拭えない悪意
「リュシア様、紅茶の用意ができました。」
「レイナ、ありがとう。
準備はアマンダにさせるから、下がって大丈夫です。」
「……かしこまりました。」
私は渋々と礼をとって部屋を出る。
リュシア様付きの侍女として、突然現れた義妹アマンダ様。
リュシア様が女神ならアマンダ様は天使のようだった。
光を透かす金の髪、明るい笑顔。
直向きに頑張るアマンダ様の姿に、兵士も使用人も「聖女様の妹君にふさわしい」と目を細め、私も心を奪われそうになった。
……正直、羨ましかった。
私だってリュシア様の侍女を務めたかったのに。
でも、アマンダ様は屈託のない笑顔で「お姉様といられて嬉しい」と話す。
リュシア様も、身内の方が近くにいらっしゃるのは心が安心するだろう。
私は無理やり納得させその地位を諦めた。
——あの日までは。
「聖女顕現祭」聖女が現れたことを祝う祭礼の日の出来事だった。
会場は、王宮の一角にある小さな聖堂を飾り付けた場所だった。
リュシア様の頼みで、大広間を使った盛大な宴ではなく、神へ祈りを捧げる神聖な雰囲気でそれは行われた。
壁には白百合を主にたくさんの花が飾られ、窓から射し込む午後の光がステンドグラスを透かして床に虹を描く。
中央に敷かれた真新しい白布が、まるで神の元へ繋がる道のようにまっすぐ延びている。
そこを、白を基調としたドレスに身を包んだリュシア様が静かに歩いていく。
豪奢な宝石はなくとも、絹の布に光が上品に反射し、リュシア様の美しい銀髪と紫の瞳を一層際立たせていた。
壇上には台座が設えられ、そこに王と王子が立ち、聖女としてのリュシア様を迎える。
王子殿下の隣に立つその姿は、皆が感嘆のため息をつくほどに美しかった。
花の香が静かに焚かれ、重厚な音楽が奏でられる。
華美な装飾も、煌びやかな舞もここにはない。
ただ、光と花と祈りだけが満ちる——そんな、静謐で美しい式だった。
その瞬間。
ぷつん、と小さな音が聞こえた。
後の先を見ると、リュシア様のドレスが胸元から脇腹のあたりまで糸がほつれ大きく伝線していた。
「え…?」「今の音は…?」「まあ、ドレスが…!」
誰も声を大きくすることはなかったが、視線は一斉にリュシア様へと注がれていた。
流れるような刺繍が美しいだけに、糸の綻びはなおさら目立ってしまう。
さっきまでの拍手と賛美の空気が一気に変わる。
ただ、困惑と戸惑いが混ざり合ったざわめきが、徐々に会場を包み込んでいった。
私は、手先の温度を奪われるような感覚に襲われる。
一歩踏み出したいのに足が動かない。
侍女にすぎない私が前に出たら、それこそリュシア様の顔に泥を塗ってしまうかもしれない。
私が前に出たからと言って何もできる事は無い。
どうしよう、でも、このままでは…。
するとその瞬間、
アデルハイト殿下がリュシア様元へ歩き出し、ためらいなく自らの上着を脱いだ。
そして、リュシア様の肩にそっとかける。
そうして、優しく微笑む殿下の瞳には、確かに熱がこもっていて…。
誰かが小さく息を呑んだのをきっかけに、堰を切ったようにざわめきが広がった。
「……素敵……」
「なんて絵になるの…」
「まるで物語の一場面だ!」
甘く、夢のような光景に、貴族も使用人も兵士も、皆が胸を高鳴らせていた。
「殿下と聖女様……まさに理想のお二人ではないか!」
リュシア様は、赤く染まった頬を隠すように俯き、瞳を揺らす。
殿下は穏やかに微笑み、その姿を見つめ続けていた。
やがて、歓声が拍手に変わり、波のように会場を包み込む。
大広間に祝福の音が響き渡った。
それは……あまりに美しく、あまりに劇的で。
私の胸も、知らず知らずのうちに、どきどきと跳ねていた。
しかし、私は、見てしまった。
周りが「さすが殿下!」と感嘆の声を上げる中、アマンダ様の瞳に宿った一瞬の色。
嫉妬、悔しさ、憎悪。
そのあまりの冷たい表情に、背筋が冷たくなる。
しかし、それも一瞬で、彼女は両手を胸に当てて「まぁ、なんて素敵…!」と、誰よりも清らかな声で讃え始めた。
私は気付いたのだ。
その天使のような仮面の下に、鋭い棘を隠していることを。
あの夜を境に、私はアマンダ様の言葉の端々に、違和感を覚えるようになった。
たとえば、廊下の片隅で休憩の合間に侍女たちが世間話を交わしているとき。
アマンダ様は突然伏し目がちに呟かれた。
「お姉様は本当に私の憧れです。どんなときも毅然として、気品にあふれていて……でも、そんな立派なお姉様だからこそ、私のような出来損ないは、いつも見下されて当然なのです。」
——その言い方はまるで、リュシア様が彼女を見下していると印象づけるように。
そのうつむく顔は、見ている者の庇護欲をいやが上にも刺激する。
また別の日。
泥で汚れた裾を引きずり、涙を浮かべて、アマンダ様は現れた。
その姿に皆が心配して声をかけると、彼女はつらそうに顔をゆがめ、こう漏らした。
「私が、私が悪いのです…お姉様は…あっ、」
わざとらしく言葉を切り、慌てて口に手を当てる。
問い返されれば、すぐさま首を振って小さな声で否定する。
「い、いえ! なんでもありません!どうかお気になさらないでください!」
自分で転んでいたくせに。
その表情はまるで……リュシア様がアマンダに酷い仕打ちをしたように見える。
いや、そう見せつけたいのだろう。
言動の節々に、どうしても拭えない悪意を感じてしまう。
不安が渦巻き、私はリュシア様に話すことにした。




