第四章 3/8
「おい! ……チグサ!! くそっ。……なんで……」
チグサを揺さぶろうとして躊躇した。
そんなことをしても無駄だと悟っていた。思考が追いつくまでもなく、俺はここ数週間これまでの人生で考えられなかったほどのペースで人の「死」を見てしまった。
喉の傷は明らかに深く、背筋側に貫通しているようだった。死んでいるのは明白だ。
「どうしたの?」
頭を押さえながらティルミアが立ち上がる。俺の顔を見て、何か起きたのを察したらしく、頭を振ってからこっちに近づいてくる。
「死んでる……死んでるんだ」
「え、本当に?」
俺ごしに喉の傷を確認したティルミアは、目を見開いた。
「本当だ……。血が止まりかけてるね」
「血?」
「うん。少し時間が経ってる。……けど殺されたの、私が寝ちゃってた間だ。信じられない。私、気配で起きなかったんだ」
確かに……。寝てる最中さえ殺気で目を覚ます筈のティルミアが起きなかった。
「酒のせいか?」
「うん。……不覚……。とにかく……誰がやったんだろ」
ティルミアの言葉に、ドキリとする。
そうか。当たり前じゃないか。これは人がやったんだ。
つまりこれは、殺人。
俺の背筋が今更のように鳥肌を立てる。
「第八の被害者。連続殺人事件……というわけだね」
俺の思考を絶ち割るようなその台詞は、いつの間にか背後に立っていた探偵のものだった。助手もいる。
「リブラ! いつから……」
「今だよ。君の声が聞こえたんでね。我々の部屋は一番手前の部屋だったからね」
さっき俺が叫んだ時か。
「さて……ティルミアくんとタケマサくん。本件は君らが容疑者だ。被害者はチグサくんか。死因は見たところ首を貫かれたためか。死後経過時間はここ一時間以内、だろう。残念ながら君の世界にはあるという「検死」というやつか……それはできないが、まあ血がかたまりかけてるところから見てそんなもんだろう」
まるで。
よくあることみたいに。
「失礼します」
あ、と思った時には。フリフリスカートを履いた、ホワイトミントとかいう探偵の助手が、俺とティルミアの間に割って入るようにしてかがみ、チグサの死体に触れていた。
「おい、やめろ! 何触って……」
「なぜ君に触る権利があって我々に無いんだね? 私は探偵だよ。捜査をさせてもらおうか容疑者の二人」
「容疑者ってどういう意味? 私とタケマサくんはやってないよ!」
「なぜわかるんだね? ティルミアくん」
「私は寝てたし、タケマサくんは部屋に戻ってたからだよ」
ぷっと探偵は笑った。
「驚くね。およそアリバイという概念を理解していない。君は子供だからかな? タケマサくんはもう少しマシな反論をしてくれるんだろうね」
俺は、立ち上がる。
「……おい」
「なんだね? 君にはどんなアリバイがあるのかな」
「チグサを運ぶから、手伝え」
「……は? 運ぶ?」
「教会にだよ。ここでやるより蘇生の成功率が高い。ここからそう遠くはないし、死んでからそう時間も経ってない。まだ間に合う」
「蘇生?」
「お前……さっきから何を言ってるんだ? チグサが死んだんだぞ。なんでいきなり犯人探しなんだ。まず蘇生だろうが」
「おっと……これは失敬。蘇生師がいるなんて状況が珍しいんでね。ついいつもの癖で。すまない」
俺はチグサの死体を抱えあげようとする。
「私が運ぶ。そのほうが速いよ」
ティルミアの言葉に、頷く。
「すまんな。頼む」
「タケマサくんもね」
俺が答える間もなく、ティルミアは俺を背負い、チグサの死体をお姫様だっこするようにして、ダッシュで教会に向かった。
*
「……あれ、わ、私……!」
がばっと勢いよくチグサは起きた。
「う……あちゃー……やってしまった……。記憶が無い……」
頭を抑え、顔を上げて俺に気がつく。
「タケマサくん……う……。わ、私、何かやった?」
通算十三人目の蘇生。
「……大丈夫か?」
俺は、慣れてきた、のかもしれないと思った。
だいぶ緊張しなくなっている。蘇生魔法の、一つ一つの術式の意味もだいぶ理解できるようになってきた。アレンジ……とはまだとてもいかないが、文法上重要でない部分と重要な部分がわかるようになってきているので、肝心な部分のミスが減り、少々ならミスを呪文の修正でリカバれるようになってきた。
