第四章 2/8
「やあやあどうもどうも! 吾輩が名探偵リブラだ。よろしくたのむ」
俺達と新参二人がアジト(事務所)に戻った頃には昼食が終わった頃で、ちょうど皆が集まっていた「食堂」――入り口付近の焼肉をやっていたスペースのこと。いつもここに適当に置かれた長机等で飯を食べている――に、探偵はいきなり大声を張り上げた。
……。
「やあやあどうもどうも! 吾輩が名探偵リブラだ。よろしくたのむ」
…………。
「やあやあどうもどうも! 吾輩が……」
「待て。待て。聞こえてる。聞こえてるから。スヌーズ機能かあんたは」
唖然とする皆にかわり、仕方ないので俺が制止する。
「なんだね? スヌー……?」
「止めても止まらないって意味だ。そんなことはどうでもいい。大丈夫だ。みんな今、唖然とした顔であんたのことを見ているだろ。あんたの存在を認識してはいる」
この探偵、外見は悪くないのだが中身が残念だな。長身で細身。その鼻の下に生やした髭、鋭い眼光。若者と言うには年がいっているが中年と言うには若い。しかしこざっぱりした服を着ている。紳士、そういう言葉が似合う。……見た目だけなら。
「リブラという探偵と、ホワイトミントというその助手だそうだ。なんでもメイリにスカウトされたとか」
唖然とする皆に端的に説明する俺。
「なるほどにゃー」
「ボスもいつも唐突に勧誘してくるっすよね」
「まだこの街で勧誘する人がいるようなことを言ってたから、それじゃない?」
ガヤガヤとしたが、メイリのそういう行動には慣れているのか、皆あまり驚かない。納得した者、そもそもあまり興味がない者は部屋に戻っていき、数人が残った。
「……メイリくんはどなただね?」
「ボスは……明日の夜までお出かけですよ」
ミレナが申し訳なさそうに言う。
「そうか。それは残念だ。では明日の夜までここで待たせてもらいたいが、可能かな?」
「ええ、部屋は余っているので……二部屋くらいなら」
「それは助かる。礼を言おう、ミレナくん」
ミレナが驚く。
「え、どうして名前を?」
ニヤリと探偵は笑い、両手を大仰に広げてみせた。
「吾輩が名探偵だからだよ。ライセンスを取り立てのひよっことは違うのだよ」
……ライセンス?
「なあ、「探偵」ってライセンスがあるのか?」
「その通りだよタケマサくん(23)」
……。
「なぜ年齢を知ってる……と言いたげな顔だね」
すいっと眼鏡を上げると探偵はニヤリと笑った。
「探偵というライセンスはね。その名の通り探り、偵うためのスキルや魔法を使う職だ。派手な攻撃魔法などがあるわけではないが、情報収集のための特殊なスキルを持つ。例えば、相手の名前や年齢を知ることができる魔法……とかね」
魔法だと。
「名前と年齢を……?」
そうだ、と探偵はその手にステッキを持っている訳でもないのに持っているかのようにくるりと手首を回転させた。
「大した能力じゃないがね。名前しか知らなかったティルミアくんとタケマサくんが君らだというのはこの能力のおかげでわかった」
「名前は聞いてたって誰にだ」
「誰にでもさ。ティルミア君だけじゃない。どこかから現れた蘇生師が活躍しているらしいというのはこの街じゃかなり噂になっているぞ。凄いじゃないか、ここ最近の連続殺人事件の被害者達もうち三人は君が蘇生したと聞いたぞ」
知らなかった。そんなに話題になっていたのか。
「それにしても「探偵」……そんな職まであるのか」
俺がティルミアを見ると、ティルミアも首を振った。
「私も知らなかったよ」
「無理はない。マイナーな職業だからね。人気も無い。まあ殺人鬼ほどではないが」
にやり、と笑ってティルミアを見る探偵。
「む……失礼です」
「はは、そうだな。人気の無い職どうし仲良くしようじゃないか。協力すれば何かできるだろう」
探偵と殺人鬼の組み合わせで起こせそうなことなんて外野にとっちゃろくなものじゃなさそうだが。
チグサが言った。例によって酒瓶を片手に持っている。
「あ〜そう言えばボス言ってたかも……。リブロースとかなんとかいう探偵が来るかもしれないから来たら待ってて貰えって」
「うむチグサくん。リブロースではなく、リブラだ」
