第二話 因果応報の刻 ~間男と浮気女、そして傍観者たちの末路~
二月の冷たい雨が、キャンパスを濡らしていた。大学のハラスメント委員会による調査が始まって、三週間が経過した。俺、栢森透は、調査委員会の部屋で、再び証言を求められていた。長いテーブルの向こうには、教授三名と事務職員二名。彼らの前に、俺が提出した膨大な資料が積まれている。
「栢森くん、改めて確認します。この防犯カメラ映像は、情報システム課から正式に入手したものですね?」
中央に座る初老の教授が尋ねた。
「はい。盗難被害の申請をして、正規の手続きで閲覧許可をいただきました」
「そして、このメタデータ解析の結果も、あなた自身が行ったものですか?」
「はい。経済学部で学んだデータ分析と、個人的に習得したプログラミングスキルを使用しました」
教授たちは、顔を見合わせた。
「栢森くん、率直に言って、この証拠の精度は非常に高い。我々も専門家に確認を依頼しましたが、偽造や改ざんの痕跡は一切ありませんでした」
「ありがとうございます」
「ただし」
教授は、眼鏡を外した。
「この件は、単なる学生間のトラブルでは済まされません。名誉毀損、不正アクセス、場合によっては刑事事件に発展する可能性があります」
「承知しています。既に、警察にも被害届を提出済みです」
「そうですか」
教授は深く溜息をついた。
「神楽蓮司くんには、明日、事情聴取を行います。同時に、この件に関与したとされる他の学生たちにも、順次聴取を行う予定です」
「お願いします」
俺は深く頭を下げた。
調査委員会の部屋を出ると、廊下で早乙女凪が待っていた。
「栢森、どうだった?」
「順調だ。明日、神楽の聴取がある」
「ついにか」
凪は拳を握りしめた。
「あいつ、最近めちゃくちゃ焦ってるぜ。サークルでも、妙にピリピリしてる」
「そうか」
「美桜ちゃんも、最近見ないな。神楽と一緒にいるところも、あんまり見ないし」
美桜。あれから、彼女とは一度も顔を合わせていない。メッセージも、電話も、全て無視している。もう、関わりたくなかった。
「まあ、もうすぐ全部終わる」
俺は、そう言った。
翌日、ハラスメント委員会による神楽への事情聴取が行われた。俺は同席を許されなかったが、終了後、委員会から報告を受けた。
「神楽くんは、全面的に容疑を否認しています」
教授が、疲れた表情で言った。
「防犯カメラの映像についても、たまたまロッカーの前を通っただけで、中に何かを入れた覚えはないと主張しています」
「では、図書館端末からの不正アクセスについては?」
「それについても、誰かが自分の学生証を使ったのではないかと」
「苦しい言い訳ですね」
「ええ。ですが、彼には弁護士がついています。おそらく、ご両親が手配したのでしょう。かなり強硬な姿勢です」
神楽の家は、地元では有名な不動産会社を経営している。金も権力もある。簡単には屈しないだろう。
「ですが、証拠は揃っています。大学としても、このまま放置するわけにはいきません。来週、懲戒委員会を開催します」
「分かりました」
俺は頷いた。
その夜、俺のスマートフォンに、非通知の電話がかかってきた。
「もしもし」
「栢森か」
聞き覚えのある声。神楽だった。
「何の用だ」
「お前、いい加減にしろよ。くだらない証拠集めして、俺を陥れようとして」
「陥れる?お前が俺にやったことだろう」
「チッ。お前、分かってないな。俺の親父、この地域じゃ顔が広いんだぞ。大学にも、いろんなルートで圧力かけられる」
「脅しか」
「脅しじゃねえよ、忠告だ」
神楽の声は、焦燥に満ちていた。
「お前が引けば、俺も矛を収める。このまま騒ぎ立てても、お前に得はないぞ」
「断る」
「栢森」
「お前がやったことは、犯罪だ。法で裁かれるべきことだ。俺は、最後まで戦う」
「後悔すんなよ」
電話は、一方的に切れた。
翌週、懲戒委員会が開催された。俺は証人として出席し、再び全ての証拠を提示した。神楽も出席していたが、その顔は蒼白だった。横には、スーツ姿の弁護士が座っている。
「神楽蓮司くん、あなたは栢森透くんのロッカーに、柊美桜さんのネックレスを無断で侵入して入れた。そして、偽造したメッセージを使って、栢森くんの名誉を毀損した。これらの行為について、どう説明されますか?」
委員長である教授が、厳しい口調で尋ねた。
「私は、そのようなことは一切していません」
神楽は、落ち着いた声で答えた。だが、その額には汗が浮かんでいる。
「防犯カメラの映像は、たまたま通りかかっただけです。ロッカーに何かを入れた覚えはありません」
