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竜鱗騎士と読書する魔術師  作者: 実里晶
暴れん坊少女
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30 愚か者の宴 -5

 オルドルは金杖を握った僕の手を取り、振り上げた。


 銀の枝が、右足から血を滴らせる彼女めがけて走る。

「ウファーリ!」

「うううううッ」

 痛みを堪えていた少女は、銀の槍の気配を前にして、金色の瞳を見開いた。

「うああッ!」

 振り上げたクナイが、先端部分を切り裂く。

 枝はウファーリにねらいを定めたまま空中でピタリと停止する。

「い、痛い! すごく痛いよ!」

 ウファーリは、叫んだ。

 そうだろう、そうだろうとも。

 部位は違うけど、その痛みはわかる。

 だけど、彼女と僕の反応は真逆だった。

「――すごくいいよ! どうしてこんな魔法隠してたんだ!? マスター・ヒナガ! アンタはアタシの敵に値するッ!」

 あー、ダメだ。なんかヘンなスイッチ入っちゃった。

 べつに、かくしてたワケじゃない……。

 とにかく、オルドルの姿がウファーリには見えていないらしい。

 僕には、ざんばらに伸びた黒髪の間から、ひどく残虐そうな瞳を彼女に向けている存在がみえる。

 口元は三日月のような笑顔のまま。

 血まみれの笑顔だった。

 邪悪なものだと、ひと目でわかる。


 師なるオルドル。これはオルドルだ。


 海音で押しとどめているそれ以外の無数の枝がウファーリに殺到する。

 彼女はすばやく身を翻して、枝葉を避け、クナイで切り裂いていく。

 海音で抵抗しているのか、枝の攻撃は緩慢だ。

 そのとき、オルドルが不気味に微笑んだ。

 オルドルのもう片方の手には、青い表紙に金色と銀色でウミヘビのような不気味な生き物が描かれた本があった。

 本は金色の鎖で、杖に繋がれている。

 あの、青い宝石だ。いつの間にか、ちゃんとした本のカタチになってる。

 杖にも異変が起きていた。

 それは杖ではなく、もっと小さく、小型な道具に変化していた。

 先端はとがっていて、持ち手には植物と小鳥の彫刻、そして末端には、大きな羽があしらわれた、金色の羽ペンだ。

 ペンと本は金色の鎖で繋がれていて、それがあの金杖だったのだとかろうじて判別できる。

 ふーむ、という感じの、かすかな吐息が少年の口から洩れる。

 オルドルはじっと考えている様子だった。

 そして、本のページの上に、ペンの先端を走らせた。

『第三章、すべてのものは水のように、水はすべてのものの如くふるまうべし』

 開いたページは真っ白で、何も書かれていないように見える。

 しかし、オルドルが杖の先をそこに押し付けると、文字や挿絵が浮かび上がった。次々に。

 黒いインクで、二本の腕と脚を持つ、二足歩行の化け物が描かれているのがみえた。

 知らない文字だ。翡翠女王国の文字に似てると思う。

 でも、僕には次に起こることが何なのかわかった。

「ウファーリ、頼むから逃げてくれ!」

 ウファーリに襲い掛かっていた枝葉が、急に攻撃をやめ、幹のほうに曲がっていく。

 それぞれが絡み合い、複雑に絡み、動きはじめた。

 その隙を逃すまいと、勇敢すぎるウファーリは手裏剣を放ってくる。

 オルドルはよけなかったし、僕もよけなかった。

 手裏剣は前方五十センチほどの位置で何かにぶつかり、止まった。

 刃の着地点に音を立てて亀裂が入り、何もない空中が、砕けて落ちた。

 それは氷だった。

 いつの間にか出現した氷の壁が、刃を防いだのだ。

 そしてトイレに出現し、天井を突き破った巨大な大木は、姿を変えていた。

 枝が絡みついた二本の腕、ずんぐりとした胴体、からまりあった根によって形作られた両の脚。

 まるで、ゴーレムだ。

 銀色のゴーレムが、巨腕を振り上げる。

 そして、ウファーリめがけ、右の拳を振り下ろした。

 轟音と砂埃。

 そして、女子トイレとの境の壁がなぎ倒されるように破砕されていく。

 しかし、ウファーリは立っていた。両足を床につけ、両手を掲げた状態で、銀の巨人の拳を《海音》で阻んでいる。

 巨人が拳を引き、両手を開いた状態で襲いかかる。

 まるで蚊か何かを潰すみたいな動きだ。

 しかも、かなり速い。

「んっ……うぅっ……!」

 左右からの掌は、徐々に狭まって行く。

 ウファーリの口元からは、苦しそうなうめき声がもれる。

「やめろ、オルドル……!」

 角を生やした少年は少し首を傾げただけだった。


 どうして……。

 これは僕の魔法じゃないのか?


