やっぱり君は、運がいいよ
焼け落ちた木々の匂いが鼻を刺す。
枝は黒い炭となり、灰が雪のように舞っていた。
以前とは全く違う景色だ。
それでも、胸の奥で「懐かしい」と感じる。
ここは間違いなくあの森だ。
泉のきらめきも、暖炉のぬくもりも、セオの声も……全部、ここにあった。
目を閉じれば、懐かしい光景が広がっているような感覚に陥った。
眠れない夜が何日も続いていた。
食事もあまり喉を通らなかった。
「……会いたい。」
つい、そう呟いてしまう自分がいた。
昼間は笑顔を作っていても、ごまかしきれなかったのだろう。
レイナに「痩せすぎています。」と心配された。
アデル様も私の元気が無いことに気付いていて、何度も訪ねてきてくれた。
2人の優しさに心が温まる。
でも。
あの日からずっと胸の奥が、じくじくと痛んでいる。
喪失感とどうしようもない孤独。
彼の方が、何倍も、いや何百倍も孤独なのに。
禁じられているとわかっている。
けれど、あの場所に足を踏み入れれば、何かが変わるかもしれない。
もしかしたら、もう一度、彼に会えるかもしれない。
そう想って、私は夜更けの王宮をそっと抜け出した。
森の焼け跡を駆け抜け、荒れた大地を踏みしめる。
ただ一心に、彼を求めて。
その瞬間だった。
ふいに月明かりが強くなった。
夜の闇が一瞬で遠のいたように、辺りが明るく照らされる。
この光景を私は知っている。
胸が震えるほどの確信だった。
「やっぱり君は、運がいいよ。もう、会わないつもりだったのに。」
ああ、懐かしい甘い声。
目の奥がじんわりと熱くなる。
顔を上げるとそこには、月を背にふわりと浮かぶ黒髪の青年——セオが、そこにいた。
「セオ……!」
声が震えて、次の瞬間には頬を大粒の涙がつたって止められない。
だって、本当に会いたかったのだから。
「あぁ〜、リュシア、泣かないで。君が泣くと僕、困るんだから。」
困ったように頭をかく仕草が懐かしい。
気づけば、胸の奥にあったものを一気に吐き出すように、まくし立てていた。
「ここにくれば会える気がしたんです!
ちゃんと見ていてくれたんですね?
あの書類も、花を浮かせたのも貴方でしょう!
貴方がいると冷たい風が吹くような気がするんです!それと…」
「すっごく役に立ってたでしょ?」
片目をつぶって見せる変わらないセオの仕草に、思わず笑いがこみ上げてくる。
「ふふ、本当に。ずっとみていてくれていたのですね。」
「……うん、見ていたよ。」
優しい微笑みにドキドキと胸が高鳴る。
「あ、いや、ちゃんと、寝てる時とか着替えてるところとかは見てないから!」
ああ、こんなやりとりも懐かしい。
セオは腕を組んでふわふわと私の周りを漂う。
「で?王宮暮らしはどう?
ご馳走いっぱいでふかふかのベッド、羨ましいよ〜、」
まだ涙を拭いきれないまま、笑ったり泣いたり、胸の奥が忙しく動いていた。
私たちはたくさんの話をした。
特に、セオがドルンベルク家から書類を盗んだ冒険譚は胸が躍るほどに面白かった。
ふと、セオは宙に浮かんだまま、腕を組み、わざと気取った声を出す。
「そういえばさ……僕、すっごくカッコよかったよね?」
私はぽかん、と首を傾げて、それから堪えきれずに吹き出した。
「ふふっ……自分で言うんですか?」
「だって!あの写真!しかも副騎士団長って書いてあったよ、僕ってかっこいい上に強かったんだ。」
誇らしげに胸を張る仕草が可笑しくて、肩を揺らして笑ってしまう。
けれど、笑いながらも、セオの姿にをみて、私は正直に話した。
「セオは…確かにかっこいいです。」
「…………えっ?」
セオは目を大きく見開き、金の瞳をパチパチ瞬かせた。
「え……えっと……セオは、カッコいいって……」
聞き返されるとは思わず、恥ずかしくなって小さく繰り返す。
セオの頬に、あり得ないはずの赤みが差した気がした。
「血が通ってない幽霊も、顔が赤くなること、あるんですか?」
「リュシア、揶揄わないで…」
普段は軽口を叩いて余裕の笑みを浮かべる彼が、気まずそうに宙に浮かんだまま、そっぽを向き、咳払いをした。
私はそんな彼を見て、また小さく笑った。
「……自分の肖像画や名前を見ても、やっぱり、思い出せないんですか?」
「そうだね、断片的にしか。」
セオは遠くを見つめながらぼんやりと呟いた。
「記録には、200年前と書かれていました。」
「200年、か。すごいなあ。びっくりだよ。僕、君より200歳も年上なんて!」
あまりにも明るく話すものだから、拍子抜けしてしまう。
「そういうことじゃなくって!
……200年もずっと、1人だったのですか。」
ほんの少し俯き私の瞳が揺れた瞬間をセオは見逃さない。
ゆらりと覗き込み、今度は柔らかく微笑んだ。
「でもね、200年も経ったって全然気付かなかったよ。」
セオは、普段は何も考えていないように見える。
軽口ばかりで、宙にぷかぷか浮かんで、真面目さなんて欠片もないように思える。
けれど、ふとした時に気づくのだ。
たくさん私を気遣ってくれていると。
それらはどれも、何気ない仕草に見える。
本人に聞けば、「そうだった?無意識だよ〜」と笑ってごまかすに違いない。
それでも、彼のそういうところに、私は救われたのだ。
「あなたの……セオの願いは、なんですか?」
セオは、しばらく動かなかった。
金の瞳が夜空の星を映し、やがて、ゆっくりと私に向けられる。
「……僕の願い?」
その声は、とても静かで柔らかい。
月明かりが、静かに二人を包んでいた。
「リュシアが幸せになること。」
穏やかで、何気ないような声。
それなのに、その一言は胸の奥に深く入りこみ、落ちて混ざるように響いた。
視界が滲んでいく。
頬を伝う一筋の涙は、熱かった。
——ああ、私の幸せは……。
心の奥ではっきりと形を成す。
私は確かに理解してしまった。
「……また、ここで会えますか?」
セオは金の瞳を細め、何も言わずに宙を漂った。
心臓がつきん、と痛む。
その答えの曖昧さに、抗えぬ運命を感じて。
「……お願いがあるのです。」
その声は風に混ざりながらも、しっかりと届いたようだ。
セオが目を瞬き、「任せてよ」と微笑んだ。