「では、このメタデータの不一致については?偽造されたメッセージは、図書館の端末から作成された痕跡があります。そして、その端末を使用していたのは、あなたの学生証でログインした記録が残っています」
「それは、誰かが私の学生証を使ったのではないでしょうか」
弁護士が横から口を挟んだ。
「学生証の管理については、本人の責任ですが、盗難や紛失の可能性も否定できません」
「神楽くん、あなたの学生証が盗まれたという届け出は、一切出されていませんね?」
「それは、気づかなかったので」
「都合の良い言い訳ですね」
委員の一人が、冷ややかに言った。
「さらに、証言の矛盾もあります。あなたがネックレスを発見した際、一緒にいたとされる学生たちの証言が、全て食い違っている。これは、あなたが口裏を合わせようとしたが、不完全だったことを示しています」
神楽は、唇を噛んだ。弁護士が何か言おうとしたが、委員長が手で制した。
「神楽くん、この場は法廷ではありません。ですが、大学としては、この件を非常に重く受け止めています。あなたの行為は、学生としての品位を著しく欠くものであり、他の学生に多大な迷惑をかけました」
「しかし、証拠が本当に正しいのかどうか」
「専門家による鑑定の結果、全ての証拠に改ざんの痕跡はありませんでした。むしろ、あなたの行為を裏付けるものばかりです」
委員長は、書類を閉じた。
「神楽蓮司くん、あなたに対して、大学は退学処分を検討します。同時に、この件は警察にも報告されており、刑事告訴される可能性があります」
「退学?」
神楽の顔色が、さらに悪くなった。
「そんな、俺はまだ就職も決まってないのに」
「それは、あなた自身の行為の結果です」
委員会は、そこで終了した。神楽は、弁護士と共に退室したが、その背中は、明らかに震えていた。
翌日、大学の掲示板に、神楽蓮司の停学処分が発表された。退学処分は最終的な決定ではないが、事実上、彼の大学生活は終わった。同時に、サークル内でいじめに加担した学生たちにも、厳重注意と一部停学処分が下された。鷹見颯太と四宮杏奈は、三ヶ月の停学。その他のメンバーも、厳重注意を受けた。
「栢森、やったな」
凪が、俺の肩を叩いた。
「ああ、ようやくだ」
「これで、お前の名誉も回復するぜ」
「まだだ。警察の捜査が残ってる」
実際、警察は神楽の自宅と大学のロッカーを家宅捜索した。そして、そこから、さらなる証拠が見つかった。神楽のパソコンには、偽造メッセージを作成した痕跡が残っていた。画像編集ソフトの履歴、削除されたファイルの復元データ。全てが、彼の犯行を裏付けていた。
さらに、神楽には余罪があった。彼は過去にも、同様の手口で他の男子学生を陥れ、その恋人を奪っていた。被害者の一人が、警察の捜査をきっかけに名乗り出たのだ。
「神楽蓮司、三件の名誉毀損、二件の不正アクセス、一件の窃盗幇助で起訴か。こりゃ、相当な刑期だぞ」
凪が、ニュースサイトの記事を見せてくれた。
「それだけじゃない。神楽の親父の会社も、ヤバいらしい」
「どういうことだ?」
「不正融資と脱税の疑いで、国税が入ったんだと。神楽の事件がきっかけで、色々掘り返されたらしい」
因果応報。神楽が俺に仕掛けた罠は、最終的に彼自身と、その家族を破滅させた。
数日後、俺のもとに、美桜から連絡が来た。
「透くん、会えませんか?どうしても、話したいことがあります」
俺は、少し迷ったが、最後だと思い、会うことにした。場所は、前と同じカフェテリア。美桜は、さらに痩せていた。目は虚ろで、生気がない。
「透くん、来てくれてありがとう」
「で、話って何だ」
俺は、冷たく言った。美桜は、俯いた。
「私、神楽先輩と、関係を持ちました」
その言葉を聞いて、俺の心は、何も感じなかった。もう、どうでもよかった。
「そうか」
「あの時、透くんを信じられなくて、神楽先輩の優しさに騙されて。私、本当にバカでした」
美桜は、涙を流した。
「神楽先輩が逮捕されて、全部嘘だったって分かって。私、透くんに、何てことをしたんだろうって」
「今さら言われても、困る」
「分かってる。でも、許してほしいとか、やり直したいとか、そんなこと言うつもりはないの」
美桜は、顔を上げた。
「ただ、謝りたかった。透くん、本当にごめんなさい」
俺は、立ち上がった。
「謝罪は受け取った。でも、許すつもりはない」
「うん、分かってる」
「お前は、俺を信じなかった。それだけじゃない。神楽と関係を持って、俺を裏切った。もう、お前とは何の関係もない」
「そうだよね」
美桜は、力なく笑った。
