時を超えて、魂は再び結ばれる
村の広場に、夕陽が差し込んでいた。
仕事を終えた人々の声、子どもたちの笑い声、穏やかで平和な日常。
私はいつものように木のベンチに腰掛けて、友人のカティと話していた。
辺りはすっかり冬の気配が漂っていて、カティはこの田舎町には似合わないお洒落なマフラーを巻いていた。
「はあ、エリシア…あなたって村一番の美人なのに、ほんと男っ気ないわねえ。」
呆れたように笑うカティ。彼女は私より少し年上で、物事をはっきりというが、面倒見のいい人だ。
「いいのいいの、恋なんて、よく分からないし。」
私は苦笑して答える。
「また告白されてたじゃない。振ったんでしょう?」
「ええ……なんだか、違うなって思って」
「それいつもじゃない!
勿体無いわ、珍しい銀髪に、紫色の瞳…私がその見た目なら、彼氏は3人いたわね。」
マフラーを揺らしながら大袈裟に話すカティの様子に笑ってしまう。
「エリシアは貴族じゃなくてよかったわね。
貴族なら今頃無理やり婚約させられてるはずよ。」
「え? 貴族ってそうなの? だって、まだ十五よ。」
驚いて問い返すと、カティはため息をつきながら手を振った。
「早ければ十六で結婚なのよ。はあ、憧れるわあ、煌びやかな貴族社会……王子様と舞踏会……」
うっとりと空を見上げるカティの横で、私は苦笑を浮かべる。
王子様と煌びやかな舞踏会。
どこか遠い物語のようで、どうにも現実味が湧かなかった。
日が落ちると、村には温かな灯りが点り始めた。
また明日、と挨拶をして、煙突から優しい煙がもくもくと漂う家へ帰る。
木の机いっぱいに並べられた料理の香りが漂う。焼き立てのパン、ハーブが香る温かいシチュー。
両親の笑い声と弟妹たちの賑やかな会話が、食卓を満たしていた。
「エリシア、おかえり!」
「おねーちゃんおかえり!パンとにんじん交換して!」
「苦手なにんじんを押し付けるどころか、パンを強請るなんて!強欲ねえ〜。」
そんないつものやりとりに、私は笑ってしまう。
私はこの静かな田舎町で家族と友達と過ごす日常が大好きだ。
弟妹たちが寝鎮まり、周辺の家の明かりもぽつぽつと消えてきた頃。
私はふと家の外に出て、夜空を見上げた。
頭上には驚くほどくっきりとした星々が夜空一面に瞬いている。
吐く息は白く、それでも胸の中は妙にあたたかかった。
「……何故か、懐かしい気持ちになる。」
くるり、と小さく回ってみる。
足元の草がさらりと揺れ、スカートが控えめに広がった。
星明かりに照らされながら、私は一人でくるくると踊る。
少しして、ふう、と息をつき小さく笑って肩をすくめた。
「私ったら……結構ロマンチスト?」
家の中から母の呼ぶ声が聞こえる。
私は「はーい」と返事をして、温かな家の中に戻った。
柔らかな寝台に横になり、心地よい疲れのまま目を閉じる。
穏やかな眠りが、すぐに訪れた。
ある日の午後。
窓辺で本を読んでいると、外から「エリシア! エリシア!」と、弾むような声が響いた。
顔を上げれば、カティが満面の笑顔で手を振っている。頬は興奮で紅潮し、まるで祭りの始まりを告げるような勢いだ。
「早く外に出てきて頂戴!」
「なあに?どうしたのそんなに慌てて。」
スカートを整えて戸口を開けると、カティは息を切らしながら私の手を掴んだ。
「ねえ!エリシア!隣町まで付き合って!」
「隣町?」
「そう!今ね、噂で持ちきりなの!すごいイケメンが来てるんだって!!」
「イケメン……?」
「そうよ!しかも外交官らしいのよ!貴族よ、貴族!!」
キラキラした目でそう叫ぶカティに、私は思わず苦笑する。
「……カティったら、本当に好きね、イケメン。」
「なによ、せっかくの機会なんだから!ね、行こうよ!」
私は呆れたように笑い、外に出る。イケメンに興味は湧かないが、カティと隣町に遊びに行くのもたまには悪くない。
「やだ!エリシア、ダサ過ぎ!そのまま行くつもり!?おしゃれして来てよ!」
……やっぱりやめておこうかな。
「ここにいるって噂!」
