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竜鱗騎士と読書する魔術師  作者: 実里晶
囚われの姫君
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88 彼女の背中

 ホログラムの向こうで、ふざけたゴシックドレスの女は優雅にコーヒーのカップを傾けていた。


『……以上が私からの報告だ。ああ、喉が渇いた。君、そろそろ言葉を覚えたまえよ』

「君も働いたらどう、税金泥棒」

『私の魔術が竜の魔力抵抗を破れるわけ無いじゃないか。そんなこともわからないのかね』

「あ、そう……」


 後ろでは市警の職員たちが忙しそうに行き来する。

 市警本部は現在、竜の被害から市民を守り衣食住を提供する避難所、そして要塞のひとつして機能している。

 そんな中、クヨウひとりが竜の魔力による干渉波を物ともしない通信装置の前で優雅に煙草を吸っていた。

『しかしアレが医療関係者の持ち物だということによく気がついたものだな。ボンヤリしているだけの、自信過剰な男ではないとわかって安心したよ。税金泥棒君』

 そういえば、お互い公職なんだっけ。ぐうの音も出ない。

 図書館を出る前、どうしてもクヨウ捜査官にに調べておいて欲しいことがひとつだけあった。

 マリヤのカルテと一緒に見つけたボロボロの杖のことだ。

 あれの持ち主が誰か調べられないか、クヨウに頼んだのだ。

 杖が身分証代わりになってるなら、市警は身元を確かめるためのデータベースか何かにアクセスできる手段があるはずだ。

 それと同時に、杖の持ち主は五年前に雄黄市にいた医療関係者ではないか、と伝えておいた。

 杖のモチーフにまで僕の知っているシンボルが使われるとは思っていなかったけれど、あの杖は《アスクレピオスの杖》にそっくりだった。

 アスクレピオスは古代ギリシャの医神だ。

 その杖には蛇が巻き付いていて、今でも医療のシンボルとして使われてる。

「もしかして、クヨウ捜査官は大分前に気がついていたんじゃないのか? 事の真相ってやつに」

 クヨウ捜査官の表情が歪む。

 彼女は自らの結界に、複雑な構造を使ってみせた。あれはガラスの分子構造のようだった。硝子、つまり、玻璃だ。

『職業柄、知り合いはみんな疑ってかからなければ気が済まない性分でね』

 具体的に何かを知っていたわけではないが、彼女は竜鱗を渡したマリヤを信用してもいなかった。

『マリヤが現在所持している杖は、五年前に焼けている。当時は珍しいことではないが、腕利きの捜査官はいつだって注意しているものなのさ』

「ありがとう。このタイミングで報告が聞けてよかった」

『じゃあな、小さな友人。お前が何をしようとしていて、今どこにいるのか……それは想像の中に留めておこう』

 僕は通信を切った。

 ……聞けた内容は、僕の予想からは外れていた。

 つまり、あの杖は、《マリヤのものではなかった》のだ。

 閉じていた瞼を開いた。

 吐息が白い。

 白い煙の消えた先は、黒く波打つ、翡翠女王国の海だった。

 沿岸部の工場地帯が鉄塔の上に立つ僕の足元に広がっている。

 紅黒い異常な空から、はらり。

 白い花弁が舞い落ちるように、僕の隣に白い竜が降り立った。


「用意はいいか?」


 竜は竜でも人語を喋る、竜鱗騎士だ。

 白マントの学生服姿、腰には魔剣フラガラッハ。

 出会ったときと何ら変わらない硝子細工のような美貌が、闇の中でうっすらと光を放っている。

 何も知らなければ、幽霊に会ったと思ったはずだ。


「……正直に言ってもいい? 凄く怖い。この怖いのって何とかならないのか」

「臆病は不治の病だ。帰って寝ていろ」


 天藍は気取った様子もない。

 正直すぎなだけだった。


「勘違いするな、俺は恐怖を否定しない。騎士団は人間が善で、賢く、生産的だから守護するのではない。もし竜に襲われているのが救い難い咎人であっても、騎士は竜を殺す」


 全ての人間が善人だなんてことはあり得ない。

 竜から女王国を守るということは、愚者をも救うということだ。

 天藍が剣を振るい竜を倒すのだとしたら、救われた者の数には必然的に、帰って寝ている臆病者の僕も含まれている。

 これは冗談だが、と天藍が続けた。


「考えてもみろ、恐ろしいのは俺のほうだ。これから準長老級と戦おうというときに、隣にいるのがどこの馬の骨ともしれない間抜け面の魔術師なんだからな」

「それって冗談って言うかな?」


 僕は苦い表情を浮かべた。


「僕は逃げも隠れもしない。ここには……百合白さんがいるから」


 恐怖を必死に堪える。

 そして、僕が救いたいと願ったものたちに思いを馳せた。


               ~~~~~


『天藍……日長先生も、そこにいますか?』


 天藍のカフスに百合白さんから送られてきた映像は、どこかの工場の内部のような、雑然とした場所だった。


「姫殿下、ご無事ですか!」

「百合白さん、大丈夫?」


 ほぼ同時に僕たちは彼女に話しかける。

 映像には風景が写っているだけで、彼女の姿はない。


『はい。驚きましたが、幸い怪我などはありません』

「いったい今まで、どこに……?」

『天海市の外、竜の領域でしょう。再び海市に戻ったようです。竜は騎士団の追跡を振り切って、高度に逃れました。いつ戻って来るかわかりません……』

「すぐにお迎えにあがります」

『いいえ、騎士団は来てはいけません』


 いつかの時と同じに、百合白さんははっきりと告げる。


『敵の狙いは私ではなく王姫殿下の御命です。こうして竜を海市市街地に放っているのも。説明している時間はありません……騎士団を率いてすぐに翡翠宮に向かいなさい。これは、命令ですよ、天藍団長。……きゃっ!』


 雑音が入り、映像が乱れる。


「百合白さん!!」


 映像に、床に倒れる少女の姿がうつる。

 白金の髪が乱れて、意識を失っているように見えた。

 そして、通信は突然途絶えた。

 天藍が回線を切り換え、百合白さんが最後に通信を行った場所を特定した。

 それと同時に、海市にいた飛竜たちが天市へ移動を始めたと報告をしてきた。

「どうするんだ?」

「……翡翠宮へは、残りの団員とノーマン副団長を向かわせる。私は姫殿下をお救いする」

 その表情には焦りがある。微かで、捉えにくい感情の波だ。

「お前はどうする」

 僕の心はとっくの昔に決まっていた。

 どきどきした。戦ったことなんて、これまで一度もない。

 誰かを殴ったことだってない。


 自分にできるだろうか……。


 僕は竜が恐ろしい。

 そして、それと同じくらいこれから自分がしようとしていることが、心底恐ろしい。

 図書館を出る前に、イブキの様子を確かめた。


「君は戦わなくていい。死ななくてもいい」


 安らかな寝息を立てる少女の背中にそう声をかけたのは、僕の、ただの自己満足だった。


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