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7/2「ゴジラの逆襲」:終わらない悪夢 追記あり

ゴジラの怒りは、東京の破壊と芹沢博士の犠牲では止まらなかった。

ゴジラは、今度は大阪の街でその暴威を奮う。

それはつまり、終わらない悪夢の始まりを意味する。


「ゴジラの逆襲」は前作と地続きのエピソード、「ゴジラ」シリーズの2作目だ。前回は生物学者/政府の視座であったが、今作は商社の視座が中心となる。

それはつまり、より社会に与える影響のシミュレーションに重心が映ったことを意味する。


あらすじは調べたらすぐ出てくるゆえ、あえて割愛させていただく。今回もあくまで、印象を語ることに注力させていただきたい。



一見エンタメ映画以上の意味を持たないようにも見えるこの2作目は、しかしやはり前作同様シミュレーション映画として成立しており、さらに付け加えるならば、実は映画世界における住人にとって大きな意味を抱いている。



一作目「ゴジラ」の最後、「このゴジラが最後の一匹だとは思えない」という発言が出てくる。

第一作だけでゴジラが終わっていれば、それは科学者の杞憂に過ぎなかった。


この映画は「二匹目のゴジラが、それも違った場所に現れたら」という恐怖を描いている。今度は商社の人間の目線で、社会における経済的打撃を描いている。それはまさに現実のより精緻な考察に他ならない。

今作に描かれる商売人のしぶとさは、まさにこれから復興しようとする人々の圧倒的生命力を感じさせる。


しかしシミュレーション映画であるからこそ、二匹目のゴジラの登場が「ゴジラ」世界における途轍もない恐怖の再来であると言わざるをえない。




偶然無人島で発見されたゴジラとアンギラスの戦いは、「ゴジラ」世界の人々にとって、ゴジラを「自然災害」から「いつ降ってくるかわからない恐怖」へと変化させた。

それが何を意味するのか、より深刻に考えてみよう。



一匹ではなかったゴジラが、なんの予兆もなく、それも日本の無人島で暴れていた。これはつまり、ゴジラが台風などとは違い予測も立てられないことを意味する。

劇中にもあるように、「台風の進路は予想できてもゴジラの進路は予想できない」のだ。


人類の力では防ぎようのない不条理。どうにもならない絶望感。

それが規則性なく出現する。経済不安どころの話じゃなく、まさに文明の危機なのだ。


戦う手段はないかもしれない。それでも、なんとかしなければいけないのが「私たちが生きる世界=彼らが生きる世界」であり、人々は日々を生きていくように定められている。


抗うしかない人類は戦う。


アンギラスの死によりついに楽観という最後の一線を人々は踏破する。


「ゴジラ」世界において、人類はゴジラとの恒常的戦争状態に突入する。


出現時期も勢力規模も予測不能の敵との、戦闘。

人類の危機の前に人間一人の価値はあまりにも低い。いや、人間一人の価値が何よりも高いからこそ、人々はゴジラとの戦うに命をかける。


だからこそ、映画後半に至ると、「ゴジラの逆襲」というタイトルとは真逆の、「ゴジラへの逆襲」とでも形容できる死闘が展開されるのだ。


アンギラスとゴジラとの戦いは人類の闘志に火をつけた。日本という国を守るため、人々は決死の戦いをゴジラに挑む。オキシジェンデストロイヤーという切り札なしでの勝負は、「魔術としての映像」とでも形容すべき迫力ある特撮技術で演出され、非常に生々しい。


その生々しさこそが、「ゴジラの逆襲」の最大の魅力なのだと思う。


生存のために戦うことを余儀なくされた人類。

そんな世界で生きている人の息遣いが、この映像には詰まっていた。


追記


例のごとくに追記である。

さて今回も追記を書こうと思ってワードを起動してみたはいいんだけれど……


実を言うと分析にとどめた「ゴジラ」本文と違って、「終わらない悪夢」としてのゴジラというのは僕がゴジラの逆襲に感じた印象の全てであるから、前回のような「印象に関する追記」を書くまでもない……というのが実情だ。

というわけで、「ゴジラの逆襲」の印象ではなく、極めて私的な話を追記に書かせてもらおうと思う。

本文に書くまでもないものだと判断して追記に回した部分であるので、興味のない方はすぐに飛ばしてくれていい。

これから語るのは、僕の極めて私的な思いであり、「映画はすごい」と思わされたという話だ。




僕には今年で65になる父がいる。

65年前、1951年。朝鮮戦争が停戦した年であり、ゴジラが公開される三年前のことである。

この頃はベビーブームのせいもあって、小学校に通う生徒がべらぼうに多かった。

どのくらい多かったかというと、当時を生きていた父いわく。

「3000人くらいがうちの学校にいたよ。そんで、マンモス校ッて言われてた」


……くり返し言おう。3000人である。誇張でもなんでもないところが恐ろしい。

僕が通っていた小学校は1000人いてマンモス校と言われていた。規模の差というのは恐ろしい。


で、だ。65年前はまだインターネットもなければテレビもほとんど普及していない時代だった。サザエさんよりもっと古い時代を想像してほしい。テレビを買った人たちのところにわざわざ遊びに行って複数家族でテレビを見る、なんてことがあり得る時代だった。父によれば小学校の途中からテレビが家にやってきたそうな。


「ゴジラの逆襲」が1955年公開であることを考えるとラジオ/電信が通信の主流だったことは頷けるし、父によれば「何もかもが懐かしい」とかなんとか……いけない、余談が過ぎた。


なにが話したいかというと、当時の娯楽は劇場が主流だったということと……

劇場がないような田舎では、学校で映画を放映するなんてことがあったということだ。


父は真面目一辺倒の人で、科学者気質。娯楽に興味ありませんっ、て感じの人なんだが、驚くべきことにゴジラも大魔神も知っていた。

大魔神に関しては、これはこれで名作(迷作?)であるので、気になった方にはぜひ見ていただきたいのだが……

そんな父がどこでゴジラを知ったかというと、なんと「小学校で上映された」というではないか。


「あれでしょ、ゴジラって、氷漬けにされて死ぬんでしょ。オキシジェン・デストロイヤーなんて、知らないなあ」


初代ゴジラの話をふった時そんな反応をするものだから僕はたまげた。変な声が出た。

それで、いい機会だからと父と二人で「ゴジラの逆襲」を見たのだった。



先ほどグーグル検索で「ゴジラの逆襲」と入力したら、「ゴジラの逆襲 駄作」なんてワードがサジェストされた。

うーん、たしかに中途半端だという印象は否めない。

けれど、僕はあの映画は「ゴジラシリーズ」になくてはならないものだと思う(※本文参照)し、それ以上に、「ゴジラの逆襲」は僕に大事なことを教えてくれた。


「映画は、時代を超える」

当たり前のような感想だろう。けれど僕にとって、趣味が全然合わない父親とまさかのところで共通の話題ができたというのはとても嬉しいことだった。そういうこともあって、僕はこの「ゴジラの逆襲」という映画に感謝している。

映画そのものの力を感じさせてくれたのだから。

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