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竜鱗騎士と読書する魔術師  作者: 実里晶
嘘つきと苦痛と道化と竜
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99 言葉は全て空しき虚構

 マリヤの責めるような視線を、僕は前にも感じたことがあった。

 彼女の問いは天藍アオイが僕に向ける瞳と同じだ。


 僕は何者かと問われても、僕は僕で、日長椿だ。


 典型的な地方都市に母親と二人暮らしで……普通の高校生。

 取り柄らしい取り柄はなくて、成績は中の下で、学校ではあたりさわりなく過ごし、親友と呼べるほどの友人も恋人もいない。これといった趣味も無し。

 両親は離婚済で、母さんは毎日忙しくて、仕事から帰って来ると酒浸りの荒んだ毎日を過ごしてる。

 でも、それだけだ。

 いまどき片親なんて珍しくもない。

 みんな誰にも言わないだけで、苦しくて辛い出来事を乗り越えて毎日を生きている。

 それが普通だってことだ。


 そうじゃないのか?


 リブラが殺されたとき、僕は誓った。

 必ず犯人に罰を与えると。

 でも今の僕にあるのは怒りだけじゃない。

 百合白さんを助ける。

 そして……。

「なあ、オルドル。マリヤを助けてあげられないのかな……?」

『助けるぅ!?』

 オルドルのイライラした声が響く。

 これまでに、僕はたくさんのことを知った。

 女王国で生きている人たちそれぞれに過去があること。

 みんな悩んで、苦しんでるんだってことを。

『助けるも何も、あの女は好きでやってるんだヨ。キミの《助ける》の定義はど~なってるのサ? ここまで誰も助けられなかったクセに!』

 ギャンギャンと喚く声は、僕の痛いところを的確に突いて来る。

 結局、僕は誰も助けられなかった。

 ウファーリのことも、イブキのことも、百合白さんのことも、中途半端なまま、ここに立ってる。

 それでも、逃げたくない。

 絶対に逃げないと決めたから、僕はここに一人で来たんだ。

『あ~~~もう、やってらんないよ。キミはずっと、ずうっと、演技を続けてただけじゃないか。そうやって他人の心配ばかりしているのも!』

 銀華竜の周囲に、無数の銀鱗の矢が形成される。

 そりゃ、ここに来たばかりの頃の僕は、ろくなものじゃなかった。

 でも、僕は百合白さんたちに会って変わったんだ。


『じゃあ、マリヤの言う通り、どうしてキミはボクの魔法を使えるんだよ!』


 オルドルの怒鳴り声に、息が詰まる。


 それは。


 それと同時に、銀華竜の放った矢の嵐はまっすぐに僕を狙い、撃ちこまれる。

 僕は顔を覆っただけで、避けなかった。

 銀華竜の刃はオルドルの衣の表面で砕けていく。

 フラガラッハと似た、魔術の構成そのものを粉砕していく、防御呪文を編み込んだ魔法使いの衣装だ。

 そのかわり代償が重い。

 親指の骨が手首の付け根あたりからごっそりと抜かれていった。

 休む間もなく第二波が来る。

