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竜鱗騎士と読書する魔術師  作者: 実里晶
囚われの姫君
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85 慈悲と哀れみによりて ‐2 

 眼下に変貌する海市の街並が見える。

 それを見下ろす薄桃色の瞳は、悲痛であった。

 ガラス窓に、破壊を嘆く可憐な乙女の姿が映っている。

 部屋の中には、ピンクのクロスがかけられたテーブルがある。

 茶器と茶菓子も用意されている。

 休日や、謹慎中のときは、この部屋でノーマン副団長を招き、お茶の時間をするのがここのところ百合白の日課だった。

 騎士と姫、立場は違えど気心のしれた女性どうし、たくさんの話をした。

 流行の服のこと、本や絵画、演劇のこと、恋愛や人生哲学について。


 攻撃力に特化した者が多い騎士団で、探査能力に重点を置いた彼女の能力は異能であった。しかし彼女がひとりいれば、天海市全域を包囲する探査網を構築することができる。おまけに、軽い言動の割に馬鹿ではない。マスター・カガチが重用し、去るときに副団長にと推薦したのもわかるというものだ。

 それだけに彼女は自分のすべきことを理解していた。

 団長・天藍アオイが戻るまで、騎士団が守護すべき者、星条百合白のそばを離れず敵から遠ざけ続けること。たとえ何万という国民が竜に蹂躙され、市街地が破壊されることになったとしても。

 ノーマン副団長は雄黄市とはまた別の戦地で竜と戦い続け、必要不可欠な非情さと不合理な理論を獲得していた。すなわち、ひとりを守護するために、時には無数の罪のない命を見捨てなければいけないということだ……。


「あなたの考えは、私も共感するところです、副団長……人を守るということは、簡単なように見えて世の中でもっとも難しいことなのでしょう」


 けれども彼女には弱点もあった。

 マスター・カガチや天藍アオイとは違う。非情に徹しきれない人の感情がある。

 市街地に飛竜が出たとき、百合白は、避難を促す副団長にこう告げた。


『そこで何をしているのです、ノーマン副団長。海市に竜が現れたのですよ。竜鱗騎士団は、民を守らなくてはいけません。ここで食い止めなければ、天市におられる王姫殿下に奴らの牙が届くのも間もなくでしょう』


『天藍がこちらに戻ると連絡をしてきましたが、必要ないと伝えました。騎士団の皆さま、どうか、女王国の民を守ってください。そうでなければ、この百合白は避難はしません』


『私が避難するのは女王国の民、その最後のひとりとしてです』


 ノーマン副団長は、やろうと思えば彼女を力ずくで避難させることも可能だった。

 だが彼女はそうしなかった。

 その視線は、見慣れた茶器やクロスに移った。

 そこで過ごした時間は、冷徹さの入り込む隙間のない、人の血の通ったものだということを彼女は思い出した。思い出してしまった。

 だから、彼女は騎士としての立場を瞬間、忘れた。

 そして百合白の……姫としてではなく人としての意志を尊重することを選んだ。親しい女友だちのような百合白姫の、個人的な願いをかなえるという選択をしてしまったのだ。


「だからこの結末は、私の望み通り。予測されたものでした」


 彼女は窓の外を見て、微笑む。

 紅の空を背景に、巨大な竜が頭から、回転しながら落下してくる。

 紅い血の帯と共に、その口に騎士のひとりを咥えて。

 瞳は百合白を見据えていた。


 銀華竜は地面スレスレまで高度を落として、死体を吐き捨てると、再び急上昇。

 発達した肢で最上階の窓に取り着く。

 百合白は少し下がっただけで、逃げようとはしなかった。

 ただ、強化ガラスの向こうにある存在を愛しげに眺めただけ。

 微笑みながら。


 数秒の後、咆哮と共に、最上階の壁面が破壊された。

 息吹でもなく、魔術でもない。

 単純な破壊。


 土埃が舞い、何層もの魔術防御が食い破られ、壁材が崩れ落ちる。


 遠く離れた貧民街で、女騎士の悲鳴が上がった。



                ~~~~~



「何が起きた……!?」


 天藍の呆然とした呟きは、そのまま僕のものだった。

 下屋敷から、竜を追って貧民街に直行し、そこで竜が消えるのを見た。

 煙のように、何の気配もなく忽然と。

 竜鱗騎士団のひとりらしい若い女性が、呆然と路地に座りこんでいる。

「副団長、何があった!」

 天藍が駆け寄る。

「だ、団長……! 姫、殿下が……!」

 姫殿下。

 百合白さんが……?

