発言を、宜しいでしょうか
その時の私の心境は、あまりにも不安だった。
——レイナと出会ってから3日、思っていたよりも早い呼び出し。
想像していたよりも、猶予は与えられなかった。
数分前のこと。
部屋のノックが鳴り、王子が顔色を悪くしながら告げてきたのだ。
「君の生家は没落している。いずれどこか貴族の養子として引き取ってもらうことになる。
今回の件は、その話し合いだ。最有力候補はドルンベルク侯爵家——しかし、ドルンベルクの悪い噂はもちろん君も知っているはずだ。
やはり私は、君をあの家に送り出すのは危険だと感じている。
私がなんとかする。とにかく、一緒に来て欲しい。」
廊下を進む足取りは重く、2人の靴音が冷たく響く。
扉を開けて部屋に入った瞬間、ひんやりとした風が吹き抜けた。
……セオ?
ほんの一瞬、そう思った。
重厚な机の向こうに座るのは、貼り付けたような不気味な笑いを浮かべる、グレゴール・ドルンベルク侯爵。
その横には第三者として呼ばれた、生真面目そうな十字架の首飾りをつけた文官、
そして気難しい顔を作っている体の大きな王が、それに見合う大きな椅子にどっしりと座っていた。
こうした話し合いでは、必ず見届け人を立てるのが決まりだと聞いた。
この部屋の空気は、あまりにも重い。
王子は眉を寄せ、毅然と声を上げる。
「何度も申し上げた通り、私はこの件に反対です。彼女の意思を無視して養子に迎えるなど認められません。」
けれど、グレゴールは悠然と笑うだけだった。
「殿下、反対される理由はございません。当家は家柄も血筋も申し分ないですし、わざわざ意見を聞くまでもない。」
その目が私を射抜く。蛇のような鋭い視線。
「あと一歩、年頃になれば、王子との正式な縁談へと進めましょうぞ。」
「そうだ、息子よ。いつまでも、ただの娘を王宮に置いておくことはできんしな。」
ぐっ……と、殿下の喉が詰まる音が聞こえた。
私のことを案じてくれているのは分かる。
けれど、殿下の立場では、侯爵と王を前に強く出られない。
その歯噛みする表情に、私の心臓は早鐘を打つ。
このままでは、駄目だ。
机の下で握りしめた手が震えた。
ここで何も言えなければ、全てが無駄になる。
勇気を振り絞り、私は懐から紙束を取り出した。
「……これを、見てください。」
机の上に差し出されたのは、死亡届と契約書。
ドルンベルク家の名が、幾度も連なっている。
部屋の空気が、ぴんと張りつめた。
机の上に置いた証拠書類を、王子と王、そして立会いの文官が次々に目を通していく。
椅子が大きな音を立てて揺れ、グレゴールは青ざめた顔で立ち上がった。
室内の空気が一変する。
文を追う視線が止まるたび、驚愕に目を見開き、眉を寄せ、皆の表情が固まった。
貴族社会を揺るがす重犯罪の証拠に他ならないものだから。
「……ど、どういうことだ……。」
王子の声は震えていた。彼の表情から、血の気が引いていくのがわかる。
王もまた、長い沈黙のあと、深く低い声で告げた。
「——説明してもらおうか。」
私の心臓はクラクラするほど早く脈打っている。
喉が焼けるように乾くが、もう逃げることはできない。
小さく息を整え、声を震わせまいと、必死に言葉を紡ぐ。
「……その書類は、これまでドルンベルク侯爵家が交わしてきた契約が書かれたものと、死亡の届け出です。
契約書に記載されていることを要約すると、婚約者として娘を差し出す代わりに、多額の金銭を送るという内容のものになっています。」
鋭い視線が、私の心を折らんばかりに突き刺さる。
私は手に力を込めて、更に続けた。
「この契約を交わした貴族は子爵家以下に限られており、現在全て没落しています。
戸籍上では、婚約者として届け出ている履歴はなく、個人間の契約と、金のやりとりということがわかります。
……そして、契約が結ばれ、送り込まれた女性は、この死亡届に書いてある通り、皆不自然に亡くなっています。
これが……ドルンベルク家の噂の正体です。」
私が言い終えた瞬間、グレゴールが強くバンッと机を叩いた。
しかし、その激しい行動に似合わず、表情は、まるで呆れているかのような、馬鹿にしているかのような顔であった。
「馬鹿なことを言うな。
ああ、アルドリヒ王よ。このような戯言を、信じるわけ無いでしょうな。
そもそもこの契約書が本物である証拠がない。」
ここで言い負けるわけにはいかない。
王が話し始めるよりも先に、私は9枚目の契約書を突きつけて、勢いよく捲し立てる。
「この印影は紛れもなくドルンベルク家の紋章ではないでしょうか。
これを見てください。『リュシア・ルーヴェラン』は私の名前です。
私も確かに、父親から婚姻を結んだと話を受けました。」
「はあ、偽造なんていくらでも出来る。
本物だとすれば、この娘がどうやってこの契約書手に入れるというのでしょう。
なんだ?魔法でも使えるというのか?」
嘲笑いながら話すグレゴールの発言に、言葉を詰まらせてしまう。
そうだ、彼の言葉は間違っていない。
確かにこの証書が本物だと立証できなければ、私の言葉はただの嘘の告発。
公的書類や契約書の偽造行為は間違いなく死刑だ。
何年間も黒い噂が周り、これまで疑いを抱かれていながらも、ドルンベルクがのうのうと生きているのは、
絶大な権力と、確固たる証拠を掴めず調査に踏み込めないことが理由だ。
「茶番ですな、いいでしょう。許しますよ。まだ16歳の成人にも満たない子供がやったことですから。」
何も言わない私に、勝ちを確信したのか、グレゴールは大きな声で笑う。
その時だった。
「——発言を、宜しいでしょうか!」
力強い声が、流れを変える。
皆が振り返ると、そこには1人の少女が立ち上がっていた。
「レイナ…。」
堂々たる姿勢だった。しかし手は震えていた。爪が食い込むほどに拳を握っている。
それでも彼女の瞳は、恐怖を押し殺し、まっすぐに開かれていた。
「なんだ貴様は。」
ドルンベルクの鋭い声が響く。
「ただの下女のくせに、いつからここにいた?
身の程を弁えろ、下賤が。」
だが、レイナは怯まなかった。
震えを抱えながら、まるで炎のような光をその瞳に宿していた。
「この契約書が本物であるかはドルンベルク家を調査していただければすぐに分かることです。
…私は、関与を裏付ける物を持っています。」
「彼女の発言を、許しましょう。」
重々しい声で、文官が告げる。
「ふざけないでくれたまえ。この話し合いは終わりだ。アルドリヒ王、もういいですかな。」
グレゴールは王に促すように話しかける。
何も発言をしていなかったアルドリヒ王も、取り繕った笑みを浮かべる。
「うむ…、そうだ。もう良い。リュシア嬢よ、寛大なグレゴールに感謝を——「父上。」
王の発言を止めたのは、殿下の凜とした声だった。
「公の場での話し合いにおいて、身分関係なく立会者が認めた発言は許されるものです。
まさか、この国古くからのルールを無碍にすることなど、あってはならないかと。」
室内に再び、重い沈黙が落ちた。