「うん。大丈夫。二日酔いはほとんどない。……でも記憶がないや。飲みすぎたみたい」
「俺が誰だかわかるか?」
「え、タケマサくんでしょ。あ、ティルミアちゃんも。ていうか……あれ? ここ、どこ?」
俺は心の中で少しガッツポーズ。俺たちがわかるということは、記憶はごく最近まで存在する。
「街の教会だ。どこまで覚えてる?」
「……んー。ティルミアちゃんと飲み始めたあたりまでしか記憶がない……」
「上出来だ。そこまで記憶があるなら」
いや。
蘇生としては上出来だとしても。
肝心な記憶が……抜けてるのか。
殺された時の、記憶が。
「おっかしいなあ……記憶なくすなんて久しぶり……弱くなったのかなあ」
寝ぼけたことを言っているチグサに、俺はティルミアと顔を見合わせた。
「チグサさん……全く覚えてないんですか?」
「え……うん。ごめん。私、酔って何かした?」
「何かしたっていうか、されたっていうか……」
「された? え、私何かされたの? ……誰に?」
「誰にかはわからないが……」
俺はティルミアと再び顔を見合わせた。さすがに、言うのを躊躇してしまう。
殺されたんだぞ、あんた。
「その……身体はなんともないですか? チグサさん」
「え……どういう意味……。……ま、まさか……!?」
チグサは俺たちの表情で察したようだった。誰が見てもショックを受けたのだとわかる顔をした。
「……そんな……襲われたの?」
頷く。
「気を強く持て。身体は一応俺が直した」
遺体修復だ。こうして喋れているのだから喉の傷は完治している筈だ。
「ありがとう。でも……私……初めてだったの……」
涙を浮かべるチグサ。
そりゃあ、殺される経験なんて誰にでもあるもんじゃない。普通初めてだろう。ショックも当然だ。これが普通の反応なんだ。
「チグサさん。わ、私が言えたことかわからないけど、元気出してください……! 私もこないだ一回だけ、経験しました。でも、大丈夫です。どうってことないです」
確かに殺人鬼が言うことなのかという気はするが、ティルミアの精一杯の慰めに、チグサは涙を拭いながら笑った。
「そうなんだ……意外。二人、もうそこまで行ってたんだね」
「……?」
「でも私とは状況が違うよ。初めてが酔って記憶が無い時でしかも襲われて誰が相手かわからないなんて……」
「?」
「……誰に襲われたのかは……わからないん、だよね……?」
……? なんか会話が噛み合わないぞ。
「強いて言えば、怪しいのは私です」
ティルミアが自分を指さす。
「……え、怪しいって?」
「犯人です」
「え、えぇぇ!? ど、どいう意味……!?」
どうもさっきまでとは違う驚きがチグサを支配したようだ。
……。これは。
なんとなく、チグサが何を勘違いしているのかわかってきた。
「もちろん私じゃないですけど。でも普段してること考えたら、一番疑わしいのも確かですし。疑われてもしょうがないとも思います」
「ふ、普段って……!? 何、え、ティルミアちゃんってそっちだったの?」
「え、そっちって……?」
「えっとな、チグサ。たぶん勘違いしてると思うんだが……」
いい加減話がややこしくなりそうだったので俺は止めにかかる。
「いいか、チグサ。あんたが心配しているようなことじゃない。そういう意味ではあんたの身体は無事だ。だが、もっと深刻なことが起きたんだ」
俺は、目を白黒させているチグサの目を睨むように見据えて、言った。
「殺されたんだよ。あんた、死んでたんだ。だから蘇生させたんだ。俺がさっき」
チグサは目を見開いた。
「え……。あ、そうだったの? なぁんだ。良かった。私、てっきり……」
良かったってなんだ。なんでポリポリ頭をかいてるんだ。
「いやあの、ちゃんと聞いてたか? もう一度言うけど、殺されたんだぞあんた」
「あ、うん。いやー、それはあれだね、大変だ。あ、蘇生してくれたんだ? ほんとご迷惑をおかけしました」
「人ごとかよ」
チグサがバツが悪そうにしているが、そういうことじゃない。そうじゃないと思う。
