嫉妬
「そんなこと、言われたことなどありませんが」
笑うと可愛い、優しい、などという口説き文句もどき、今の今まで異性からもらったことなどない。
どう反応していいのかわからずに眉をしかめると、彼は満足そうに笑った。
「強くて可憐だとも思っている」
「それはどうも」
「おっと、これ以上は怒られそうだな」
「察しがよくて助かります」
「それで、君の婚約者が決まらなかったのはなぜなんだ?」
私の怒りを回避すべく、彼はするりと会話の矛先を変えた。
「ユーリは遠縁だったか。一緒になって家を継ぐことにはならないものなのか」
「ユーリと結婚、ですか?」
「ああ」
私は「それは考えたこともないですね」と呟く。
そんな発想自体がなかった。
ユーリは幼なじみであり、きょうだいであり、かけがえのない友人だ。
何より、跡継ぎが娘一人の場合は親戚から有望な男子をとるのが決まりで、婚姻関係は結ばないのが一般的だった。
「家を存続させることよりも、外に出して強者の鎖になる役目であることのほうが、大切なことですから」
私は仰向けになり、おなかの上で手を組んで目を閉じた。
「だから父は悩んでいたんです。私はどこに嫁いでもやっていけるだろうけど、できることなら私でなくてはならない相手に嫁がせたい、と。手塩にかけて育てた鎖を安売りできなかったのね」
この国を理解しているし、父の立場も理解している。
祖父だってそうしてこの国にやってきて、祖母だってその鎖となった。彼らは相思相愛で深い絆で結ばれていたけど、この国でそうあれるのは奇跡のように思えた。父も母も、お互いに情はあるが、ビジネスのような、戦友のような関係に見える。私が何も知らないだけかもしれないけれど。
「君のことを大切にしているように見えるが」
彼が言う。
私を傷つけまいと、柔らかな声で。
「大切にされていますよ。けれど、あなたに初めて会ったときに、着飾っていたのは私だけだったでしょう」
「そうだったか?」
「ええ、そうです」
令嬢をよく見ていなかったらしい彼の言葉に、思わず笑みがこぼれる。
「父に、私しか無理だろう、と言われました」
「……俺の妻になれるのは、と?」
「そうです。私も、あなたと一緒になってそう思ってるわ。どうかしら」
目を開けてちらりと視線だけを向けると、意外にも穏やかに笑んでいる彼と目があった。
「確かにな。君でなければ無理だ。あの夜からそう思っている」
「ありがとうございます」
「それで? ジェイとはどんな関係だったんだ?」
「あら」
「綺麗に話の方向を変えたな?」
いたずらに細められた目を見つめ返す。
「そんなつもりはないですけど、特に何の関係もありませんよ?」
「あの人が娘の婚約者候補、などと名前をくれてやるならそれなりの理由があると思うのだが」
どうしてそんなに知りたいのかしら、と思いつつも言葉にはしない。
嬉しいから。
私を知りたいと言ってくれただけでも嬉しいというのに、これが嫉妬でなければ何なのだろう。無自覚であるのが少々悔しい気もするが、それでも嬉しさの方が勝るのは「惚れた弱み」というやつなのかもしれない。
にやけないよう、顔を引き締めて答える。
「関係はありませんけど、理由はあります。私への縁談を正当に断ることと、ジェイにとってはその肩書きが必要だったことです。父は彼のことをたいそう気に入っていますし、婚約者候補というのは、彼を守るためにもなったので。ジェイのことは」
「いいや、聞かない。聞いても君のことだから言わないだろう」
「ふふ。はい」
「……君は、彼をどう思ってたんだ」
「私ですか? まあ、親戚の兄とか、父の部下とか、見知った年上の男性です。強いて言うなら、いつまでも若くて不思議かしら……いえ、ちょっと憎らしいわ。私より一回りも年上なんですよ、信じられない」
「一回り?」
ジェイの年齢を知らなかったらしい彼が、天井を見つめて呟く。
「若いのに隊長だっていうから、かなりの強者なのかと」
「ソラシオスでは別行動でしたか」
「なるほど、彼は強いんだな?」
「ええ、祖父の教え子の一人でもありますし、若い頃から隊を守っているのも変わっていませんよ。人の面倒を見るのが好きで上昇志向がないので、ずっと今のままです」
「よく知ってるんだな」
「父の傍にいてほとんど家にいましたし、私やユーリやアンナの遊び相手をしてくれていましたから」
「君とどちらが強い?」
そこで、俺とどちらが強い、と聞かないところが私に意識を向けてくれているような気がして、私は彼の横顔を盗み見た。嫉妬を知らない男の独占欲に滲む横顔は、妙に美しい。
「ジェイの方が強いわ」
決して、わざとではない。事実だ。
けれど、どこかでその顔をさらに歪ませたいと思ったことも否定はできない。
彼が何か言う前に、私はきちんと正しい情報を口にする。
「でも、彼は女性相手に剣を振れないどころか勝負すらしない男ですから、勝ち負けで言うと女である私の勝ちですね。不戦勝というやつです」
「ふうん」
「まあ、ご機嫌が直りませんね」
「別にそういうわけではないが」
「キリ様」
私は境界線の上に手をそっと置いた。
私が勝ったときは、どちらかが眠りにつくまでここで手を繋ぐのだ。
彼は無意識なのか、反射的に手を伸ばして私の手を取った。握り返すと、そこでようやく自分の行動に気づいたのか、目が合う。それに微笑み、何も知らぬ彼にその苛立ちの感情の名前を教えてあげるべきか考える。
それは嫉妬ですね、と言うと、彼はどんな反応をするのだろう。