 銀華竜は、刃をひとつに束ねはじめていた。

 細かい刃だと魔力は分散してしまうからだ。

 巨大な鋭い槍が、銀華竜の鼻先に浮かぶ。銀の大砲がゆっくりと回転しながら研ぎ澄まされていく。

 アレが命中したら、防ぎきれるかわからない。

 僕は銀の大樹を成長させていく。

 大砲みたいな速さで、槍が打ち出される。あまりにも凄まじい速度のせいで、安定しない、フラフラした軌道で突っ込んでくる。


『何故キミはここで、たったひとりで戦ってるんだ!?』


 黄金の盾と、銀の枝葉が槍の軌道を逸らす。

 横薙ぎに倒れ、力を保ったままこちらに滑ってくる鉄の塊を蹴り、飛翔する。足下を、伸びて来た枝が支えて持ち上げ、鉄塔の上へと運ぶ。

 その足元を、溶けた金属の波が走って行く。

 大樹も熱をモロに受け、斜めになりながら熱の海へと没していった。

 何もかもを燃やし尽くしながら、銀華竜が羽搏く。


「《黄金の力を以て、罪人を裁く剣を与えたまえ》!!」


 上空に、無数の金の剣が閃く。

 落下する黄金の柱を避けながら竜は飛翔する。

 跳ねた自らの息吹を浴び、竜鱗が剥離していく。銀麗竜の眷属である銀華竜は自らの体内で生成した合成金属を息吹として吐くため、外装は熱に脆いのだ。ただし、膨大な魔力による治癒能力にも優れ、傷は一瞬で回復してしまう。

 一発でもこちらの攻撃が当たれば、あの巨体といえど息吹の大河に沈む……しかし、銀華竜は多少の被弾に構うことなく剣を弾き飛ばし、炎の中を飛翔してくる。

 回転し、巨大な鉄の鞭となった尾が鉄塔を叩き折る。

 隣のタンクへと飛び移った僕の背に、再び銀槍が殺到する。

 銀華の後ろから、さらにマリヤが畳みかけてくる。

 撃ちだされた槍は五発。

 走りながら一発目の槍を避け、二発目を展開した盾で防ぐ。銀の茨を生やし、一発を巻き取り、後続の槍にぶち当てながら明後日の方向に投げ捨てる。

 そこで、左腕が肘のあたりまで千切れ飛んだ。

 宙に飛んだ腕は、端から食われて行く。

 オルドルの代償だ。重たい傷だが、恐怖はなかった。

 だって――――僕は、決めたからだ。

 再び、オルドルの声が聞こえた。


『そうだね。あのとき……リブラが殺され、キミはこう思った。ボクにはわかる。ボクはキミのそばにいたんだから』

 

 息が詰まる。


 やめろ、と叫んだ。


 最後の一発を正面から受け止める。

 槍の切っ先は、オルドルの衣装の表面で何かを保留にされたように止まっている。オルドルの防御魔術に削られ、銀の破片を散らしながら小さくなっていく。

 でも、すべてを相殺することはできなかった。

 細くなった槍が、左肩を粉砕しながら、勢いのまま僕の体を背後の何もない空間へと運んでいく。

 地面に叩きつけられる。

 全身が強張った。

 でもそれは痛みのせいなんかではなく、心がオルドルの言葉に捕らわれていたせいだった。


『《僕のモノに手を出すな》』


 違う。


『《これは僕が主人公の物語なんだから、僕のモノを勝手に奪うな》……だ!』


 違う!