「いやー、通りで覚えてないわけだわ……。私、お酒で記憶なくすこと、そんなにないんだよね。しかも今日は言っても大して飲んでない筈だから、変だなぁとは思ったのよ」
なるほどねえ、と呟くチグサ。
「殺されてたわけか、それなら記憶が無いのも納得」
「納得、じゃねえ」
「えっと……で、私、なんで殺されたの?」
「聞けるもんならこっちが聞きたいわ。何も覚えてないのか。直前の」
「いやー。さっぱりなんだよね。面目ない」
脱力した俺たちは、とりあえずアジトに戻ることにした。
*
結果から言うと、チグサは本当に何も覚えていなかった。
「タケマサくんの蘇生術……、一体死ぬ何時間前まで生前の記憶を残せるのか、正確なところはわからないのかね?」
リブラがそう尋ねてくるが俺もそれを正確にすることができればどんだけいいかと思う。
「全くわからん。蘇生後の状態を見て判断するしかないというのが今の俺の実力だ。今回はかなりうまくいったほうだ。飲み始めたあたりの記憶はあるなら、少なくとも発見のだいたい二時間前まではあるということだが」
「肝心の死ぬ直前が失われるのではなぁ。使えんな」
軽蔑するように言われムッとするが、まあ確かに今回ばかりは記憶が完全に戻って欲しかった。
「一方で、ティルミアの方も何も覚えてないんだよな」
「うん……私のほうはお酒のせいだけど……。たぶんすぐ寝ちゃったんだよね……」
「本当に寝ていたかどうかは、疑わしいがな」
「人を疑うのは後にしてくれ、探偵さんよ」
俺はリブラを睨む。
「まずは事実確認だろ」
その通りです、と言ってホワイトミントが早口で喋り始める。
「ご説明します。今わかっているのは、この食堂でティルミアさんとチグサさんが二人きりになったのが死体発見の約二時間前、タケマサさんが部屋に戻った頃だから、午後二時くらいですね。そしてティルミアさんはすぐに寝てしまい、チグサさんは殺された。死体の状態から、二時半から三時半くらいのことでしょう。そしてタケマサさんが四時ごろ食堂に行きティルミアさんを起こし、チグサさんが死んでいることに気がついた。遅れて、リブラと私が食堂に現れた」
「最も素直な予想は、ティルミアくんがチグサくんを殺した……だ」
「おいおい」
俺は、できるだけ冷静に反論する。
「予想ときたか。探偵なら推理をしろ。なんでそう思うんだ?」
「推理とは予想に根拠をくっつけていく作業だよ。予想とは仮説。あらゆる探偵の推理はまずそれが出発点になる」
だからって予想にすぎない段階で口に出すなよ。
「そこを出発点にした理由はなんだと聞いてるんだよ」
「簡単さ。ティルミアくんは殺人鬼だ」
……。
「それだけか、とでも言いたげだな。タケマサくん。ずっと一緒にいすぎて感覚が麻痺してるんじゃないのかね?」
「……ティルミアは確かに殺人鬼だが……」
「誤魔化すな」
リブラは、ぴしゃりと言い切った。
「殺人鬼、なんだよ。殺人が起こった時に真っ先に疑われて当然の存在だ。君は何か勘違いをしていないか? ティルミアくんは殺人鬼は殺人鬼でも良い殺人鬼だとかなんとか。殺人鬼に良いも悪いもないんだよ。君は一緒にいすぎて目が曇っている」
俺がこの時、うまく反論できなかったのは、半ばリブラの言っていることが当たっていたからかもしれない。長く……というほどの期間ではないが、それでも。いろんなことがあった中で、俺のティルミアに対する評価が少し変わってきていたのは、事実だった。
初めの頃だったら、真っ先にティルミアを疑っていたんだろう、俺は。
「殺人鬼は、自分勝手な理由で躊躇いもなく人を殺す連中だ。ティルミアくんに聞くがね、この定義は……間違っているかね?」
ティルミアへの、宣戦布告だった。
ティルミアは、全く動じない。
きっと、最初から理解しているのだ。自分が疑われていることも、疑われる立場であることも。
「間違ってないよ。私は私の基準で人を殺すよ」
ニヤリと探偵は、笑った。
そして、王手をかけるまでが早かった。
「では聞くが、君は「理由という点では」そこにいるチグサくんを殺した可能性が無いと言い切れるかね?」
