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死にたがり令嬢の幸せ  作者: 春風もも
モルテの森
10/29

愛しているから

目を覚ました王子を、すぐに森の外へ返すわけにはいかなかった。

彼は名乗ったとおり、王国の王子。今も兵士や従者が血眼で探しているに違いない。

けれど、今の彼は体力を奪われ、歩くことすら難しい。


「視察中だった。……雪に足を取られたのか、突然馬が暴れて、振り落とされてしまった。気づけば、森の奥に迷い込んでいた。」

かすかな笑みを浮かべながら、王子は炉の前で姿勢を正した。


「徒歩で抜けようとしたが……すっかり力尽きて眠ってしまったらしい。情けない話だ。」


王族らしい堂々とした声とは裏腹に、青ざめた顔と震える様な仕草が、その壮絶さを物語っていた。


体力が戻るまで、アデルハイトは、この小さな小屋に泊まることになった。


私は初め、警戒を強めていた。

セオと違い、生身の人間で歳も近い男だ。


けれど意外にも、殿下は紳士的だった。

最初に「運命だ」と熱を帯びた言葉を投げかけた時とは違い、無理に近付こうとすることはなく、節度を保ち、礼儀正しく私に接した。


「リュシア、やはり王宮に来ないか?」


暖炉の炎に照らされる横顔は、揺るぎなく真剣だった。

けれど私は首を横に振る。


「私には学園での学びもありません。文字も計算も、人並みにはできません。」

「これから学べばいい。」


「この体は……傷だらけです。」

「だから何だというんだ?」


「家族だって…。」

「身寄りなんてどうとでもなるさ。」


即答されるたびに、言葉に詰まる。


王子は静かに、しかし確固たる声で告げる。

「しかし、君がどうであろうと関係ない。国としても、僕は君を保護しなければならない。」


「……どうして。」


彼はわずかに表情を曇らせ、そして重い事実を告げた。

「この森は……燃やされるんだ。近いうちに。」


血の気がすっと引いた。

耳鳴りがして、目の前の炎が遠ざかるように揺れる。

燃やされる?私の居場所は、ここだけなのに?

生い茂る草木も、動物たちも泉も、全て?

そして、この地に漂う彼は……。


——そうだ。セオは?


小屋の中を見渡す。

アデルハイトが来てから、2日、セオの気配がない。


胸をかき乱されるような焦りを覚え、勢いよく立ち上がった。

「……外へ出ます!」


「リュシア、待ちなさい!」

王子の声を背に、私は雪の中を駆け出した。




重い雪を蹴り上げながら、私は必死に走っていた。

冷たい空気が喉に突き刺さり、肺が焼けつくように痛い。


「はぁっ……はぁ……っ!」


白い吐息が乱れ、視界は涙でにじんでいる。


「リュシア!リュシア!!」

背後から鋭く、自分を呼ぶ声が響いた。


「止めないで!探さなければならないのです!」

振り返らずに叫ぶ。

今すぐ、セオに伝えなければいけない。


「違う! そうじゃない、リュシア!」

私は足を止めず辺りを見回しながら走り続ける。


「ごめんなさい! すぐに戻りますから……!」


「ああ! もう! 僕だよ!」


なんだか聞き覚えのあるような声だと、ふと感じた。

そもそも、まだ体力が戻ってない殿下が、雪の中、私を追いかけられるだろうか。

私は勢いよく振り返る。


そこには――いつものように宙にふわりと浮かぶ黒髪の青年、セオがいた。

金の瞳が、雪明かりに反射して静かに光っている。


「セ……オ……?」


息を切らしながら信じられないものを見るように呟く私に、セオはいつもの調子で笑った。


「もう、リュシア、いつの間にそんなに走れるようになったの?

僕はちゃんと最初から見てたよ。

全部ね。だから大丈夫。」


何が大丈夫なのだろう。

胸がじくじくと痛む。

声を出したいのに、声にならない。

「セオ、森が、森が、!」


セオは、明るく言葉を続けた。


「よかったじゃん。あいつ、王子なんだろ? 悪いやつじゃなさそうだ。家族のことだって、婚約のことだって、きっとどうにかなる。

……いや、もう一年近く消息を絶ってるんだから、婚約なんて無効だよ。」


私に喋る暇を与えないかのように言葉を続ける彼の笑顔は、いつも通り軽い。

けれど、私の思い違いか、はたまた願望だろうか、彼の瞳の奥には寂しさが宿っているように見えた。


「この森が燃やされるのも、聞いたよ。

心配しなくても大丈夫、僕はこの森に囚われているわけじゃないから。

居心地がいいだけで、実はどこへでも行けるんだ。」


雪がしんしんと降り積もる中、セオは少しだけ目を細め、最後にこう告げた。


「だからさ……君は、彼と一緒に行くんだ。」


聞きたくなかった言葉に、心臓がぎゅっと掴まれたように痛んだ。

吐く息さえも凍りつくほど、冷たい空気が、喉を締める。


「……嫌です。」


振り絞った声は震えていた。

雪の冷たさよりも、胸の奥を締めつける苦しさのほうがずっと強かった。


セオは目を伏せ、しかし柔らかな声で告げる。

「大丈夫。君なら上手くやれるよ。」


私は強く首を振った。

雪粒が髪に絡みつき、頬を濡らす。

一度溢れた涙は、もう止まらない。


「嫌です……嫌です!

ずっとここに、一緒にいればいいって……やりたかったこと、一緒に取り戻そうって、言ってくれたじゃないですか……!」


声は次第にかすれ、喉の奥で詰まっていく。

必死に繋ぎとめようとする私の言葉に、セオは苦しげに目を細めた。


「……リュシア。」

彼の声は、優しくも重かった。


「薄々気づいてるかもしれないけど……僕たちは、どんどん引き離されてる。」


「……え?」


「これは、憶測だけど。

君が生きようとすればするほど……笑うようになって、元気になって、生気が満ちれば満ちるほど、僕は君の目に映らなくなっていく。

きっと、声を交わすことも、やがてできなくなるんだ。」


ゆっくりと、セオの言葉を理解していく。

声にならない嗚咽が洩れる。

「……そんな……!」


「僕たちが出会えたのは、この森の不思議な力と、当時の君が死に近いところにいたからだと、思う。」


必死に否定しようとするけれど、涙が次々に零れ落ちるばかりだった。


セオは、悲しみを隠すように少し笑い、首を振った。

「前もそうだったな。泣いてる君を、僕は抱きしめることができない。」


両手で顔を覆っても、嗚咽は静かな森に切なく響く。


セオはふわりと近づき、優しい声で、囁いた。

「幸せになってほしい。

……リュシアを、愛しているから。」


その言葉は、残酷に、私の心に突き刺さった。


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― 新着の感想 ―
まさかの予想が的中w やっぱりリュシアの方が見えなくなっていたんですね。 そしてやっぱり固辞。 純粋であればあるほど打算的になれず、時には自分自身を不幸に追い込んでしまうこともある。人生ってままな…
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