カティは声を弾ませ、私の手をぐいぐいと引っ張った。
辿り着いたのは、隣町でも一番人気の酒場だった。
古びた木の看板が軋んでいて、扉の向こうからは絶え間ない笑い声が響いてくる。昼間の営業だというのに、まるで夜祭りのような騒ぎだ。
普段から人の集まる場所だが、今日は一段とがやがや賑わっている。
入口の外まで女性の人影で溢れ、皆が中の様子をうかがいながらそわそわと立ち話をしていた。
「まあ……ほんとに皆噂を聞きつけて集まったのね。」
私の言葉に、カティは呆れ半分、興奮半分で笑った。
「田舎の怖いところよ。面白いものがあれば、すぐに回って、みんな一斉に群がるんだから。」
私は周囲を見渡した。
隣町といっても田舎には違いないけれど、ここは少しだけ栄えていて、旅人や商人も訪れる。
だからこそ、こうした噂はあっという間に広がるのだ。
カティは背伸びして、中を覗き込もうとする。
「見て、あの人だかり!やっぱり相当のイケメンに違いないわ!」
「まさか入るの?」
私が思わず小声で問いかけると、カティはキラキラした瞳でこちらを見返した。
「当たり前よ!外で待ってたってチャンスは訪れないでしょ。」
強引に腕を引かれ、酒場の中へ入る。
ちょうど運良く二人席が空いていたらしく、私たちは端の小さな席に腰を下ろした。
「……すごい」
思わず声が漏れる。
昼間だというのに、広い酒場は人で埋め尽くされ、ざわめきと笑い声が天井を震わせていた。
そして、すぐに視線を奪われる。
店の中心の四人がけの大きなテーブル、そこに座る二人の男性。
ひとりは明るい茶髪で、笑顔の絶えない青年。
もうひとりは燃えるような赤髪の三十路ほどの男で、かなり威厳がある。
どちらも、この田舎町には不釣り合いなくらい洗練された雰囲気を纏っていた。
まさに都会の男という出立ちで、周囲の女性たちが色めき立つのも頷ける。
「絶対あの2人ね!」
カティは小声どころか声を弾ませ、こそこそと髪を撫でつけたり、姿勢を直したりと落ち着かない。
確かに格好いい。けれど……噂になるほど、かしら?
私は半眼でカティを見て、しぃ、と指を立てて声を諌める。
「それより何食べる?私はこれにしようかな、」
「エリシアって、オーガニックよねえ。素材そのままって感じのご飯。」
カティは急に話題を方向転換して、メニューを眺めながら呟いた。
私はむっとして頬を膨らませ、怒ったふりをしてみせる。
その姿にカティが吹き出し、私も思わず笑ってしまった。
イケメンや噂なんてどうでもいい。
こうして親友と肩を並べて笑い合える今が、何よりも心地良かった。
料理が運ばれてきて、ほっと息をついたその時だった。
がやがやとした店内のざわめきが、突然吸い込まれるように薄れていく。
カランと音がして誰かが店に入ってきたのが分かる。
たったそれだけなのに、空気が変わった。
まるで昼下がりの賑やかな光景が、どこか別世界に差し変わったような、そんな空気だった。
視線が、一斉に入口へ向かう。
その中心に立っていたのは、一人の青年だった。
背筋はまっすぐに伸び、纏うのは上質な黒の外套。
さらさらと揺れる艶のある黒髪が、窓から差し込む日の光を受けて煌めく。
整った顔立ちは、まるで恋愛小説から飛び出したかのような、甘い雰囲気を醸し出している。
ただそこに立つだけで、場の秩序を作り変えてしまうような圧倒的な存在感を放っていた。
先ほどまで若い男性客に声を張り上げていた女性たちは、口を半ば開けたまま息を呑み、声にならない囁きを漏らす。
隣でカティが、ぽつりと呟いた。
「……異次元だわ。」
私の手から、握っていたスプーンがからん、と乾いた音を立てて、落ちた。
「おい、セリス!今回は見つかったのかよ〜?」
若い茶髪の青年が、ジョッキを片手にセリスと呼ばれた黒髪の青年に向かって軽口を叩いた。
「ま、有力な情報はなかったかなあ。」
その青年は、頭をかきながら気まずそうに笑う。
「聞いてくださいよ〜!こいつ、ずっと“運命の相手”を探してるらしくて!
