集団の罪、個人の代償(サークルメンバー視点)
私、四宮杏奈は映画研究サークルの副代表として、みんなから頼られる存在だった。サークルは仲が良く、先輩後輩の垣根もなく、楽しい日々を過ごしていた。栢森透も、そんなメンバーの一人だった。地味で目立たないけど、真面目で優しい人。彼女の柊美桜ちゃんとも仲良く、理想的なカップルだと思っていた。
だけど、あの日。全てが変わった。
十月の終わり、神楽先輩がサークル棟に私たちを集めた。代表の鷹見先輩も一緒で、二人とも深刻な顔をしていた。
「実は、栢森のことなんだけど」
神楽先輩が、重い口調で切り出した。
「あいつ、美桜ちゃんを裏切ってたみたいなんだ」
「え?どういうこと?」
私は驚いて聞き返した。栢森くんが浮気?信じられない。
「これ、見て」
神楽先輩がスマートフォンを取り出し、メッセージのスクリーンショットを見せた。栢森くんのアカウントで、知らない女性とやり取りしている内容。かなり親密な感じで、明らかに浮気だと分かる内容だった。
「これ、本物なの?」
「本物だよ。それに、もっと決定的な証拠がある」
鷹見先輩が、小さな箱を取り出した。中には、ネックレスが入っている。
「これ、美桜ちゃんが前になくしたって言ってたやつだろ?神楽と一緒に、栢森のロッカーから見つけたんだ」
「え、なんで栢森くんが」
「分かんないけど、多分その女に渡そうとしてたんじゃないか?で、バレるの怖くなって隠してたとか」
私は、混乱した。栢森くんが、そんなことをする人だとは思えない。でも、証拠がある。メッセージも、ネックレスも。
「マジで最低だな、栢森」
サークルのメンバーの一人が、吐き捨てるように言った。
「美桜ちゃん、あんなに栢森のこと好きだったのに」
「可哀想すぎる」
みんなが、口々に栢森くんを非難し始めた。私も、何も言えなかった。証拠がある以上、栢森くんが浮気していたのは事実なんだろう。
「これ、美桜ちゃんに伝えるべきだよね」
私が言うと、神楽先輩が頷いた。
「ああ。辛いけど、早く知った方がいい。俺が伝えるよ」
そして、神楽先輩は美桜ちゃんを呼び出し、全てを話した。美桜ちゃんは泣き崩れ、栢森くんを問い詰めた。栢森くんは必死に否定したけど、誰も信じなかった。だって、証拠があるんだから。
それから、サークル内の空気が変わった。栢森くんは完全に孤立した。誰も話しかけないし、活動にもほとんど参加しなくなった。私も、栢森くんを避けるようになった。浮気した人と、どう接すればいいのか分からなかった。
ある日、鷹見先輩が私に言った。
「四宮、栢森のことなんだけど、もし誰かに聞かれたら、俺たちがネックレスを見つけたって証言してくれる?」
「え、でも、私はその場にいなかったけど」
「大丈夫、細かいことは気にしなくていい。ただ、神楽と俺が一緒にロッカーを開けて、ネックレスを見つけたって言ってくれればいいから」
「でも、嘘になるんじゃ」
「嘘じゃないよ。実際に見つけたんだから。お前は後で聞いただけってことにすればいい」
鷹見先輩は、そう言って笑った。私は、何となく違和感を覚えたけど、深く考えなかった。神楽先輩と鷹見先輩が言うなら、きっと正しいんだろう。
それから数ヶ月、栢森くんはますます孤立していった。ゼミでも、講義でも、誰も彼と関わろうとしない。まるで、存在しないかのように。私も、廊下で栢森くんとすれ違うと、目を逸らした。関わりたくなかった。
だけど、二月に入って、全てが変わった。
大学のハラスメント委員会から、呼び出しを受けた。栢森くんが、神楽先輩を告発したという。そして、私たちにも証言を求められた。
「四宮さん、あなたは神楽くんと鷹見くんが、栢森くんのロッカーからネックレスを発見した現場にいましたか?」
教授が尋ねた。私は、戸惑った。
「えっと、その、現場には」
「いたんですか?いなかったんですか?」
「いなかったです。後で、鷹見先輩から聞きました」
「では、あなたは実際にネックレスが発見される瞬間を見ていないんですね?」
「はい」
教授は、何かをメモした。それから、他のメンバーにも同じように聞いていった。すると、証言がバラバラだった。ある人は「その場にいた」と言い、ある人は「後で聞いた」と言う。日時も、曖昧で誰も正確に答えられない。
「おかしいですね。神楽くんは、複数の目撃者がいたと言っていましたが」
教授の言葉に、私は冷や汗をかいた。何か、おかしい。私たちの証言が、矛盾している。
