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役割


「そもそも、仲睦まじい夫婦なんて外側からの評価だろう。君は君のままで十分面白いよ」


 機嫌がすこぶるいいのは、彼があっという間に勝利を収めたからだ。

 


 何度か局面をひっくり返そうとしたが、結局逃げきれなかったのが悔しい。負ける気はなかったのだが、本気で食いつきに来た彼は勘と勢いのある手で一気に追いつめてきた。これで本当に今まで手加減をしていなかったというのだから腹立たしい。


 片づけをしながら、私を「面白い」と評価した彼を睨む。



「面白さなど求めていないわ」

「君は時々砕けた口調になるときがあるよな。貴重な感じがして、それも面白い」

「腹が立ったときにそうなってるのかもしれないですね」

「怒っていても綺麗なんだな」


 本気で言っているのか、とさらに睨むと、彼は真面目な顔で私を観察していた。

 どうやらからかうつもりはなく、本心だったらしい。

 怖いわ、こういうところが。


「あの。少し私に対する警戒心が薄くなっていませんか」

「何を言っているんだ」

「今までのあなたでしたら、私が勘違いしないように細心の注意を払っていたじゃありませんか」

「そんなつもりはなかったが、言われてみれば、確かに今は君に過剰に気遣うことはないかもしれない」

「それは嬉しいです」

「……まあ、安心して居るのかもしれないな。人に好意をもたれないように警戒をしないで済むというか、君のそれも案外心地がいい。夫と妻という役割から解放されたような気がする」


 役割から解放される。

 その言葉は、なぜだか私にもすとんと落ちてきた。

 政略結婚で愛はなく、しかしそれでもこの先の生涯を生きていく相手ではあるのでうまくやっていこう、という妙な責務のようなものが、気持ちを打ち明けてとことん話し合ってから消えたような気がするのだ。


 彼は好意に怯えなくていいし、私は彼の素っ気なさに怯えなくてもいい。


 一方的な好意であることをお互いを受け入れて、夫婦ではあるが「夫と妻」という役割を放棄したことで自由になれた気がした。

 私は頷く。


「わかります。これからは、あなたと私で生きていけばいい。私があなたに飽きるまでは一緒にいましょう」

「……最後の一言は必要か」

「ええ、まあ。好意は絶えず無限に溢れ出て来るものではないので。あなたが私からの好意が欲しいと思えば行動に出るでしょうし、欲しくもないのなら、私の好意が枯れるまで放っておけばいいだけです」

「俺次第、と?」

「そうなりますね」


 柔らかく言い、席を立ってクローゼットにチェスのセットを戻しに行く。


 彼は「このままでいい、このままが心地い」などと言い出しかねないので釘を打っておくのも大事だろう。私はいつまでも彼と一緒にいるつもりはあるが、甘やかしてくれる都合のいい相手に成り下がるつもりはない。


 彼にも同じように私に対して好意を抱いてほしい。


 そもそも、私の気持ちを受け入れてくれた時点で、彼は私に負けているような気がしないでもないが、それを自覚してくれるまで根気が必要なのだということはきちんと理解している。


「それで」


 片づけを終えた私は座ったままの彼の前に立ち、尋ねる。


「あなたの勝ちですが、お望みは?」

「ああ。君のことが知りたい」

「わかりました。聞かれたことには嘘偽りなく、全て正直に話すと誓います」


 仰々しく胸に手を当てて言うと、彼はくしゃりと苦笑した。


「今日こそは勝つつもりで訓練の合間にいろんな奴らと遊んできた甲斐があったな」

「まあ。そんなことをしていらしたんですか」

「頭を使った一日だった。横になって話そう」


 彼は立ち上がると、私の椅子に掛けていたブランケットを手に取った。

 二人でベッドに行き、ブランケットで境界線を作った後に、ふかふかのベッドに倒れ込む。大きな枕がすっぽりと頭を支えてくれ、私は彼の方にゴロンと向いた。


「嬉しそうですね」


 その横顔は満足げで、天井を見たままの瞳が私の言葉に応えるように細くなる。


「勝利を噛みしめている」

「そうですか」

「で、聞いてもいいか」

「なんなりと」

「……ジェイのことだが」


 勝利の余韻を噛みしめていたはずの目が一瞬鋭くなる。

 彼がソラシオスに出立するときに迎えに来てくれた騎士であり、騎兵隊の隊長を任されている父の右腕だ。一応彼の上司にも当たる。


「婚約者だったのか?」


 天井を睨むその端正な横顔をしばらく堪能してから、私は静かに答えた。


「いいえ。婚約者候補でした。互いに都合がいい相手でしたので、利害の一致でそうなったのですが、結局形を取らぬままでしたので婚約者になったことはありません」

「候補も似たようなものだと思うのだが?」

「適当な縁談除けです。父は、私の嫁ぎ先を悩んでいましたから」

「君の? どうして」


 不思議でたまらない、と彼がようやく私を見た。

 先ほどまでの苛立ちのようなものは消え去っている。


「高水準の教育を受けてきて、強力な後ろ盾もあり、器量もいい上に強いのに?」

「男性は妻に強さを求めはしないかと」

「そうか?」

「そうです。普通は、ですけど。祖父に感謝しておかなければいけませんね。強くて良かったです」


 思わずくすくすと笑っていると、隣から柔らかな笑みを向けられた。


「俺は、君のことを、笑うと可愛らしいし優しい人だとも思っているけどな」

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