「私、もう大学にいられない。みんなから白い目で見られて。神楽先輩の共犯者みたいに思われて」
「自業自得だ」
「うん、そうだね」
美桜は、席を立った。
「透くん、これからも、頑張ってね。私は、もう、どうなってもいい」
その言葉に、俺は何も答えなかった。美桜は、よろよろとカフェテリアを出て行った。
それから数週間後、美桜が大学を退学したと聞いた。精神的に追い詰められ、実家に戻ったらしい。彼女の両親も、娘の行為を知り、激怒したという。美桜の未来は、真っ暗だった。就職も、進学も、全て諦めざるを得ない。彼女が選んだ道の結果だ。
神楽蓮司は、起訴され、裁判が始まった。複数の被害者が証言台に立ち、彼の卑劣な手口を暴露した。弁護側は、執行猶予を求めたが、検察は実刑を主張した。
「被告人は、計画的に複数の被害者を陥れ、その人生を破壊しました。反省の色も見られず、悪質性は極めて高い。社会的制裁が必要です」
検察官の言葉に、傍聴席からは拍手が起きた。そして、判決の日。神楽蓮司には、懲役三年の実刑判決が下された。
「被告人の行為は、被害者に多大な精神的苦痛を与え、その社会的信用を著しく傷つけました。更生の機会を与えるため、実刑が相当と判断します」
裁判長の声が、法廷に響いた。神楽は、その場で崩れ落ちた。弁護士が支えたが、彼の目からは涙が溢れていた。だが、俺は何も感じなかった。ただ、当然の報いだと思った。
さらに、神楽の父親が経営する不動産会社は、不正融資と脱税で摘発され、倒産した。父親も逮捕され、家族は離散した。神楽の母親と妹は、親戚を頼って地元を離れたという。神楽家は、完全に崩壊した。
サークルの鷹見颯太と四宮杏奈も、停学処分の影響で就職活動に失敗した。企業は、彼らの処分歴を重く見て、内定を取り消した。鷹見は、留年を余儀なくされ、四宮は自主退学した。その他のメンバーたちも、就職活動で苦戦し、多くが希望する企業に入れなかった。
ゼミの同期たちも、俺をいじめたことで、教授からの評価が下がり、推薦状を書いてもらえなくなった。大学院進学を希望していた者も、断念せざるを得なかった。彼らは、俺に謝罪しに来たが、俺は全て拒否した。許す必要はない。彼らが俺にしたことの報いを、受けるべきだ。
そして、三月。俺は、無事に進級した。成績も回復し、教授たちからの評価も戻った。新しいゼミでは、俺を歓迎してくれる仲間ができた。凪も、相変わらず俺の味方でいてくれた。
「栢森、お前、本当にすごいよ。あんな状況から、ここまで立ち直るなんて」
「お前のおかげだよ、凪。お前がいなかったら、俺は潰れてた」
「何言ってんだよ。お前が強かったからだろ」
凪は笑った。
「で、これから、どうすんだ?」
「普通に、大学生活を送る。就活も頑張る。それだけだ」
「彼女は?」
「しばらくは、いいや」
俺は、苦笑した。
「もう、人を信じるのが怖い」
「まあ、無理もないよな」
凪は、肩を竦めた。
「でも、いつか、いい人が見つかるさ。お前なら、絶対に」
「ありがとう」
俺たちは、学食で昼食を取りながら、笑い合った。周囲の学生たちも、もう俺を冷たい目で見ることはない。噂も、真実が明らかになったことで、消えた。俺は、ようやく、普通の日常を取り戻した。
ある日、俺は図書館で、一冊の本を手に取った。タイトルは「デジタルフォレンジックの実践」。あの時、俺が使った技術について書かれた専門書だ。俺は、この本を読みながら、思った。もし、俺があの時、諦めていたら。証拠を集めることを放棄していたら。神楽の策略に屈していたら。俺の人生は、完全に破壊されていただろう。
だが、俺は戦った。真実を追い求め、証拠を積み上げ、正義を勝ち取った。それは、決して簡単な道ではなかった。孤独で、辛く、絶望的な日々だった。だが、俺は諦めなかった。
そして、今。神楽蓮司は刑務所で服役し、美桜は絶望の中で生きている。サークルのメンバーたちも、ゼミの同期たちも、皆それぞれの報いを受けた。俺を陥れた者たちは、全員が地獄に突き落とされた。
これが、因果応報。これが、真実の力。
俺は、本を閉じ、図書館を後にした。外は、春の日差しが眩しい。桜の花びらが、風に舞っている。新しい季節が、始まろうとしていた。
そして、俺も、新しい人生を歩み始める。もう、過去に囚われることはない。神楽も、美桜も、あの忌まわしい日々も、全て過去だ。
俺は、前を向いて歩き出した。この先に、何が待っているのかは分からない。だが、俺は、もう恐れない。どんな困難が待っていても、俺は戦える。真実を武器に、正義を盾に。
栢森透の、新しい物語が、今、始まる。




