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竜鱗騎士と読書する魔術師  作者: 実里晶
嘘つきと苦痛と道化と竜
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101 死者たちの輪舞曲 -2

 父親は、そこそこ優しい人だった。

 少なくとも社会人としての責任は果たしていた、普通の大人だ。

 別れた日、父親は「母さんを守ってあげてくれ」と言った。

 別々の道を歩むことになったのは仕方がないことだったんだと思う。

 でも、理性的な僕の裏側には「何故」と問いかけ続ける僕がいる。

 いつだって問いかけの先は絶望に繋がっていて、化け物が棲んでいる。

 ある日突然父さんが帰ってきて「こんなことになったのは全部お前のせいだ。お前のことを愛したことは一度もなかったんだ」と言うんじゃないかって、そんな想像が頭をもたげる夜がある。

 楽観的な希望なんて持てないからこそ答えが欲しい、でも同じくらいそれを知ることが恐ろしくて、最後は否定するしかない。


 僕は可哀想なんかじゃない。

 僕は不幸じゃない。


 油断をすると、耳元で声がする。


《嘘つき》


 アイリーンが見せ続けている幻の切れ端だ。

 その幻は苦痛でしかない。

 そして苦痛から逃れるためには、魔法を使うしかなかった。


「オルドル――鎖骨下筋、長掌筋、右足、左足五指!」


 内から外から、オルドルが指示通りの箇所を食らっていく。


「虫垂、尾骶骨!」


 内臓まで食われ、この不快さは言葉では例えることもできない。

 痛みが戻ってきている。薬が欲しい。

 巨人の両手が両側からマリヤを挟み、捕まえる。

 竜人の膂力は圧倒的すぎて、右足一本と左足だけで巨人の拳を支え圧死を防いだ。

 その唇が少しだけ開き、白十字の杖が突き出される。

 僕はいつの間にか笑っていた。

 おかしくて堪らない。

 圧倒的不利にあるのは僕なのに可笑しいと感じる自分を制御できない。

 僕はいったい何と、なんのために戦ってるんだろう。

 

 百合白さんを助けるためか?

 それとも僕の虚しさを紛らわすためなのか?


 サナーリアの呪文を唱える前に、彼女の耳は小鳥のさえずりを聞いたかもしれない。足元を駆けまわる小さなリスの毛並みや銀色をした草花を踏む感触を覚えたかもしれない……。掌の中に小さなオルドルの世界があった。

 巨人の指先から伸びた茨が複雑なあやとりのように少女を絡め取る。

 腕を、脚を、そして喉を。

 巨人が両腕を引く。すると鋼鉄のワイヤーが彼女の全身を締め上げ、柔らかい肉に食い込んでいく不気味な音が響いた。


 死ね。悪夢を終わらせるために……ここで、今すぐに、死ね。

 頼むから、僕のために、百合白さんのために死んでくれ。


 彼女の死を渇望している。

 その血が流れるのを待ち望んでいる。

 血の贖いによって、失ったものを取り戻せるはず……そう感じている獰猛で、残酷で、醜悪すぎる僕がいる。

 いや、これはオルドルだ。オルドルが自分を裏切り、去って行った勇者を取り戻したいと叫んでるのを感じる。

 戻ってくるはずないのに……。

 けれど大切な人が自分の元を離れていくその悲痛さも、その帰りを待ち望んでしまう切なさも……そして、醜悪さを身に宿した獣の気持ちも、僕は手に取るように理解できる。

 巨人はがんじがらめの乙女を容赦なく引き絞りながら、空に捧げる。

 それはどこか非現実的な光景に見えた。

 だがこの、これ以上は合わせられないタイミングを用意したのは、他ならない自分だった。

 風を切る凄まじい音響を上げながら、黄金の剣がマリヤの頭上に迫る。

 それは儚い目論見に終わった。

 彼女は腕の中で身を捻ると、簡単に拘束を千切って、地上に舞い降りて射線を外れた。

 剣は地面や構造物を砕きながら周囲に突き刺さり、存在の意味を失って消える。

 土埃の向こうで、彼女は銀色のドレスをまとっていた。

 首の周りの高い襟、ブーツや手袋、スカートも何もかも、刃でできた鋼鉄のドレスだ。そこから伸びた四対の領巾ひれのようなものが、ワイヤーを断ち切っていったのだ。それは変型した銀の鱗で、皮膚から直接生えているようにみえた。