ここ数日一緒に過ごしてみてわかったが、この人はほとんどいつも酔っ払っているように思える。酔ってない時間もあるのだが、酔ってる時以外はあまり喋らないため印象が薄い。昼夜関係なく酔っ払っていないときがないように思えるのはそのせいだ。
今はもちろん酔っ払っている、らしい。
「話が通っているようで何よりだ。……しかしメイリくんがいないのでは仕方がない。戻るのは明日の夜だと言ったね。この建物の中で待たせてもらうよ」
「はい……そちらの方も?」
探偵はずっと黙っているホワイトミントを見て、うなずく。
「リブラの助手、ホワイトミントです」
「……すまんね、無口なやつで」
探偵は苦笑した。
「なんか、生気の無い人だね」
ティルミアがストレートにとても失礼なことを呟いた。しかし確かに無表情な人だ。どこか、人形のような雰囲気がある。
「おいおいまだちゃんと生きているさ」
聞こえていたらしい。リブラは苦笑した。
*
食堂には俺とティルミア、チグサが残った。
「……いやあ……そう言えばボス言ってた気がする。皆に伝えておいてくれって……」
「おいしっかりしろ、チグサ」
メイリもこの酔っ払いに伝言を頼むのがどうかしている。
「あはは……ごめんごめん」
「いいけどな……どうせこの事務所、今皆いるしな」
俺たちもミレナと出かけた以外には何かしろと言われたこともない。
「うん。今は、なんていうか長期休暇を兼ねた出張というか……慰安旅行みたいなものなんだ」
チグサの話によると、この事務所とは別に本拠地があり、普通はそこで仕事をしている。たまに、こうして皆で街に出てきて、色々用事をこなしたり新メンバーを募ったりする。俺とティルミアも含まれるし、さっきの探偵と助手も同じなのだろう。
「皆で来る必要あるのか?」
「いいじゃない。旅行みたいで楽しいし。ボスは皆をそばに置いておきたいのよ。過保護だって言う人もいるけど」
「そういうことならいいが……。このままタダ飯食ってていいのかと気になってたんでな」
「あはっ。まっじめぇ」
チグサは、ぐいとグラスをつきだした。
「タケマサくんは、飲めるの?」
「酒か? 別に強いほうじゃないが飲めなくはない」
「一杯、どう?」
「いやさすがにこんな早い時間から飲むのはな」
「そ? ざーんねん。ティルミーは?」
ティルミー?
そう言われて照れたように顔を赤くするティルミア。
「わ……私はお酒は飲んだこと無くて」
「そうなんだ? じゃあ、飲もうよー」
べんべんと自分の隣の椅子の座面を叩くチグサ。
「え、いや、その……殺人鬼はお酒みたいな感覚が鈍るものは飲むなって……先生が」
「そうなのー? もったいなーい。お酒を飲まないなんて人生の三分の七は損してるよー」
想像以上に大損だった。
「そ、そうなんですか……?」
「おいおいあんた、ティルミアはまだ17歳だぞ」
「え、知ってるけど……。だから何よ? 保護者」
おっと。
「そうか。俺のいた世界……日本じゃ20歳を越えないと大人じゃない。子供は酒を飲むのは禁止されてるんだ」
「禁止って、誰に?」
「誰って、法律だよ」
日本は法治国家だからな。
「ホウリツって誰よ」
「いや法律ってのは人じゃないぞ。国民がみんな守ることになっているルールだよ」
「そうなんだ。……じゃ、そのルールを決めたのは誰よ?」
「誰って……誰でもないよ。いや、誰でもあるのか」
法律を作るのは国会議員だがそれを選ぶのは国民で、主権は国民にあることになってたと思われる。
「誰でもあって、誰でもない? なんか、「ナンジャミの悪魔」みたい」
「ナンジャ……なんだって?」
「そういう、実体のつかめない魔物。人がたくさん集まると、どこからともなくそいつの声が聞こえる。不気味な声で人を惑わし争いを引き起こす。集団自殺が起きたり戦争になったりしたこともあったそう。でも、誰もその悪魔の姿を見たことがないの。いったい誰なんだ誰に化けていると疑ってみても、けして見つからない。みんなの中にいる筈なのに、誰も見たことがない、絶対に見つからない……っていう」
チグサはニヤリと笑った。
「不気味でしょー」
確かにどこか恐ろしい話だが、酔っ払いのテンションで聞くとそんなに怖くないな。
