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竜鱗騎士と読書する魔術師  作者: 実里晶
救い難き魂
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108 真実 -2

「術をかけられた瞬間に仮死状態に入っていました。彼女の魔術から逃れるためには、それしか無かったのです。マリヤが諦めるまで待つ、という手段しか」


 リブラは自分が生きている理由を淡々と説明する。

 亡霊は、こんな流暢には喋らないだろう。

 リブラは生きていた。それが事実だ。


 事実は蛇のように這いより、絡め取っていく。

 冷たく体温を奪い、喉に絡みついて言葉を封じる。


「すべては、君にマリヤを殺してもらうためだ、日長君」


 黒曜はなんでもないことのように告げた。

 僕は、すぐにはその意味を理解できないでいた。

「マリヤはそれだけ危険だったのだ」

「竜と通じ、君たちを脅迫していたからか……?」

「そうだ。だが、それがわかったときには彼女はリブラの娘として……既に取り返しのつかないところまで入り込んでいた。彼女の始末をつけるにあたって、君は適任だったのだよ。女王国に存在するはずもない異世界の人間で、しかもオルドルの読み手だろうことは所持していた文書で明らかだった」

 青海文書は無条件に魔法の力を与える。

 読み手が何者であっても、魔術の才能が欠片もなくても関係ない。共感する登場人物しだいでは、誰でも、いつでも、ろくな訓練もなしに暗殺者になれる。

 はじめから、目的を達成したら彼は僕を殺すつもりだったんだ。

「いったい、いつから……?」

「君が女王国に出現した後すぐに。私の描いた筋書きはこうだ。まずは第一幕、異界からやって来たばかりで右も左もわからない少年が、女王とその側近に見いだされて彼らと親交を深める……王姫殿下とリブラ医師、彼らの《親交の深め方》は過激すぎたようだが……」

 彼らがやったことは、僕を痛めつけることだった。

「方法については、議論されませんでした。そうでしょう黒曜大宰相」

 紅華がはじめて口を挟んだ。

 彼女の声を聞くのは久しぶりだ。

 黒曜は苦い顔つきだ。

「その通り。私の用意した泣き落としの小道具が台無しだ」

「泣き落としの小道具……」

「古いノートを見つけなかったか? リブラの母親のものだ」

 台所にあった、あのレシピノート。

 愕然とした僕の表情を読み取ったのだろう。黒曜はにんまりと笑う。

 リブラはというと、眉間には深い縦皺が刻まれていた。

 それは苦悩の表れであり、肉体ではなく精神に課せられた苦痛の重みのせいだった。

「まさか天藍との決闘も……とか言わないよな」

「もちろん、先に指示しておいた。楽しい余興だったな……。まあ、あいつが本当にリブラを殺してしまったとしても、計画をわずかに変更すればいいだけだ。マリヤが先か、それとも天藍かの違いしかない」

 マリヤが復讐を望むのなら、リブラは遠からず殺される。

 殺され、そして彼は僕と約束をかわす。

 いいかね、と黒曜は念を押す。

「何もかもだ。君がこの国に来て行ったことすべてに、私の息がかかっていて、君の意志を左右していたのだ。浮浪者に金を渡して、天市を抜け出した君を市民図書館まで誘導したのも私だ」

 嘘だろ、と言いたくなるのを我慢する。

 それは遠い記憶だが、殴られた痛みは、きちんと覚えてる。


「そうそう。図書館といえば、あの警備員……彼はいい青年だっただろう?」


 イネス・ハルマン。鶴喰砦の生き残り。

 アルノルトへつながる糸であり、マリヤとも接点を持つ若者だ。

 イネスのバイクでアルノルト邸へと向かうとき、違和感を感じていた。

 何かが上手くいきすぎている、というような。

 たまたま僕が寝床にしている図書館の警備員が、そんなに稀少な人物を警備員として雇っていて、たまたま僕を殺人現場へと運んでいってくれる……そんな都合のいいことがあるだろうかって。

 黒曜が提示しているのはその違和感を解消するたったひとつのやり方だ。

「まさか僕に会わせるために、彼を雇ったんだとか言わないよな……」

「それはいささか買いかぶり過ぎではあるが、情報公開が進めばいずれ鶴喰砦絡みでトラブルが起きるだろうとは思っていた。手元に置いておけばいつか使えるだろう」

 アリスが内通者だろうとは思っていた。でも、彼も手駒だったなんて。

 もちろん本人にそういう意識はないだろうし、黒曜本人とは面識もないだろう。

 だけどウヤクにとっては、そうだったのだ。僕を彼のそばに置いておけば、何もしなくても僕を行くべき場所に導いてくれる、そういう装置として使ったんだ。

 おそらく、彼は《装置》を幾重にも僕の周囲に置いておいた。

 使うか使わないかは自由で、それは彼の意図にははまらない可能性も含んでいた。

 でもその《余白》があったからこそ、僕は、それを自分の選択で意志だと思い込んだ。

 決闘に挑んだリブラを助けたのも、アルノルトを助けに行くイネスに同行したのも、市警に追われるイブキを連れて逃げたのも。

 だけど違った。自分の意志なんてどこにもなかった。

「それじゃ、アルノルト邸での殺人を見逃したのも計画のうちなのか……?」

 マリヤがあの式典会場で犠牲者を狙っていたにも関わらず、彼は何も手を打たなかった。

「あの凄惨な殺人現場を目にすれば、君も本気になるだろう」

「お前があのとき行動を起こしていたら、夫妻は死ななかった!」

 次の犠牲者だとわかっていたんだから、あの少年は両親を失わずに済んだ。

 黒曜はわざとらしく肩を竦めた。

「大量の遺体の山が築かれただけで終わっただけだよ、利口な椿君。そうでなくともマリヤは私たちが彼女の意志に反する行動をとれば即座に殿下の命を奪うと警告を送っていた」

