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薔薇とチェス


 仲睦まじい夫婦、とは一体なんだろう。


 朝、彼を見送り、アンナとともに庭師の邪魔にならぬように花の手入れを手伝っていると、ふとそんな疑問がわいた。アンナが「まあ、雨降って地固まるってやつですかねえ」としみじみと呟いたからかもしれない。



「どうなることかと思いましたけど、仲直りされてよかったです。男性が居ると助かりますしねえ。この間、電球の交換を頼んだらあっさりして下さいましたよ」

「まだ彼をいびっているの?」


 思わず笑う。

 アンナは彼が一ヶ月半ぶりに帰ってきたときに、澄ました顔で「おかえりなさいませ」と言っていたが、彼への当たりは少々冷たかった。事務的な会話だけをして、笑みすらも封印していた。

 太陽のような笑みが似合うアンナが怒ってくれていることが私はなぜだか嬉しくて、屋敷の主である彼はアンナが私だけの味方であることに感心している。


「いびっていませんけど」

「はいはい」

「それにしても、旦那様は使用人に電球をつけろと言われても怒らないなんて。大丈夫なんですか?」

「自業自得だと自分でよくわかっているのよ。あと、アンナと仲良くなりたいみたいね」


 仲良く、と言った数秒後、アンナは屋敷に飾るバラの刺を折っていた手を止めた。


「な、なかよく」

「ええ」

「子供ですか?」


 唖然としたアンナに、私は大きく頷く。

 すると、アンナは朗らかな顔で大きな笑顔を咲かせた。


「あはは! 変な人ですねえ!」

「可愛いと言ってあげて。気遣いをしすぎて人との付き合いを深めたくない人が、自分から歩み寄っているのよ」

「ふうん。そうなんですか?」


 アンナはかごに白いバラをそっと置いて、私をちらりとみる。


「でもそれって、私と仲良く、というよりも、グレース様に嫌われたくないだけじゃないですか? 下心ってやつです」

「ふふ」

「あらま、見抜かれてますか」

「だから可愛いと言っているでしょう」


 あの人は、初めて人の好意から逃げずに受け止めているのだ。

 いくら慣れた、と言っても表面上繕うことを覚えただけで、追撃を何度も打ちこんでていけば、感情だって蓄積していく。溢れるまで、私はそれを注いでいこうと決めた。


「甘やかしていますねえ」

「私のことが必要だと言ってくれたのなら、私でなければ駄目だと言うまで甘やかすまでよ」

「頼もしい限りです!」


 アンナがふにゃっと笑う。

 心配をかけていたことを詫びる言葉よりも、アンナと一緒に笑うことのほうが大事なように思えて、私はアンナとバラを摘みながらたくさん話をするのだった。









「仲睦まじい夫婦って、どういうものなんでしょうか」


 ほぼ無言で夕食を終えて寝室で先に待ち、戻ってきた彼にそれを尋ねてみた。

 ドアを開けた格好で、頭に白いタオルをかぶったままの夫は私の顔をまじまじと見てドアを閉める。


「ずいぶん可愛らしいな」

「それはどうも」

「アンナはそろそろ俺を許してくれたと思ってもいいんだろうか」

「そうですね」


 アンナの怒りが鎮まったと思うのは、私の格好が夫婦の夜を意識した「気合いがはいりすぎていないが、可愛らしい就寝スタイル」となっているからだろう。髪をゆるっと三つ編みにして横に流しているのは、アンナのお気に入りの髪型だった。


「クローゼットを借りても?」

「ええ、どうぞ。お好きなものを」


 昨夜の約束通り今日は彼が「勝負」を決める。

 クローゼットから声をかけられた。


「で、さっきのはなんだ?」

「仲睦まじい夫婦です。どういうものがそうだと思いますか?」

「そうだなあ」


 彼はクローゼットからチェスを持ってくると、テーブルに置いた。

 駒の準備をする手を、なんとなく目で追う。


「いつもお互いが笑っていたらそうなんじゃないか」

「喧嘩せず?」

「しても話し合えばいい」

「では私たちは仲睦まじいのでは?」


 彼が駒を配置し終えて私を見た。


「そうなるな?」

「ですよね」

「なるほど、俺たちは仲睦まじい夫婦なのか」

「私の片思いですけど、そうなりますね」

「で、何を思ってその疑問になったんだ?」

「はい、それがですね」


 お喋りをしながら、そのまま流れるような自然な動きでチェスがスタートする。

 ことん、ことんと駒が盤面で踊り始めた。


「私はあなたに答えを要求しませんし、勝手に好きで居続けるのですけど」

「……」

「それはもう、隙あらば追撃を打っていこうとも思っていますし」

「そうみたいだな」

「でも、あなたの理想とする夫婦像があるのなら聞いてみたいと思ったのです。別に聞いたからと言って、あなたの理想の妻になるつもりは毛頭ないのですけど」

「ふ」


 ことん。

 イヤだわ。戦いづらくなっている。

 そろそろ集中しようかしら、と盤を睨んでいると、彼が頭にかぶっていたタオルを首にかけた。ついそちらを見てしまう。


「君のそういうところが気に入っている」


 一言。

 

「……そうですか」

「そうです」

「あっ」


 つい誤魔化すように駒を置いてしまった。

 彼を見れば、にやりと笑われる。


「キリ様!」

「な。俺も手加減していたんじゃないんだって。油断して、いくつか間違えて負けたんだ」

「油断させられるなんて腹立たしいわ」


 私が本気で悔しがる様を、彼は子供のように無邪気に笑って眺めている。

 そうして、私の油断をあっという間に自分の勝機に変えてしまったのだった。


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