 彼女の口からこぼれた言葉は、信じ難い単語の連なりだった。

「住まいが、竜に襲われて……」

「竜? 飛竜のことか?」

「いいえ、先程、我々の前から消えた銀華竜です」

 そんな。

 僕は絶望感に、声も上げられない。

「姫殿下はご無事か」

 そう訊ねた天藍の勇気を、表彰したいくらいだ。

「……反応がありません。連れ去られ、再び消えました。少なくとも天海市にはいません」

 天藍が僕を見てくる。

 それより早く、僕は金杖を抜いていた。

「《昔々、ここは偉大な魔法の国》!」

 師なるオルドルの感覚を借り、情報を収集する。

 それだけだと捜索範囲は流石に狭い。

 腰に下げた水の瓶を割り、中の水を媒介にオルドルが、僕の唇を借りて呪文を紡ぐ。


「《清き水の流れよ、万物を浄化し流転する力よ、その源にいざないたまえ、その力を知らしめたまえ、我が名オルドルのもとに下りたまえ》」


 その偉大な力でもって、我に王者の冠を与えたまえ。

 水のめぐるところすべて、木々は我が手足、獣は我が瞳、我が耳、我が声音……。

 オルドルの感覚が広がって行く。

 街路樹や上下水道を流れる水、街のあちこちに潜む獣たち。

 鳥や鼠、野良犬や猫、虫たちが、彼の支配下に置かれていく。

 そして、オルドルの視界が僕に流しこまれる。


 上部三層が破壊され、煙を上げる高層ビル。

 地面には殺された竜鱗騎士たち。

 何故、避難していてくれなかったんだろう……。

 天海市の中に、あの禍々しい巨大な竜の姿は無い。


 無い。


 学院にも、

 奉仕院にも。


 天市にも、翡翠宮にも。


 どこにも無い。


 くまなく探したところで、彼女の姿は無かった。


《新任の先生なんですね》


 そう言って、僕を助けてくれた。


 頼む、お願いだから、鈴を鳴らしてくれ。

 しばらくの間、魔法を維持しながら願った。

 天律を奏でる鈴が鳴れば、その魔術の波長なら、オルドルが気がつく。

 どこにいてでも捉えられる。

 最後に会ったとき、彼女は寂しそうだった。

 あのまま別れるなんて、イヤだ。

 僕には耐えられない。

 また聞かせてほしかった。あの鈴の音、その優しい響きを……彼女がどんな罪を背負っていたとしても。

 瞳の奥が熱く煮えたぎるのがわかった。

 情報を処理しきれなくなった脳味噌が鈍い頭痛を訴える。


『……ツバキ、そろそろ切ったほうがいい。これ以上はムダだし、君の負担が大きすぎる。失明しちゃうヨ』

「ツバキ!」


 名前を呼ばれて、魔法による捜索を打ち切る。

 天藍が僕の肩を掴み、揺さぶっていた。

 その顔は、必死で。


「…………ごめん」


 それだけしか言えなかった。

 僕は灰の瞳を見る。

 灰の瞳も、僕の瞳を透かして残酷な現実を見ていた。

 天藍は、竜鱗騎士でも、魔術師でも、美しい少年でもなくて。

 ただの何もかも無くしてしまったひとりの人間に見えた。


 彼は僕と同じだ。

 守りたくて……彼女だけが希望で。

 それなのに守れなかった、愚かな魔術師がふたり、ここにいる。

 


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