 紅華は頷いた。

「その通りです。わたくしとマリヤは面識があり、そのときに術をかけられたのでしょう。けれど……目的は私の命では無かったように思う」

 竜はマリヤに、紅華を殺させようとしていた。

 マリヤは代償のことさえ気にしなければ相手に触れるだけで魔法を発動させることができるし、実際にそうしようとしていた。

 望めば、瞬時に。サナーリアにはその力があった。

 紅華の命の手綱を握っていたからこそ、彼女は黒曜ウヤクを意のままに操り、僕やイブキを罠に捕えて、五年前の《鶴喰砦》での出来事に復讐を果たすことが可能だったのだ。

 それなのに、最後の最後で……彼女は紅華を殺さずに時間を稼ぎ続けた。

 マリヤの行動は、鶴喰砦に起因してる。竜と接触を持ったことと、トラウマといってもいい恐怖を味わったこと、この二つが彼女に忠実に破滅の道を辿らせたのだ。

 でも、今はそれもどうでもいい。

 僕の両手が震えているのは、全てが黒曜によって仕組まれていたという事実を聞かされたせいだ。

「恥知らず、と言って罵りたい気分だ」

「否定はしない。しかし……悟られてはいけなかった。君が自分の意志で動いていて、私には制御不能だった、という言い訳がなければマリヤに殺されていた。そうだろう? 君ならば私のことを理解できるはずだと思ったがね」

 何故、こいつが常識とか、倫理観とか、人の感情とかを――人の越えてはいけない一線を軽々と飛び越えて《マリヤを殺す》ためだけに、人を人とも思わない遊戯に興じられたのか。

 それは僕にだけは、理解できる。


 僕と黒曜ウヤクは同じだ。


 こいつは、翡翠女王国の大宰相だが、心は《異世界人》なのだ。

 異世界からこの国にやってきて、なんの責任ももたない。

 その判断のせいで誰が死んでも構いやしない。

 おまけに金も権力もあり余るほどある。つまるところ、何かを失うことを惜しんで止めるということを知らない男なんだ。

「理由は以上だ、椿君。是非感想を聞かせてくれたまえ」

「……死んでしまえ、クソ野郎。お前の顔は二度と見たくない」

 日長椿の復讐も……死も、マリヤを殺したことも、何の意味もなかった。

 あるとすれば、それは黒曜を喜ばせただけのことに過ぎなかったんだ。

「ふむ。それでは希望通り、君にはしばらく眠ってもらう」

 黒曜の返事に、僕は凍り付く。

「殺すのはやめたんじゃなかったのかよ」

「そうだ、やめた。生命体として殺せないのなら、仕方がないことだ」

「だったら……」と言いかけた言葉を、黒曜が制する。

「無力化して、君の持つ情報が私や王姫殿下を脅かすことが無くなるまで――だ。医療魔術が君の生命と永遠に近い休息を担保する。何、手足も頭脳も働かず、夢も見ないだろう」

 それって、どれくらいの期間だろう。

 十年とか、二十年とか……事実上の死刑宣告と変わらない。

 気がつくと、体が動かなくなっていた。


「オルドル、何が起きてる……!?」


 魔術師の瞳が、僕の体に巻き付いている硝子の鎖をうつし出す。リブラが鎖の魔術を使って、僕を拘束していた。

 医師は苦悩はしていても、黒曜に逆らう気配はない。

「全ては翡翠女王国のために。そして、女王陛下の御為に……」

 そう、黒曜が言う。

 紅色の瞳が、玉座から身動きがとれない僕を冷たく見下していた。

 そのとき、オルドルが水面を震わせて囁いた。


『わかる? 彼らはどんなものでも天秤に乗せてしまう恥知らずなんだ。普通の人たちが畏怖し触ろうとしないもの、とても大切にしなければならないものの大きさや重さ、価値をはかって比べてしまう人種だよ……』


 そして国や権威や大義といったものの価値の前には、個人の命なんてどうでもいいと思っている人間たちでもある。

 そういう人間たちにマリヤは踏み躙られて、そして黒曜ウヤクに踊らされた僕によってトドメを刺された。リブラだけが彼女を助けようとしたが……それでも、最後に選んだのは紅華だった。


『だったら、方法はひとつしかない』


 殺してしまおうよ、とオルドルは僕にしか聞こえない声で囁いた。

 オルドルの怒りが燃え盛るのを感じる。

 それは操り人形にされた僕の怒り、僕の憎悪だ。

 今ならできる。竜鱗騎士団は紅華を守護しないし、僕も文書の使い方に少しは慣れた。

 黒曜が僕を罠にかけるのに手段を問わなかったように、僕も血塗れになることさえ厭わなければ、彼らを皆殺しにすることだってできる。

 でも、結局のところ、僕はそうしなかった。


『ツバキ……どうしてボクに応えないんだ?』


 オルドルは不思議そうに問いかける。

 僕はただ、玉座の彼女を見ていた。

 紅色の瞳から、白い頬につなぐように流れる涙を……。



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