第四章 6/8
「記憶が無い?」
「ええ。と言っても、部分的にですが」
ホワイトミントは立ち上がった。そして壁に近づく。
俺は椅子に座った。
「記憶が無いって、どんな風に」
「一週間前くらいに、この街に来る途中で獣人系の魔物に襲われて頭部に酷くダメージを負ったらしいです。回復屋で傷は治せたのですが、記憶を司る部位にダメージを負ってしまったとか。リブラの話ではもう少し逃げるのが遅れたら私は死んでいたそうですから、そうしたらタケマサさんにお世話になっていたかもしれません」
「そりゃ……大変な目にあってるな」
「よくあることです。外を旅することはそうした危険と隣り合わせであることは重々承知しています」
やっぱ異世界怖いな。
「と言っても記憶を失ったのは初めてで、少し困りました。自分の名前も思い出せず、なぜこの街に来たのかも覚えていない有様でした。もちろん言葉は忘れているわけではなく、日常の基本的な生活はできますが、あとは一緒にいたリブラが探偵であることと、私がその助手であることくらいしか覚えていませんでした」
「そんな大変な目にあっているのにずいぶん平気そうに見えるがな」
「それだけわかれば十分です」
慰めなどいらないというように、ホワイトミントはぴしゃりと言った。椅子を持ってきて壁際に置き、それに乗って天井を調べている。
「私は自分がこれまでもこうして事件のたびに捜査を繰り返してきたということをよく知っています。記憶はなくても、身体がその習慣を覚えているんです。私に取って、重要なのはそれだけで……ですから」
ホワイトミントは振り返らずに、言った。
「ここで殺人事件が起きてくれて良かったです」
「お……おい……さすがにそれは」
「人が死んだことが良かったと言っているわけではないです。ただ、捜査すべき事件が起こったことは、記憶が無い私にとっては自分のそれまでの人生を手繰り寄せる絶好の機会だということです」
俺は複雑な気分だった。
この世界、人が死ぬことに対して鈍感な奴が多いのか。いや、違うのか。鈍感なんじゃない。ただ、捉え方が……俺の常識を超えている、というだけか。
「……いいじゃないですか、こうして私の働きによって事件の捜査は進展したんですから。犯人が少なくとも殺人鬼ライセンスを持っているということは突き止められました」
「それ、あんたが助言したのか?」
ホワイトミントは得意げな顔をするでもなく、頷いた。
「それが助手の務めです。リブラの受け売りですが、探偵には助手が付き物です。単なるお手伝いの枠を超えて、時には探偵に代わり証拠を集めたり謎解きのヒントを与えたりして探偵の推理を助ける。一流の探偵活動には、助手の存在は無くてはならないものです」
へー、と俺は間抜けな相槌を打ってしまった。
「……馬鹿にしてますか? 私は重要な役目だと思っています。探偵自身が見落としているような情報を私が気付いて口にしたり、探偵の推理の組み立ての矛盾を指摘したり」
「あ、いや馬鹿にしてる訳じゃない。俺の世界にいる探偵というと事件の捜査より浮気調査とかが主だからな。面白いと思って」
確かに、推理小説では助手役がそうやって探偵を助けることがよくあるが。
「浮気も事件でしょう。当事者にとっては」
違いない、と頷く。
「笑って悪かった。あんたは助手という立場に誇りを持ってるんだな。確かに、助手は付き物だよな。俺が小説で読んだことのある小説の名探偵ってのには必ず助手がいたしな。ホームズにはヘイスティングスが、ミス・マープルにはルブランが、金田一耕助には小林少年が」
「組み合わせがめちゃくちゃじゃないですか」
え?
