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ご挨拶


 今までの森歩きが何だったのかと思うほど、彼の古巣にはあっけなく着いた。


 地面から壁のように生える木々の間に突然現れた洞窟に入って五分程歩くと、一気に視界が開けたのだ。



 どこまでも広がる快晴の大空を白い鳥が飛び、風にさわさわと揺れる草原には大きな岩がゴロリと転がっていた。


 そのなだらかな坂の上に、転々と土壁の家がある。

 自然の形を邪魔せぬように建っているせいか、それそのものが自然の造形物のようだ。ふと、坂を勢いよく転がるように下る二人の子供が、きゃあきゃあと楽しげに声を上げているのが聞こえた。近くには馬が子供らを見守るように立っており、坂を下り終えた子供は驚くほど軽々と裸馬に跨がって再び坂の上へ駆けていく。


 ミドともララガとも違う。

 自然に寄り添った暮らしの中で「生」を分けてもらっているようなありのままの姿は、あまりにも、眩しかった。



「いつ来ても不思議だな、ここは。どう歩いてここに着くのか、森のどこに位置しているのかも感覚が掴めない」


 ジェイが呟く。

 私はフードをかぶったまま隣を見上げた。


「ジェイは何度ここへ?」

「森の前までは何度も。こうして入ったのは五度目です。晩年のシダ様について行ったのが三度で、お父上様にこの役目が引継がれることになって、挨拶をする為でした。そして四度目は、つい四ヶ月前。初めてキリと会って、その勢いでスカウトしたんですよ」


 そう、と何も知らなかった私が静かに返すと、懐かしむようにジェイが遠くを見る。


「シダ様は、我々にキリを隠していましたから」

「隠すって、どこに?」

「さあ、狩りにでも出していたらしいですよ。鉢合わせしないように、遠くに。自分の身分をキリに知られたくなかったんでしょう。ドージアズの格好は森の前で脱いで、ふらっと入って行っていました。しかしまあ、お嬢様のお父上様は生真面目で堅苦しい人ですから、堂々とドージアズの格好でここに来たんです。キリの自慢できない素行は伝え聞いていたので、牽制でもするつもりだったんでしょうが、あれまあ、一目惚れして、うちの国に来ないか、でしたから、シダ様はそういうところまで想定していて会わせなかったんでしょうね。待っていたんでしょう。会わせるべきタイミングを」


 ジェイの言葉を聞いていた彼が小さく笑う。


「……いや、それは」

「どうしたの?」


 私が聞くと、もう一度ふっと笑った。


「昔シダが言っていた。いつか自分は来れなくなるから、その時は代わりに息子を寄越す、と。剣の腕を聞いたら強いと言うから会ってみたいと強請ったことがあったんだが、駄目だと」

「理由は?」

「息子は嫉妬深い男だから、会わせられないとさ」


 ぶっと、ジェイが吹き出した。

 思い当たることがあるようだが、私にはさっぱり想像が付かない。

 彼は目を伏せて続けた。


「俺を可愛がっているのを見れば拒絶するだろうから、一緒にいるところは見せられない。いつか二人で会え、と。息子が自分から俺に興味を持てば、仲良くしてやってくれ、って言われて追い出され……気づけば実績づくりをさせられていたな」

「ああ、やっぱり。領主狩りや山賊狩りは、シダ様から聞いてたのか」


 ジェイの言葉に、彼は緩く頷いた。


「命令されて行ったことはないですが、魅力的な餌だったのでつい」


 彼はジェイに話しかけるときは敬語だ。上官に当たるからなのだろうが、余りにも似合わなくて思わず笑いそうになる。鍛えられた表情筋で、きちんと包み隠しているが。


「さ、そろそろ行きますか。他の者達に気づかれても騒ぎになるので。案内します」

 

 私はフードから顔を出さないまま頷く。心なしか、包み隠せている気がしないのは気のせいだろうか。彼からの視線を感じるが、私はフードをかぶっているのを良いことに知らぬ存ぜぬで通すことにしたのだった。





 洞窟の出口にある大きな岩の裏に被さるように、彼の「実家」はあった。大きな土壁のドームのような家が三つほど連なっている。洞窟に入れば足音がこの大岩に響き、家にいても来客がわかるのだそうだ。

木製の扉が内側から勢いよく開く。


「入れ」


 声の主は顔を出さずに言うとすぐに引っ込んだらしい。ドアの前には誰もいなかった。


「ユイ……」


 彼がげんなりしたように呟く。押され気味な彼を見るのは珍しく、そしてその相手が私ではないことが少し、ほんの少し、腹立たしい気がする。けれど、まあ、今は挨拶の方が重要だ。



 家の中は空気がからりと乾いていて涼しく、あちこちに観葉植物が置かれていた。窓から入る日差しが緑に輝いて美しい。

 それを何気なく見つめていると、奥から一人の壮年の男性が現れた。


「おかえり、キリ」


 灰色の短髪に、皺の刻まれたにこやかな目元。剣呑な雰囲気はないが隙もないその人は、私たちを見ても驚く様子もなく、彼の腕をとんとんと叩いた。


「ただいま戻りました」

「立派だなあ、おい。そっちはジェイだな。君は……驚くほど変わらないな」

「お久しぶりです。そちらもお変わりなく」

「おや。そちらの方は?」

「新人だろう?」


 男性に続き、ユイと呼ばれた彼女も私を見ている。

 彼は「ああ」と言うと、私の背をそっとエスコートするかのように押した。



「妻のグレースだ」



 グレース、父と姉だ、と紹介され、慌ててさっとフードを取り、軽く頭を下げる。


「初めまして、お義父様、お義姉様。グレースと申します。ご挨拶が遅くなり、申し訳ありません」


「……は?」

「……つま?」


 空気が間抜けな緩み方をする。

 おずおずと顔を上げると、二人は同じ表情で目を点にして、私を見てとてつもなく驚いていたのだった。



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