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潔く


 バッと頭を下げる。

 涙がこぼれると同時に、滲んだ視界がクリアになり、驚きに目を見開いている彼と目があったからだ。反射的に隠れる。頭は真っ白になっていた。

 

 彼は私の手を包んでいた手をゆっくりと下ろし、宥めるように指先で撫でる。


「なあ」


 優しい響きに、再び涙腺が刺激されるけれど、今度は顔に力を入れて耐えた。


「どうして俺がここに残ると?」

「……」

「グレース」

「……あなたがいるべき場所のように思えて」

「そうか」

「人のために動くあなたなら、ここで求められるなら、応えるだろうと」

「それは違うな」


 彼はきっぱりと言った。


「俺は人のために動くことはしないよ。そんなできた人間じゃない。いつか君に言って傷つけてしまったように、結局は自分のためにしただけだ」

「そんなことを言いますけど、結局あなたは優しいんです」

「そうか?」

「そうです」

「怒るなよ」

「怒っていません」


 ふ、と笑っている声が聞こえる。

 そういうところが優しいのだ。

 自分のために、と言っているけれど、行動の理由は「人のため」なのに、行動の責任は「自分」にしている。人のせいにしたっていいことだってあるのに。


「……もし、緊急事態で、ここにあなたが必要になったら、そうでなければ皆が困る状況になったら、キリ様はどうしますか」


 試すようなことを言っているのはわかっているが、それでも口にせずに揉めることは避けたかった。ずいぶん女々しくて、面倒くさいことを言っているわ、私。



「うん? そうだなあ。とりあえずそこまでのことになったのなら、ジェイやユーリや君の父上に相談して、どう対処すべきか、ドージアズが介入可能か考えるな」

「……」

「その上で俺が必要ならここに滞在して片づけるしかないだろう。もちろん、さっさと終わらせて帰る。グレース?」



 あまりにも現実的で的確な解決策が返ってきたので、思わず笑ってしまった。

 ロマンチックの欠片を期待した自分がおかしくて、けど、確かにそうするしかない冷静な答えだったのもおかしかった。

 それに、嬉しかったのだ。当然のように彼が誰かを頼り、それも私が信頼している人たちで、ドージアズの立場で考えてくれていた。もちろん、帰ってくる、と。 

 十分だった。満たされた心地に、気持ちが浮上する。


「……私、てっきり」

「ああ」

「もう少し、情熱的に、安心させてくれるのかと」

「……じょ、うねつ、てきに」


 ついでに言ってみたら、彼は明らかに動揺した。


「冗談です」

「わかりにくい冗談は止めてくれ。反応に困る」

「ええ、まあ、困らせたくて」

「そうだろうな」

 

 呆れたように笑う気配に、私は心からほっとした。

 泣いたことを見逃して普段通りに接してくれているのだ。さっきのことだって、私が冗談だと言わなければどうにかしてそれに応えようとしたのかもしれない。そう思うと、嬉しくて、くすぐったかった。

 

「でもまあ、俺が疑われるのも仕方がない」


 そんなことを言い出したので、私は顔を隠していたことも忘れて顔を上げた。

 にっと口角が上がっている彼の表情を見て、やられたわ、とむっとすると、今度は悪戯が成功したとばかりに無邪気に笑われる。

 私がそれに弱いことを知っていてやっているのだろうか。流されそうになるが、これだけはきちんと言っておきたい。


「……疑ったわけではありません。不安だったんです。ここが、あまりにもあなたらしい場所だったから」

「不安か」


 彼は私の手を離さない。

 そして「ああ、そうか」と思いついたように頷いた。


「俺は前科があるしな」

「……前科」

「君から逃亡した事実がある。つまり俺が君を不安にさせたのだから、君が気にすることはないな?」

「……本当に、そういうところですよ」

「なんのことだろう」

「甘やかすのがお上手です」

「俺が甘やかすのは君くらいだ」


 さらりと言われ、握られている手に力が入った。


「君は、強くなければ俺の興味を引けないと言ったが、別にそんなのはどうでもいい。前も言っただろう、君そのものが面白いんだ」

「……面白い」

「意外と早とちりで、一人で突っ走るところとか」

「キリ様」

「かと思えば潔いほど素直になったりするところとか」

「あの」

「真面目にふざけか返してくれるところも、俺は好きだよ」


 手を、やわやわと握りながら。

 あの嘘をつかない伏せた美しい目で、私の手を慈しむように見つめながら、本当に内側からこぼれ落ちてきたように言った。

 ぴしりと身体が固まる。

 その言葉は、浮かれてとってもいいものなのか、それともただ「人として」褒められたものなのか、咄嗟に冷静な判断ができなかった。


 黙っている私に気づいた彼が「ん?」と不思議そうに私を見る。


「……あ、はい。褒めて下さってありがとうございます」


 危ない、勘違いをするところだったわ。

 私はこれ以上ぬか喜びのダメージを受けないように、そろそろ手を離してもらおうと手を引こうとした。

 が、なぜか離してくれない。


「あ、あの?」

「……ユイと父は、君が来たことを相当驚いていた」

「はい、そのようでしたね」


 何か話したいことがあるようで、私は頷く。


「俺の妻は、どこかのプライドの高い貴族の令嬢だと思っていたらしい。俺を連れて行ったあの堅苦しく威厳のある父親の一人娘ときたら、そういう想像になってしまったそうだ。申し訳ない」

「いえ、プライドもありますし、間違ってはいないかと」

「ふ。それで、想像の君と今日見た君はまるで違って、可愛くて可愛くて、驚いたらしい」

「……は、はあ、そうですか……」

「まさか俺についてここまで来るほどきちんと想われているとは思わず、呼び出してごめん、と謝られたよ。ちゃんと夫婦になっていて驚いた、とも。その時に、ここでするべきことはもうないと気づいた。と言うよりも、君と離れることなんて考えられないことに気づいて、自覚した」




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