           ~~~~~


 飛沫があがり、タールのような海に突き落とされたんだと、やっと気がついた。

 上下もわからない。

 それに息が止まるほど、冷たい。

 服に液体がしみこんで体が重い。


 隣を見ると、暗闇の向こうにオルドルがいた。

 金の杖を持ち、魔法使いの衣装を着たオルドルが。


『天市の、リブラの屋敷で、キミは見つけたね……あの汚い台所でさ』


 思い出したくない。

 あの場所で、ほんとは、僕は手書きのノートを見つけたんだ。

 きれいな字で……何が書いてあるのか、すぐにわかった。家族の写真と、リブラがつくったあのヘンなオムレツの絵もついてたから。

 やめろ、と言おうとして、空気が口からこぼれていく。

 でもその記憶を引き出しているのは、オルドルじゃない。

 ノートの正体はレシピ集だった。

 なんて書いてあるのかもわからないのに、書いたのはリブラの母親だって……すぐにわかった。

 年季の入った古いノート。

 文字のひとつひとつを指で追った掠れた痕跡。

 辛い現実にたったひとり残される息子へ、母親からの愛情がこもった贈り物だった。挟みこまれた写真には笑顔の両親とリブラ、それに紅華もうつってた。


『羨ましかったんだね』


 そうだ。僕も、そんな家族が欲しかった。


『キミは、もしもリブラや紅華と仲間になれたら……それがすべて自分のものになるんじゃないかって考えたんだ』


 よけいな手出しさえしなければ、彼らは主人公の仲間に、僕の宝物になるはずだった。


 だってそうだろう。

 異世界に召喚されたのは僕なんだから。


 異世界に召喚された主人公は、困難を乗り越えて仲間や友達や力や金、素晴らしいもの、現実では得難い何もかもを手に入れるはずなんだ……少なくとも、僕にはそのチャンスがあるはず。


 僕のモノに手を出すな。


 でも違った。

 リブラは呆気なく死んでしまったし、海面では、竜とマリヤが僕を探している。

 竜の絶叫が響き、海面を揺らす。

 地獄はこっちだと呼んでいる……こんなはずじゃなかった。


『それがキミの復讐の本当のイミだった。だからキミはひとりでもここに来て戦うんだ。戦わずにはいられないんだ。どんなに望んでもキミは変われない。《思い出せ》、ツバキ、だってキミは――!』


 やめろ、もうやめてくれ。

 演技を続けるのは辛い。

 破綻しかけていると、自分でも理解していた。

 ウファーリと友だちになっても、イブキを助けても、どんなに素晴らしい主人公を演じても、自分を取り繕っても……魔法を使い続ける限り、僕は変わらない。

 青海文書を使うのに必要なのは、《変わらない心》だからだ。


 僕の手を誰かが掴む。

 柔らかくて、滑らかな手だ。


 かわいそうなツバキ……。


 久しぶりに、あの声が聞こえた。


 瞼を開く。

 周囲が光に輝いていた。

 暗い水底は、星空のようだ。

 光輝の魔女が金杖を持つ僕の手を掴んでいる。

 嫌な予感がする。


 やめろ!


 叫ぼうとして、水を飲む。


 次の瞬間、気がつくと、僕は海の底でも、工場地帯でも、女王国でもない場所にいた。


 誰も片付けないリビング。

 締め切ったままのカーテン。

 シンクに溜まった汚水と生ゴミ。

 床の上に散らばった衣服。

 蓋が開いたままの、酒の瓶やビールの空き缶。

 見覚えのあるマンションの一室。


「っ……!?」


 右手に触れる感触は、不気味なほどリアルだ。

 臭いまで完全再現されている。

 いつか見た幻覚と同じだ。


「何してるのよ」


 声が聞こえる。

 心臓を直接掴まれたみたいな衝撃がある。

 振り返りたくない。

 でも、その声には逆らえない。

 おそるおそる振り返る。

 廊下の前に、女性が立ってる。

 母さんだ……。


「何なの、その目は。何が気に入らないって言うの。あたしは必死に働いてるっていうのに」


 電気もついていない暗がりに立ち、こっちを睨んでいた。

 仕事帰り……じゃない。

 通勤着なのにどこかだらしのない格好で、体から酒のにおいがプンプンする。

 たぶん早退して、どこかで飲んでたはずだ。

 これから起きることを知っている。

 何故なら、これは、僕が女王国に来た日の……マリヤに殺される前の光景だから。

 アイリーンが魔法で見せている、あの日と同じ、あの日の再現だ。


 ここから起きることは、いつもと同じだ。

 退屈な日常と同じ、繰り返し。

 僕は壁際に逃げて、うずくまる。

 母さんは、僕に向けて空き瓶を拾い上げて大きく振りかぶって、そして。


 僕は、うまく喉から先に出せない声で叫んでいた。

 必死に。


 助けて。

 誰か、助けて。







































 そして、言ってほしい。

 変われるって。


 僕は変われる。


 良い人間になれる。

 誰からも愛されて、仲間に囲まれて、勇気があって……。

 そんな人間になれるって。


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