大きいし、恐い。
「こっちのはまだ生きてるんだな。地球の恐竜は隕石で絶滅したんだが」
「うそ! 隕石魔法で滅ぼしたの? 狼だけじゃなくて恐竜も絶滅させるなんてタケマサくんの世界の人間って凄い力を持ってるよね」
そう後ろから言ったのはティルミアだった。戦闘から離脱して俺たち非戦闘員組の近くにやってきたらしい。
俺はあわてて否定する。
「違う違う。日本狼の絶滅は確かに人間のせいかもわからんが、恐竜は自然災害によってだ。俺ら人間が地球上に現れるより遙か昔に絶滅してたんだよ」
「そうなんだ? なんでわかるのそんなこと?」
「骨が残ってたんだよ。地面の下に」
なお一応言っておくと。
のどかに喋っているが、俺たちの乗った「馬車」の背後から大口を開けたドラゴンは迫っている。
事務所の戦闘メンバーは専ら、入れ替わり立ち替わりドラゴンと交戦中である。十人以上で弓やら何やらの遠隔武器攻撃や、攻撃魔法を浴びせたりして動きを牽制しながら距離を保っている。
どうもこの事務所、平均的な戦闘能力がやたら高いらしい。俺からするとティルミアは既に人間の域を大きく越えているように思われたが、こちらの世界ではそんなに人外というわけでもないらしいと思ったほど、同じくらい人間離れしたやつが何人もいた。誰かが言っていた通りだ。
追ってくるドラゴンとの距離を保つことにはかろうじて成功しているものの、攻撃が効いているようにも見えなかった。
「なぁ大丈夫なのか? ちっともダメージ無いみたいだぞ。倒せるのか」
「倒す!? 倒さなくていいんだよ。こんな大きさのドラゴンを倒すのはさすがに無理だしね。驚かせて怯ませればそれでいいの。大丈夫! ドラゴンも本気で私達を食べようとしてる訳じゃないよ。縄張りに飛び込んで来たから驚いて追い出そうとしてるだけ。威嚇威嚇。もっとも、うっかり落ちると本当に食べられちゃうから……気をつけてね!」
そう言うやティルミアは再び戦列に加わった。その手に生み出した直径一メートルはある大きな黒い球体を、ドラゴンに投げつけた。
「重牙弾!」
……絶対そんな読み方じゃなさそうだ。それがドラゴンに衝突した瞬間の破壊音からすると、だいぶ重そうだ。鉄球か。
いったいどこからそんなものを出したのかと思うがもういちいち驚かない。魔法だ。あのワイヤーと同じだ。何も無い空中から物体を出現させるとは、質量保存則はどうなっているのか。
名前のふざけ度合いに反して効果はあったらしく、ドラゴンは嫌がるようにのけぞった。大きく後退する。
「でかしたティルミア!」
誰かが叫ぶ。
「だがやばいぞ! 少し怒らせた。炎をはいてくるぞ」
「任せろ!」
また別の誰かが空中に飛び上がった。逆光で見えないが、爽やかなイケメンボイスが響いた。
「反撃の風よ!」
グォアアッと竜の雄叫びが聞こえ、顎が外れているのではと思うほど開かれた竜の喉の奥から赤い光が発射された。炎だ。広がりながら馬車へと迫ってくる。
だが同時に巻き起こされた「風」。透明な筈の大気を巻き上げているのがなぜか見える。大気が螺旋を描き竜が発した炎とぶつかり、押し返した。熱を避けるようにドラゴンが天を仰いだ。
「ひゃっほぅ! さすがラインゲール!」
ひゅるるるると風を切る音を立てて降りてきた。着地寸前で勢いを殺すとふわりと彼は馬車に立った。
「ふう。ドラゴンは案外慎重な生き物だからね。もう少しで縄張りを抜ける頃だし、これだけやれば追っては来ないよ」
「スゴいっすねぇ、ラインゲールは」
「いやいや。功労者はティルミアさんだよ」
こないだ焼肉を食べていた連中にはいなかった、爽やかなイケメンだ。こういう男もこの事務所にはいるのか。……メイリには失礼だが意外に思った。
*
あれから、一ヶ月が経っていた。教会でレジンとその部下に襲撃されてチグサの召還魔法でピンチを逃れたのがもう一月前だ。とは信じがたい。
あの後メイリの言葉通り、事務所の他の連中と合流して国境を越えた。国境と言っても特に壁か何かあるわけではない。広がる草原のどこかにあるのだろう見えない国境。税関もなくパスポートも要求されずに、俺たちは「隣国」に入った、らしかった。
メイリ曰く、この隣国に事務所の「アジト」があるということだが、残念ながらそう近いわけではないらしく、移動には「馬車」が必要だから少し待てと言った。少しというわりには実に三週間もの間、街道から離れた洞窟に潜伏していた。なかなか来ないその「馬車」を待ちくたびれ、出発を促す俺にメイリは、人の足で二ヶ月かかるほどの距離のところを馬車なら三日とかからないんだぞ、と言った。
どんな馬車だよ空でも飛ぶのかと俺はツッコんだわけだが、結果から言うと、その通りだった。
やって来た「馬車」は、空を飛んでいた。
