どうすれば、解放されるの
あれから数日が経ち、殿下に呼ばれてどこか無機質な部屋に足を踏み入れた。
しかし、中央の机や棚には、金銀の装飾品や書簡、衣服の切れ端までが雑多に並べられている。
「ここは……?」
その異様な空間を見て問いかけると、殿下は重い表情で答えた。
「ドルンベルク家の地下から押収した品々だ。証拠として保管している。……そして、リュシア、君のご両親のことで話さなければならないことがある。」
ドクン、と鼓動が鳴る。
殿下は一瞬、言葉を探すように目を伏せた後、静かに告げた。
「辛い話だ。……地下から、君のご両親と思われる遺体と、所持品が見つかった。」
一瞬、胸がツキンと痛んだ。
でも、ほんの一瞬、それだけだった。
涙も叫びも出てこない。
心が静かで、むしろ戸惑ってしまう。
継母には嫌な思い出があるとはいえ、父とは血が繋がっている。
薄情ものだろうか、と自分自身に問うた。
「彼ら…ドルンベルク家は、金銭の援助を求める者たちを、娘を引き換えに助けるふりをして、結局は皆葬っていたらしい。
ぬかりのない手口だ。」
王子の言葉が低く響く。
「君が欲しいと思うものがあれば、返すように手配するよ。」
殿下の声は、気遣うように優しかった。
「ありがとうございます。」
そう答え、ふとあの存在を思い出す。
「……私には、妹がいました。その子は?」
王子は眉を寄せ、首を横に振った。
「報告には上がっていないな。」
——爪が甘い。
ドルンベルクは徹底していたようでいて、結局どこかに綻びを残していた。
レイナもそうだ。商人に拾われ、生き延びていたからこそ証言に繋がった。
もし彼らが完璧であれば、私は今ここにいなかった。
「調べてみよう。君はここに残るか?心残りがあるなら探してもいい。」
私は小さく頷いた。
思い浮かんだのは、継母とアマンダに奪われた誕生日のブローチのことだった。
もしかしたら、あるかもしれない。
部屋を出る殿下を見送り、沢山の押収品の中からブローチを探す。
バレッタ、リボン、宝石、皆誰かの思い出の品なのだろうか。そんなふうに考えていると、不意に手が当たり、厚みのある大きな本が、どさりと重々しい音を立てて床に落ちた。
「大変……っ」
慌てて拾い上げ、その辞書のように厚く重い本を眺める。
装丁は黒革で縁取られ、金の文字が薄れて読めない。
興味本位で中を覗くと、一面に貼り付けられた肖像画と日付、そして罪状が淡々と記録されていた。
——処刑記録……?
趣味が悪い、と嫌悪が胸を刺す。
閉じようとした指が震え、ページが勝手にぱらぱらと風に煽られたように開かれていく。
そこに、見慣れた顔があった。
本を閉じる手を止め、息を呑む。
黒髪。整った甘い顔立ち。鋭い金の瞳。
それは、月明かりの下で、いつも愉快そうに笑っていたあの幽霊の….セオの顔だった。
「……っ!」
指先から力が抜け、革表紙が床に落ちかけるのを慌てて抱え直し、記されていた名を見る。
『セオフィル・エルディアンテ』
——処刑された者の名簿に。
彼の名と顔が、確かに刻まれていた。
「セオフィル……セオ、なの?」
思考が止まり、胸の鼓動が響く。
「セオは……処刑された……?」
私は震える指で、その厚い羊皮紙に刻まれた文字をなぞる。
乾いた音がかさりと響く。
書体は整っていて、きっと公式の記録として後から清書されたものなのだろう。
だが、それでも長い歳月は紙の縁を黄ばませ、インクを褪せさせていた。
ところどころ読みにくい箇所もある。
文字がかすれていて目を凝らす。
「ヴァルシア王国、副騎士団長、刑は……火炙り」
ヴァルシア王国とは、かつて私たちの国との戦争で敗れ、併合されている今は無い王国だ。
「日付は、今から……一…いや、二百年前……?」
数字を読み取った瞬間、血の気が引く。
するとその瞬間、ビュウッと冷たい風が部屋を駆け抜け、ランプの炎が揺れる。
背筋にぞくりと震えが走る。
「……セオ……いるのですか?」
これをセオ本人に見て欲しくない。
そんな思いを込めてなにもない空間に声をかける。
彼は200年もの間、たったひとりで。
春の花、夏の光、秋の紅葉、冬の雪。
そして、美しい星や泉。
すべてを見届けながら、語り合う相手も、返事をくれる人も、笑い合うこともなく。
眠ることも、食べることも出来ず、ただ時の流れに晒され続けていたのか。
私はそんなに長い孤独に、果たして耐えられるだろうか。
想像するだけでも息が苦しくなる。
あの飄々とした笑顔の裏に、どれほど深い孤独を抱えていたのか。
何にも触れられず、誰とも言葉を交わせず、終わることも許されずに。
「あなたは……どうすれば、解放されるの?」
ぽろりと涙が頬を伝い、古い羊皮紙に染みを作った。
その日を境に、私は「幽霊」「怨霊」「未練」といった言葉を追いかけるようになった。
王宮の図書館の片隅に座り込み、古い羊皮紙をめくる。
ろうそくの明かりが、冷たいインクの文字を浮かび上がらせていく。
——幽霊とは、未練や怨念を抱え、成仏できずに世に留まる存在である。
その願いを果たすまで、彷徨い続ける。
そして、願いが満たされたとき、彼らは光となって消えるのだ。
声に出さず読んだ瞬間、ページの端がぱらりと揺れ、窓も開いていないのに冷たい風がひゅうと吹き抜けた。
「……セオ、?」
わかっている。
あなたはきっと「読むな」「探るな」と止めている。
私に“前を向いて生きろ”と伝えようとしている。
きっと姿が見えていたら、いつもと同じ調子でヘラヘラと「怨念なんて考えすぎだよ」と笑っているのだろう。
黒い髪を揺らしながら、金の瞳をいたずらに細めて。
整った顔に軽快な仕草、優しい甘やかな声。
そしてあの夜、確かに囁かれた「愛している」という言葉。
胸の奥がずきりと痛む。
どうしようもなく、彼に会いたい。
やっぱり……私は、
彼のいない世界で幸せにはなれない。
どれほど豪奢な食事が並び、絹の衣を纏い、誰もが羨む王子の隣に立とうとも。
私の心は、あの幽霊に縛られている。
「セオ、貴方の願いは、なんですか……?」
誰もいない部屋で小さく呟く。
静かな書庫に声が溶け、返事はない。
「私の願いは——…」
次セオ出てきます