「……わかるのか」
「え?」
「いや、驚いたんだよ。いや確かに今のは適当なんだが……俺がいた世界の小説の知識までこっちの世界に伝わってるのかって。あんた詳しいのか」
「……」
ピンクの髪をかきあげて頭を押さえながらホワイトミントはじっと俺を見た。
「私の記憶が失われている以上、その質問に答えるのは不可能です。知っていたから知っていただけです」
「ま、そりゃそうか」
ホワイトミントは、再び顔を背けた。俺には目もくれず、部屋中を調べている。
「あんた……そうやって床を調べたりするんだったら、その格好やめた方がいいぞ」
「なぜでしょう」
「下着が見える」
「何か問題でも?」
「あんたがいいなら構わんがな……ただ随分変わったセンスだなとは思うよ」
ちょっと黙った。
「記憶が無いので、なぜこの服を着ているのかは自分でもわかりませんので」
少しムッとしたようだった。慌ててフォローする。
「すまん。似合ってない訳じゃないぞ」
そもそも俺も人のセンスにどうこう言えるほどセンスがあるわけじゃない。
黙々と部屋中を調べるホワイトミント。
そのうち、調査が終わったのか、パンパンと手を叩いて部屋を出て行こうとした。
「捜査は終わりか。何かわかったのか」
「少し気になることができましたので失礼します」
「なんだ? 気になることって」
「なぜ、あなたに話す必要が?」
「いや、別に無いが……」
「ですよね。それでは、失礼します」
……なんか置いてかれた感じで、会話は終了した。
やれやれ、と俺は気疲れしていた。探偵の方とは仲良くなりたいとも思わないが、助手の方とも仲良くなれそうにもない。向こうにその気はなさそうだ。
入れ違いに、ミレナが入って来た。
「今……、あの助手さんと話をされてました?」
「ああ、打ち解けることはできなかったがな」
「あの助手の方……何のライセンスをお持ちなのでしょうね」
「……え? ライセンス?」
「ええ。リブラさんは「探偵」職だという話でしたけど、ホワイトミントさん……でしたっけ、あの方。あの方は何のライセンスをお持ちなのでしょう」
「探偵助手……ってライセンスは無いのか?」
ミレナは首を傾げた。
「どうでしょう。私は最近のライセンス体系には疎いので……探偵というライセンスがあるのも知りませんでしたし」
「だよな……。ま、今度聞いてみるか。もっとも記憶喪失だって話だから……覚えてないかもしれないけど」
「……え、記憶喪失なのですか? ホワイトミントさんが?」
「ああ。リブラの助手だってことしか覚えてないんだってさ。本人はそれで困ってないみたいだけど」
「そうなんですか……」
「記憶喪失だとライセンス持ってても意味ないよな。魔法とか忘れちゃってるもんな……」
ミレナは首を傾げた。
「それは……そうとも限らないと思いますよ。魔法や技の類は身体が覚えていると言いますか……ある程度習熟したものは記憶喪失であっても失われないものです」
「そうなのか? 俺は記憶喪失に詳しくないからわからんのだが」
「記憶喪失と言っても蘇生時に記憶が巻き戻るのとは違い、思い出せなくなっているだけですから。私は……その、少し詳しいんです。その……自分の記憶を消そうとしたことが何度かありますので」
「……そうか……」
「結局、そう都合よく特定の記憶だけ消すようなことはうまくいかなくて、断念したんですけどね」
ぺろっとミレナは舌を出した。
「話を戻しますけど、だからホワイトミントさん、記憶が無くなっていても魔法は使える筈です。ほら、扉に仕掛けられていた感知魔法だって、ホワイトミントさんが仕掛けたものでしょう」
「……なるほど、確かに」
*
結局、何もできないままに夜になってしまった。
あのあと、俺も食堂のあたりを調べてみた。助手の見つけたものが気になったのだが、わからなかった。壁に開いたワイヤー魔法によるものらしき穴と、床に少し跡が残ってしまったチグサの血。それだけだった。
一応密室殺人ということになるのかもしれないが、魔法がある世界なので、俺の知らないどんな不思議な手段がないとも限らない。壁も薄いし、ボロい。ワイヤー魔法の跡があるあたりは板壁なのだが、よく見るとひびが入ってたり隙間があったりする。外にいる人間の姿が見えるくらいだ。壁抜け魔法は無理でも、例えばこの小さい隙間から体を通り抜けられるような小人になる魔法とかあったりしないのだろうか。
軍に連れて行かれたティルミアには、会えなかった。兵士殺しの容疑で取り調べをされているということで、牢番は明日来れば会わせることができるかもしれないと言っていたので引き下がった。サフィーのところに行ったのはそのついでだ。
俺は、考えていた。
ティルミアはチグサを殺したのだろうか。
皆の前でも言ったが、何となく違う気がした。チグサは確かに酔っ払いではあるが、話の通じない酔っ払いではない……ような気がする。いや、通じないところは通じないのだが、話を聞かないという感じではないような。
酷く薄弱な根拠かもしれないが、動機に違和感がある気がしたのだ。
他にも違和感があった。殺害方法だ。ティルミアが目の前に座っているチグサを殺そうとして、わざわざあのワイヤー魔法を使うだろうか。ガルフの時は直接心臓をえぐった。あのお婆さんの時は死の呪文……。手っ取り早い方法を使っているだけに思える。ティルミアは多分、殺したとしてもそれを弁明する気も隠す気も無い。だから返り血を浴びないことも考えない気がした。あの魔法を使うのは遠くにいる相手だけじゃないのかと思った。
「とはいえ、本人が反論しようとしてないからな……」
自分が殺したかもしれないとティルミア自身が言ってるようだと俺がいくら弁明しても独り相撲だ。酒のせいで記憶が無い、か……。厄介だ。
「記憶か……」
今回は記憶が無いのが厄介だ。ティルミアにしろ、チグサにしろ。肝心な場面を覚えていない。
後者は俺の蘇生のせいかもしれないが……。いや、飲んでたせいで結局は覚えてないかもしれないのだが。
「犯人は殺人鬼なのは間違いない、か……」
そこが崩せないと、ティルミア以外に容疑者がいなくなってしまう。
いや……。本当にそうか?
