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74 失踪

 にらみ合いは果てしのない時間に感じられた。

 凝縮された澱んだ空気にいたたまれず、僕は天藍の服を引っ張った。


「帰ろう、義務はもう果たしただろ」


 長机にそろった貴族たちは、もう僕らのほうなんか見てもいない。

 次々に入ってくる情報を処理するのに忙しいみたいだ。

「マスター・ヒナガ」

 黒曜の視線が、僕に向く。

「魔法学院の生徒の安否情報で知らせたいことがある。あとで私の邸を訪ねてくれ」

「はあ? そんなの、僕に聞かせたって仕方ないだろう」

「そう言うな。君が手に入れた新しい魔導書について意見も聞かせてもらいたい」

「新しい……」

 青海文書のことか……? 言葉通りの意味ではないことに、ようやく気がつく。

 要するに話がしたいってことだ。

 この場の誰にも聞かせられない話を、青海の魔術師だけで。

「……お前の家はなんか嫌だな」

「ではこれを」

 黒曜が僕に、銀色の鍵を投げてくる。

「君のよく知るところの鍵だ」

 天市で、僕のよく知っているところはひとつしかない。

「勝手に使っていいのかよ」

「構わない。故人の意志であり、彼は君の後見人だ」

 僕は天藍の肩に触れた。

 軽く叩いても、噛まれたりはしなかった。

「行こう」

 天藍は無言だ。こいつは自分のことをあんまり話さないし、無表情が板についてる。

 でも、それも当然だ。

 今みたいな嫌味ったらしい仕打ちをずっと受け続けてきたなら、僕だって笑えないだろうし何も話さないだろうな。

「騎士団と合流する」

 回廊に出ると、天藍はそれだけ言って、空に羽ばたいた。

 風を掴んで、高く上がってく。

 まるで紅色の空に舞う白い鳥だ。


     ~~~~~


「……外から見ると、結構でかいな」


 煉瓦作りの屋敷はかつてリブラのものだった。今はどうだか知らないが。

 邸内はきれいに整頓されていた。

 リブラの寝室も、食事をした中庭も、僕に宛がわれた個室も、そのままだ。

 中庭でぼんやりとしていると、あたりが少し暗くなってきた。

 そういえば、イブキにカガチからの伝言を伝えるの忘れてた……伝えるのはいつになるんだろう。

 イブキがついているとはいえ、アリスさんたちのことだって心配だ。色々考えていると暗い気持ちになり、もう二度と会えないんじゃないか……そんな気分になってしまうのは、それは、僕がこの天災みたいな竜の攻撃に対してあまりにも無力だからだろう。

 いやな風が吹いた。

 よくわかる。僕もだいぶ、魔法の雰囲気みたいなのに慣れてきた。

 次元……とかいうのかな。

 空気の層がねじれる、みたいな。

 僕の前を金色の矢が走っていって、花壇の鉢が音を立てて割れた。

 左側方向にぽっかり開いた穴から、黒いマントを身に着けた黒曜が弓を片手に飛び出してくる。

「遅くなった」

「矢はいらないだろ、矢は」

「これが一番的確だ。しかも速い」

 黒曜はうっとうしそうに、足元まである長いマントを脱ぎ去った。

 マントの下は、意外にも僕の理解の範疇にある衣服だった。

 灰色のズボンに黒いベスト、白いシャツ。

 そうしていると肉体年齢十五歳だというのも納得できる。

 どうにも大人っぽすぎる容姿で、同じ年頃には見えなかったんだ。

 天藍は僕が腰かけている段差の隣に座って、くるくると巻物を解いた。

「うわ、羊皮紙……」

「女王府の悪しき慣習だ」

 無造作に渡してくる。それは女王国の言葉ではなかった。

 たぶん、黒曜が翻訳したんだろう。学院の生徒たちの安否情報ってやつ。

「ウファーリ・ウラルも無事だ」

「ご丁寧に、どうも……でも、漢字多すぎ……」

 字も達筆すぎて、ジェネレーションギャップを感じる。

 黒曜は勝手知ったるなんとやら、棚から酒瓶を取り出してきて勝手に蓋を開けている。

 こいつにしろ、紅華にしろ、自由すぎる。

 よっぽどリブラと親しかったのか、横暴なのかどっちだろう。

「おい、十五歳」

「そう。偉大な魔法の力だ。黒曜家当主はこの歳のまま百年以上生きて、死ぬ。望むと望まざるとだ。飲まずにやってられるか」

「好きでやってるんじゃないの?」

「私もこちらに来たときはそれなりに理想があった。未知の世界、未知の文化、未知の技術に希望も抱いた。君もそうではないか? 日長君。希望はやがて朽ちる。異世界とはいえ人間がいれば、そこにあるのは地続きの《現実》でしかない」

