妻
「つま?」
「つまって言った?」
「つまって、妻?」
「妻? キリの?」
「え? キリの妻?」
何故か混乱気味に話す義父と義姉を前に、私は慌てて頷いた。はい、と言いたかったが、肩をぐっと掴んで引き寄せた彼の方が早かった。
「二人ともうるさいぞ。妻だって言ってるだろう」
「え? うるさいか? 父さん、すごく驚いてるだけなんだけど」
「驚きすぎだ」
「いやー、だってさー……」
しげしげと見られる。
ここで怯んではいけないと笑みで返すと、義父の頬が染まった気がした。気がした、と言うのは、隣から伸びて来た手にフードを強制的に被せられ、見えなくなったからだ。
どうにかしてそれをどかそうとしているが、頭の上には手が置かれたままで動く気配がない。しかも、重い。何をしているのかもよくわからない。
「キリ。お嬢様が挨拶をしているのだから、手を」
「お、お嬢様……」
ジェイの言葉に、義父も義姉も若干引いたように繰り返す。
「じゃあ本当に、このお嬢さんはキリの?」
「そうですよ、あなたの義理の娘になったグレース様です。ほら、キリ」
ジェイに促され、ようやくそっと手が離されたので、フードを取ってもう一度頭を下げる。
「お義父様、お義姉様、よろしくお願いいたします」
「お……あ、はい。丁寧にどうもありがとう」
「ユイでいいよ」
「はい、ユイ様」
呼んでみると、黒い髪をとろりと肩で揺らした義姉は、私を見定めるように見つめた。
「……本当に可愛らしいお嬢さんだね。どうやってここまで?」
何か疑われているのだろうか。
まるで、初めて会ったときの彼のようだった。懐かしさに思わず頬がゆるむ。
「……」
「はい?」
「いや、なんでもない」
何かを呟いたようだったが聞き取れずに首を傾げると、彼女はぱっと手を振った。
再び隣から伸びてきた手にフードを被せられそうになり、今度はしっかりと彼の手を掴んで阻止をする。二度も同じ目にあうと思っているのなら、それはそれで腹立たしい。けれど、今は義姉の質問に答えなければ。
「ユイ様。ここまでは馬で参りました。キリ様やジェイと同じように」
「あなたが?」
「? そうですが」
「こいつらと同じようにして、ここに来たのか?」
「ええ」
きょとんとする義姉に何度も頷く。どうしてこうも納得されないのか、次の義父の反応でようやくわかった。
「……これは驚いた。ドージアズのご令嬢が森を歩いてまで来るとは。外から女性が来ることなど初めてだというのになあ。道中大丈夫だったかい?」
「お気遣いありがとうございます。大丈夫です」
「そう? 本当? 無理しないでいいからね」
優しい人だわ。
私が頷くとほっとして、そして次にはどうしてか申し訳なさそうな目で私を見た。
「あの……なにか?」
「いいや。なんでもないよ。よければ好きに歩き回ってくれていい。ジェイの顔なら皆知っているから安全だから」
これは。
二人で外に出ていろ、と言われているのだろう。
私はそっと隣を見上げた。
「キリ様」
「なんだ?」
「外を歩いてきても良いですか?」
彼は眉を下げ、軽く目を伏せて「悪い」と私に伝えてくれる。
勝手に着いてきたのは私なのだから、気にしなくてもいいのに。
「ああ。ジェイ、すみませんがお願いします」
ジェイはにこっと「だから言っただろう」と言っていたが、彼はしれっと「すぐに迎えに行くので少しの間だけです」と言い返した。傍にいる、と言っていた件だろうか。
「はいはい。すぐ、ね。じゃあお嬢様、行きましょうか」
「ありがとう。お義父様、ユイ様、ここで失礼いたします」
「うん。行っておいで」
義父ににこやかに手を振られ、一瞬迷ったがちょっとだけ手を振り返してみると「……か、かわい」と義姉と義父が同時に呟いた。恥ずかしくなって頭をぺこぺこと下げ、ジェイについて急ぎ足で家を出る。
「……ふう」
家を出た安堵感から思わず息を吐くと、隣に立つジェイが笑った。
「なによ」
「いえ。珍しく取り乱されていらっしゃったので」
「……人に手を振り返すことなんて初めてだったんだもの。失礼のないように、とか、けど畏まりすぎても駄目だろう、とか、これでも頑張ったんだから」
「シンプルな挨拶で良かったと思います。好感触でしたよ、間違いなく」
「本当に?」
「本当です、本当です。そういうところ、シダ様によく似てらっしゃいますね。シダ様も調べもせずに飛び込んでいくタイプでした」
「つい先日お父様にあなたに似ていると言われたのだけど?」
「そうでしたっけ」
二人で他愛ない話をしながらふらりと丘の頂上を目指す。
ジェイを知る人が私たちを見て「おや」と不思議そうにし、ジェイが何でもないように「キリの妻です」とさらっと紹介して通り過ぎると、皆同じようにびっくりした顔をして一瞬手を止めていた。
農作業中の男性も、洗濯物を干している女性も、木の剣で打ち込みの練習をする青年たちも、果実をかごに乗せて抱えた少女も、坂を転がり落ちていた子供たちも。
「驚かれることかしら」
思わず言うと、ジェイは「驚かれるでしょうね」と笑う。
その笑い方が何かを含んでいるようで、私は視線だけを向けた。
「さっきの、彼女」
「ユイ様のこと?」
「キリの元婚約者候補です」
あらまあ、と声に出したつもりだが、出ていなかった。
いつぞやは私の「元婚約者候補」に色々と嫉妬をして下さったはずだが、自分にもいたなど聞いていない。
「おっと、誤解のないように言いますと、周りが勝手にそう思っていただけで事実としてはありませんよ」
隣を見れば、ジェイは爽やかな風を受けて空を眺めていた。
沸騰しかけた心がすっと冷え、どこかへ落ち着いていく。
なるほど、何か私に話したいことがあるらしい。




