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7/5「三大怪獣 地球最大の決戦」:動物としてのゴジラ

ゴジラシリーズも第五作目となった。

調べてみると、昭和ゴジラシリーズの終焉「メカゴジラの逆襲」に至るまで、残り10作。一日一本と考えると、来週には昭和シリーズが終わってしまう計算になるので、かなり驚いている。

ゴジラの歴史をこの一ヶ月で追いかけるというのは、いささか傲慢かつ無謀な試みだったかもしれない。……が、始めたからには完走したい。そうすることで見えてくるものもあるだろうから。

今日も今日とてゴジラについて語らせていただこう。


今作は「三大怪獣 地球最大の決戦」である。キングギドラが初登場であるこの回は、もしかしたら今までのシリーズ中最もスケールが大きい話になっているかもしれない。

地球滅亡の危機を前に繰り広げられるお話は、非常に「濃ゆい」もので、もうなにがなにやら、と思ってしまった。怪獣騒ぎに並行して繰り広げられる人間ドラマは、なんと某国の女王にまつわるサスペンス。これだけで一本映画が撮れるんじゃないかと思うが、それを一緒くたにして生まれる味わいこそが特撮の魅力なのかもしれない。

ただ、実は人類の知性の祖先(!)は星をキングギドラに滅ぼされた金星人であるという話がさらっと出てきて、流されたのには笑ってしまった。SF好きとしてはそっちを掘り下げてくれよ! なんて思ったりもしたのだが……。




◇閑話休題◇




今作は前作「モスラ対ゴジラ」の完全に地続きな続編だ。今作を考える上で、この前提は頭に入れておきたい。


前作「モスラ対ゴジラ」において、終盤、モスラに関するいざこざと、ゴジラに関するいざこざの両方に中立の立場から関わることになった酒井はいう。

「人間不信の時代だからこそ、人々を信じ合うことが必要なんだ」

彼のこの発言で、インファント島の人々は日本の危機のためにともに立ち向かおうと決意した。

そうしてモスラは死力を尽くしてゴジラを倒し、平和がまた戻ってきた……というのが前作の顛末である。


客観的に前作のテーマを語るとすれば、「人間の協調」だといえるだろう。



では、今作は手に手を取って危機に立ち向かう人類が描かれるかというとそうではない。


やはりというか、今作もまた利己的であり続ける人々が描かれる。

対照的に「手に手を取り合う」のは、なんとゴジラたち怪獣だ。



今作、確かに人類も協調路線の一歩を進み始めている。日本政府は与野党合同でゴジラ対策会議を開き、異例とも思われる外部顧問の参入まで許した。現代の国会の紛糾を見ている我々にとっては、信じられない事態だ。

しかし、日本政府もまだまだ協調には程遠い。野党は国会と変わらずともに対策を考えるどころか、とにかく防衛大臣の責任問題を追求する。一歩進んだとはいえ、協調はまだまだ遠いな、と思ってしまう。

また、紆余曲折あって自らのことを金星人と思い込んでいる某国の女王を殺すために、半王族派の連中は怪獣騒ぎの中なお活動を続ける。この場面なんか、協調なんかとは縁もゆかりもないなと辟易してしまった。


争い合う人類とは対照的に、ゴジラとラドンはモスラの説得のかいあって、足並みを揃えてキングギドラと戦う。

移動の遅いモスラを引っ張るために尻尾を差し出すゴジラの姿や、仰角がとれずうまくキングギドラに攻撃が届かないモスラを背に乗せ高さを調節してやるラドンの姿は実に印象的だ。まさしく彼らは共通の目的のもと共闘し、キングギドラを撃退することに成功する。

三人並んで去ってゆくキングギドラを眺める怪獣たちの姿には、どこか戦友意識すら感じられて、改めて人類とは対照的に描かれている。


ちなみに、キングギドラと三大怪獣が争う中、反王族派の幹部は生き延びていた女王を殺すために彼女が収容されている山中深い病院に向かう。その結果、半王族派の男たちはみな、キングギドラの攻撃に巻き込まれて死んでしまう。

またしても因果応報だ。


強いて文字にするというのなら、「人類よ、怪獣に学べ」……というのが今作の主張であろうか。

怪獣たちでさえ、今までのいざこざを(人類から与えられた被害すら!)水に流して、地球のために立ち上がった。地球に共に生きる生命として、足並みをそろえるべきじゃないのか。

あえて今作から教訓を読み取るとすれば、こんなところだろうか。


現代の目で見れば少しばかし古臭いとはいえ、特撮も魅力的だった。

子供向け映画として見れば、かなりできが良い映画だと感じた






……しかし実は、この映画のテーマとかそんなことが明後日の向こうに追いやられるくらいに、今作のとある描写に、僕は嫌悪感を抱いた。


それは、怪獣たちが、非常に人間的な知的生命体であるという描写だ。


神は人間の言葉を乱し統一した言語を持たせなようにしたものの、動物にはそうすることはなかった。それははじめから動物と人間との間に意思疎通が不可能だからなのかも、しれない。