そして、決定的だったのは、防犯カメラの映像だった。委員会が見せてくれた映像には、神楽先輩が一人で栢森くんのロッカーを開け、中に何かを入れている様子が映っていた。
「これは、どういうことですか?」
教授が尋ねた。私は、言葉を失った。神楽先輩が、ネックレスを栢森くんのロッカーに入れた?それって、つまり。
「神楽先輩が、栢森くんを陥れたってこと?」
私の声は、震えていた。教授は、静かに頷いた。
「栢森くんは冤罪でした。神楽くんが計画的に彼を陥れ、あなたたちはそれに加担した形になります」
「でも、私たちは知らなくて」
「知らなかったでは済まされません。あなたたちは、証拠もなく栢森くんを非難し、孤立させた。それは、ハラスメントです」
私は、頭が真っ白になった。栢森くんは、本当に何もしていなかったのか。私たちは、無実の人を追い詰めていたのか。
その後、神楽先輩は逮捕され、大学からは退学処分が下された。そして、私たちにも処分が下った。鷹見先輩と私は、三ヶ月の停学。他のメンバーも、厳重注意を受けた。
停学中、私は何もする気が起きなかった。就職活動の時期だったのに、企業に説明する気力もない。案の定、停学処分のことを聞かれ、内定はもらえなかった。
「四宮さん、あなたはハラスメントに加担したと聞いていますが」
「それは、誤解で」
「誤解?大学の公式な処分ですよね?」
採用担当者の冷たい目が、突き刺さった。私は、何も言えなかった。
鷹見先輩も、就職に失敗した。それどころか、単位が足りず留年が決まった。先輩は、すっかり元気をなくし、サークルにも来なくなった。
ある日、私は勇気を出して、栢森くんに謝罪のメッセージを送った。
「栢森くん、本当にごめんなさい。私、あなたを信じるべきでした」
だけど、返信はなかった。既読もつかない。きっと、ブロックされたんだろう。当然だ。私は、栢森くんを裏切った。証拠も確認せず、ただ神楽先輩の言葉を信じて、栢森くんを追い詰めた。
三月、私は大学を自主退学した。もう、ここにいられなかった。キャンパスを歩けば、みんなが私を見る。あの時、栢森くんが受けたのと同じ目で。
「四宮、栢森くんをいじめてたんだって」
「最低だよね」
「自業自得じゃん」
私は、栢森くんの気持ちが、今になって分かった。孤立する辛さ。誰も信じてくれない絶望。それを、私は栢森くんに与えてしまった。
実家に戻り、両親に全てを話した。母は泣き、父は激怒した。
「お前は、何をやってるんだ」
「ごめんなさい」
「謝って済む問題じゃない。お前は、人の人生を壊したんだぞ」
父の言葉が、胸に突き刺さった。その通りだ。私は、栢森くんの人生を壊そうとした。そして、その報いを受けている。
就職先もなく、大学も辞めた私に、未来はなかった。地元の小さな会社に、アルバイトとして雇ってもらったけど、正社員になれる見込みはない。同級生たちが、大手企業に就職し、キラキラした生活を送っている中、私は毎日を惰性で過ごしている。
ある日、SNSで栢森くんの近況を見た。大手企業に就職し、新しい環境で頑張っているらしい。写真には、笑顔の栢森くんが映っていた。あの時の、暗く沈んだ表情とは全く違う。
私は、涙が溢れた。良かった。栢森くんは、立ち直ってくれた。私たちが彼にしたことを乗り越えて、新しい人生を歩んでいる。
でも、私は違う。私は、あの時の罪を、一生背負って生きていく。栢森くんを追い詰めたこと。証拠も確認せず、集団で一人を孤立させたこと。それは、決して許されることじゃない。
鷹見先輩からも、連絡が来なくなった。きっと、先輩も同じように、罪の重さに苦しんでいるんだろう。
サークルの他のメンバーたちも、それぞれに代償を払った。就職に失敗した人、大学院進学を諦めた人、人間関係が壊れた人。みんな、あの時の行動を後悔している。
私は、毎晩、栢森くんに謝罪の言葉を心の中で唱える。
「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
でも、その言葉は、もう栢森くんには届かない。私は、ただ罪を背負って、生きていくしかない。
これが、集団でいじめに加担した者の末路。これが、人を信じず、安易に他人を断罪した者への報いだ。
私は、二度と同じ過ちを繰り返さない。もし、もう一度人生をやり直せるなら、あの時、栢森くんの話をちゃんと聞いただろう。証拠を自分の目で確認しただろう。集団の空気に流されず、自分の頭で考えただろう。
でも、もう遅い。私の人生は、あの時から狂い始めた。
そして、それは全て、私自身の責任だ。