 黒曜は忌々しそうに言う。

 僕は、翡翠女王国に来たくて来たわけじゃない。

「さて、本題だ。君、王姫殿下の居場所を知らないか?」

「…………え?」

 やぶから棒の発言に、僕は呆然としてしまう。

 酒を煽りながら、黒曜はただでさえ鋭い瞳を細くした。

 難しい顔つきだ。

「やはり、知らないか」

「待ってくれ、どういうこと……? いないの?」

「いない。海市に飛竜の一群が出たという報が宮に入った、その直後に消えた。誘拐や事件の類ではない。おそらく自分の意志だろう」

 なんだか、とんでもない話を聞いている気がする。

「そんなことってできるの……?」

「彼女は魔法使いだ。女王国で、ただひとり、生まれたときから魔法を使うことを許された魔女なんだ。本気で逃げられたら、誰にも止められない」

「でも、こんなときに?」

 国が、その首都が大変なことになってるんだ。

 それなのに、いなくなるなんて常識じゃ考えられない。

 こんなこと、とても公にはできない。だから黒曜は席を外したんだろう。

「幸い、実務は私ひとりでどうにかなる」

 黒曜は何故か、胸を張って言った。

「そういう自慢はいいから……紅華の行方、わからないの?」

「だからお前に聞いたんだ」

「どうして、僕?」

 黒曜は胡乱げな顔で、僕の顔を見据えた。

「お前以外に、誰かいるのか?」

「誰かって? 全然、話が見えないんだけど……酔ってないよな、まさか」

「彼女はお前の心配ばかりしていたから、てっきりそうだと思ったが。勘違いか?」

 心配?

 紅華が、僕の……?

 話がまったくかみ合わない。

 なんだこれ、意味がわからないぞ。

 紅華とは、僕が一方的に痛めつけることはあっても、心配してくれるような関係性では全く無い。

「わからないなら、忘れてくれ。君はここに留まるといい。天市なら安全だ」

 陸軍は動いているが、殲滅にはいたっていない。

 どちらかというと、図書館のときみたいに巨大化させないことを目標に、断続的に散らしている状況らしい。

 敵がどうして再生するのかわかっていない以上、へたな手はとれないということか。

「中小型の竜ならまだしも、長老竜を招きいれることになっては目も当てられん。ことによるとマスター・カガチに実戦にもどってもらわなければいけないかもしれない……」

「……天藍たち、竜鱗騎士団は?」

「無理だ。彼らには制裁が下ってる」

 紅華にしたがわない騎士団は、補給の停止という処置が下っている。

 だから消耗した武器も、そのままだ。

「一番痛いのは、薬だろうな」と黒曜。

「薬……あ」

 竜騎装を使ったとき、天藍が飲んでた薬。竜化の進行を抑える薬だ。

「リブラは最後まで反対していたが、これを断たれれば連中は戦えない。効果は覿面だ。良薬口に苦し」

「待った」

 僕は流暢すぎる黒曜の話を遮る。

 こいつ、こんなにいろんな話をするやつじゃなかった。

 しかも、無条件に。

 酒の勢いじゃない。

「どうして僕にそんな話を聞かせるわけ……?」

「さあ?」

 黒曜は笑っていた。邪悪な笑みだ。

 そして半分ほどになった酒瓶を、僕の前に置いた。

「オルドルにでも聞いてみるか?」

 くつくつと笑いながら、立ち上がる。

「話はそれだけだ」

「待て……!」

 咄嗟に捕まえようとするが、突き出した腕を払われ逃げられる。

 突然、足払いをかけられて、僕は地面に倒れた。

「いって!」

「じゃあな、日長少年。異世界を楽しみたまえ、心の底から。それとも、何もしないか? そのほうがいいかもしれんがな」

 黒曜は弓を番えている。金色の光る矢を、翡翠宮のほうへと向けて。

 僕はマントの裾を掴んだが、重たい布ははらりと落ち、視界を奪う。

 頭にかぶった黒布を取り払ったときには、黒曜の姿はかき消えていた。


     ~~~~~


『行くの、ホントに?』


 オルドルが、さっきから煩い。


「ああ、行くよ。行くしかないだろ」

『ぜったい、ぜええったい、あの陰険大宰相に乗せられてるだけだって……せめて、あの竜人間と合流したほうがいいと思うけど……』

「天藍は……ダメだ。あいつは、百合白さんの味方だから……」


 何を言ってもムダだ。

 僕は紅華を探しにひとりで、海市に戻る。


「夜だから、ほら、竜もよく見えていないかもしれないし」

『希望的観測。だいたい、海市にいるとはかぎらないんじゃない?』


 よくわかってるじゃないか。

 静かすぎる玄関に立ち、しばらく立ち尽くしてしまう。

 考えてみると、ここだ。リブラの屋敷に天藍が診察に来て……それで、そこからだ。

 少しずつ知って行った。

 いろんなこと、知らなくてもいいような、どうでもいいこと。

 紅華も、リブラも。

 天藍も、百合白さんも。

 ウファーリも、マスター・カガチも。

 イネスも、黒曜ウヤクも……。

 よけいなことにがんじがらめで、異世界なのに、全然自由なんかじゃなかった。自由な人なんかひとりも見てない。


 いや、ちがう……。


 僕みたいにしがらみなんか何にもなくて、誰とも適当につきあって、他人に自慢できる特技なんてひとつもなくて、何者でもなくて、何者でもないことが許されてたのは、気に入らなくても、辛くても、苦しくても……誰かが、僕にそうであることを許してたからだ。

 みんな何かを抱えてる。

 大切なもの、守らなければいけない人のこと、誇りと過去……。


 そのことに、そろそろ気がついてもいいころだ。きっと。

 


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