包容力
「ちょっと待って、どういうことかよくわからない」
ユーリが私の話にストップを掛ける。
いつもは爽やかで穏やかな顔の眉間に皺がくっきりと見え、私はアンナが入れてくれた紅茶に手を伸ばして頷いた。
「グレースは彼を好きなんだよね?」
頷く。
「彼は、君が必要で、結婚して良かったと思っていて、グレースでないと無理だと言っていて……で? 君を甘やかしてくれる上に優しいんだよね?」
もう一度頷く。
「それで、僕やジェイにも嫉妬をしていて」
今度は大きく頷く。
「でも、君を好きかわからないってどういうこと?」
ユーリが頭を抱えんばかりの勢いで、伸びていた背筋を崩して椅子にもたれた。
私はカップをソーサーに戻し、にっこりと笑いかける。
「私は彼に返事なんて要求しないことにしたの。彼は情が深くて人を慈しめる人だから、私の好意を受け入れてくれただけで十分だもの。勝手に好きでいるわ」
「……うわあ……怖い」
「失礼ですよ、ユーリ様。グレース様のこの大きな大ーきな包容力のどこが怖いんですか」
「アンナ、それは違う。絶対違う。包容力じゃない」
ユーリがぶんぶんと頭を横に振る。
まあ、さすがユーリだわ。
「グレースのそれって、相手が服従するまでひたすら相手を受け入れて与え続けて甘やかすって言う、優しさの拷問だよ。何が怖いって、それを意図してやっているところだよね?」
ちらりと視線を向けられたので首を傾げておいた。
代わりにアンナが口を開いてくれる。
「どこが拷問ですか。好きな相手に尽くしたいという乙女の純粋な気持ちですよ。ねえ、グレース様」
「ね?」
「ほうら。ユーリ様は女心がわからないんですから。あら……お客様ですね。行って参ります」
アンナは来客の微かな音に気づくと、すぐさま席を立った。
華奢な背中を見送っていると、ユーリから訝しげな視線を向けられる。
何か企んでいるでしょ、と訴える目に、そうだけど悪いかしら、と微笑み返せば、ため息を吐かれてしまった。
「別に、いいけど。勝算のないことはしないだろうし」
「もちろんよ」
「昔から人の剣を受けてきたのに、本当はどんどん押して行くのが好きなタイプだったもんね」
「さすが私の幼なじみね」
「楽しそうで何よりだよ」
「ユーリのような駆け引きなんてまだできないけど、押して、揺らして、動揺させて甘やかすのは悪くないわ」
「ふうん?」
「アンナをもらったこと怒ってない?」
聞くと「そういうところだよ」なんて呆れられる。
話の矛先が自分に向かったことを少しだけ後悔する素振りを見せたユーリは、しかし私の幼なじみでもない顔で、焦がれる誰かを思って言葉を紡ぐ。
「そんな狭量な男ではないつもりだよ。少し寂しいだけかな。毎日一緒にいたからさ」
「あら。なら会いに来てね。いつでも待ってるわ。私も寂しいもの」
「ん? うん、そうするつもりだけど」
「そうか。いつでも来てくれ。できれば俺がいるときに」
ユーリの肩をがしっと掴み、屈んで耳元でそう言ったのは、私の夫であるその人だった。ユーリが「……グレース……」と小さく唸る。彼が向こうから歩いてくるのが見えたから仕掛けたことを見抜いているのだ。もの言いたげな瞳を素知らぬ振りして、夫に声を掛ける。
「おかえりなさいませ、キリ様」
「……ああ」
「おかえりなさいませ?」
「ただいま帰った」
私たちのやりとりをユーリが興味深そうにそっと観察しているが、そちらも無視をする。
「お早いお帰りですのね」
「それなんだが」
ユーリの肩を二回ほど叩き、彼は私に向き直った。
「すまない、急だが用事が入った。一週間ほど帰れない」
「……どちらへ?」
疑っているわけではない。ただ、国からの指示なら「仕事」と言うはずのところを「用事」というのだから何か差し迫ったことが彼の身の回りで起きたのかもしれない。
彼は私を安心させるように、表情を柔らかくした。
「古巣に。内輪揉めをしているらしくな。少し顔を見せて欲しいと手紙が来たんだ。緊急ではないよ。心配をありがとう」
「そうでしたか……ならよかったです。それで、いつ出られますか?」
「明日」
「わかりました。急いで準備しておきます」
「ん?」
「私もお供いたします。あなたのご家族に挨拶をさせてくださいませ」
私の申し出に、彼のみならずユーリまでもが目を瞬かせた。
一拍置いて、申し訳ない、と言われる。
「確かに顔を見せに行くだけだが、それならついでにそれらしく行くことにしよう、と休暇を消化していない男たちで小さな派遣団を作ることになった。年三回のドージアズからの視察という体裁になったから、仕事ではなくても俺一人ではないんだ」
「なら安全ですね」
「グレース……」
「キリ、こうなったグレースは何が何でも付いていくだろうから、頷いておいた方がいいよ」
援護射撃をありがとう、とユーリに視線を配る。
「だからその間、アンナはうちに戻しておくね」
「そっちが狙いだったのね」
「さっきの不意打ちの代償にしては安いくらいだよ」
「そうね、ありがとう」
「そこはごめんって言って欲しいんだけどなあ」
「……本当に行くのか」
おしゃべりに興じる私とユーリを見て、彼は呆然と呟いた。
「ええ。新婚旅行があなたの故郷だなんて嬉しいわ。祖父がどんな景色を見ていたのか、私にも教えて下さい」
「それは」
彼は腕を組むと、大げさなほど大きなため息を吐いた。
「ものすごく狡い言い方だな」
よし。話はまとまった。
早速用意をしなくては。