ティルミアは……少しだけ、思考したのか躊躇したのかわからないくらいの時間固まり、それからゆっくりと顔をチグサに向けた。
しかし何か言おうとして、黙った。
俺を見た。
その目が俺に何を言って欲しかったのか。
俺がわからないでいる間に。
ティルミアは下を向いて、その言葉を口に出してしまった。
「……言い切れ、ない」
「え」
チグサが声を漏らす。
「ごめんなさい、チグサさん……」
「え……私を、殺す、理由があるって……こと?」
さすがに、肯定の返事をされるとは思っていなかったのだろう。チグサはポツポツと言葉を発するにとどまった。ティルミアは、頷く。
「その……わからないんです。チグサさんが、私とお酒を飲んだときどんな感じだったのか。全く覚えてなくて……。もし、もしも、私が酔ったチグサさんを、「生きてたら迷惑だ」って思っちゃったら……こ、殺してしまったかもしれないと……」
「生きてたら迷惑って……わ、私が!? なんで!?」
チグサは青い顔をしていた。
「待て、ティルミア」
「黙りたまえタケマサくん。彼女の告白中だ」
「うるせえ」
「酔っ払いを迷惑に思うのは個人の勝手だよ。ティルミア君の基準からしたら、十分に殺す理由になるということだ。無理に庇おうとするのは見苦しいぞ」
「うるせえって言ってるだろ。いいか、別に無理矢理庇うわけじゃない。しばらく一緒にいりゃわかる。こいつは酔っ払いだから死んだ方がいいなんて単純な切り捨て方はしない。チグサは確かにいつも酔っ払ってるかもしれない。だが話は通じる。話の通じるやつをティルミアは殺したりしないんだよ」
「本当に話がいつも通じると言えるのかな? 酔っ払いだぞ?」
俺が反論しようとする前にティルミアが遮った。
「ううん。いいの。タケマサくん。記憶が無いんだもん。どんな会話をしたかわからないし、それに私の方が酔っ払ってて話が通じなかった可能性もあるもん。どっちにしても私に責任が……あるのは確かだよ」
俺は絶句する。ティルミアの方が酔っ払ってて、そのせいで早まって殺した? そんなこと……そんなことお前が言い始めたら、誰も否定できなくなるだろうが。
「それは、違うよ!」
だがチグサが否定した。
「ティルミ-。飲ませたのは私! 例えティルミーが酔っ払って私を殺したのなら、それは私の責任。違う?」
「チ、チグサさん……」
「そして酔っ払った私の絡み方がうざくてティルミーが私を殺すしかないと思ったなら、それも私の責任。違う?」
「そんな」
「ほう……面白いね。チグサ君。君は、お酒の上でのことだから全部水に流すと言うのかね。全部お酒が悪いだけだと?」
チグサは首を横に振った。
「言ったでしょ。私の責任。私、お酒とは相思相愛なのよ? お酒のせいになんかするわけないじゃない」
言ってチグサはティルミアに微笑んだ。
「私、飲んで起こったことなら覚悟の上。本気でぶつかるのが恐くて酔っ払いやってられますかっての」
「チグサさん……」
ティルミアがチグサに駆け寄った。
パチパチと探偵が拍手をした。
「これは脱帽だ。これほど覚悟の出来ている被害者は見たことがない」
なんとなく、奇妙に暖かい空気が流れた。
微笑んでいる者が何人かいる。
……!
してやられた、と俺は思った。
探偵が、笑っている。
動機。
俺が一番、ティルミアを疑っていないポイントだった。
この探偵は、それがわかっていた。だから真っ先にそこを突き崩したのだ。
そして最悪なことに。
ティルミアに、それをこの場で語らせた。
仲間たちの前で、それを……「自分が仲間を殺す可能性のある人間である」と言わせた。
「ごめんなさい、私、チグサさんを……」
「私のせいだよ」
俺は、顔を覆いたくなった。
チグサは……頭をポリポリとかいた。
「私……お酒控えたほうがいいかな」
その発言にどこか場が和む。
「チグサにそんな奇跡のようなことを言わせるとは……さすがティルミアちゃんでヤンスね」
「本当だな。やるなティルミア」
……。
誰かがそう言った。少し笑いが起きる。
待て。違う。この流れはまずい。
違う。そうじゃない。
焦る俺をよそに探偵が言った。
「では、約束通りティルミア君は軍に突き出そう」