しかも容姿も年齢も、いるかどうかもわからないんですよ!」
茶髪の青年が、揶揄うように言葉を重ね、笑い転げる。
赤髪の男は、呆れ顔で溜め息をついた。
「……はあ。噂には聞いていたが、本当に正気なのか。」
「ほんっっっと、仕事はできるし、こんな色男なのに……夢見がちなやつで。」
と話す声に、まわりの女性客は一気に色めき立つ。
青年は一度照れたように目を伏せ、すぐに顔を上げた。
その金色の瞳に宿るのは、からかいを受け流す軽さではなく、確かな光だった。
「でも、絶対にいるんです。」
優しい声色なのに、真剣さが伝わる。
「そんな気がするんです。」
周囲の女性客たちは、頬を赤らめ、うっとりと息を呑む。
「……ま、いいですけどね。」
茶髪の青年は肩を竦め、笑いながらジョッキを傾ける。
「こいつのお陰でいろんな酒場に行けるんで。」
賑やかな笑い声に包まれる中で——
ぱちり、と目が合った。
その瞬間、私の心臓が大きく跳ねた。
黄金の光を放つその瞳。
たった一度視線を交わしただけで、胸の奥に熱が広がる。
まだ、落としたスプーンは、拾えていないまま。
どくどくと、鼓動が早まり、止まらない。
こんな気持ちは初めてで、戸惑ってしまう。
手の先まで、痺れるような感覚が体を襲う。
これがカティがよく言う、恋?一目惚れ?
深くて、抗えない感情が渦を巻いて頭を真っ白にさせる。
なぜだろう。初めて見る青年なのに。
——知っているような気がする。確かに、どこかで。
気づけば、視界が滲んでいた。
涙が、勝手に零れ落ちる。
「え!?どうしたの!!?」
向かいのカティがギョッとして、私の肩をつかんで緩く揺さぶった。
青年も、同じようにまるで時が止まったように表情を失っていて、やがて、ぽつりと呟く。
「……いや。酒場巡りは終わりだよ。」
「はあ〜??俺はまだ付き合うぞ!」
茶髪が大げさに笑いながらジョッキを振る。
だが、青年は真っ直ぐに前を見据え、静かに言葉を落とした。
「見つけた。間違いない。あの子だ。」
「……は?」
茶髪と赤髪の男達は思わず動きを止める。
彼の瞳はすでに——私だけを捉えていた。
店内のざわめきも、笑い声も、グラスの触れ合う音も、何もかもが遠ざかっていった。
世界に残されたのは、ただ二人。そんな錯覚に陥る。
しっかりとこちらを見つめる金色の瞳と、涙に濡れた紫の瞳だけ。
気づけば、身体が勝手に動いていた。
思考よりも早く、二人は強く引き寄せられる。
あたたかい。
ただの人肌、体温なのに、胸の奥が焼けるように締め付けられて、涙が止まらない。
重なった胸から、彼の鼓動が伝わり、それがなんとも心地良い。
私は震える声で何かを言おうとしたが、言葉は出なかった。
代わりに、彼が囁く。
「……やっと、見つけた。
やっと抱きしめられた……。」
意味なんて、わからない。
けれど、その言葉は胸の奥に真っ直ぐ突き刺さった。
過去に出会った記憶などないはずなのに、魂が震えてまた涙がこぼれる。
自然と口が動く。
考えるより先に、心の奥から溢れた言葉。
「私も……もうあなたを、1人にしません。永遠に。」
ここまでお読みくださった方、本当にありがとうございます。
初めて物語を書いて、今日も誰かに読んでもらえるかもしれない、と思う日々がとっても楽しかったです。
よろしければ、評価や感想など、よろしくお願いいたします。