「ふーん、俺のいた世界にも似たような話があるな。俺のいた世界じゃ民主主義って言ってな、国の政治を決めるのは王じゃなくて民衆の集まりなんだ。ただ一人一人はただの人間でもその集まりである「国」は巨大な権力を持った化物だ。それをリバイアサンと呼んだ人がいたらしい」
「リバー……?」
「リバイアサン。伝説の怪物だよ」
よく知らんけど。
「リバイアサン? じゃあその伝説の怪物が決めたルールなんだ、ホウリツって。魔物が作ったルールなんて守る必要あるの?」
「……魔物ってのは例えだからな。法律を作ったのがその魔物だとしても、その魔物の正体は俺たち全員だ。皆が守ることにしてるんだよ。法律を破ればちゃんと捕まる。警察……こっちで言うと軍隊みたいなのがいる」
チグサが親指を立てた。
「なら大丈夫。この国の軍隊は王様の命令でしか動かない。王様がルールを決めるからね。そしてここの王様はお酒を飲むことを禁止なんてしてないよ」
「まあ、ならいいんだけど」
そりゃ……こっちの世界でまで日本の法律に従わせる義務もないわな。
「あ、それで!? タケマサくんが私のこと子供扱いするの」
「ん? 何の話だ」
「タケマサくんの世界の法律で決まってるんでしょ? 20歳にならないと大人じゃないって」
安心しろ、と俺は肩をすくめる。
「おまえの年齢を聞く前からお前のことは子供だと思っていた」
「……酷い!」
むすっとするティルミアにチグサはまあまあ、と肩に手をかけた。
「飲もう飲もう。そうすりゃ同じ大人になれるよティルミー」
そんな理屈はない。
「むぅ……。お酒飲んだら大人なんですか?」
「お酒を飲むだけじゃダメ。お酒に飲まれてこそ、一人前のレディよ」
歴史上もっとも酷いレディの定義が発明された。
「チグサさんはレディなんですか?」
「……もちろんよ。アーユーレディ! イエース!」
どこからつっこめばいいのか悩むが、とりあえずそういう英語を取り混ぜたダジャレを聞けたということは、かなりの日本語が伝わってるのは間違いないらしい。
「じゃ私も少し……飲みます」
「おい」
「もー! うるさいタケマサくんは部屋に戻った戻った!」
「わ、わかったよ。じゃあ、俺は部屋に戻るぞ。一応言っとくが、ティルミア、酒は一種の毒だ。飲み過ぎるなよ」
「知ってるよ! 私だって、お酒がどんなものかくらい!!」
「飲んだことないんだろ。チグサ……あんた、無理矢理飲ませるようなことはするなよ」
「しないって! ほんとほんと!!」
大丈夫だろうか。
心配なので、あとで様子を見に来よう、そう思った。
*
しばらく読んでいた教本から目を落とした。
俺の部屋は食堂から廊下を進んでつきあたりを右に曲がって一つ目。ティルミアとは隣だが別室だ。ひとまず命の保証を得たと言えよう。
外から見た印象よりも、このアジトは広い。石づくりなのか頑丈な建物で、二階建てだが意外に天井が高い。
あの煙が立ちこめていた空間が食堂兼集会所のようで、メイリが皆を集めて話をする時もそこを使っていた。
この街にやってきたのが比較的最近だというわりにはあちこちに酒瓶やら本やら服やらが散らかっていて、生活感がある。どうも、だらしのない者が何人かいるらしい。代表がチグサだろう。
正直言うと、正確に全部で何人いるのかよくわからない。二十人はいないと思うのだが、食事にあまり出てこない者もいるし、ほとんど出かけている者もいるようだ。特に、見た目からして明らかに人間ではないのが結構いるのだが、そいつらはほとんど喋らないのも多いので、得体が知れない。
もともと人見知りの傾向がある俺は、集団生活になじめるのか? という学生みたいな不安もあったりしたわけだが、このくらいの距離感なら楽でいい。
少しずつ古代語の勉強はしてみていて、呪文についても文の区切り、単語の区切り、あと基本的な文章構造の流れを表す言葉くらいはわかるようになったが、どうしてこれで精霊の力を使えることになるのかさえさっぱりわからない。自分がなぜ魔法を使えているのかわからないままでいることは、騙されているような気分の悪さだ。
ここで比較的よく喋るのは、ミレナとチグサだった。
