本当は君の幸せが1番だった
祖国を離れて、ひと月ほどが経った。
今回の外交は順調だ。諸国の使者たちとのやり取りも円滑に進み、王子として、国の役に立てたと自負していた。
ふと立ち寄った異国の土産屋で、きらびやかな宝石や精巧な装飾品を見ながら思う。
リュシアは、喜ぶだろうか……。
彼女は贅沢に興味を示さない。
それよりも本や、花に、目を輝かせる。
そんな、心が豊かな彼女の控えめな笑顔を思い出すと、自然に笑みがこぼれてしまう。
最初は、”美しい娘に命を救われた”そんなシチュエーションに舞い上がり、運命を感じていただけだったと思う。
しかし、彼女と関わるにつれて、弱さと強さを知り、優しさを知り、儚い笑顔に心を打たれ、そして今では本当に心の底から惹かれている。
国を立つ前、珍しく彼女から誘われて2人で話をした。
「殿下にとっての幸せはなんですか?」
「いつか、私が何かお願い事をした時に、叶えてくださいますか?」
「私は王宮にこられて、本当に良かったと思っています。」
そんなことを言う彼女は、今にも消えてしまいそうな儚さを纏っていた。
彼女の心に私がいないのは分かっている。
そこには、何か別の存在がいて、それに囚われている事が感じられる。
それでも私は——
そのときだった。
店の入口から、ひやりと冷たい風が吹き込んだ。
まだ夏の暑さが残る昼間には不自然なほどの寒気。
胸の奥に、不吉な影が落ちる。
「……なんだ?」
理由は分からない。ただ、息が詰まるような、心臓がどくどくと音を立て、冷や汗が吹き出すような、あまりにも強い、焦燥感が募った。
スケジュールを確認し、残りの謁見を従者に託す。
「すまない、少し予定を切り上げたい。」
そう告げた声が上擦ってしまった。
嫌な予感がする。
どうしても急がなければならない。そんな気がしたのだ。
夏の太陽がギラギラと身を差す。
国に戻るまでの約5日間、ほとんど眠らず、休まずに馬を変えながら走らせた。
何が自分をこんなにも突き動かすのか。
やっとのことで国に戻り、王都に近づくにつれ、妙な違和感を覚えた。
街道は人で溢れ返り、ざわめきが空気を揺らしている。
……処刑か?
そう思った瞬間、何故か背筋に冷たい汗が伝った。
処刑など珍しくはないはずだ。
だが、不自然なほど鼓動が速い。
王宮の近くの広場は群衆で埋め尽くされていた。
老いも若きも、熱に浮かされたように集まり、口々に囁き合っている。
「聖女じゃなかったの?」
「まさか魔女だったなんて。」
「王家を惑わした悪女だ!」
「火刑だ!火刑だ!」
近くの兵士を呼び止め、強く問う。
「おい、これは……何があった。」
兵士は顔を上げた瞬間、私の顔を見て、血の気が引いたように青ざめた。
「こ、これは……殿下! もうご帰還を……? まだ早いはずでは……」
「答えろ!」
堪えきれず、声を荒げる。
兵士の喉はひくつき、乾いた唇が震えていた。
「そ、それは……っ」
「何があったのだ!」
鋭い叱責に、兵士は逃げるように視線を逸らした。
兵士の視線の先を追った私は——息を呑んだ。
処刑台の上。
長い銀の髪が風に揺れていた。
その身は荒々しく十字架に縛られ、身に纏う白い衣が裂けて靡く。
群衆の視線を一身に受け、彼女はそこにいた。
「……リュシア……?」
痩せた彼女の足元には乾いた薪が山の様に積まれている。
そして今、火打石が打ち鳴らされようとしていた。
「リュシア!!」
私は声を張り上げ、人混みを無理やり掻き分けて突き進んだ。
群衆が驚いたように振り返り、次々に道を開けていく。
間に合え、間に合え。
胸を突き破るほどの鼓動。
どうしてこんなことに。なぜ彼女が。
思考は渦を巻き、答えに辿りつけない。
いや、今は考えている暇などない。
やるべきことはただひとつ。
「止めろ!!!」
「今すぐに止めろ!! これは命令だ!!!」
広場全体に私の声が響き渡った。
群衆がざわめき、処刑台の下にいた兵士や役人までもが私を振り返る。
「リュシア……お願いだ……!」
彼女までの距離はあまりにも遠い。
空気は鋭く張り詰めいているのに、処刑台の上の彼女の銀の髪は穏やかに風にさらさらと揺れている。
処刑人は、確かに私の声を聞いた。
一瞬、驚愕に目を見開き、こちらを見つめた。
だが、その手はもう——遅かった。
火打石が乾いた音を立て、火花が薪へと落ちる。
次の瞬間、爆ぜるような轟音とともに炎が走った。
乾いた木が一斉に燃え上がり、赤い炎が空を裂く。
熱風が広場を吹き抜け、群衆の歓声と悲鳴が混じり合う。
「————リュシア!!!」
私の叫びは、燃え盛る炎の咆哮に呑まれていった。
——殿下にとっての幸せはなんですか?
「私の幸せは、国の安寧と、国民の幸せ。」
そう伝えた時、彼女は「殿下らしいです」と言い、笑った。
君が安心して暮らせる国を、共に造っていくはずだった。だから嘘ではないけれど。
少し格好つけてしまった。
本当は、君の幸せが一番だった。
君の願い事なら、なんでも叶えたかった。
王宮に来て、本当に良かったと思っているのか。
私が王宮に連れてきたから、君は、死ぬことになったのに。
炎に包まれる彼女と、目が合った気がした。
君は何故そんなにも、穏やかで優しい顔を……愛に満ちた笑顔を浮かべているんだ。




