95 希望、引き裂かれてなお果てる事なき -3
「《竜鱗狂瀾》! 《竜騎装・白鱗天竜》!!」
銀鱗の攻撃を一身に受けた天藍は、そのままではとても戦える状態ではなかった。
一時的に竜鱗の枚数を増やし、体の傷を強制的に治癒させ、竜騎装をまとうことによって再び戦闘体勢に入ったんだ……。つまり、もう後がない。
自動追尾型スライサーという画期的な死体製造装置に追撃されながら命のカウントダウンはかなり先に進んでいた。
問題はいくつかある。
まずひとつ、天藍は僕を抱えていると満足に飛べない。
地上では重いほうが勝利者だが空では軽ければ軽いほうが絶対に速い。
「二手に別れるぞ」
白い兜の下から聞こえてくる声は余裕がなかった。
「二手に……!? 別々に逃げるってこと!?」
「悪いが、お前のことを守って飛ぶ余裕は無い」
言うが早いか、僕を近場の屋根の上に放り出した。
咄嗟にひどい怪我をしている左側を庇って、転がる。すると右腕が痛い。不思議だなあ。
「この……冷血鉄仮面野郎!」
天藍は素知らぬ顔で遠距離攻撃を放つ。
五枚の竜鱗が、銀鱗を避けて銀華竜に撃ちこまれた。
五枚の鱗は白い結晶の華を咲かせるが、ほぼ同時に相殺されるのも視認できた。
銀華竜と、マリヤは天藍を追っていく……そしてスライサーのほうは、予想通り二又に別れて僕のほうに来る。
「《千変万化の力にて、敵の耳目を欺きたまえ》!」
何度目かの挑戦……スライサーの軌道はそのままだ。
幻はバレてる。
単純な僕の目くらましより、向こうの感知能力のほうが高いんだ。
絶望の状況のまま、僕は走り出した。
~~~~~
どれくらい走っただろうか。
一瞬だけ、幸せな夢を見た。
「椿……」
優しく、母さんが僕を呼ぶ夢だ。
子供のころの記憶だ。
その頃、僕は小さいけど一軒家に住んでいた。
母さんには毎朝料理をする余裕があって……朝、父さんより先にキッチンに起きると、料理をする母親の背中をずっと眺めてた。
やがて、母さんは朝日を浴びながら振り返って――……。
『ツバキ!!』
オルドルの叫びに、走馬灯の世界に逃げかけた意識が戻る。
外壁に取りつけられた通路を僕は死にものぐるいで走ってる。その背後を二又に別れた大蛇が、破壊と死のパレードを引き連れながら追って来る。
追撃をかわしながら、障害物の多い窮屈な通路を通り抜けてなんとか鱗の数を減らしていく。
「くそっ、痛みで、意識が飛ぶ……!!」
できれば立ち止まって応急手当のひとつもしたいところだ。
だが、どう考えても立ち止まるときは全身を膾切りにされて死ぬときだった。
無尽蔵の魔力――それがどれだけ恐ろしいものか、ここにきてやっと理解し始めていた。
終わりのない悪夢、無限に続く緊張、激しい痛み、無力感。
すべてが人を死に至らしめる致命傷だ。
後ろからやってきた鱗の群れは、壁や配管を蹴散らし、獰猛な獣の牙のごとく全てを食い破り削り取っていく。
そして束縛を外れ舞った鉄片が、全力で……獣の脚力を借り、車の走行速度ほどで駆けている僕の前に現れる。
「……っ!!」
恐怖で顔が引きつる。
まるで交通事故だ。体をかすっただけで衝撃で簡単に吹き飛ばされた。
それと同時に限界にきていた足場が壁から外れ、無様な格好で宙に放り出されるのがわかった。
回転する視界の下は、遠い地面だ。
ここ、何階だっけ?