いや、「馬車」……そう呼んでいいのかは正直かなり疑問である。
と言うのも、車ではなかった。ただの板だった。
そして、引いているのは馬ではなかった。
エイだった。エイが大きな板をその背に乗せていたのだ。
いや、わかっている。エイは魚類であって、魚類は水生生物だ。海も湖もないこの陸上にエイがふよふよ浮いているのは、さすがに異世界とはいえやりすぎじゃないかなと思った。
というか、果たしてこれはエイなのか。
そもそも、デカい。その背に事務所メンバーが全員乗れるほどで、二十畳はありそうだ。
しかも、速い。のっぺりした見た目に反してエイが空中を泳ぐように進むその推進力はすさまじく、十数人の人間がその背に乗っているにも関わらずそのスピードは特急くらいは出ていると思われた。振り落とされたら死ぬレベルだが柵も手すりも無いのは恐すぎる。幸い背鰭がありそこに板に開けられた穴をはめてあるので、その背鰭を必死に掴んで俺は命をつないでいた。他の連中は平気な顔で立ち上がったりするから本当頭おかしい。あいつらの足の裏には吸盤でもついてるのか。
ともあれ、動物の力を借りて移動する手段全般を慣用的に「馬車」と言うんだとメイリは言っており(言い張っており、かもしれない)、皆特に違和感なく馬車呼ばわりしていた。
そして。
ザ・異世界その2は、さっきの巨大ドラゴンである。
エイでの高速移動でだいぶ旅が楽になるかと思った俺に、ドラゴンが出るから注意しろとメイリやティルミアが言ったので、なんだよドラゴンってと思っていた。
そしたら本当に、まんま、ドラゴンだった。
見た目は西洋風のドラゴン、要するにトカゲがもの凄く大きくなった生き物で、緑の鱗びっしりの肌に黒い角。ただ大きさがおかしい。神様がサイズ設定する時にうっかり桁を二つくらい間違えたのではないかと思う。
「異世界って、やっぱ世界が違うな」
アホみたいな感想が口をついて出る俺。
「……タケマサさんのいた世界にはいなかったんですか? ああした大きな生き物は」
ミレナの問いに俺は苦笑するしかない。
「現存する生き物ではいなかったな。俺のいた地球上で最も大きな生き物は鯨と言う海の生き物だが比較にならない。というかそもそもあんな巨体を地上で支えられるなんてこと自体驚きだ」
「そいつもまあ、「魔法」だな」
メイリがそう言った。
「やつらは精霊の力を使って自重を支えている。人間の百万倍は体重があるんだ。魔法なしではとても支えられない。動くこともできない。ましてやあの巨体にも関わらず、あんな素早く動くなんてな」
さらっと言ってくれるものだ。
「マジか? 魔物も使っちゃうのか、魔法」
今度はさっきのイケメン風魔法使いラインゲールが言った。
「僕ら人間のやり方とは違うけどね。呪文も印もなしにどうやっているのか正直よくわからない。それでも、自重を支えるだけじゃない。飛行だとか筋力増強だとか、火炎魔法の初歩くらい使ったりするやつもいる。第一、ああも巨体だと筋力増強だけでも十分に脅威だ」
「でもライセンスは? 動物はライセンスなんか持たないだろ?」
そこが謎だよね、と笑った。
「ライセンスじゃない何か別の、効率的に精霊の力を借りる仕組みがあるのかもしれないけど、謎だよ」
笑ってる場合か。まったく、勘弁してほしいものだ。
「それにしてもティルミアさん、やるなあ。戦闘能力ならこの事務所随一かもしれないよ」
「ラインゲールさん、それは言い過ぎです。この事務所の人たち、実力見せてない人いっぱいいますよね」
「ま、そうだけどさ」
「ホントだぜ。タレント事務所ってより傭兵事務所じゃないのか」
俺の問いにメイリが首を傾げた。
「私の理解では傭兵もタレントの一種だがな。確かに戦闘面でなかなか腕が立つ者も多いが、それは結果だ。旅をすることが多いんで、どうしてもな。さっきのドラゴンみたいな危険な魔物にもよく出くわす」
それは何か。強くならなければ生き残れないぞとでも言いたいのか。悪いがすぐ死ぬ自信があるぞ最弱の異世界人タケマサとしては。
「ボス! 見えなくなりましたぁ!」
双眼鏡らしきものを手に後方に目を凝らしていたチグサがそう叫んだ。やれやれ。ようやくドラゴンの脅威が去ったらしい。
「よし。そろそろ馬車も休ませてやろう。もうじき、タケマサ君の寄り道先も近づく頃だ」
「おう」
俺は頷いた。
「うん、私も行くよ!」
ティルミアも元気よく手を挙げた。
「そうだ、これを渡しておこう」
メイリが名刺くらいの大きさのカードを俺に渡してきた。
「なんだそれ」
「うむ。万一のことがあった時の緊急脱出用だ。このカードの表側を口に近づけて呼びかけろ。ビルトと話せる。チグサに連絡して、召喚魔法で呼び戻してもらうのに使え」
「ほう? 試していいか?」