十年ほど前犬の言葉を翻訳するおもちゃが世間で話題になったと記憶しているが、アレが所詮ジョークグッズでしかなかったように、動物の思考は人間の言語では表現できないものだ。



動物の意識を考え始めたのは、はじめて犬を飼ったころからだ。

両親の都合上、広い家に一人ポツンといることが多かった僕にとって、幼少期の大半は動物とともに過ごした。

魚、蛙、蜘蛛、トカゲ……彼らはみな、僕とは違う言葉を使ってた。

兄弟もおらず、かといって親なしでは行動半径は鍵のかかった玄関というベルリンの壁を超えることもできなかった僕にとって、かつて世界とはまさしく自宅という小さな空間を指す言葉だった。そこに突如として犬という異質な存在が現れたので、初めはおっかなびっくりにらめっこばかりしていた記憶がある。

和解のキッカケは彼女たちが与えてくれた。彼女たちが、温かい体をすり寄せてきた。それが始まりだったと思う。

それからしばらく(といっても一、二時間だが)一緒に行動している内に、だんだんと考えることがわかってきた。それからは、散歩に行くにしても、食事をするにしても、お互いの間に言葉は必要なかった。

いまにして思うと、動物と言葉を使わずに会話をしていたなんて不思議な話だ。

しかし中学校にあがる以前の僕にとって、コミュニケーションにおける言葉とは余分なものだった。

いまにして思うと、動物ばかりが友だちで、人間の友だちが少なかったせいかもしれない。

動物は人間とは違った認識相/ことばを持っている、という感覚。

それは僕がもつ確固たる実感の一つだ。



さて、話を「三大怪獣 地球最大の決戦」に戻す。

ゴジラシリーズは今の今まで、ゴジラを動物として描いてきた。

「モスラ対ゴジラ」であってさえもゴジラがなにを考えているか、なんてことは描かれなかった。

「ゴジラの逆襲」以降「モスラ対ゴジラ」まで、たしかにゴジラは動物的な描写をされてきた。

僕にとって、この描写は凄く慎重な姿勢の現れだった。

ゴジラスタッフは、怪獣をただの作り物にしないために、様々な工夫をこらしているのだな……と感心していた。


それが、今作で崩された。

モスラとインファント島の人々が会話できることは、まだわかる。

モスラはあくまでインファント島の守護神だ。彼が神である以上、島民が歌や祈りを介してモスラとつながりを持つことは、ごくごく現実的な描写だ。イスラーム教においては、アッラーと一体になるための修行なんてものが存在すると聞くし、仏教では即身仏という例もある。信仰というのはある点までいくと神との一体化を目指すようになる。

預言者の存在や、天啓を受けたという人々が実在する以上、モスラと島民の会話にはフィクションとしてある程度のリアリティが存在する。


しかし、インファント島の島民がゴジラや、あまつさえラドンの言葉を理解してしまってはおしまいだ。

ゴジラの言語に関しては、もしかしたら「モスラ対ゴジラ」でわかるようになっていたかもしれない。しかしラドンは違う、彼はモスラと初めて対峙した存在だ。

そして彼らは、実に動物らしく戦っていた。

その格闘は原始的で野性的で、あの当時の日本人の感じる「野生」の程度を示すものではあったけれど、それが示したいものは伝わった。

しかしゴジラやラドンたち怪獣を動物的存在として描く以上、彼らのことばを人間の言語に翻訳するのは、違うんじゃないかと思う。


それは、怪獣だから人間と同じように考えているのだ……といった、フィクションのためのフィクションだ。虚構に虚構を重ねていっても、そこに重みは存在しない。

虚数が実数なくしてはただの「虚数」としてしか定義されないように、ある一面において虚構は実在なくして成立しないものなのだと思う。


そのことに(無意識的に出あっても)真摯だったからこそ、初代ゴジラは面白かったし、前作「モスラ対ゴジラ」はドラマとして成立したのだと僕は感じている。


しかしここに来てそれが崩れた。

もしかしたら、この真摯さの崩壊こそが「昭和ゴジラシリーズ」衰退の始まりだったのかもしれない。

自分はゴジラシリーズが好きです。だからこそ、今作が僕にとってひどい作品であったとしても、ゴジラシリーズに最後まで付き合うつもりです。


けれど、それと僕がこの映画に感じた失望感とは別問題です。

この失望感はこの映画の出来栄えとはまったく無関係なところに位置するからこそ、僕にとって重大だったのだとご理解いただければ幸いです。


ご気分を害されたかたがいたら、すみません。

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