さらに視界の端に、うねりを上げる銀鱗の群れが見えた。
あれに体中を引き裂かれるのと潰れて死ぬの、どっちが先だろう。どっちが楽だろう。
『ツバキ、体のコントロール、貰うよ!!』
返事も待たず、意識が飛びかけた隙にオルドルが僕に入り込む。
重たい鋼のようだった体が軽くなり、脚が鉄筋コンクリートの巨大な塊を蹴って後方宙返りを決めながら向かいの建物の通路へと降り立った。
「《黄金の力を以て》!」
金杖を構え、喉から滑らかに呪文が漏れる。詠唱の余裕が無く無理矢理すぎる発動だが、目の前に黄金の盾がキッチリ五枚並ぶ。
僕はオルドルと共感している間、彼の知識や能力を共有することができる。
だがオルドルと僕の間には埋められない差があるのも確かだ。
銀の蛇は盾を一枚ずつ食い破り、残った五枚の鱗が僕とオルドルを壁に叩きつけ、縫い取った。
肩口を切り裂かれただけ、という軽い奇跡で僕は生かされた。
『ツバキ、休んでるヒマなんかない。次が来るよ!』
泣きそうだ。なのに銀華竜はまだ《吐息》さえ使ってない……。
手加減をしている……いや、僕たちをもてあそんでいた。
「左手……第5末節骨、中節骨、基節骨」
オルドルが指示通りに、マリヤに折られた小骨の屑を食っていく。
空を見ると、憎い天藍が舞っていた。
『ツバキぃ……もう逃げちゃおうよ。青海の魔術師は、竜には弱いんだよ。あいつらのブレスは、ボクらにとっては致死性の毒だ』
天藍を置いて、逃げる……その選択肢は、確かにある。天藍も、それを望んでいるかもしれない。あいつは一人でも戦えるし、誰のことも寄せ付けず、誰とも組まない……最初っからそういうやつだ。
「でも、百合白さんを、まだ……」
見つけられていない。助けられてもいない。
天藍を置いて逃げるというのは、彼女を見捨てて去るっていうことだ。
『ちょっとちょっとちょっと、まだそんなコト言ってるの~?』
血まみれの白い鳥は襲い掛かる竜の牙や尾の一振りを失速して躱し、足下を抉ってくる竜鱗の群れにブレスを吐きかける。
白い結晶の華が空中に咲き開くのが見えた。
さらに、その中央を突き割って、駆けあがっていくマリヤの姿があった。
大剣ではなく、剣を携えていた。
どうやら銀華竜はオルドルと同じく金属を自在に操ることに長けているらしい。フラガラッハとそっくり同じ形のだ。
死角から舞い上がり突き上げてくる剣を、天藍のフラガラッハが弾く。
膂力の差が出てるのだろう、天藍が苦し気に剣を振り抜く姿を見るのは初めてだ。
一瞬、離れ……また切り結ぶ。
『ブレスが来るよ!』
二人の後方……目いっぱい開いた銀華竜の口腔の奥に、熱源があった。
真昼の太陽のように明るく輝いている。
天藍はマリヤに押さえつけられ、動けない。
百合白さんを助けるためには、天藍がいなければダメなんだ。
気がつくと、僕は屋根まで一気に駆けあがっていた。
「《昔々、ここは偉大な魔法の国》……っ!!」
どうか間に合ってくれ……。
呪文が、屋根から銀の大木を生やす。
杖の先を竜へと向ける。
銀枝が伸び、銀華竜の体に巻き付いていく。
しかし竜が巨体を揺らして逃れようと蠢く度、銀の巨木は竜の側に倒れそうになる。
「オルドル、薬指と中指も持って行け!」
『丸ごと貰っていいの?』
「骨だけ!」
自分の体を犠牲にすることで拘束の力は強くなった。だが、銀華竜は枝に繋がれたまま翼を広げ、右回りに旋回し始めた。進行方向には巨大なタンクがあった。
竜は枝を限界までしならせたまま、そこに向かってる。
