いいこと思いついちゃった
「……リュシア様。」
部屋に入ってきたレイナは、手をぎゅっと握りしめたまま、私の名を呼んだ。
しかし、なかなか口を開こうとしない。
いつも迷いなく話をする彼女が、今日はまるで何かと葛藤しているように見える。
「どうしましたか?」と促すと、レイナは一度目を伏せ、深く息を吸い込んだ。
「……申し上げるべきか、迷っていました。ですが……このままではリュシア様が、謂れのない疑いをかけられてしまうかもしれません。」
顔を上げた彼女の表情は、
言葉にすることを恐れながらも、それでも私を守るために伝えねばならないと覚悟しているものだった。
「アマンダ様のことです。信用なりません……妹様であっても、わたしは見過ごせません。
あの方の言動には…何か悪意を感じるのです。
大切な妹様のことをこういうふうに言ってしまって、本当に申し訳ございません。
でも、先日のドレスだって――」
「シッ……」
私は指先でレイナの唇をそっと押さえ、微笑んだ。
彼女は驚いたように目を見開く。
その瞬間、タイミングを計ったかのように可憐な鼻歌が廊下に響く。
アマンダだ。レイナの瞳は不安そうに揺れていた。
「レイナ…あなたの幸せはなんですか?」
私が突然話を変えたことで、意表を突かれたようにレイナの顔から表情が抜け落ちる。
「わ、私の幸せですか?」
なぜそんなことを、そう言いたいのだろう。
しかし私の真剣な顔を見て、うーん、と考える仕草を見せた。
「私の幸せは……いえ、もう幸せです。姉の無念を晴らせました。」
「そう…。」
「私を幸せにしてくださったのはリュシア様です。ですから私も、リュシア様の幸せを願っています。だからこそ、アマンダ様は……。」
まっすぐとした目で伝えてくるレイナに、私は心が温かくなった。
「ありがとうございます。
……レイナ、いつか私の願い事を聞いてくれますか?」
私の言葉に目を輝かせ「もちろんです!私に出来ることならなんでも!」と言い、話を続けようとするレイナを宥めて下がらせる。
去り際、彼女は不安そうに振り返った。
優しいレイナ。私は全てわかっているから、大丈夫。
そういう瞳を向ける。
伝わっているかはわからないけれど、彼女には安心して欲しいのだ。
そして、入れ違いのように、アマンダが私の部屋にやってくる。
アマンダが王宮に来て、一つ驚いたことは、アデル様がアマンダにまるで興味を示さなかったことだった。
あの子がどんなに、アデル様に近づこうと、あの方の眼差しは一度としてアマンダに向けられなかった。
だからこそ、私はあえて嬉しそうに語ってみせる。
「アマンダ、この香水すごいの……。殿下ったらね、人が変わったように愛を囁いてくださって…。」
頬をほんのり赤らめ、自尊を帯びた声色で。
それはもちろん、嘘と本当を織り交ぜている。
殿下は優しい方だ。
良い香りだと褒めてくれたとしても、私が困るのをわかっていて愛の言葉など囁かない。
アマンダがわずかに顔を歪めたのを、私は見逃さなかった。
窓の外では、冬の冷たい気配が静かに漂い始めている。
ここへ来てもうすぐ一年。
アマンダは、“私の思い通り”に動いてくれている。
——……
「アマンダちゃん、疲れているだろう、この花で癒されてくれ。」
冴えない庭師の男が1輪の花を持ち、私に話しかける。
「まあ、素敵!ありがとうございます!」
私が笑顔で花を受け取ると、その男は顔を真っ赤にして、ニコニコと去っていった。
王宮に来て、半年。
寒い冬が過ぎて、春の陽射しが差している廊下を、私はずんずんと進む。
……吐き気がする。
苛立ちしかなかった。
用意されていた自室に入り、勢いよく花を床に叩きつける。
花?いや、雑草だ、こんなもの。
身分もない、美しくもない男が私に話しかけるな。
私は冴えない男からの雑草がお似合いとでもいうの?
あの女、リュシアは王子様から美しい花束を何度も貰っているというのに!
机に置いてあった、リュシアから盗んだ綺麗なハンカチが目につく。
そういえば、これも王子様から貰ったと話していたっけ。
「……ちっ。」
舌打ちが止まらない。
あの女の顔を思い浮かべるだけで、歯が軋んで痛い。
どうして?どうして私じゃなく、あの女なの?
噂なんて簡単に広まる。
もう使用人の誰もリュシアを本物の聖女だとは思っていない。
「リュシア様って、裏では妹を虐めているらしいわ 。」
「まあ、アマンダ様が可愛らしいから嫉妬しているのね。」
「聖女というのは嘘だわ、殿下は騙されているのよ、お可哀想。」
みんなは私の様子を見て勝手に憶測し、信じ込み、色を濃く塗り替えていく。
本当に馬鹿で、本当に愚かだ。
でも、リュシアが悪いのよ。
あの女は基本、人と関わろうとしない。
良いところも悪いところも、みんな何も知らないのだから、噂をわざわざ否定する人なんて現れない。
愛想がよく、姉想いで、可愛くてひたむきな私を皆が味方をするのは当然の結果だった。
ああ、そういえば1人、必死に否定している下女がいたけれど、そんなものは脅威でもなんでもない。
……王子様もそうだった。
どれだけ噂が広まろうと、リュシアを見る目は変わらない。
私が泣いても、つまずいても、決してこちらを見てはくれなかった。
あの熱のこもった碧い瞳は……すべてリュシアに向けられている。
私に見合うのは、王子様しかいないのに。
凛々しく整った顔立ちに、高い地位。
穏やかで、優しく、誰もから慕われている。
まさに理想。私に相応しい唯一の男。
拳をぎゅっと握りしめ、机を叩く。
ドンッ、と音が響いた。
頬を赤らめ、自慢げに話す姿。
美しいドレスや宝石を、見せつけるように身に纏う姿。
全てが癪に障る。
私より幸せなんて許さない。
王子も、その地位も、持ち物も、全部全部……私のものにしてやる。
その時、視界の端に映った。
デスクの上、整えられた書類の束。
こんなもの、私の部屋に置いてあっただろうか。
そんな疑問もすぐに吹き飛びそこに刻まれた重苦しい一文に目を奪われる。
『魔女裁判』
胸の奥で稲妻が走った。
——ああ、いいこと思いついちゃった。
私は小さく、口の端を吊り上げた。
「ふふ……ふふふふ……」