ミレナはあの後何度も謝ってきた。別に怒っちゃいないが、ミレナがまだ死ぬことを考えているのかどうかは気がかりではあった。とはいえ人生経験が長いこのエルフはポーカーフェイスが上手すぎて何を考えているのか今一つ読みとれない。表面上は穏やかにここでの生活を楽しんでいるように見えた。
チグサはよく食堂にいるので話すようになった。何か特技があるようには見えないが、ここにいるということは何かしらの才能? を持っているということなんだろうか。とりあえず酒が好きだということしかわからない。見かけるのは酒を飲んでいるか寝ているかだ。メイリが言っていたように確かに美人で、後ろで結んだ髪をもう少し整えてすましていれば、惚れる男は多そうだが、中身はしっかり酒乱で、俺も背中を何度叩かれたかわからない。無駄に美人……というより美人なのが無駄、という感じだ。
メイリは毎日朝から晩まで出かけているのであまり姿を見かけない。勧誘をしているということらしいが、この事務所は人手不足なのだろうか。本拠地に戻れば仕事が山ほどあるということなのだろうか。あの通りの話し方なのであれこれ聞いてみても具体的な情報が出てこないので諦めてしまった。本拠地とやらに行けばわかるだろうか。
「……三週間くらいか?」
こちらの世界に来てから。
俺は、そもそもどうしてこの世界にいるのか。目覚めた時に森にいたわけだが、夢でないとしたら運んで来られたのか。それとも魔法か何かで呼び出されたのか。
そういえば、今まで全然考えなかったが、他に俺と同じようにこちらの世界に来た人間がいるという話だし、そういうやつを探してみてもいいのかもしれない。色々情報共有をすれば、俺がなぜここにいるのかもわかるかもしれないし、戻る方法もわかるかもしれない。
「元の世界に戻る……か」
……戻りたいのだろうか。
元の世界で就職面接に落ち続けるうちに……いやもっと前からか。俺は何がしたいのかわからなくなっていた。
やりたいことが無いのなら、どこの世界にいても一緒じゃないか。
身体を起こして、窓の外を見る。
雑木林の向こう、通りが見える。通りの両脇に並ぶ民家。
結構大きな街だと思う。上下水道はあるが電気は無い、らしい。ただ街のあちこちにある街灯は何か魔法的なもので点灯しているようなので、つまりはそういう俺のまだ知らないインフラがあるのだろう。
「おっと……そういやあいつらまだやってんのかな」
窓の外を吹く風の音や往来の声がして完全に静かなわけではないので、この部屋にいると食堂の声が聞こえない。ただ隣の部屋のドアの音がしなかったのでまだティルミアは戻っていないようだ。
時計を見ると二時間くらい経っている。俺は様子を見に行くことにした。
*
「おーい、ティルミア、おい。起きろ。風邪引くぞ」
ティルミアとチグサは爆睡していた。ティルミアはソファで、チグサにいたっては床につっぷしている。
「う……あたまいたい」
「バカ。だから言ったろ。酒は毒だって。うわっ。酒くせえ……。どんだけ飲んだんだ」
「えっと……その瓶のお酒をぜんぶ」
「ぜ……ぜんぶ? 二人でか」
五、六本の酒瓶が転がっている。
瓶を見る。ラベルに度数などが書いてるわけじゃなかったが、コップに残ってる酒の香りからすると結構強いんじゃないのか。
「飲み過ぎだ。大丈夫か? 気持ち悪くないか?」
「きもちわるいけど……だいじょぶ」
「やれやれ。部屋戻って寝ろ」
俺は、もう一人のバカも起こしに行く。
「おい、チグサ。あんたもつぶれるほど飲むなよ子供相手に」
床に転がったコップと、ワインらしき赤い液体がこぼれている。よく見りゃ服もずぶ濡れだ。
まるで学生の飲み方だ。
肩をつかんで揺さぶる。
「おい、せめてソファで寝ろ」
俺とそう変わらない年だと思うが、ずいぶん無防備な人だ。
「……?」
変だ。
いやに冷たい。
ていうか……息、してるかこの人?
俺の全身が総毛立つ。
ごろり。
肩と腰に手を当てて身体をあおむけにする。まるで力の抜けた人間の重さ。
「……おい嘘だろ」
喉が破裂したように……赤黒い。
赤い液体は、ワインではなかったということに気づく。
チグサは……死んでいた。




