王立学園(5)
セドリックとエレノア、それにヴァニエルとリリアーネの言い合いが続く中、その声は次第に広場全体に響き渡り、周囲には学園の生徒たちが自然と集まり始めていた。昼休みで賑やかだった広場の喧騒が徐々に薄れ、好奇心や緊張が入り混じった空気が漂う。
集まった生徒たちの中には、眉を顰めながらも事態を見守る者、ハラハラと心配そうに様子を窺う者、そして単純に面白がっている者が混在していた。しかし、ヴァニエルが自分を「王女から求婚されている未来の大物」と吹聴していることを知っている生徒たちは、大半が彼に逆らうことを恐れ、ただ静観するにとどまっていた。彼の言動には眉を顰めたくなるものが多いが、「王女」という存在を盾にされては、軽はずみに意見を述べることができない。
一方で、セドリックがエレノアを庇う様子を見て、特に親しい生徒たちは密かに彼らを応援するような視線を向けていた。だが、それ以上に大勢の生徒が「これ以上騒ぎが大きくなったらどうなるのだろう」と興味本位で見守る姿勢をとっている。
そんな中、広場の喧騒が突然変化した。ギャラリーの生徒たちが自然と道を譲るように、静かに横に退いていく。その中央を堂々と歩いてきたのは――ノエル・ウィンチェスターだった。
ノエルの歩みは冷静そのもので、白い制服を纏った姿はまるで光をまとっているかのように清らかだ。その背筋はピンと伸び、端正な顔立ちには威厳が漂っている。ノエルの隣には、にこやかに歩くキャサリンの姿もあった。キャサリンはその表情に柔らかさを宿しながらも、どこか不敵な表情を浮かべている。
「ノ、ノエル・ウィンチェスター……?」
ギャラリーの中から誰かが呟き、その名は広場中にさざ波のように広がった。
ヴァニエルとリリアーネの顔に、一瞬驚きが走る。特にヴァニエルは、今まさに「王女からの求婚」を吹聴していた手前、その存在感が自分の立場を揺るがすかもしれないという一抹の不安を感じたのか、口を引き結んで視線を泳がせた。
ノエルはそんな視線など意に介さない様子で、ヴァニエルの正面を横切ると、エレノアとセドリックのもとへと向かっていった。そして、その場に立ち止まり、静かに口を開く。
「――何か、困りごとですか?」
ノエルの声は低く落ち着いていて、それでいて聞く者を圧倒するような力強さを持っていた。その問いかけは、まるでこの場を支配するかのように響き渡り、広場全体が一瞬にして静まり返った。
隣のキャサリンも、軽く首をかしげながらリリアーネを見つめる。
「あら、リリアーネ様もいらっしゃったんですね。お久しぶりですわ。でも、ずいぶんお声が大きかったように思いますけど……何か熱心に話されていたんですの?」
ノエルの冷静さとキャサリンの柔らかいがどこか皮肉を含んだ言葉に、リリアーネとヴァニエルの顔はわずかにこわばる。
リリアーネは一瞬怯えたように口を引き結び、次いで不自然なほどに明るい声で笑みを作った。
「い、いえ、ノエル様!本当に大したことではありませんのよ。ただの些細な誤解と言いますか、ちょっとした行き違いで……!」
その言葉にヴァニエルもすぐさま便乗し、慌てた様子で続ける。
「そうです、ノエル様」
ヴァニエルも急いで続ける。彼は少し肩を落とし、殊勝な態度を装った。
「僕たちはただ、この……エレノアさんが少し困っているように見えたから、助けていただけなんです。それが、まぁ、彼女が誤解してしまったようで」
リリアーネがすかさず頷き、ヴァニエルの言葉を補強するように続ける。
「そうなんです!エレノアさんが勝手に被害妄想を膨らませてしまって……私たちに責任があるわけでは決してありませんわ!」
ノエルは二人の言葉を静かに聞いていたが、その表情は変わらず穏やかでありながら、どこか冷ややかでもあった。