俺はカードに口を当てて話しかける。
「おーい」
「むっ……今話しかけたのはタケマサどのであるな?」
カードからそう声が聞こえ、エイの端っこのほうにいたビルトがこっちに来た。
「おう」
「その様子ではビルト・カードを試しに使ってみたのであるな? 説明しよう! これは私の遠隔通信魔法を封じた呼び出し札である!」
「お、おう」
渋いバリトンの声が目の前で聞こえるとどうも話しづらい。ビルトと、その手に持つもう一つのカードからやはり声が聴こえる。ステレオみたいでちょっと気持ち悪い。
「馬車に帰りたい時に使うである。ただ無闇に使うのは控えるである。魔力は無尽蔵ではないゆえ、いざという時に使えなくては困るゆえ」
「……そ、そうだな。わかった」
いざとなればこれでビルト達と通信できるというわけか。
「……あ、チグサどの、ダメである」
うげ。酔っぱらいが寄ってきた。
「やほー! タケマー! ティルミー!」
ビルトの手に持ったカードを奪い取ってバカが叫んだ。俺は顔面に叫び声を浴びて思わずのけぞる。
「うるさっ……あんた飲んでるな」
「あったりまえじゃん。こんな何もないとこで置いてきぼりくらうんだから、飲むしかないよ」
置いてきぼりをくらう前から飲んでる奴が言うと説得力が無い。
横からティルミアが俺のカードを取った。
「じゃついてくる? チグサちゃん」
「んーん、ティルミーに任せるー。面倒くさいし」
「そう言うと思ったよう」
この一ヶ月でチグサとティルミアはさらに仲良くなったようだった。
「残り時間がもったいないから切るである」
ビルトは、ティルミアの持っているカードの裏側をトントンと叩いた。それが「切る」時の操作らしい。
「言い忘れたが、このカードを使う時、口を付ける必要はないである。声が近くてうるさくなるである。口を少し放しても十分である」
「なんだそうなのか。早く言えよ」
「……あ……!」
ティルミアが顔を赤くした。
「なんだ。間接キスか?」
「ばっ。えっ!? やっ」
これ見よがしにカードを拭う俺。
「確かに不衛生だからな。間接キスは」
「ふっ……不衛生!? ふえーせーってどういう意味!?」
「汚い、という意味だ」
「言うにことかいて人との間接キスを汚いって失礼じゃない!? 私女の子なんだよ? それとも私が殺人鬼だから汚いって言うの!?」
「いや俺が歯を磨いてないからだ」
「汚い!」
「……嘘だよ。お前こそ、人との間接キスを汚いって失礼じゃないのか」
「バカ! 無神経! タケマサくんの壊滅的無神経! 無神経の塊!」
「無の塊って凄い矛盾した言葉だな。あるのかないのか」
チグサが呆れたように俺たちを見ている。
「仲いいねー、ほんと」
「よく会話しているからと言って仲良しだと断じるのは観察力不足だな。言っておくが、俺は一般論を言ったまでだ。口というのは雑菌が多い。経口感染する病気もある」
「その理屈で言ったら間接じゃなくて直接だって不衛生じゃん……。よしよし、タケマサくんは本当に神経が無いねぇ」
「うん。タケマサくん神経無しなの」
チグサがティルミアの頭を撫でていた。
「新しい言葉を作るなよ。酔っ払いと殺人鬼に言われたくないしな」
俺はチグサに向き直る。
「ところで大丈夫なのか。チグサ、飲み過ぎてていざという時に役に立たない、なんてことはないよな」
「バカにしないでよね。この召喚士チグサ、どんなに飲んでいても召喚ができなかったことはないんだから。たまに余計なものまで一緒に召喚することはあってもね」
「余計なものって何だ」
「敵とか魔物とか。あと全然関係ない通行人とか」
「ダメじゃないか」
「ダメとは限らないよ。この事務所のメンバーの中にも、結果そのまま仲間になったメンバーもいるし」
「そんなんでいいのか」
俺はメイリを見る。
「過ぎたるは及ばざるよりもはるかにマシ。それがこの事務所のモットーだ」
「モットーは生きるために死ぬこととかじゃなかったっけか」
「それは先月分だ」
「月替り制だったのか……」
一向に話が進まないので俺は会話を打ち切った。
*
「じゃあ案内頼む、サムエルさん」
「ああ、任せな。俺らも道中警護してもらえるなら助かるしな」
サムエルとニック。
俺たち非戦闘員組に混じって座っていたこの二人は旅人で、事務所のメンバーではない。
俺とティルミアは彼らに同行して、事務所のアジトに行く前に、とある村へ寄り道をしようとしていた。
その村の名は、タルネ村。
サムエルとニックは、そこに行く旅路の途中だった。二人の話を聞いて俺はどうしてもその村に寄りたくなった。
その村には、伝説の蘇生師がいるらしい。
蘇生させたのは、一人や二人ではない。「村」をまるごと蘇生してみせたと言うのだ。