当然、伸びた銀枝がタンクに引っかかり、その側面に沿って曲がる。
障害物を利用して、進行方向を無理やりに曲げようとしていた。
まずい。
タンクの側面が潰れ、中身が噴出する。
銀枝が切れ、僕は屋根の上を転がった。
体勢を立て直した僕の目の前に……その燃え滾る口腔がある。
「……うそ、だろ……」
『《千変万化の力にて》!!』
唖然と呟くだけの僕のかわりにオルドルが呪文を唱える。
大木の形状が変化し、前に気休めの防御壁を張る。
『逃げるんだ、ツバキ!』
腰を上げようとした瞬間、視界が白く飛んで膝から崩れ落ちた。
《また逃げるつもりなのね》
そんな声がどこかから聞こえて来る気がした。
じっとりと嫌な汗が出る。
『ツバキっ! ここには、キミの家族はいない!』
次の瞬間、竜が勢いよく吐息を吐いた。
炎とともに、白く熱された金属が、防護壁にぶつかり左右に分かれて流れ落ちて行く。
何もかもを燃やし尽くし、炎が上がる。
熱い。熱気だけで、触れていないのに、鉄板の上で焼かれているみたいだ。
オルドルの魔法は無限の黄金の魔法だ。
つまり、熱には弱い。
このままだと死ぬ。
魔法を使わないと……。
「昔々……ここは偉大な魔法の国……」
魔法は、発動しなかった。
オルドルが遠い。
僕はどうしてこんなことをしているんだろう……?
何もかもが、すごく遠い。
『ツバキ、ボクから離れてる!』
そうだ。青海文書の声も聞こえない。
原因は、痛みだ。
長く続いた痛みで、ショック症状が起きている。
目の前が白く霞んで、うまく見えない。
ブレスを受けた防護壁が熱を持ち、赤く溶かされ、崩れるのがその熱量でわかる。
僕は空を見上げた。
灰の瞳が剣戟の間からこちらを見ている気がする。
あいつなら、弱いからそうなるんだ、と言うだろうか。
壁が崩壊するより先に、足元が崩れ落ちる。落下していく。
工場の屋根なんて、適当なつくりだな、案外。
そんなことを考えた。
崩壊に巻き込まれるように落下しながら、雨のように降って来る輝く流体を眺めた。
呆気ない……死ぬのなんて、ほんとに呆気なさすぎる。
どうしたんだろう。
僕は……ウファーリを学院に戻してやりたいんじゃなかったっけ。
イブキを助けたいと思ったんじゃ、なかったっけ。
百合白さんを、探さないといけないんじゃなかったっけ……。
『思い出せ……ツバキ、キミはそんなことのためにここに残ったんじゃない!!』
目の前が真っ白で、きれいだな。
死ぬ前に、僕はそんなことを考えていた。
現実は痛いこと、辛いことばかりで、死ぬことのほうがずっとずっと楽だ……。
「先生ッ!!!」
誰かが僕を抱き留め、受け止めた。
お姫様抱っこされているのがわかるが、動けない。抵抗もムリ。
薄い胸だなあ、というのが感想だ。
「三の竜鱗! 《竜鱗狂瀾》っ!! 五の竜鱗、《銀麗重石鋼》!!!」
白く光る死の雨の間に、傘が広がった。
ドームみたいに、頭上を覆う。
傘は雨を受け止めてもびくともしない。重石……タングステン、という鉱物が頭に浮かぶ。
「あちっ。うあっち! ……ちょっと、移動してもいいですかねっ!?」
傘を流れ落ちて行った液状の金属がはねたり、レイピアから熱が伝導してるのだろう。僕を抱えたまま、ばたばたと騒がしく跳ねている。
「イブキ、何してるの……?」
「それは、こっちの台詞ですよ!」
水色の瞳が僕を睨む。
「あんなこと言われて、自分だけ逃げられるわけないじゃないですか。あっつ!!」
イブキは再び、ぴょんと跳ねた。




