私は真実を知りたいのです
張り詰めた空気が漂う一室で、
発言を許されたレイナは深く一礼した。
小さな肩を震わせながらも、真っすぐに顔を上げる。
「私は、この6枚目の書類に記されている“ルーメルトン子爵家”の娘です。」
その声は、静かでありながら、誰も遮れないほどの強さを宿していた。
———————…
「お姉様のリボンいいなあ、ちょうだーい!」
「いくら可愛いレイナの頼みでも、リボンはダメよ、宝物なの。」
「えー!いいじゃない!2つもあるのに!」
お姉様の髪型は、いつも同じ。髪を左右に分け、2つのおさげに綺麗なリボンが揺れていた。
何度も桃色のリボンをせがんだのを覚えている。
もちろん上等なものではあったが、それだけではない。お姉様の色素の薄い栗色の髪に映えていて、とても美しく見えたのだ。
ルーメルトン子爵家は、領地も小さく、代々金に困窮してきた家だった。
父も母も、家を存続させるための努力をするどころか、己の欲を満たすことばかりに熱心だった。
贅沢を諦められず、借金を重ね、娘を駒としか思っていないことは、幼心にも理解していた。
そんな中で、唯一の救いだったのが、姉のカトリーナだった。
お姉様はいつも凛としていて、優しかった。
両親からの理不尽を受けた時、私が泣けば必ず抱きしめて守ってくれた。
「大丈夫だよ、レイナ」と言って、私の手を握ってくれる温もりは、あの家でたった一つだけ私を安心させてくれた。
私の唯一の味方であり、唯一の家族であり、憧れだった。
……あの日は、強い雨が屋敷を打ちつける、春の終わり頃だった。
突然お姉様の婚約が決まったと伝えられた。
私は当然、お姉様が婿を迎えて家を守り、私はどこかへ政略結婚するものと思っていた。
なのに、父と母は急に「姉をドンルンベルク侯爵家に嫁がせる」と言い出した。
決まってから出立の日までは3ヶ月ほどで、とても早かった。
そして、あっという間に迎えた家を出る日。
迎えの馬車が来る前にお姉様は私を呼んだ。
「レイナは、私が守るから。幸せになってね。」
そう言って、髪に結んでいた片方のリボンをほどき、私の髪に結ってくれた。
お姉様の笑顔が、今も脳裏に焼き付いている。
美しい笑顔だった。けれど、その瞳の奥にあった、深い恐怖心を私は見抜けなかった。
その時の私はただ「お姉様からリボンをもらえた」ことに浮かれていたのだ。
お姉様は質素な服一枚で家を出た。
そしてその直後から、父と母の金遣いは荒くなった。
突然高価な宝飾品を買い漁り、宴を開き、債務を返すどころかさらに浪費した。
そして、半年も経たぬうちに黒い布に包まれた人の大きさのものが、家に帰ってきた。
周りが姉だというそれはぴくりとも動かず、
私は本当に姉かどうか、布をめくって確認したかった。
でも、誰だったか、その時いた大人に、静止されてしまった。
とても、酷い姿をしているから、と。
不慮の事故だった、と伝えられる。
父も母も、一滴の涙も流さなかった。
私も、涙を流すことはなかった。理解ができぬままだったのだ。
やがて家は没落し、両親は借金取りから逃げるように蒸発した。
放って行かれた私は幸いにも、野垂れ死ぬ前に善良な商人に拾われ、文字の読み書きができたことで、王宮の下女として働くことができた。
……そして、そこで耳にしたのだ。
ドルンベルク侯爵の噂を。
婚約という名目で女性を家に迎えては次々に死なせているという噂。残酷で辛い折檻を受けるという噂。恐ろしい身の毛もよだつような噂。
聞きたくない、と耳を塞いだ。
幼い頃の記憶が、重ね合わさる。
私の中で、まだお姉さまは死んでいない。
死体だって見ていないし、体には服もあの綺麗な桃色のリボンも、何も見につけていなかったと聞いた。
だから、送られてきたものは間違いで、姉では無い何かで、ただの黒い布で……もしかしたらどこかで幸せに生きているかもしれない。
どれだけ噂と一致していようが、私は真実を知らないままでいたかった。
でも、あの日。
目の前で、リュシア様が震えながら私の姉の名を口にした。
「カトリーナ……」
机に広げられた紙の束。
はっきりとは見えなかったが、そこには確かに「ドルンベルク」の名が並んでいた。
リュシア様は青ざめた顔で、暖炉掃除は一旦中止だと言い、私は追い出されるように部屋を出た。
しかし、一歩も動くことができなかった。
鼓動の音と共に閉じ込めていた筈の自らの声が耳に響く。
私は、生涯このまま耳を塞ぎながら生きていくの?
ずっと誤魔化して、向き合わずに生きていくの?
本当は、気づいているのに。
胸に何かがつっかえたように息が苦しくなって、私はその場にしゃがみ込む。
呼吸が上手くいかない。ひゅう、ひゅう、と吸うばかりで震えた手で喉をつかむ。
小さな頃、泣いてうまく呼吸ができなくなった時、お姉様はどうしてくれたっけ。
いつも抱きしめてくれて、それで、
「はっ、は、お姉様、、っ。」
その時、どこからか、優しい風が私の体を包み込むように流れた。
何故か、ただの風だとは思えなかった。なんだか、懐かしいような、守られているような、そんな気持ちになり、呼吸の方法を思い出した。
そうだ、ゆっくり、吐いて、。
めいいっぱい息を吸い込んで、そしてゆっくり吐く。
落ち着いた私はよろよろと立ち上がり、拳を握りしめた。
「リュシア様、リュシア様、私は——私は真実を知りたいのです!お力になれませんか!リュシア様!」