その場しのぎの言い訳に過ぎない台詞だが、ヴァニエルの声には焦りが滲んでいた。たとえエレノアが平民だとしても、この学園ではマナーと礼節が重んじられる。そしてそれ以上に、騒ぎを起こしたことをノエルに知られることで自身の評判に傷がつくのは致命的だった。
ノエルはそんな言い逃れをする二人を冷静に見つめ、静かに微笑む。その微笑みは冷たくもなく、むしろ穏やかであったが、なぜか彼女の視線を受けたヴァニエルは肩をすくめた。
「学園内での振る舞いについてのマナーは、どなたも承知のことと存じます。ですが、私が見た限り――少々、騒ぎが大きくなっているようですね」
ノエルの声は穏やかだが、その場にいた全員が感じる圧力があった。
ヴァニエルはこの場を早く収めようと、「おっしゃる通りだ」とばかりに頷きながら、ノエルに近づく。彼はその視線に意味ありげな光を宿し、わざとらしいほど丁寧な礼を執った。
「ノエル様がご覧になるとは思いませんでした。ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません。どうかお許しください」
その上でヴァニエルは、一歩近づきながら低い声で言った。
「それにしても、ノエル様とお話しできる機会がこうして訪れるなんて、光栄の極みです。いや、本当に、こんな学園での日々があるのも、ノエル様のお導きのおかげと言っても過言では――」
ヴァニエルが言葉を重ねようとするたびに、ノエルはその場を支配するかのようにわずかに頷く。そしてその頷きが、むしろ彼の言葉を断ち切るかのようだった。
「それは結構なことです。ですが、私はこうした争いごとが学園の平穏を乱すことを看過するわけにはいきません」
その冷たい視線に、ヴァニエルはひるみかけたが、再び身を正してさらに言葉を尽くそうとする。
「ノエル様、誤解しないでいただきたいのです!僕はこの学園でも、そして外の世界でも、皆が認めるべき未来を――」
ノエルは淡々とした態度を崩さず、彼の話を遮るように静かに微笑んだ。そしてその笑顔には、どこか冷淡な無関心さが宿っていた。
「お話は後にしましょう。今は、この場を収めるのが最優先かと思いますので」
その言葉は、「あなたの話には興味がない」と言っているも同然だった。しかしヴァニエルはそれを察するどころか、逆に勝手な解釈を始めた。
(ああ、ここではみんなの前だから深い話はできないんだな。僕たちの関係が広まると、確かにまずいかもしれないからな)
都合よく解釈したヴァニエルは、ノエルに一礼し、リリアーネに目配せをする。
一方、リリアーネはその場の空気に耐えかねるようにノエルに媚びを売るような調子で話しかけた。
「ノエル様、本当にごめんなさいね。私たち、ただちょっと彼女に礼儀を教えようと思っただけなんですの。ノエル様のようなお方こそ、やはり私たちの学園の品格にふさわしいと日頃から――」
ノエルはリリアーネにわずかに視線を向けたが、その瞳には何の感情も宿っていなかった。
「お心遣い、感謝します。それでは、どうぞご自由に」
その冷たい一言がリリアーネの心に深く突き刺さったのか、彼女は顔を引きつらせながらも作り笑いを浮かべるしかなかった。「あんたのせいよ」と言わんばかりにその目はエレノアを鋭く睨みつけていたが、ヴァニエルを促すようにして、2人はそそくさとその場を後にした。
ヴァニエルとリリアーネが去ったことで、広場に漂っていた緊張感は少しずつ和らぎ始めた。ギャラリーの生徒たちも、それぞれざわざわと話しながら散り始める。
「これで一段落ですわね」
キャサリンがにっこりと微笑み、エレノアの手を取る。
「お腹も空きましたし、私たちでお昼を食べに行きませんか?ノエルも一緒に行きたいと言っていますの」
ノエルは微笑を浮かべながら、エレノアに向かって静かに頷いた。
「もしよろしければ、私たちとご一緒に」
エレノアはその誘いに少し驚きながらも、丁寧に頷き返した。セドリックも「それなら俺も」と自然な流れで加わり、4人は学園内のカフェに向かって歩き始めた。