 ウファーリの姿が、すっぽりと巨人の掌の中に消えてしまった。

 巨人は膝をぐっと屈めて、ぴょんと跳ね上がった。

 頭とは到底呼べなさそうな、木の葉の集合でできた頭部が天井をぶち破り、屋上に着地。

 校舎全体が大きく揺れた。

 オルドルは僕を引きずるように、無邪気に大穴に歩いていく。

 杖の頭で地面を軽くたたくと、すると地面から銀の蔓が伸び上がり、屋上に繋がる足場を形成した。


                 ~~~~


 屋上に現れた銀色の巨人の姿と、振ってくる瓦礫のつぶてに、まだ外に残っていた生徒たちが悲鳴をあげた。

 そこに灰簾柘榴がいるかどうかは、怖くて確認できない。

「開けろっ! この! バカ!」

 巨人の拳の中で、そんな声がきこえてくる。

 幸か不幸か、ウファーリは全く戦闘意欲を失っていない。

 たぶん、不幸だ。

 状況は悪くなってる。

 とにかく、ウファーリを助けださなきゃいけない。それはたしかだ。

 ただ、周囲からすると、これは僕がやっていることなのであって……コントロール不能なんだと伝えても、冗談にしか思われないに違いないのだった。

 巨人の掌の合わせ目が、少しだけ形がゆがむ。

 ウファーリが、中から一点集中でそこに負荷をかけているみたいだ。

 よし、がんばれ。いけ。応援しかできないけど……!

 海音の力で無理やり枝葉をかきわけていき、薄くなった、巨人のちょうど小指のあたりを切り裂いてウファーリが転がり出す。

 太ももからはまだ血が流れ出ていて、痛々しい。

 巨人はそんな彼女に容赦なく追撃をくりだす。

 巨大すぎる拳を振り下ろした。

 ウファーリは地面を転がって回避する。

 起き上がり様、痛みに顔をしかめ、動きがにぶる。

 反対の拳が、そんな彼女を横殴りに殴りつけた。

 ガードしていたが、単純な物量がちがう。

 彼女は叩きつけられるように、地面に薙ぎ倒された。

 すぐに立ち上がるが、起き上がった彼女は血まみれだった。

 腕が折れてしまったらしい。

 白い骨が皮膚から突き出している。

「はっ!」と彼女は笑い声をあげた。

 動いた瞬間に、血しぶきが舞い散って、彼女の頬に血化粧を施した。

「すごい! 戦ってるって感じがする! 生きてるって! これならずっと戦えそうだ!」

 もうやめてくれ……反対に、僕は泣きかけていた。

 女の子って、たとえば百合白さんみたいに、壊れたら二度ともとにもどりそうもないガラス細工みたいなものだと思ってた。ちょっとしたケガですぐ泣くし。でも、彼女はどうやらそうじゃないらしい。

 誰か、助けてくれ。

 彼女は地面を蹴って、空中を飛び上った。

 自分の能力で自分の体を浮かびあがらせているのだ。

 拳が彼女の軌跡を追う。

 でも、ウファーリはそれよりもずっと、ものすごく素早い。どこから襲っても、妖精のようにかわす。少しだけ体をうしろに引いて、傾けて、ときには宙返りをして避ける。

 しびれを切らした巨人が、腕を解いた。

 絡み合いながら腕を形成していた何十本という枝を伸ばして、バラバラに彼女を絡め取ろうとする。

 そのとき、ウファーリが動いた。

 彼女はクナイに似たナイフを抜き、飛翔。

 折れていない片手だけを使って、枝を根本から切り倒す。

 一本、二本、三本……。

 ほかの枝が彼女を捉える前に、ウファーリは空中に離脱する。

 そして加速しながら、その巨体を蹴りつける。

 バランスを崩したところで、さらに多くの枝を刈り取っていく。

 ヒット&アウェイ戦法を忠実にくりかえし、片腕は三分の一ほどの細さになった。

「はははっ! もっともっともっと、楽しもうぜっ!」

 不気味なのは、オルドルの表情がまったくかわらないことだった。

 こいつはウファーリみたいに、テンションがどんどんあがっていくタイプじゃない。

 天藍のように、冷たくもならない。

 ただの平静で、それが気味が悪い。

 ウファーリは銀色の腕に、クナイを振り下ろす。

 その刃は、枝の半ばにひっかり、止まる。

 クナイの切れ味が落ちてる……!

 彼女は舞う木の葉みたいに、すぐにその場を離れる。

 巨人は身を屈めて、落ちた枝を拾い上げた。

 オルドルが、ペンを持ち上げようとする。

 僕は抵抗したが、熱のせいで力が入らない。

 オルドルは挿絵の化け物――腕を失った姿になっていた――にペンを這わせて、腕を書き込んだ。

『祝福を……!』

 腕は再び元通りに戻ってしまった。

「くそっ……キリがないな……!」

 ウファーリの表情にも焦りが浮かぶ。

 それとも、疲労か。

 逃げるウファーリを、とうとう枝が捕えた。

 足を掴んで、宙吊りにする。

 腕や首に巻き付く。

 そして、その体を空高く持ち上げていく。

「ああっ!」

 上げた叫び声が、自分のものなのか、彼女のものなのか判別がつかない。

 やめろ……これで終わりだ。そうだよな?

 オルドルは何を考えているのかわからない無表情で、ペンを持つ僕の腕を掴んでいる。

 彼女はこれを勝負だと思ってる。

 でも、僕には魔法をコントロールする術がない。

 すなわち、どうなるか。

 それがやってくるのは突然だ。

 苦しむ彼女の胸が、朱色に染まる。

 ウファーリは太陽の光の色をした瞳を見開いていた。

 何が起きたのかわからない、といった顔。

 僕にも、わからない。

 その胸から銀の枝が突き出して彼女の体を引き裂くまで、本当にわからなかったんだ。

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