俺とティルミアが加入した時点で、事務所のメンバーの中で殺人鬼ライセンスを持っていたのはティルミアだけだとあの毛むくじゃらは言った。しかし……ここ数日で、急遽取得した人間がいたらどうだ?
これまで聞いていた話だと殺人鬼のライセンスを取るのは物凄く難しいらしいから、数日で取ったというのはかなり無理がある気もするが……。
……。
「待てよ……」
*
廊下に出る。
暗い。そりゃそうだ。電気もないこの世界では、夜は暗いのだ。ライティングの魔法も使えない俺には、月明かりでもない限りは真っ暗な闇だ。
「隣の、隣だったな」
こんな夜中に女性の部屋を訪ねるというのはなかなか失礼にあたる気もするが、探偵が一緒にいない時に訪ねた方がいい気がした。
廊下を歩く。足音がしないように気をつけながら。そして、二つ隣……ホワイトミントの部屋へとたどり着いた。
意を決して、ドアをノックしようとした時。
「……うちの助手に何か用かね」
「のぉおわあ!」
「……声が大きいな」
声がしたのは、俺の後ろからだった。そりゃ叫びもする。声をかけてきたのは、探偵リブラだった。
「いや……ちょっと聞きたいことがあってな」
「こんな夜中にか」
言い訳のしようもない。
「緊急で聞きたかったんだ」
ふう、と探偵はため息をついた。
「いいだろう。入りたまえ」
「いいのか」
「夜這いしに来たんだとしても吾輩が一緒ならそうもいかんだろう」
俺はホワイトミントの部屋のドアを開けた。
「ほら、明かりだ。簡易ランプ」
リブラはそう言うと手に持っていた明かりを俺に手渡した。取ってのついた水晶のようなもので、俺が受け取って横のスイッチを押すとぼんやり光り始めた。
「す、すまん」
「なあに、そう高い魔法具じゃない。ライティングの魔法の代わりだ」
光が室内を照らし出す。
「あれ……いないぞ」
「いない? ホワイトミントくんが?」
「ああ」
部屋はもぬけの殻だ。
「出かけたのか?」
俺はリブラに尋ねる。
「いや、そんな筈はないが……」
リブラは首をひねる。
「とすると……トイレか食堂か……。食堂を見て来てくれ。吾輩はもう一個簡易ランプを取って来てからトイレを見てくる」
「わかった。じゃ俺は食堂へ行く」
と言っても食堂は廊下へ出て左へ数メートル行けばすぐだ。
すぐたどり着いた。
ぼんやりとした明かりを向ける。食堂が薄暗く照らし出される。
「……タケマサくん」
「ティ……!」
なぜ。
なぜここにティルミアがいるんだ。牢屋にいる筈じゃなかったのか!?
なぜ。
なぜティルミアの手が……血に濡れているんだ!?
なぜ。
なぜ床に……ホワイトミントが倒れているんだ!?
「蘇生、お願い。彼女、死んじゃったけどまだ時間は経ってない。間に合う筈」
全く事態についていっていない俺の思考が、かろうじて彼女の言葉を拾う。
「おい、お前……」
お前、何を言っているんだ。
だが俺の口から出たのは別の言葉だった。
「お前は、大丈夫なのか」
ティルミアの肩から血が出ていた。
「あ、これ? 大丈夫。でも流石に殺人鬼同士の戦いは無傷とはいかないね」
……殺人鬼、同士。
笑った。
待て。
そう、俺が口に出すより前に。
開いている扉をくぐり。ティルミアは外に出て行った。
「……嘘、だろおい」
床に倒れているのは……ホワイトミント。仰向けで、白い服の胸に咲いた真っ赤な薔薇。