 マリヤが踊るようにその場でターンすると、裾が広がって、刃が打ち出される。

 銀鱗が僕の額を切り裂いて飛んでいく。

 竜騎装に似てる……。

 眺めてる暇はない。すぐに巨人の腕を刃の形に変型させ、振り下ろす。

 彼女はドレスを成長させ、作り出した鉄扇で難なく受け止めた。そして巨人の腕を掴むと、無造作に持ち上げた。

 振り回され、本当にただのモノみたいに、彼女の背後の地面に叩きつけられる。

 こちらに歩いてくるマリヤの白い脚が見えた。

 彼女は僕のそばにしゃがみこみ、額を撫でた。

 優しく……母親か、物語の魔女のように。

「何故、あなたを光輝の魔女が選んだのかしら……と最初は恐ろしかったけれど、あなたは癇癪を起したただの子供だわ。そうでしょう?」

 わからない。

 ただ僕の心を焼く激しい感情があるのは認める。

 憎しみと狂乱、全てオルドルの感情であり、過去を否定したい僕の心だ。

「もういいの、もう眠りなさい。あなたが眠るまで、ここにいてあげる。《昔々、ここは偉大な魔法の国》……」


 心臓に、懐かしい小さな痛みが走る。

 オルドルの魔術に妨害されてるが、非常にゆっくりとした速度で発動している。


《マリヤ! そこをどけ! そいつは私が殺す!》


 風が巻き起こり、彼女の背後に降り立つ銀華竜の威容が見えた。

 全身が濡れそぼっているが無傷だ。

 銀華竜は羽を広げ、体を低く保ち、口腔を開く。

 喉の奥が、白く発熱する。光る。

「ううッ……うッ!」

 それでも、僕の心は休まらない。死を受け入れられない。

 もがき、助けてくれと願う。

 凶暴な感情が、この期に及んで骨を軋ませ、苦鳴を漏らす。

 呻き声を漏らし、巨体の下敷きになっている体を揺らす。

 オルドルもきっと、最後まで自分が見捨てられた理由を理解せず、受け入れなかったに違いない。

 きっと、復讐者はみんな、この熱病じみた狂気に浮かされたまま死ぬのだ。

 そのことが悲しかった。

 僕はこんなことをするために戦ったんだろうか。

 これが、僕の欲しかった結末か?


 そうじゃない。そうじゃなかったはずなのに。

 しかし、次の瞬間、思いもよらないことが起きた。

 銀華の翼が二つに割れたのだ。


「――――!?」


 僕の瞳は、竜を切り裂いて駆け抜けて行ったひとつの刃を目にした。

 それはブーメラン、に似ていたが、違う。

 変化するときに、魔力を持って行かれた。

 単純な事実に、僕は驚く。

 

 あれは、《フラガラッハ》だ。


 清々しい弧を描き、持ち主の元に戻っていく。

 まるで嘘のようだ。鉄塔の頂上に、少年が立っていた。

 黒髪をなびかせ、魔剣を受け止める。

 ……天藍アオイだ。

 ただし、白鱗天竜の適合者で、騎士団長の天藍アオイではない。

「ばっ……かじゃないの……?」

 あのまま逃げればよかったのに。

 彼は再びフラガラッハから手を離す。

 すべてを断ち切る刃は、鉄塔を根元から切り裂いていった

 鉄塔が絶妙にこちらに向かって傾いてくる。

 天藍は十字剣の姿をしたフラガラッハを携え、倒れていく鉄骨の上を平然と走っていた。走っているというか、ほとんど落ちているようなものだ。

 竜の魔力は戻っていないのに、その表情に恐れはない。

 僕のもとを飛び去った銀華竜が、天藍に向けて棘を生やした尾を振り回し、足場にしていた鉄骨を弾き飛ばす。

 天藍は直前に鉄骨の上を蹴って尾を回避する。

 眼前に繰り出される竜の鉤爪はフラガラッハを叩きつけるようにして切り裂いていく。

 銀華竜は空中で身を捻り、もう一度尾による一撃を食らわせようとしていた。

 魔剣を投擲する。

 今度は柄に細い……ロープのようなものが結びつけられていた。

 フラガラッハは傾いていく鉄骨に絡みつき、天藍の体を引き寄せ、ギリギリのところで攻撃を避けた。

 すべては一瞬の出来事だった。

 鉄塔は地面に落ち、巨人のときとは比べ物にならない音響を立てて、破壊される。

 天藍は着地の衝撃を殺すため、地面を転がり、再び起き上がってこちらに駆けてくる。


「生きてるか? 魔術師」


 濃い血の臭いは、幻臭ではなく天藍のものだ。


「……何で」


 何で来たんだ、天藍。

 勇者のようにあまりにも勇敢で――あまりにも愚かだった。


「……強いて言うなら、お前が戦っていたからだ」


 ただの人間に戻った天藍アオイも、無表情はそのままで、感情はよくわからない。


「お前があまりにもバカすぎて、バカのまま死なせるのが惜しくなった」

「……は?」

「五年前、私は間違いをおかした。私が戦わなかったばかりに、人々は無駄に戦い、意味のない死を迎えた」

「お前がいたら、意味があるのかよ」

「ある」


 天藍は言いきって剣を構えた。


「私は必ず勝利する。竜を倒し、その首と栄光を姫殿下に捧げると誓う。私と共に戦う者はその栄誉を分かち合う戦士であり、死して献身と勇気を証明する!」


 それこそバカの理屈だ。

 だけど……。


「あれが五年前、俺が戦わなかったために生まれたバケモノなら、もう二度と同じ轍は踏まない」

「僕と一緒に戦うつもりがあるのか……?」


 フン、と天藍は不満そうに鼻をならした。


「足手まといになると思ったら、切り捨てる」

「嘘つけ。……逃がそうとしてたくせに」


 僕は竜鱗騎士に手を伸ばす。右腕の杖ごと。

 天藍はその手を掴むと、引きずるように僕を立たせた。

 足の指と尾骶骨を削っているため、まともに立てない。

 ひどい苦痛が伴う作業だった。



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